2013年09月28日

フクシマからの放出放射能−核実験最盛期の全放出量さえ上回っていた

福島からの放射性セシウムの大気中放出量はチェルノブイリの3倍とEU機関計算
 EU傘下の研究所(参考資料)の計算によれば福島原発から大気中に放出されたセシウムの総量は21京となった。チェルノブイリ事故では7-8.5京と報告されていることから3倍強の数値が算出された。
事故後間もなく報告された値はチェルノブイリの1/7程だったので、今回の計算により数値が一挙に40倍に増えた。
また、希ガスのキセノンは1100京と保安院により事故から数カ月後に報告されており、この量はチェルノブイリの2倍だった。
更に福島3号機ではMOX燃料がつかわれていたので、半減期の長いプルトニウムも放出された。


びっくりしたのですが、元記事(ENENEWS) 元の論文
Modelling the global atmospheric transport and deposition of radionuclides from the Fukushima Dai-ichi nuclear accident

 実は、この論文、フクシマの被曝では奇形は起きない、何の被害もない、ガンも起きないで紹介していましたが、全く読んでいませんでした。21京ベクレル(2.1x1017 = 210PBq(ペタベクレル)数字が大きすぎてわかりませんが、わかりやすい一つのグラフを紹介します。
放射能で汚された今、なすべきこと 京都大学原子炉実験所 小出裕章氏講演 2013/06/23 福島を改変

2013092801.jpg
21京ベクレルを青で示してみました。なんと、核実験最盛期よりもはるかに多いセシウムが飛散したことがわかるでしょう。これで、フクシマでなんの健康被害も起きないとしたら、大気核実験など禁止する必要などなかったと言うことになります。核大国が条約を結んで、大気核実験をしないと約束したり、ストロンチウムの蓄積を調べた研究など、何の意味もなかったと考えられますか?

1960年代の核実験状況


最もひどかった1963年の核実験をすべてフクシマでやってしまったわけですから、考えただけでもおそろしい。

そもそも、フクシマ炉内にどれだけの放射能(インベントリー)があったのか。いろいろ探していましたが、なんとWikiPediaにその記述がありました。
各放射性核種の放出量(1015Bq)
セシウム137セシウム134ストロンチウム90キセノン133ヨウ素131
広島原爆0.1-0.08514052
チェルノブイリ事故89487.444001300
フクシマ15(210)180.1411000160
フクシマ÷チェルノ0.17(2.3)0.38 0.02 2.5  0.12

放射性キセノンの量は公式発表でさえ、チェルノブイリの2倍なのですから、同じく揮発しやすいヨウ素もまたチェルノブイリ放出総量よりもはるかに多く飛散したことが容易に想像つきます。EU計算の210PBqが正しいとすれば、フクシマではチェルノブイリの2.3倍ものセシウムが放出されたことがわかるでしょう。

では、一体どれだけの放射能が炉内に蓄積していたのか(チェルノブイリとの比較)
事故直後、原子炉が停止した時点において、炉心に蓄積されていた放射性核種の存在量(炉心インベントリー)を比較すると、ヨウ素131は、チェルノブイリ原発4号機の3200×1015Bqに比べて、福島第一原発1〜3号機の合計の方が、6100×1015Bqと、約1.9倍上回っており、セシウム137も、福島第一原発1〜3号機の合計の方が約2.5倍ほど多い(資料
チェルノブイリ原発4号機[7]福島第一原発[8][9]

(1〜3号機の合計)
放射性核種ヨウ素131セシウム137ヨウ素131セシウム137
炉心インベントリー(1015Bq)32002806100710
放出量(1015Bq)?1760?8516015
放出割合(%)50-6020-402.62.1
つまり、フクシマの原子炉内には、71京ベクレルのセシウム137を保有していたことになります。

炉心インベントリーに対する放出割合(%)
福島第一原発[17]チェルノブイリ原発4号機[7]
1号機

(感度解析ケース2)
2号機

(事業者解析ケース2)
3号機

(事業者解析ケース2)
希ガス類959699100
CsI(ヨウ素類)0.666.70.350-60
Cs(セシウム類)0.295.80.2720-40
希ガスは仕方なく100%近く放出したことを認めていますが、ドライベントなどをしたにもかかわらず、1〜3号機のヨウ素放出量は1%にも満たないと想定しています。このような過小評価などはあり得ないでしょう。そして、この計算には一切含まれていない3号機燃料プールの核爆発


このプールの中には、514本と3号機の炉内(548本)とほぼ同等の燃料棒があります。
簡単に計算すると、このなかには240PBqのセシウム137が含まれていますし、核反応で生じたセシウム137も大気中に拡散されました。3号機の爆発時に原発周囲が最も汚染されたこともわあせて考えると、おそらく今までの大気核実験で放出されたセシウムと同等か、あるいはそれ以上のセシウムが大気中に拡散されたことになるのではないかと思います。
 そして、格納容器内にとどまったとされる死の灰(放出されなかったセシウム、ストロンチウムetc.)は汚染水とともに海洋流出しているのは明らかですから、今回のフクシマは健康被害が起きるのは確実で、一体それがどれだけの規模に収まるのかと考えておいた方がいいでしょう。

 炉内に710PBq そして、3号機燃料プールに 240PBqセシウムがあったとして、合計 950PBq このうち四分の一が放出されたと概算すると240PBq(24京ベクレル) EUが概算した21京ベクレルとほぼ同等になります。また、この950PBqは、すべての大気核実験のセシウム放出量 964PBqとほぼ同等。そして、それがたった数年間のフクシマ原発の死の灰に過ぎません。今まで、地球上の原発で作られてきた死の灰は、大気中に拡散されれば、全地球上の生命を滅ぼすのに十二分であることは間違いありません。。(フクシマの出力は合計約300万キロワット。世界の原発の合計は3億9000万キロワット。つまり、約100倍)

◆関連ブログ
東京には放射能は降下していない−どや顔で説明する医師たち2013年09月11日
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世界の原発は429基、約3億9000万キロワット−狂気の地球2013年08月31日

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posted by いんちょう at 20:50| Comment(12) | 原子力

2013年09月27日

9月のブログ記事紹介−第8回院内勉強会

 昨日、ブログ記事を解説しながら、第8回の院内勉強会を開催させていただきました。遠路ご出席いただき誠にありがとうございました。(参加者15名)



内容は
・ブログの見方(リンクの紹介など)
・9月の記事の概説
・質疑応答(申し訳ありません。質問の声は聞こえません。私の回答のみです)

出席された方のアンケート(13枚)

次回は、10月31日(木)を予定しています。内容は1ヶ月のブログのまとめ(今回と似た感じです)を開催の予定です。次回は、Ustream中継も−可能であれば−予定しています。

◆関連ブログ
9月26日(木)第8回院内勉強会のおしらせ2013年09月13日
講演会
タグ:勉強会
posted by いんちょう at 20:16| Comment(1) | 原子力

2013年09月25日

ヒロシマ、ナガサキで5年間癌が発症しなかった本当の理由

 昨日、池田信夫が「低線量被曝によって発癌するまでには平均25年、最低でも5年かかる。」と自信たっぷりに書いておりました。彼は、単なる経済評論家ですから、このように書くにはそれなりの根拠があります。おそらく、唯一の被曝の聖書「ABCC=放影研」の研究成果でしょう。この被曝調査結果をフクシマに当てはめているところだけをとってみても、原爆と原発は全くおなじという揺るぎなき証拠だと私には思えます。

 プルトニウムファイル

を一読すればわかりますが、ヒロシマ、ナガサキの被爆知見など極僅か。それよりも米国兵士やさらにはロンゲラップ島、各国の被爆者達の方がはるかに精密な調査をしているのです。それなのになぜ、ABCCの調査がここまでもてはやされるのかと言えば、答えは一つ。敗戦国で行った調査だからです。すなわち、いくらでも数字のごまかしができるわけです。

原爆投下は予告されていた 国民を見殺しにした帝国陸海軍の「犯罪」古川 愛哲 (著)

p.28から
 昭和59年頃、放射線医学では「最大許容法車線被曝量」のことばがまかり通っていた。それは広島と長崎の被ばく者の放射線障害の追跡結果で作成されたもので、原爆投下後の戦災と苦しみの中でなくなった方々が残した、貴重な国際的な医学遺産である。
 ところが、このかけがえのない貴重な医学遺産は、無残にも改ざんされていた。戦後5年間、昭和20年から25年までにガンや白血病でなくなった被ばく者は、原爆被爆以前から罹患していた可能性があるとの屁理屈で、統計から外されていたのである。あえて「屁理屈」と書く。それは、核政策上のアメリカ側の指導であったからである。
 当初は、爆発でけがや火傷をしていれば、放射線障害から外された。原爆は上空で爆破するので、その爆煙(キノコ雲)は成層圏にいたり、風とともに放射性物質は大気圏へ拡散し、地表に残留放射線は存在しない。「黒い雨」は地上の泥が舞い上がり振ってきたものに過ぎない。こうアメリカは強弁していたのである。
 いずれにしても、広島と長崎に設置されたABCCが放射能の影響を少なく見積もるために意図的にデータを操作したのであった。ABCCは、その運営資金の9割をアメリカ政府、すなわちエネルギー庁が負担した施設で、被曝者の治療はせず、経過観察と解剖の統計を取ることを目的とした。
 この事実が発表されたのは昭和62年(1987)のことだったが、心底から怒りがこみ上げたのを今でも覚えている。中立であるべき科学への幻想は、私の中で木っ端みじんに打ち砕かれたのだ。
 核兵器の残虐性を否定するためアメリカ政府は、被曝者の放射能による影響を極端に少なく見積もったのだが、この政策に日本政府は追従した。唯一の被爆国を名乗りながら、日本政府は被曝者の救済には消極的だった。しかも、放射線の許容量を安易に認めて「最大許容放射線量」という言葉を平然と使用したのである。

−この昭和62年の事実発表について、詳しい方がおられたら教えてください。−

どうでしょうか。これなら、当初5年間に癌が発生しないことも、何の異常も起きないことは火を見るよりも明らかです。あの悲惨な被爆直後の5年間を無事に生き延びられたもののみが、統計の数字として集計されているだけなのです。

◆関連ブログ
アイリーン・ウェルサム(プルトニウムファイル著者)のインタビュー2012年10月29日
放射能と白血病の増加2012年02月18日
タグ:ABCC
posted by いんちょう at 20:46| Comment(9) | 原子力

2013年09月24日

放射能安全ブログの書き方−「聖書」の記述を見破れ

 ちょっと名の知れた人物だと、放射能を安全、安全と書くごとに原稿料はうなぎ登りとなり、メディアの露出も増えてきます。ただし、残念なことに科学的素養はありませんから、根拠のはっきりしない通説をさも「科学的」事実のようにさらりと書いて、そのあとに自分の罵詈雑言を連ねます。

有名どころで池田信夫
2013092401.jpg
(いけだ のぶお、1953年〈昭和28年〉10月23日[1] ‐ )は、日本の経済学者[2][3]、経済評論家[4][5]、ブロガー。日本放送協会(NHK)職員を経た後、現在SBI大学院大学客員教授、青山学院大学非常勤講師、株式会社アゴラ研究所代表取締役社長。

この人物は、twitter
「燃やせば放射性物質は分解されて無害になるのを京都市役所は知らないのか?」
と発言したほどの、放射能については何も知らない(経済についても、同レベルだとは思ってますがw)人物です。放射能の危険を解いている人をとりわけ目の敵として、愚論をまき散らします。たとえば・・・

「原発関連死」の原因をつくった人々2013年09月12日00:27
島薗進氏のツイートが、多くの人々の批判を呼んでいる。

「原発関連死 さらに121人」東京新聞9/11。これはこの半年の人数で総計は910人。実数はだいぶ多いはずと。http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013091190071146.html … 放射線の健康影響でなくて「不安」という心理こそが最大の問題という重松逸造、長瀧重信氏、山下俊一氏らの立場ではどう説明する?

彼は原発関連死の原因が「放射線の健康影響」だといいたいのだろうが、低線量被曝によって発癌するまでには平均25年、最低でも5年かかる。いま死亡したということは、放射線が原因ではないという証拠なのだ。

島薗氏は宗教学者だから、放射線医学に無知なのはしょうがないが、専門外の問題についてこれまでにも「ICRPの基準は信用できない」などと批判してきた。彼がその論拠にしているのは、なんとバズビーのECRRである。

原発関連死の最大の原因は、放射線ではなくストレスである。島薗氏のような(肩書きだけは大学教授の)素人が「放射能は無限に危険だ」というデマを流し、必要もない避難を長期にわたって続けさせたことが、多くの人々の生活を破壊し、910人もの犠牲をもたらしたのだ。


原子炉級プルトニウムによる核爆発と1F-3燃料プールでも述べましたように、この人物はいきなり問題の核心をトップに持ってきて、さらりとさも事実のように書きます。

低線量被曝によって発癌するまでには平均25年、最低でも5年かかる。いま死亡したということは、放射線が原因ではないという証拠

 おそらく,ABCCが5年間は癌が起きないと決めてくれたんでしょう。人間の身体が画一的な反応を示さないのは、自然科学者ならば当然知っていることなのですが、「経済学者」はそうは考えないようです。このすべての評論は、「5年以内には癌は起きない」といった「科学的」事実にのみ基づいているだけで、自分の考察は一切ありません。ただ、教科書に合っているか否かだけを判断基準にして書いています。謙虚さのかけらもなく、まるで中世のカトリック教会のように「聖書」に書いてないから、デマと決めつける。池田信夫は、ダーウィンの進化論を読んだこともないんでしょうか(いや、もちろん、私もないんですが、教会との論争くらいは、知っています)

以前紹介した耳なしウサギ
少なくとも動物実験では、奇形が生まれることは証明されているはずなんですが、北里大学の伊藤伸彦教授は気合いが違います。
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「被曝の影響の可能性を切り捨てるわけにもいかないので、妊娠中1週間の被曝量(内部・外部の合計)を算出したところ、1.55ミリシーベルトと出た。奇形が生じる線量には閾値があり、通常は瞬間的に数1000ミリシーベルトぐらい浴びないと生じないとされています。ですので、絶対ないとはいえませんが、放射線の影響である可能性は極めて低いと結論づけました」

 でましたね。聖書に書いていないから、被爆の影響ではない。ノビーと全くおなじ理論です。そして、次のような荒唐無稽の結論

「一つの可能性としてですが、大地震とその余震で何度も強く揺らされたことが親ウサギのストレスになった可能性も考えられます」

 今まで大地震が起きたところで、耳のないウサギが生まれたことなど聞いたことはありませんが、聖書に合わせようとすると、このような奇妙奇天烈な結論にならざるを得ません。これもまた地動説は間違いだと主張した中世の教会を連想させます。

 このように、放射能安全派は、いきなり結論を決めつけてきます。この人物の信奉している結論は、一体何か、そしてその根拠は本当に正しいのかを考えるようにすれば、ウソかどうかは簡単に見破れます。まあ、どれも底が浅くて、しゃべっているうちから、デマだとわかるのですが、残念ながらそのデマを平気で載せるのが今のマスコミだという事実は覚えておかねばなりません。まあ、なにしろ宗教の布教を手伝っているのがマスコミなんですから、仕方ありませんが。


今から80年近く前−1935年に書かれたこの本の記述が、未だに全く矛盾もなく、読めることからも、人間のことなど何もわかっていないことが良くわかります。この後にDNAが見つかり、細胞生物学の急速な進展、医療の進歩があったにもかかわらずです。人間のことが未だに全くわかっていないのに、放射能が人体に与える影響など何もわかっていないのに等しいはずです。それを結論づけていう人間たちを中世ヨーロッパの教会の司祭たちと名付けて、どこに間違いがあるでしょうか。

◆関連ブログ
原子炉級プルトニウムによる核爆発と1F-3燃料プール2013年08月24日
地震に揺られたストレスで、耳なしウサギが生まれた−北里大学伊藤伸彦教授2013年03月25日
タグ:池田信夫
posted by いんちょう at 21:10| Comment(7) | 原子力

2013年09月23日

放射能安全デマのエッセンス−実効線量係数−

 原発事故から2年がたち、健康被害が徐々に忍び寄ってきているにもかかわらず、未だに放射能は安全だと言い続ける権威者と、その尻馬に乗っている人たち。チェルノブイリ原発事故後のこのグラフ
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出典:チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害: 科学的データは何を示している合同出版 p.85

を見たことがないのでしょうか。4年後まではそれほど目立った変化はないのかもしれませんが、5年後以降になれば、もう誰にも隠せない被害が出ることは、このグラフが雄弁にものがたっています。フクシマはチェルノブイリよりも放出量は多いのは、まず確実ですから、私としてはこのグラフがさらに左に1年シフトした形で表出化するであろうと考えています。

 わかりきった未来をごまかすために、放射能は安全という証明を一生懸命していますが、そんなウソを作るには入念にストーリーを練らなければなりませんので、言うことはワンパターン化しています。まず、入り口で騙して、そのあと壮大なエセ科学の世界に引きずり込みます。

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なかなか良くできた1ページです。このようなプロパガンダの場合、まず最初に本当のことを言ってあとでウソのことを混ぜる。詐欺師のよくやる手段ですし、また洗脳の手段でもあります。

問1 長期被ばくと短期被ばくで違うの?
答1 放射線被曝の合計がおなじなら、長期間で受けた方が、影響は小さい

 これは本当と言っていいでしょう。たとえば、放射線治療で30グレイ(約30シーベルト)を食道に照射する際には、1度に照射するのではなく、たとえば1グレイ(1シーベルト)づつ30回に分けて照射します。細切れに照射することで、一応は壊死することなく治療終了します。しかしながら、長期的な予後となると私自身はかなり疑問を持っています。最終的にはケロイド状になったり(内部が)します。しかし、長期の体被曝線量が安全といえるのかといえば、それは違います。未だに国は莫大なカネをかけて、被曝労働者の健康追跡調査をやっています。(それも、20ミリシーベルト以下の)私自身も、住民票も死亡診断書も合法的に調査する標本になっていました。

問2 自然放射線と人工放射線で違うの?
答2 放射線被曝の合計の量がおなじなら、自然放射線も人工放射線も影響はおなじ

 これは、なかなかうまいですね。外部被曝であるかぎりは、セシウム線源で被曝しようが、カリウム線源で被曝しようがおなじだと言っていいかもしれません。コバルトだろうが、ストロンチウムだろうが全部おなじです。ところが、内部被曝になるとこれは全く異なります。たとえば、よう素を考えてみるとわかります。外部にあれば、全身にくまなく照射されますが、内部に取り込んでしまえば甲状腺に集積してしまいます。内部被曝、外部被曝の概念については、市川定夫先生の講義が大変わかりやすい


これを見れば、上記のおかしさなど、すぐに指摘できるようになるでしょう。

問3 外部被曝と内部被曝で違うの
答3 放射線被曝の合計の量がおなじなら、外部被曝も内部被曝も影響はおなじ

これは、ICRPの作り出した詐欺の根幹「実効線量係数」を指しています。
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こちらでわかりにくい考察を書いていますが、ようは全く影響がわかっていない放射能の内部被曝(どこにも評価したまともな報告などありません。−何しろ、あの権威のABCC-放影研にすら根拠がないのです)を数式を使ってひねりだしたものにほかならないからです。科学的な鎧はかぶって入るものの根拠が全くない代物。この実効線量係数で評価すれば、もちろん奴らの作り出した放射能安全説を証明することに(当然ながら)できるのです。

放射能安全説を説明するには、これら3つ
・少ない放射線量は安全
・人工も天然も放射線はおなじ
・内部被曝も外部被曝もおなじ

を手を変え、品を変え言っているに過ぎません。このような説明を受けたら、あああの実効線量係数の話か。じゃあ、この根拠を教えてもらおうと思えばいいのです。彼らは、きっと「ICRPの認めた科学的な手法です」としか言えないでしょう。何しろ、説明している本人自身も理解していないのは明らかなのですから。未だにこのような低レベルの説明が横行している(まあ、これ以外にはないのですが)とは、さすが「科学技術」立国ニッポンです。

◆関連ブログ
放射能被害の実態を隠すためのプロパガンダ−今までとこれから2013年03月07日
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カネと権力でわかりやすく恫喝する政治家・電力・企業と、ペンで非難する女性評論家2012年06月15日
100mSv安全の根拠-原爆の知見を信用しますか?(60万アクセス)2011年08月27日
フィルムバッジを持つということ(放射線管理の長い手)2011年06月25日
内部被曝−その評価と治療方法2011年10月10日
放射能と人体(10)安全デマのキモ−実効線量係数とは(250万アクセス)2012年01月13日
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2013年09月20日

吹き出す矛盾−ほら吹き男爵となった安倍首相とその仲間たち(都知事、役人)

2020年オリンピックで、安倍首相の宣言

・フクシマについてお案じの向きには、私から保証をいたします。状況は統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません。
原文
Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you,
the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo.
汚染水は、第一原発の港湾内の0.3平方km範囲内の中で完全にブロック

 まずコントロールされているかいないか。

東電幹部、安倍首相発言を否定 汚染水「制御できてない」
東京電力の山下和彦フェローは13日の民主党会合で、福島第1原発の汚染水漏れ問題について「今の状態はコントロールできているとは思わない」との認識を示した。
2013092001.jpg
 まあ、当然の見解です。ところが、首相から怒られた東電は、次の文章を直ちに発表します。

汚染水問題に関する当社関連報道について
平成25年9月13日
東京電力株式会社

 総理の「コントロールされている」とのご発言は、放射性物質の影響は発電所の港湾内にとどまっており、近海における放射性物質の濃度は、基準濃度をはるかに下回り、継続的な上昇傾向も認められていないということの趣旨だと理解しており、当社としても同じ認識であります。

 本日、汚染水問題に関する当社社員の発言として、「今の状態はコントロールできているとは思わない」との認識を示した、との報道がされております。

 当社は、海および陸側の放射性物質の濃度について継続して確認を行っておりますが、汚染水の影響は発電所の港湾内に留まっており、外洋については検出限界値以下または告示濃度を遥かに下回る値であり、継続的な上昇傾向も認められないことを確認いたしております。

 この度の当社社員の発言は、そうした状況を踏まえた上で、汚染水の港湾内への流出や敷地内の貯水タンクからの漏えいなどのトラブルが発生しているという認識について言及したものです。

 なお、このようなトラブルが発生した場合にも、その影響が外洋に及ぶことがないよう対策をしっかりと講じてまいります。

 当社は、汚染水問題により、広く社会の皆さまにご心配をおかけしている状況であり、国からの指導をいただきながら、これらの状況を改善するよう努めてまいります。

以 上


そして、猪瀬都知事

瀬知事 汚染水問題で「必ずしもアンダーコントロールではない」
 東京都の猪瀬直樹知事は20日の定例記者会見で、東京電力福島第1原発の汚染水漏れは必ずしもコントロールされていないとの認識を示した。
 知事は2020年五輪招致プレゼンテーションで安倍晋三首相が「状況はコントロールされている」と発言したことをめぐり「今、必ずしもアンダーコントロールではない。だから(首相が)アンダーコントロールになると表明した」と語った。
 さらに「あの時点では風評もたくさん混ざっていた。政府が実際にお金を出してきちんとやるという意思を示し、いったん解決した」と振り返り「(政府に)国内問題としてこれからやっていただく。本当の解決に向かわないといけない」と強調した。
[ 2013年9月20日 18:44


 演説を見ればわかりますが、首相は「the situation is under control」と言っているわけで、これは未来形でも何でもなく、現在の状況を示します。これを将来の希望と訳したとしたら、落第です。

そして、「影響は港湾内0・3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」とのことですが、これももちろんデマ。海洋汚染は下記シミュレーションのように大変深刻な問題(GEOMAR)


そして、下記の写真を見れば明らかなように5−6号機は港湾内から汚染水を吸引して、外界に放出しつづけている(原子炉内に燃料がありますから当然のこと)
2013092002.jpg

これで、0.3平方キロに制限していると明言したわけですから、その厚顔無恥ぶりは大したもの。ところが、この知識は一夜漬けであることを本日安倍が曝露してしまいました。
2013092004.jpg
出展

汚染水の影響範囲知らず発言か 首相「0・3平方キロはどこ?」
2013年9月20日 19時50分
 東京電力福島第1原発の汚染水問題をめぐり、安倍晋三首相が19日に現地を視察した際、放射性物質による海洋への影響が抑えられていると説明する東電幹部に、「0・3(平方キロ)は(どこか)」と尋ねていたことが20日、分かった。

 首相は東京五輪招致を決めた国際オリンピック委員会(IOC)総会で「汚染水の影響は港湾内0・3平方キロの範囲内で完全にブロックされている」と説明していたが、実際の範囲がどの程度か理解しないまま発言していた可能性がある。

 安倍首相は東電の小野明所長から放射性物質の海への流出や海中での拡散を防ぐ対策の説明を受けた際に「0・3は?」と質問した。(共同)


もう、何でもありですが、もうひとつだけ。東京の汚染
『2020東京五輪』を返上しよう!から
さきほど、東京都のオリンピックを推進してきた部署に、電話をしました。
猪瀬、竹田、安倍の言っている、東京の汚染はないし、これからも大丈夫だ、という発言について、
本当に汚染は無いのでしょうか?という質問をしました。

回答「東京には汚染はありませんよ」

私「え??????????あなた今なんていいましたか???」

回答「ですから、東京には汚染がありませんということです」

私「わかりました、では、これから私がいう事をちゃんと聞いていてください。
まず東京都の江戸川区の河川敷の空間線量を測った”公式”のデータがあります。

(下記のリンク参照下さい。)
http://www.city.edogawa.tokyo.jp/edg/kasenjiki_sokutei/index.html

そこには、最大空間線量で、0.30μSV/h出ているような場所もあります。
そして、平均値では、除染をする水準の、平均で0.23μSv/hの場所もあります。
江戸川区は、東京都ではなかったでしたっけ?」

回答「そうです。東京都です」

私「では、これを踏まえて、東京に汚染が無いと言えるのでしょうか?」

次の回答が驚愕です。

回答「そういうデータがあるのだと思いますが、知事や首相が言っている事が正しいと思います」

私「あなた、現実をみる気がありますでしょうか?
幻想の中で、物事論じるのは止めましょう。
事実は認めるが、汚染が無いというのは矛盾してませんかね?」

回答「ですから、データはそうだと思いますが、汚染は無いです」
以下略


 ここまで行くともうあっぱれ。見出しではなく、本文を読んでくれとオリンピックでぬけぬけと言い放ったのは安倍首相でしたが、この役人は首相の言葉だけを信じて、中身などどうでもいいと言っているわけです。このような首相、知事、役人に自分の命を預けていいのですか?

ところで、この安倍首相、首相になる前にフクシマを訪問(2012.10.2)
2013092004.jpg

◆関連ブログ
2020東京五輪−汚染は完全にブロック、健康問題は問題にならない−「自信があるからそういった」安倍首相2013年09月08日
タグ:P
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2013年09月18日

韓国水産物禁輸措置 WTOを提訴も−茨城の魚汚染(0.7uSv/hr以上) これでも「風評」?

汚染水、1年8か月間流出の可能性…東電発表
読売新聞 9月18日(水)7時57分配信
 福島第一原子力発電所の貯蔵タンクから漏れた汚染水中の放射性物質が、雨水とともに約1年8か月間にわたって、周辺の地中や港湾外の海に流出し続けていた可能性があると、東京電力が明らかにした

 そもそも、フクシマからは大量の放射能がまき散らされ、ありとあらゆる河川が汚染され、海に注いでいるわけですから、まあ改めて騒ぐような内容ではありません。センセーショナルにマスコミが伝えること自体、この事故のことを何にも理解していないことを白状しているようなものです。

<福島汚染水>各国から厳しい指摘 IAEA説明会
毎日新聞 9月17日(火)11時6分配信
 国際原子力機関(IAEA)総会の関連行事として16日夕、ウィーンで開催された日本政府主催の福島第1原発汚染水漏れ問題に関する説明会で、各国の専門家から抜本対策の遅れや規制当局のあり方などを問う厳しい指摘が相次いだ。第一義的な責任は東京電力にあると繰り返す日本側の説明からは「政府が責任をもって取り組む」(山本一太科学技術担当相)との意気込みが伝わらず、責任の所在のあいまいさを印象付けた。【ウィーン樋口直樹】

【汚染水問題 深刻化した背景は…】検証・大震災:福島第1原発 汚染水対策、漂流2年半

 説明会には、原子力政策を推進する経済産業省と、同省から独立した原子力規制委員会、廃炉に関する研究開発を行う国際廃炉研究開発機構などの担当者が出席。汚染水漏れの現状と、凍土壁の設置や浄化装置の増設などによる政府主導の解決策について、会場を埋めた100人以上の専門家らに説明した。

 だが、会場からの質問は今後の対策よりもむしろ、汚染水漏れの深刻化を招いた責任を問うものだった。スロベニアの規制当局者は「汚染水問題は原発事故直後から予想できた。なぜ2年以上もたった今まで持続的な解決策を見いだせなかったのか」と、厳しい口調で切り出した。

 これに対し、廃炉機構の担当者は、汚染水の漏えい部分の発見と修理に手間取っている▽原子炉建屋に流れ込む前に地下水をくみ上げて海に放出する計画が漁業関係者らの反対で困難になっている−−と説明。

 経産省の担当者が「法的な責任は東京電力にあり、我々はサポーターの立場。東電には資金もアイデアもなく、2年間も良くない状況が続いてしまった」と釈明すると、会場から「責任転嫁ではないか」との失笑が漏れた。

 一方、原子力規制委員会のあり方にも疑問の声が上がった。2007年に調査団を率いて訪日した仏原発安全当局者は「規制委員会の技術顧問が、問題解決を図るため東京電力にアドバイスするのは、原子力安全の責任分担をあいまいにするものだ」として強い懸念を表明。規制委員会側は「規制当局は電力事業者と一線を画すべきだが、福島第1原発事故に限り、問題の拡大を防ぐために行っている」と説明した。


 さすがにIOCの用には一筋なわではいきません。いい恥をさらしてくれた国際会議です。この会議がオリンピック決定後に開かれたのも、当然のごとく仕組まれていたのでしょう。それにしても、汚染水の処理がうまくいかない理由を漁業者のセイにしている答弁とは一体なんでしょうか。漁業者に限らず、海を汚染してはならないというのは常識でしょう。まあ、もう漁業ができる水域ではとうの昔になくなっているわけですが。
 このように袋だたきになっている日本ですが、なぜかしら韓国には強気

政府、韓国の水産物輸入禁止でWTO提訴を検討
2013.9.14 01:30 (1/2ページ)[日韓関係]
 政府は13日、韓国政府が東京電力福島第1原発の汚染水漏れ問題を理由に被災地の水産物輸入の全面禁止に踏み切ったことについて、科学的根拠のない不当な輸入制限だとして、韓国を相手取り、年内にも世界貿易機関(WTO)に提訴する方向で検討に入った。新たな風評被害を誘発しかねず、政府としては厳しい姿勢で対応する方針だ。
 農水省によると、食品に含まれる放射性物質に関する安全性をめぐりWTOで争われた例はない。政府関係者は、韓国の対応について「科学的な根拠のない禁輸措置は正当化できない。今回のケースは提訴の対象になる」と指摘する。
(中略)
 韓国政府は6日、汚染水漏れ問題への懸念が広がったことを受け、福島、青森、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、千葉の計8県の水産物の輸入を全面禁止すると発表。9日から禁止措置に踏み切った。これまでも約50品目の輸入を規制していたが、今回、これを全水産物に拡大した。


 誰がどう見ても汚染されていると思うのですが、「食べて応援」「風評」がどこまで外国に通用するんでしょうか。そもそも、安倍晋三は平成25年7月30日に広範な福島の農作物に対して出荷規制を福島県知事に命じています(抜粋)
33.最大高潮時海岸線上宮城福島両県界の正東の線、我が国排他的経済水域の外縁線、最大高潮時海岸線上福島茨城両県界の正東の線及び福島県最大高潮時海岸線で囲まれた海域において漁獲されたあいなめ、あかがれい、あかしたびらめ、いかなご(稚魚を除く。)、いしがれい、うすめばる、うみたなご、えぞいそあいなめ、きつねめばる、くろうしのした、くろそい、くろだい、けむしかじか、こもんかすべ、さくらます、さぶろう、さより、しょうさいふぐ、しろめばる、すけとうだら、すずき、ながづか、にべ、ぬまがれい、ばばがれい、ひがんふぐ、ひらめ、ほうぼう、ほしがれい、ほしざめ、まあなご、まがれい、まこがれい、まごち、まだら、まつかわ、むしがれい、むらそい、めいたがれい、びのすがい及びきたむらさきうにについて、当分の間、出荷を差し控えるよう、関係事業者等に要請すること。

34.真野川(支流を含む。)、新田川(支流を含む。)及び福島県内の阿武隈川のうち信夫ダムの下流(支流を含む。)において採捕されたあゆ(養殖により生産されたものを除く。)について、当分の間、出荷を差し控えるよう、関係事業者等に要請すること。

35.秋元湖、小野川湖及び檜原湖並びにこれらの湖に流入する河川(支流を含む。)、酸川の支流、只見川のうち本名ダムの下流(支流を含む。)、長瀬川(酸川との合流点から上流の部分に限る。)、日橋川のうち東京電力株式会社金川発電所の下流(支流を含む。ただし、東山ダムの上流を除く。)並びに福島県内の阿武隈川(支流を含む。)において採捕されたいわな(養殖により生産されたものを除く。)について、当分の間、出荷を差し控えるよう、関係事業者等に要請すること。


 韓国をWTOに提訴する前に、安倍晋三を「風評」をまき散らしたカドで起訴すべきではないんでしょうかね。農水省は。それとも、この2ヶ月の間に劇的に海洋汚染が改善したとでも言うのでしょうか。

茨城の海産物について、動画を紹介します。茨城産の地物の近くに近づけると 0.87uSv/hrに急上昇します。これでも、「風評」ですか?


(測定器)
動画から判断すると、PM1704のようです。価格は50万円近く・・・ちょっと手が出ません。

◆関連ブログ
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2013年09月16日

赤ちゃんの骨でストロンチウム計測(3)−米英の新聞記事と簡易年表

以下の記事は、
赤ちゃんの骨でストロンチウム計測(1)−英米の恐るべき人体実験
赤ちゃんの骨でストロンチウム計測(2)−オーストラリアの人体実験
の補遺となります。

サンシャイン計画に関するアメリカの新聞記事

World Wakes Up to Horrible Scientific History
恐ろしい科学史に目覚める世界
ABCニュース 6月7日 リーラ ジェシント記者

アメリカとイギリスで放射性降下物の影響に関する秘密の調査が行われてから半世紀が経ち、世界の人々は、1950年代の「死体泥棒」に関心を寄せるようになった。
「サンシャイン計画」は、核実験により人間が取り込む放射性ストロンチウム90の量を測定するために、入手した赤ちゃんの死体を使って調査を行うものだった。
火曜日、オーストラリア連邦政府の健康高齢者担当省の大臣は、親の同意なくオーストラリアの赤ちゃんの試料がサンシャイン計画のために発送されたという報告を受けて、調査を開始した。
「我々は、オーストラリアの赤ちゃんが、本当にこのように使用されたのか、何人の赤ちゃんが送られたのか、その子たちは何処から来たのかを明らかにする必要があります」とオーストラリア連邦政府健康省のマイケル ウッドリッジ大臣は述べた。
オーストラリア連邦政府は、イギリスの新聞が「イギリスの科学者がいくつかの病院から子どもの死体を入手し、その子達の骨や他の身体部分を核に関する極秘実験のためにアメリカに送った」と報道したことを受け、数日後、調査を開始した。
海を隔てた香港は、1997年まではイギリスの植民地だった。香港でも新聞が報道し、人々は怒りを募らせた。世論の高まりを受けた香港政府は、水曜日、調査を開始した。
「国家への貢献」
アメリカ政府の文書によれば、1,500以上もの死体(その多くは赤ちゃんの死体)が、1950年代、ヨーロッパやオーストラリアなど6カ国から集められ、放射能の影響を見るための調査に使われた。この調査は、当時の原子力委員会が行ったものである。

[訳注: アメリカ原子力委員会は、1974年に廃止されました。
アメリカ原子力委員会]


アメリカエネルギー省およびイギリス原子力公社の後援により、サンシャイン計画が行われた.この計画は、人体の細胞がどの程度ストロンチウム90を取り込むのかを見ようとするものだった。特に、骨に関心が集まっていた。
1995年6月、前アメリカ大統領のビル クリントンが設置した諮問委員会により、原子力委員会の放射能人体実験に関する機密書類が公開された。この機密書類によれば、サンシャイン計画に携わっていた科学者は、彼らの研究が倫理的にも法的にも疑わしいと認識していた。
1955年1月18日の秘密会議の議事録には、ウィラード リビー博士の言葉が記されている。リビー博士とは、シカゴ大学の研究者で、1960年のノーベル化学賞受賞者である。リビー博士は、人間のサンプルの入手が難しいとしたうえで、サンシャイン計画の結果は、試料の数によって「非常に大きく異なってくるだろう」と述べた。
「どうやって死体を入手すればいいのかわからない」と、リビー博士は言ったそうだ。「しかし、最も重要なことは死体を入手することだ。特に若い人の死体を入手することだ。人体の試料が最も重要であり、死体泥棒をいかに巧みにやるかを知っている人間は、自分の国に多いに貢献することになるだろう。」
「小さなもの」
何の疑いも持っていなかった多くの親御さん達にとって、悪夢のような出来事だった。
1995年、イギリスで「致死的な実験」というドキュメンタリー番組が放送された。この番組には、ジーンピカードさんというイギリス人のお母さんが登場する。1957年、ピカードさんの赤ちゃんは死産だったのだが、イギリスの病院の医師は、赤ちゃんから2本の足を取ってしまったという。病院は、赤ちゃんから足を取ったことを隠そうとした。それで、ピカードさんは、赤ちゃんのお葬式のときに、ドレスを着させてやれなかったという。
「私は、娘に洗礼服を着させてやれないものか、と尋ねたのです。でも、許可されませんでした。それで、私はとても動転したのです。娘が洗礼を受けられなかったからです。誰も私に、何も言いませんでした。娘の身体を切って、なにか小さなものを持って行ってしまうなんていうことは言いませんでした。」
イギリスとカナダのマスメディアは以前、サンシャイン計画のために乳児の死体がアメリカに送られていたと報道したことがある。しかし、この闇の中の死体輸送について、公的な調査が行われることはなかった。
50年後
イギリス原子力公社の女性報道官であるエリザベス テイラー氏は、イギリスの科学者が確かにサンシャイン計画に関与していたと認めたものの同公社は、現在、何百もの書類を移動しているところであり、それらの書類のすべてが必ずしも機密解除されたわけではない、と述べた。
「[オブザーバー紙の]報道に続いて、私たちは、この問題について調べるようになりました。山のような情報があります。これは1950年代のことなので、調査するのは容易ではありません」と、テイラー報道官は言った。
テイラー氏によれば、原子力公社は、イギリスの科学者がアメリカに送った死体に関する記録をいまだに見つけることができないとのことだ。
書類があまりにも多くあるうえに、サンシャイン計画がおよそ50年前に行われていたために調査は難しいものとなっている。また、そのために、サンシャイン計画に参加した各国の政府が、ようやく今頃になって自国の役割がどのようなものであったのかを理解し始めたといえるだろう。
オーストラリアの報道官によれば、同国のウッドリッジ健康省大臣は、イギリスのメディアが今週初めに報道するまで、オーストラリアの赤ちゃんがアメリカに送られていたことを知らなかったのことだ。
報道官は、アメリカエネルギー省に調査協力を求めるための連絡をまだ取ってはいないが、アメリカエネルギー省の協力が得られることを期待していると述べた。
アメリカエネルギー省に連絡したさい、同省の報道官は、いまだにオーストラリアからの連絡は受けていないとしたうえで、次のように述べた。「オーストラリアは、自国の記録を調べているところだと思います。」
ABCニュースは、1995年のイギリスのドキュメンタリー番組の詳細を報道した。同番組では、死体の入手方法についても説明されていて、死体の追跡がゆるい街から供給されていたと述べていた。それゆえ、特に、貧困地域からの死体が多かったと指摘していた。
ABCニュースのアンドリュー チャンが、同番組に関して報道した。


サンシャイン計画に関するイギリスの新聞記事

イギリス、盗んだ赤ちゃんの死体を原子力研究所に
2001年6月3日 オブザーバー紙
 最近、機密解除された文書によれば、イギリスの原子力産業は、最高機密の国際プロジェクトに関わり、過去30年にわたって亡くなった赤ちゃんの死体を盗んできた。
この衝撃的な話は、イギリスの著名な病院における臓器の保有をめぐる論争につづいて明らかにされた。
[訳注: 「イギリスの著名な病院における臓器の保有」とは、ロンドンのアルダーヘイ病院で働いていたオランダ人医師が1988年から1995年、検死の際に無断で臓器を取り出していたことを指しています。以下、参考サイト。
Alder Hey Children's Hospital - Wikipedia
Alder Hey Children's Organs Scandal

BBC News
17 December, 2003
Alder Hey doctor cleared by GMC]


アメリカエネルギー省により公開された文書によれば、イギリス原子力公社は、子どもの骨や死体を盗み、極秘の核実験のためにアメリカに送っていた。
公開された何百ページもの書類には、アメリカとイギリスの科学者の間で交わされた書簡もある。これらの書簡において、両国の科学者は死産児の肋骨内の放射能レベルについて検討している。また、ミドルセックス病院から入手してアメリカの核研究所に送った子どもの死体の一覧表もある。
[訳注: 参考サイト
Middlesex Hospital
Middlesex Hospital Alliance]


人間「モルモット」には名前がない。実験の厳格な機密保持のために、コードネームが付けられていた。例えば、赤ん坊 B-1102 は、生後8ヶ月で死亡した男の子で、赤ん坊 B-595 は、生後13ヶ月で死亡した女の子という具合である。
子どもの死体の一覧表が掲載されている報告書には、「最高機密」というスタンプが押されてあり、セントラルミドルセックス病院の病理解剖学 組織学部の医師の協力に対する謝辞が記されている。

[訳注: 参考サイト
Central Middlesex Hospital]


アメリカ政府が極秘計画に関する何百もの書類を公開したとはいえ、イギリスとアメリカの科学者の共謀という最も恥ずかしい面を詳細に記していると思われる繊細な文書は、いまだに機密書類として保管されたままである。オックスフォードシャイアーのハーウェル原子力研究所は、イギリス政府の核研究活動を行っている。「ハーウェルでの秘密会議」というファイルを公開するように求められたアメリカ政府は、オブザーバー紙に対して次のように述べた。「この書類は、機密解除しないことに決定されましたし、フォルダから削除されました。」
ビル クリントン前アメリカ大統領の指示により、「死体泥棒」計画について調査が行われた。「サンシャイン計画」というコードネームが付けられた「死体泥棒」計画の調査結果は、容赦のないものだった。「研究者は、人間の残骸に接触できる中間者に懇願して死んだ赤ん坊の骨を入手するさい、嘘やごまかしを言った。」
オブザーバー紙はいくつかの書類を入手したが、その書類のなかには、サンシャイン計画の最も熱心な研究者が集まったワシントンでの秘密会議の議事録がある。この議事録には、後年、炭素年代測定法を研究してノーベル賞を受賞したことで有名なウィラードリビー博士が、同僚の研究者達に死体を盗むさいには法律に抵触しないようにと言ったことが記されている。
「人体の試料が最も重要である。それゆえ、死体泥棒を巧みに行う方法を知っている人材は、自分の国に多いに貢献するだろう」とリビーは言った。「我々は、高額な報酬を請求する法律事務所を雇って、死体泥棒に関する法律の調査を行わせました。その調査の結果から、あまり乗り気になれませんでした。死体入手を合法的に行うのは、非常に難しいとわかったからです。」
また他の書類によれば、イギリスの科学者は、1950年代初めにサンシャイン計画が開始された当初からアメリカの科学者と協同してきた。イギリスの科学者とアメリカ原子力委員会の科学者の間で、いくつもの書簡が交わされた。そのなかには、イギリス原子力公社が、死産児の骨を実験に使用したさいの情報をアメリカ側に伝える書簡もある。
さらに別の書類には、イギリスの極秘計画の管理者が「第5地域」と呼ぶ場所で入手した死体と、アメリカのサンフランシスコで入手した死体の比較検討が記されている。ある書類には、イギリスの赤ん坊や10才までの子どもの身体が「容易に入手可能」と記されている。
イギリスのハーウェル原子力研究所および医療研究委員会の科学者は、アメリカの科学者に死体を供給するのと同時に、独自に子どもの死体に関する研究を行っていた。1955年から1970年にかけて、イギリスの科学者は約6,000体の死体を集めた。
1957年に赤ちゃんを亡くしたジーン プリカードさんは、病院の医者が彼女の同意を得ることなく赤ちゃんの足を取ってハーウェル原子力研究所に送ってしまったと語った。
プリカードさんによれば、赤ちゃんのお葬式のとき、自分の娘に服を着させてもらえなかったそうだ。病院は、プリカードさんに何が起きたのか悟られないようにするために、赤ちゃんに服を着せることを許可しなかったというのだ。「私は、娘に洗礼服を着させてやれないものかと尋ねました。でも、許可が降りなかったのです。それで、私は、とても動転してしまいました。私の娘は、洗礼を受けることができなかったからです。病院の誰も、私に何も言いませんでした。娘の身体を切り刻んで、なにかを持っていきますよ、なんて一言も言いませんでした。」
イギリス政府は常に、サンンシャイン計画への参加を否定してきた。イギリス政府が同計画に繋がりがあるのではないかということは、1995年にチャンネル4が放送したドキュメンタリーにおいて初めて示唆された。イギリス政府は、アメリカで報告書が出されたとはいえ、イギリスのサンシャイン計画への関与を調査することはなかった。
しかしながら、アメリカ政府が新たに公開した文書およびロンドン南西のキューにあるイギリス公文書館に最近保管されることになった報告書から、イギリスの著名な科学者がイギリスとアメリカのために死体泥棒に関わっていたことがわかる。
これらの文書によれば、イギリスは香港からの赤ちゃんの死体を実験に使用した。また、ケンブリッジ、ニューマーケット、ノーウィック、ケルムズフォードの医師および西ロンドンの検死官から死体を入手したということだ。さらに、トップクラスのガン研究センターである王立マースデン病院もサンシャイン計画に参加していたとのことだ。

[訳注: 参考サイト
The Royal Marsden]


記録によれば、死体のほぼ半分は、新生児または生後まもない赤ちゃんのものだった。ケンブリッジ大学の研究所は、それらの死体の骨を燃やした。
イギリスの核科学者は、彼らの研究は70年代に終ったと述べた。
1990年代、オルダーマストン原子兵器研究所とハーウェル原子力研究所の研究者は、オックスフォードやカムブリアで行われた中絶手術から胎児や胎盤の細胞を入手していたが、このときは家族の同意を得た上でのことだったという。

BBCニュース
2001年9月30日
赤ちゃんの骨が核実験に
医師は、核実験の骨への影響を怖れていた
何千もの赤ちゃんの死体から親の同意なく摘出された骨が核実験に使用されていた、とイギリスの政府機関は認めた。
イギリス原子力公社は、1954年から1970年にかけて3,400人の子どもから摘出した大腿骨を調査したと述べた。
この6月、グラスゴーのヨークヒル子ども病院がこの研究に関与していたことが判明した。しかし、最近になって、骨はイギリス全土の病院から集められていたことが明らかになった。

[訳注: 参考サイト
Yorkhill Children's Foundation]


科学者は、世界中で行われていた核実験の放射性降下物が健康にどのような影響があるのかを実証しようとしていた。
医師は、放射性降下物が牛乳を汚染するため、子どもの骨に危険な水準までに放射性核種が蓄積することを怖れていた。
イギリス原子力公社の報道官は、「検死の後に病院から提供された骨の試料を使用しました」と述べた。
「遺憾ですが、当時、試料提供に関する親御さんの同意を頂いていなかったことは明らかです。法規の施行日は存じませんが、1950年代に医師は、研究は良い結果をもたらすために行うとだけ言ったのでしょうし、ただ単に試料を摘出できたのだと思います。」
高温で焼かれた骨は、放射性同位体であるストロンチウム90の分析に使用された。ストロンチウム90とは核分裂の副産物であり、生体内でカルシウムと同様な挙動を取り、骨に吸収される。
原子力公社の報道官によれば、研究はロンドンの南東に位置するグラスゴーとウールウィチで行われた。また、この研究により、放射性降下物がどれほど危険なものかが明らかにされたため、核実験の終了に繋がったとのことだ。
報道官は続けて言った。「この研究が始まったときから1964年頃の間、濃度が急速に上昇しておりました。」
「臓器の保有に関する公的調査を支持するスコットランドの親の会」の女性広報担当者は、今回明らかになったことを受けて「あまりにひどい」と語った。そして「これは、氷山の一角にすぎない」と付け加えた。
広報担当者は、続けて次のように語った。「このような研究はあまりにも沢山あって、いくつあるのか見当もつきません。親達はこれまで、子どもの遺体への処置について、何も言うことができませんでした。子どもを亡くした親は、子どもの遺体が自分のものではないような気持ちを抱いていたのです。」
この女性広報担当者は、こうも付け加えた。「親への告知または親の同意なく子どもに接触した者は禁固に処す」という法律が必要です。
ランカスター選出の ヒルトン ドーソン国会議員は、王立ランカスター病院が1955年から1971年に研究に参加したという報告について詳細な調査が行われるべきだ、と呼びかけている。

[訳注: 参考サイト
Royal Lancaster Infirmary
Hilton Dawson]

略年表
1941年ー1945年 リビー博士、マンハッタン計画に参加
1945年以降、アメリカ、約1,000回の核実験(うち、1946年から1962年にかけて、太平洋核実験場で105回の実験)
1945年 リビー博士、シカゴ大学の教授に就任
1949年以降 ソビエト連邦、1990年までに少なくとも715回の核実験
1952年11月 アメリカ、太平洋核実験場のエニウェトク環礁でアイビー作戦(計2回の実験)
1953年以降 イギリス、オーストラリアを中心に45回の核実験(うち、オーストラリアでは計12回の実験)
1953年 サンシャイン計画開始。法律事務所に「死体泥棒」に関する調査を依頼
1954年 リビー博士、アメリカ原子力エネルギー委員会の委員に
1954年3月ー5月 アメリカ、太平洋核実験場のビキニ環礁およびエニウェトク環礁でキャッスル作戦(合計6回の実験)。 第五福竜丸事件

1955年1月 アメリカのワシントンDCでの秘密会議。リビー博士、「死体泥棒は、国家への貢献」
1955年 イギリス、リビー博士の呼びかけに応じてサンシャイン計画に参加
1956年 リビー博士、米国科学アカデミー紀要に論文発表
1956年 民主党の大統領候補であるスティーブンソン氏、部分的核実験禁止条約を呼びかける。部分的核実験禁止条約への気運がまだ高まっておらず、同候補は支持を下げてしまい落選。
1956年5月ー7月 アメリカ、太平洋核実験場のビキニ環礁およびエニウェトク環礁でレッドウィング作戦(計17回の実験)
1957年2月 カルプ博士、サイエンス誌に人体内のストロンチウムに関する論文発表
1957年 イギリス人のお母さん、「死産だった子どもに洗礼服を着させてやれない」という経験
1957年ー1978年 オーストラリア、自国の人々の死体の骨中ストロンチウム90を測定
1958年4月〜8月 アメリカ、太平法核実験場のビキニ環礁およびエニウェトク環礁でハードタック作戦(計35回の実験)
1959年 リビー博士、カリフォルニア大学の教授に就任
1959年9月 核保有国が主体となり、ジュネーブ軍縮会議の前身である10カ国軍縮委員会が設立される
1960年 リビー博士、炭素14年代測定法でノーベル化学賞受賞
1960年 カルプ博士、論文において「さらに大気が汚染されない場合、人体の放射性物質濃度は下がるだろう」
1960年以降 フランス、210回の核実験(うち、1966年から1996年にかけて、仏領ポリネシアで193回の実験)
1962年4月ー11月 アメリカ、太平洋核実験場でドミニクI作戦(ネバダ核実験場でのドミニク作戦IIと合わせると、ドミニク作戦全体で105回の実験。)
1962年10月 キューバ危機
1963年8月 アメリカ、イギリス、ソビエト、部分的核実験禁止条約に調印
1976年 リビー博士、カリフォルニア大学の教授を辞し引退
1980年 リビー博士、81才で死亡
1981年 オーストラリアのエイジ紙、サンシャイン計画を報道
1986年4月26日 ソビエトのチェルノブイリ原子力発電所事故
1991年12月25日 ソビエトのゴルバチョフ大統領辞任。ソビエト崩潰に伴い、冷戦の事実上の終結。アメリカの一極支配へ
1993年 国連総会の強力な支持のもと、包括的核実験禁止条約の起草に関する交渉が始まる
1993年11月 アメリカのアルバカーキトリビューン紙、「プルトニウム人体実験」を掲載
1994年1月15日 アメリカのクリントン大統領、諮問委員会に放射能人体実験に関する調査を指示 
1994年4月 アイリーンウェルサム氏、ピューリッツアー賞受賞
1994年10月21日 アメリカの放射能人体実験諮問委員会、中間発表
1995年7月6日 イギリスのテレビ局、「致死的な実験」というドキュメンタリー番組を放送
1995年7月6日 イギリス政府、「致死的な実験」を批判
1995年10月3日 アメリカの放射能人体実験諮問委員会の最終報告。サンシャイン計画の「死体泥棒」は、マンハッタン計画下での人体実験の影に隠れてしまう。
1996年9月 国連総会、包括的核実験禁止条約を採択
1990年代半ば オーストラリアのエイジ紙、サンシャイン計画を再調査
1999年 アイリーンウェルサム氏、「プルトニウムファイル」を出版
2000年 イギリス、情報自由法を制定
2001年6月 イギリスのオブザーバー紙、サンシャイン計画を報道。これに続いて、オーストラリアと香港でも報道。世論の高まりを受け、オーストラリアと香港の政府がサンシャイン計画の調査を開始
2001年9月30日 イギリス原子力公社、子どもの骨を検査していたことを認める
2002年7月 オーストラリアの健康倫理委員会、骨収集計画の調査について経過発表
2003年2月 オーストラリア、「ストロンチウム90ホットライン」を開設
2003年5月 亡くなった子どもの行方を探していたサウスオーストラリア州の1,200人のお母さん達のうち、300人が回答を受ける


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タグ:人体実験
posted by いんちょう at 23:06| Comment(8) | 原子力

赤ちゃんの骨でストロンチウム計測(2)−オーストラリアの人体実験

原発がないオーストラリア。しかも南半球と言うことで、あこがれている方も多いでしょう。
しかしながら、オーストラリアは英国の元植民地。やはり核汚染されていました。しかも、英米と同じように人体実験まで・・
(実際、オーストラリア東海岸でも0.2-0.4uSv/hr程度の線量があるという報告は、何人もの方から聞いています)

サンシャイン計画に関して「オーストラリア大地の友の会」が集めた記事
The Friends of the Earth Australia

(邦訳)
オーストラリア大地の友の会
死体泥簿
1957年から1978年、オーストラリアの一般庶民は、告知も同意もなく放射線実験のために家族の死体の一部を奪われていた。原子力機関および政府機関は、放射線実験のために、とくに子どもの死体を求めていた。ストロンチウム90への懸念がある中、成長する骨への潜在的な影響を見るためであった。以下、この「死体泥棒」に関する記事を集めた。

300人のお母さんへの答え
2003年5月5日 アドバタイザー誌 コリンジェームス記者
サウスオーストラリア州の300人のお母さん達が今になって初めて、自分の赤ちゃんが公立病院で亡くなってからどこに葬られていたのかを知らされた。最も古い案件は、40年前にまで遡る。
1,200人の市民が同意なしに家族の死体から臓器または骨が摘出されたとのことから、サウスウェールズ州政府は、これらの人々にカウンセリングを提供せざるを得なくなった。今回、回答を受けたのは、この1,200人のうちの300人。
社会福祉省は、公立病院が家族への告知または家族の同意なしに子どもの解剖を行い、臓器、細胞の試料および骨を摘出したという事実が発覚したことを受け、1,500の案件について公式に調査を行った。
社会福祉省の女性報道官は、300人の子どもが埋葬された場所を特定出来たことを「素晴らしい結果」と表現した。母親のほとんどは既に50代から60代で、やっと自分の赤ちゃんがどうなったかがわかったからだ。
「お母さん達は、当時の状況において、赤ちゃんに一目会うことも抱くこともできずに別れました。長年にわたって我が子はどうなったのだろうと思いめぐらしてきたのです」と女性報道官は言った。
「我々の調査の結果、お母さんがたの赤ちゃんを見つけることができたので、その場所をお伝えすることができました。いろいろな感情がないまぜになっています。とてつもない怒りや裏切られたという気持ちから、赤ちゃんが一体どうなったのかということがやっと少しでもわかったという安堵の気持ちまでが一緒くたになっています。」
多くの女性が赤ちゃんのお墓を訪ねたいと願った一方で、解剖所見、足形、写真のコピーを求めたお母さんもいた。また、婦人と子ども病院にある科学博物館に保存されている臓器を見たいと希望したお母さんもいた。

[訳注: 参考サイト
Women's and Children's Hospital

「婦人と子ども病院にある科学博物館」とは何かと検索をかけてみましたが、そのような施設は見つかりませんでした。唯一、見つかったのは、以下にリンクを貼った同病院の「オンライン麻酔博物館」でした。
Women's and Children's Online Anaesthetic Museum

以下は、この部分に直接関係があるわけではないですが、メルボルン大学医学部の医学史博物館のサイトです。興味深い写真が数多く掲載されています。
Medical History Museum]


30人の女性が、子どもの臓器または細胞の試料の返却を要求した。子どもから摘出された部分を、子どもの身体の他の部分とともに埋葬したいとの願いからだった。
他の5家族は、放射性降下物に関する国際試験の一環として燃やされた骨の灰の試料を要求した。「我々は、サウスオーストラリア州全土および他の州の方々とお話し、援助してまいりました」と、女性報道官は語った。
「これは大きなプロジェクトで、1,200人の方に電話をさしあげ、調査に関するご報告やカウンセリングを行いました。また、400人の方と面接致しました。」
「このように多くの対話を行いましたが、その内容の多くは、制度のあり方に幻滅されていた方々に信頼を取り戻して頂くためのものでした。」
臓器および細胞の試料に関する調査に対応するため、カウンセラーチームが結成されていた。女性報道官によれば、今年初め同チームを再編成し、オーストラリア政府が1957年から78年に行った秘密計画に関する問い合わせに対応してきたとのことだ。政府の秘密計画とは、イギリスがオーストラリアで行った核実験の副産物であるストロンチウム90が、オーストラリア人の死体から摘出した骨にどれくらい含まれているかを計測することである。
ストロンチウム90ホットラインは、2月に開設された。これに先立ち、主にサウスオーストラリア州の赤ちゃん、幼児、児童および13才から19才の若者の900の灰の試料がアデレードに返却された。
死体から摘出された3,058本の骨が、メルボルンに送られ、高温の炉で焼かれて灰にされた。そして、その灰を用いて放射能汚染についての分析が行われた。3,058本の骨の灰のうち、この900の灰の試料だけが残されていたのだった。
女性報道官は、ストロンチウム90ホットラインへの問い合わせ件数は、予期していたほど多くはなかったと述べた。192人が電話をかけてきて、オーストラリア放射線防護 原子力安全庁のデータベースに親族が載せられているかどうかを調べて欲しいと要望したとのことである。
「そのうち35人のご家族がデータベースに載っていることがわかりましたので、調査結果のご報告やカウンセリングをご提供しています」と、女性報道官は語った。

冷戦下の骨をめぐる争い
2001年6月10日 エイジ紙 ポール ヘインリヒ記者、スティーブ ドウ記者
1955年1月18日のことだった。冷戦は、本当に冷たいものだった。それなのに、太平洋では、あらゆるものが熱しすぎていた。

[訳注: いきなり単に「1955年1月18日のことだった」と書かれています。そして、それに続く文章や段落からも1月18日が何のことだかよくわからない書き方をされています。「1955年1月18日」とは、アメリカのワシントンでサンシャイン計画に関する会議が行われた日のことです。4段落目の「アメリカ原子力エネルギー委員会が生物物理学会議を開催したこと」を指しています。]

威力を増していた水素爆弾の大気圏内実験が行われていたが、1954年3月に行われたブラボーの実験は、はからずもマーシャル諸島に放射線を照射した。
キノコ雲が立ち上るのと呼応するかのように、世論も急な盛り上がりを見せた。
このような状況において、アメリカ原子力委員会は、生物物理学会議を開催し、極秘計画を速やかに行うことを話し合った。極秘計画の目的とは、放射性降下物の影響予測に必要とされる正確な知識を獲得することである。
この計画の成否は、赤ん坊の骨が大量に供給されるかどうかにかかっていた。放射性降下物のなかで最も危険な元素であるストロンチウム90の測定に、赤ん坊の骨が適していたからだ。
運命的な日であった。その会議の議事録の一部は、インターネット上で公開された。その日、世界中の過去、現在、未来における赤ん坊が、生きているか死んでいるかにかかわらず、影響を受ける決定がなされたのである。
その結果の一つとして、議論を呼ぶだろうが、将来における世界の恐怖を取り除くことになったと言えるかもしれない。データを取得したことが、1963年の部分的核実験禁止条約に繋がったとも言えるからだ。

[訳注: 参考サイト
部分的核実験禁止条約]


しかし、知識を獲得するために犠牲になった人々がいた。今日でも、イギリスやオーストラリアでは、苦痛に苛まれている人々がいる。ずっと昔に赤ちゃんを失って、いまだに赤ちゃんがどうなったのかわかっていないお母さん達は困惑し続けているし、その悲しみはとどまることを知らないからだ。
イギリスでは新たに公開された証拠により、赤ちゃんの死体がアメリカの研究所に運ばれていたことがわかった。オーストラリア政府も現在では、大規模な計画が行われ、1957年から78年にかけて最大で5,000体から摘出された骨が実験に使われたことを率直に認めている。
本紙による1981年の調査および1990年代半ばの再調査によれば、少なくともロイヤル子ども病院、ロイヤル婦人病院、クイーンビクトリア医療センターというメルボルンの3大公立病院が、両親の同意を必ずしも得ることなく子どもの骨の摘出に荷担していた。

[訳注: 参考サイト
The Royal Children's Hospital
The Royal Women's Hospital
Queen Victoria Medical Centre]


摘出した骨は灰にされ、アメリカとイギリスに送られて検査された。1970年代になって、ようやくオーストラリアの研究機関でも検査ができるようになったが、それまでアメリカとイギリスに送られていたのだ。
このことは、科学者の間では良く知られていたことで、検査結果は公表されて広く討論が行われてきた。しかしながら、研究には初めから後ろめたさがあった。特にアメリカではそうだった。
サンシャイン計画またはガブリエル計画として知られる研究は、ゆったりとした科学的ペースで行われていた。しかし、より早く結果を出せというプレッシャーがかかったとたん、死産児の供給が止まったかのようだった。
このような流れのなかで、サンシャイン計画立役者の1人で、シカゴ大学の著名な化学者で原子力委員会の委員であるウィラード フランク リビー氏が、サンシャイン計画の指導的立場を取るようになったのだ。
リビー博士は、1941年から45年、マンハッタン計画に参加してウランの同位体の分離方法の開発に携わっていた。1947年、リビー博士は、炭素14年代測定法を発見し、1960年にノーベル化学賞を受賞した。炭素14年代測定法とは、炭素14を使用して、以前は生命を有していた有機物の年代を測定する方法である。この方法で、最長5万年まで遡って年代を測定することができる。炭素14年代測定法に関する論文は1952年に発表された。この方法を用いることにより、紀元前1400年のエジプト新王国のファラオなどという魅力的な古代の発掘物についても、その年代を測定することができるようになった。
[訳注: 参考サイト
ウィラードリビー
Willard Libby - Time Magazine Cover
放射性炭素年代測定法]


もしリビー博士が考古学で年代を測定するような「乾いた骨」の専門家であったなら、サンシャイン計画の人骨試料を追い求める嗅覚は、「乾いた骨」を追う場合よりかなり鈍かっただろう。 しかしながら、リビー博士は「まだ乾いていない骨」についても同じかそれ以上の鋭い嗅覚を有していた。
リビー博士の発言は、会議の議事録に以下のように記録されている。「人体の試料がもっとも重要である。それゆえ、死体泥棒を巧みにやる方法を知っている人間は、自分の国家に多いに貢献するだろう。」
リビー博士は、サンシャイン計画が1953年に始まったとき、死体泥棒が問題になるであろうと予測していたと回想した。
「どうやって死体を盗めばいいのかわかりませんでした」とリビー博士は言った。「研究が始まった当初、高い報酬を要求する法律事務所を雇って死体泥棒に関する法律を調べさせました。でも、あまり乗り気になれませんでした。法律を調査したところでは、死体入手を合法的に行うのは非常に難しいということがわかったからです。」
書類によれば、死体入手計画は初めからウソに基づいて進められた。医療関係者には、収集した骨は、放射性降下物の測定ではなく、自然放射線の測定のために使われると伝えられた。
1953年、20カ国から試料を集めた世界規模の分析試験が始まったが、この分析試験は秘密にされていた。
会議での討論の結果、死体は、あまり規則がない場所から非公式な「ルート」を通じて入手することになった。コロンビア大学の J. ローレンス カルプ氏は、ヒューストンを指してこう言った。「そこには多くの貧困があるし、いろいろな問題があるし...」また、カルプ氏の大学の医学部学長が、世界中にコンタクトを持っているとも述べた。「その学長は、我々が、同様な計画を他の場所にも立ち上げられると確信しているが、そのような場所のすべてにコンタクトを持っているとのことだ。特に、オーストラリア、南アメリカ、アフリカ、近東、スカンジナビア諸国などにだ。」

[訳注: 参考サイト
J. Lawrence Kulp]


カルプ博士は、医学分野の人間との良好な関係を通じて、難題を克服するべきだと主張した。また、供給を確保するために、国外の収集人に対価を支払うべきだと提案した。
他に討論されたのは、機密度を下げた場合、試料の入手が容易になるであろうかということだった。しかし、18ヶ月後、子どもの乳歯の入手に関する提案が出されたとき、リビー博士は警告を発した。「計画に関して宣伝することは勧めない。これまでの経験から、人体の試料入手にあたって宣伝活動が特に有益ではないということがわかっているからだ。」
しかしながら、サンシャイン計画は、結局は公になってしまった。1956年のアメリカ大統領選の際に、民主党のアドレイ スティーブンソン候補が話題にしてしまったからだ。

[訳注: 参考サイト
アドレー スティーブンソン

Adlai Stevenson II
http://en.wikipedia.org/wiki/Adlai_Stevenson_II]


1956年10月、リビー博士は、ワシントンに新しい研究棟を開設することを話していたときにサンシャイン計画について話してしまった。そしてカルプ博士が、1957年2月発行のサイエンス誌において、世界中のネットワークから得られたデータに基づく人体におけるストロンチウム90に関する論文を発表した。そのため、1957年の5月から6月にかけて、議会で初めて聴聞会が行われ、サンシャイン計画は解散の危機に瀕した。
イギリスでは先週、新聞各紙が、病院から入手されてアメリカに送られた死体の詳細なリストを報道した。1回の貨物輸送で27の死体が送られたとのことだ。
イギリスのハーウェル原子力研究所のファイルは公開されていない。しかし、クリントン大統領のもとで行われた調査の結果が1995年にアメリカで発表され、その詳細から証拠が得られのだった。

[訳注: クリントン大統領の指示により、1994年1月に放射能人体実験に関する諮問委員会が設立されました。同委員会は、1年半かけて調査を行い、1995年10月に最終報告を行いました。]

オーストラリアの政府機関は、赤ちゃんの死体そのものが分析試験のために送られたという証拠はないと述べているが、アメリカの政府機関は、アメリカ側の記録を確認しているところである。
先週、オーストラリア放射線防護 原子力安全庁のジョン ロイ氏は、21年にわたって骨検査計画が行われ、1962年発行のサイエンス誌に初めてその計画が記されたと確認した。

[訳注: 参考サイト
Loy, John]


ロイ氏によれば、骨検査計画は、核兵器実験安全委員会の後援により行われたとのことだ。同委員会は、オーストラリアでのイギリスの核実験をめぐる安全性に関する問題を考察していた。
骨検査計画のもと、メルボルン、パース、アデレード、シドニー、ブリズベーンの病理学者が、赤ん坊を含む40歳迄の人々の骨細胞の試料を提供した。これらの試料は、灰になってから国外での分析にまわされた。
1981年、本紙は、骨検査計画について報道し、多くの病院が親の同意なく赤ちゃんから骨を摘出していたことを明らかにした。ある政府官僚は、解剖は同意なく日常的に行われていたことで、「同意は厳密に求められていたものではなかったし、必ずしも得られるものでもなかった」と説明した。
ロイヤル子ども病院の広報担当者は、長年にわたって1年当たり200体から摘出した骨を提供したと述べた。この広報担当者によれば、親または保護者から解剖の同意が得られた場合にのみ医療スタッフが細胞を採取したが、その際、医療スタッフは、細胞が必要とされる理由およびその使用法を常に説明したとのことだ。ロイヤル子ども病院は、同意を得るのに「特に問題になったことはない」としている。
しかし、10年も経つと、骨を提供していた病院は「物忘れ」をするようになった。それで、オーストラリア連邦政府は、病院がコモンウェルスX線 ラジウム研究所(後のオーストラリア放射線研究所)に提供する骨について、1年当たり100ドルから200ドルを支払うことにした。

[訳注: 参考サイト
National Library of Australia
Commonwealth X-ray and Radium Laboratory (1935 - 1972)
Australia Radiation Laboratory Melbourne]


ロイヤル婦人病院では、政府から受領した対価はまっすぐ葬儀社に支払われた。一方、シドニーにある病院では、政府からの対価は職員基金に入金されたと言われている。
ニューサウスウェールズ州の健康委員会が問い合わせたところ、骨は主に赤ちゃんから摘出され、そのことを隠蔽するためにプラスチックが挿入されたことが確認された。
キャンベラの連邦政府健康省の報道官によれば、骨検査は、環境中に蓄積されたストロンチウム90を測定するための唯一正確な方法であり、なんら後ろめたいことはないとのことだ。「道徳的または倫理的な懸念があったことは承知しておりますが、個々の病院がそれぞれのやり方で行っていたことです。」
どのように行ったのかというのは、いまだにビクトリア州の死産と新生児死亡をサポートする会の関心事である。同会の元代表のジャネット レイノルズさんは、大きな病院に尋ねる必要があると考えている。

[訳注: 参考サイト
Sands Victoria
http://www.sandsvic.org.au/]


レイノルズさんによれば、火曜日にこの問題に関する報道が始まってから、同会のボランティアメンバーは電話対応に追われているとのことだ。死産児がどうなったのか知らされなかった家族や、病院の対応に憤りを覚えた家族からの電話が殺到したためである。
レイノルズさんは、次のように語った。「私たちは、赤ちゃんを捜す旅に出たご家族とともに歩んで参りました。おそらく何人かの赤ちゃんは、外国に行ったことでしょう。
ロイヤル子ども病院の前病理部長で、現在はビクトリア州の検死官のもとで働いているピーター キャンベル氏は、死産児のことや、死産児の骨が外国に送られていたことは知らなかったと述べた。

[訳注: 参考サイト
Campbell Peter, E.]


しかし、28週未満の胎児が「廃棄物」として扱われていることは確かなことであった。
「私たちは、態度が異なる何年も前のことを話しているのです」とキャンベル医師は言った。「私は、骨検査計画に関わっていた科学者が正しかったと申しているのではありません。彼らは異なっていた、と申しているのです。胎児が無名のまま捨てられたり、葬られたのは本当のことです。確かに、処分された赤ちゃんもいました。当時、核について多くの懸念がありました。冷戦の真っ最中であったということは覚えておかねばなりません。冷戦だったということで、すべてのことが正当化されるのです。」

死体泥棒
2001年6月9日 シドニー モーニング ヘラルド紙
何千もの赤ちゃんの死体が核実験の降下物の測定のために使われた、という証拠がある。背筋が凍るような話をデボラ スミス記者がお伝えする。
1955年1月、「サンシャイン」という極秘計画に参加していた科学者の誰もが、その研究の緊急性について疑問を抱いていなかった。科学者は、ワシントンでの年次会議に集まったとき、何が最も必要なのかを知ることになった。それは、人間の死体を確実に提供してくれる供給源だった。とくに子どもの死体が必要だった。そのため、遠くはオーストラリアからも死体を入手するということだった。
1954年、アメリカ政府は、最大規模で最も劇的な核実験を行った。ソビエトの技術に追いつき追い越せという闘いにおいてアメリカは、マーシャル諸島に大量の核爆弾を落とした。サンシャイン計画は、前年の1953年に立ち上げられた。同計画の目的は、核爆発による放射性降下物が、全世界の植物、動物および人間にどのような影響を及ぼすかを調査することだった。同計画の一員が1955年の会議で端的に言い表したように、同計画は「核爆弾を使用しても人類を滅亡の危機に曝さずに済むためには、何発の核爆弾を使用することができるのか」を調べるためのものだった。
計画のリーダーは、シカゴ大学のウィラード リビー博士だった。1947年、リビー博士は、高感度のガイガーカウンターを使用して古代の物体の年代を測定する炭素年代測定法を開発した。そして、その測定法を実証するために、エジプトの墓から発掘された5千年前のものとわかっている試料の年代を測定した。この方法の発見により、リビー博士は1960年にノーベル賞を受賞した。しかしながら、1954年のマーシャル諸島での劇的な核実験のせいで、学究的な科学者の関心は、「昔亡くなった人よりも最近亡くなった人」に向けられるようになった。
1955年の秘密の科学会議でのリビー博士の発言が、同博士を語るものとして最も有名だろう。リビー博士は、会議に集まった29人の科学者に向かって、サンシャイン計画のために、世界中からより多くの人体の試料を集め、骨中放射性ストロンチウム90を測定することが最も重要である、と述べた。「死体泥棒を巧みにやる方法を知っている人間は、自分の国家に真に貢献するだろう。」
1953年には、高額の報酬を請求する法律事務所が雇われていた。サンシャイン計画チームが「死体泥棒に関する法律」について弁護士の助言を必要としていたからだった。リビー博士は、以下のように述べた。「あまり乗り気になれませんでした。弁護士の助言から、死体入手を合法的に行うのは非常に難しいとわかったからです。」リビー博士によれば、サンシャイン計画で多くの死産児が集められたことは幸運だったとのことだ。「しかしながら、この死体供給源もいまでは断ち切られていますし、回復の兆しもありません。」
会議での討論およびリビー博士が1956年に米国科学アカデミー紀要に発表した死産児に関する論文から、死産児の主な供給源はシカゴだったというものの、死産児はすべてアメリカから来ていたように思われる。しかしながら、その当時、サンシャイン計画チームは、人骨についても検査していた。「通常、肋骨や背骨や足の骨でした。」それらの骨は、イギリス、日本、インド、チリ、ブラジルから来たものだという。
測定試験を行う研究所は、当時、技術を磨いている途中であり、1955年の会議に参加した科学者が測定した測定値にはばらつきがあった。科学者は、各人が測定した人骨中のストロンチウムの測定値を互いに付き合わせて詳細な比較検討を行っていた。また、科学者は、各人が測定した牛乳、土壌、植物、動物の骨の中のストロンチウム90の測定結果をも互いに付き合わせて比べていた。もっと多くの死産児が必要だと決定を下すより、むしろ幼い子どもの死体が必要だというのが科学者の総意だった。
ストロンチウム90は、成長途中の骨に取り込まれる。それゆえ、成人の骨に含まれるストロンチウムは少ない。また、科学者は、死産児の測定値が驚くほど低かったのは、おそらく妊娠中の母親と胎児との間の骨の交換によるものだろう、と結論づけた。
このことを解説する例として、ローレンス カルプ博士は、「興味深い母子」を挙げている。分娩途中に死亡した29才の母親と、その母親が生んだ42週の死産児である。カルプ博士がその母子の骨中ストロンチウムを計測した結果、両者の骨には、同じ濃度のストロンチウムが検出された。
この他にもカルプ博士には、研究仲間に伝えるいい知らせが沢山あった。クルプ博士は、「人間の試料の優れた供給源」がバンクーバー、ヒューストン、ニューヨークの3カ所に見つかったと発表した。そして、試料がすでにどんどん流れ込んで来ていると付け加えた。「それはすばらしい」とリビー博士は叫んだ。
カルプ博士が続けた。「ヒューストンには、あまり規則がないんだ。ヒューストンの供給源によれば、我々が欲しい年齢層[1才から40才]の死体を事実上すべて手に入れられるとのことだ。ヒューストンには貧困が多いし、他にもいろいろな問題がある。それで、この種の組み合わせ [死亡した母親と赤ちゃん] が、1ヶ月当たり少なくとも1、2組、入手できるというんだ。」
1ヶ月当たり10本から20本の骨の試料は肋骨であろう、とカルプ博士は言った。しかし、「ヒューストンからは、足の骨の試料も入手した。なぜかというと、ヒューストンの骨の供給源は、骨を取ったあとの死体の見かけがどうなろうと気にしなくていいからだ。」
しかし、いい知らせとは、それだけではなかった。カルプ博士は、最近、コロンビア大学院医学部の医師と話したとのことだった。「彼は、我々が、世界中に似たような計画を立ち上げることができるだろうと確信していて、そのような場所のすべてにコンタクトを持っていると言うんだ。アメリカ側の人間が望めば、特に、オーストラリア、南アメリカ、アフリカ、近東、スカンジナビア諸国で計画を立ち上げられるだろうとね。」
それから2年後の1957年初め、カルプ博士は、サイエンス誌において、解剖から1,500本の骨を入手したと発表した。それらの骨のほとんどは肋骨で、ドイツ、台湾、プエルトリコなど世界17カ所の骨収集拠点から受け取ったものとのことだった。
これらの拠点は、「我々が特定の機関の内科医と接触を持っている場所に限られる」とカルプ氏は論文に記した。同論文には、オーストラリアは、まもなく業務を開始する4つの拠点のうちの1つと記されていた。
1958年の初めまでには、オーストラリアの4才未満の乳幼児3人、子ども2人、成人10人の「肋骨」が分析された。
1960年代半ばまでに、科学者チームは、30カ所から9,000本の人骨の試料を収集した。「これらの骨には、胎児の骨、あらゆる年齢の人たちから1本づつ摘出された骨の試料、そして[主にニューヨークから提供された]全身骨格の試料が含まれている」と、カルプ博士はサイエンス誌に記した。
オーストラリアからの試料には、以下のものが含まれる。赤ちゃんから4才未満の乳幼児の52の試料。子どもおよび13才から19才の若者の27の試料。大人の87の試料。これらの試料に続いて、20年以上の長きにわたって何千もの骨の試料が提供された。1960年までに、サンシャイン計画チームは、人間の身体がストロンチウム90を取り入れる主な方法は、放射能汚染された雨水からストロンチウム90を取り込んだ植物を食べることである、と結論づけていた。恐ろしい研究により明らかになったのは、世界中の人々のストロンチウム90の濃度が上昇しており、1958年から1959年にはそれ以前の50%増だったとのことだ。
1959年において、1才の乳児のストロンチウム90の濃度が最も高く、平均値の7倍であった。しかし、この濃度は「さらに大気が汚染されない場合」には急速に低下するだろう、とカルプ博士は1960年の論文に記した。
アメリカ政府は6年前、人間を巻き込んだ冷戦について徹底的な調査を行ったが、その調査の一環としてサンシャイン計画についてもメスを入れた。1955年の秘密会議の議事録など何百も書類がインターネット上に公開された。
1995年に発表された報告書に、妊婦に放射性物質のカクテルを飲ませたり、囚人の睾丸に放射線を照射したりなどの恐ろしい実験の数々が公表されたことで、骨泥棒問題には多くの関心が向けられなかった。しかし、今週、イギリスの新聞がこの問題を報道したことで、あらたな注目が集まるようになった。イギリスの新聞は、オーストラリアにおいても、死産児が「核に関する極秘実験のために盗まれてアメリカに送られた」と報道したのだ。
オーストラリア連邦政府およびほとんどの州政府の健康省の大臣が、調査を行うように促した。オーストラリア放射線防護 原子力安全庁は水曜日、骨収集計画は1957年、オーストラリア連邦政府の承認を得て開始され、同政府の核兵器実験安全委員会の後援により行われたと確認した。骨収集計画は1978年まで続き、何千もの赤ちゃんや成人の死体から骨が摘出されたが、必ずしも家族の同意を得たわけではなかった。
原子力安全機関によれば、パース、アデレード、メルボルン、シドニーの病理学者が、0才から40才までの人間の骨を提供した。それらの骨は、オーストラリアで灰にされ、アメリカおよびイギリスに送られてストロンチウム90が測定された。このような測定は、後にオーストラリアでも行われるようになった。原子力安全機関は、現在、オーストラリア連邦政府に提出する報告書を作成中だが、オーストラリアの死産児が国外に輸送されたという証拠は今のところ見つかっていない、としている。ヘラルド紙も調査を行ったが、機密解除されたアメリカの文書には、オーストラリアの死産児がアメリカに輸送されていたという記載はない。
しかしながら、1950年代からのイギリスの文書には、死産児のストロンチウム90に関する調査がどの程度イギリスで行われていたかが記されている。ハーウェル原子力研究所の報告書には、死産児の供給源であった数多くの地区が列挙されており、死体から摘出した骨(殆どの場合、足の骨)の検査が行われたと記されている。また報告書には、協力した病理学者の氏名が記されて謝辞が捧げられている。
リビー博士が勤務していたシカゴ大学の広報担当者であるラリー アーベイター氏は、今週、兵器開発競争時代において大量の放射性物質が大気中に放出されたため、サンシャイン計画は必要であった、と同計画を擁護した。アーベイター氏は、同計画の結果が重大なであったために各国政府に圧力をかけることになり、地上での核実験が禁止されることになったと述べた。

[訳注: 参考サイト
CURRENTS
University of Rochester
Larry Arbeiter named associate vice president for communications]


核実験に使われた死産児
2001年6月5日 オーストラリアン紙 ジェイミー ウォーカー記者
健康省大臣のマイケル ウッドリッジ氏は昨夜、1950年代および1960年代の核実験のために、オーストラリアの死産児がアメリカに送られていたという申し立てについて調査していた。
[訳注: 参考サイト
Michael Woodridge

AUSTRALIAN POLITICS.COM
Sep. 7, 2001
Michael Woodridge Announces Resignation from Parliament]


「死体貿易」の詳細は、アメリカエネルギー省が情報自由法のもとで公開した書類に記されている。それらの書類によれば、「死体貿易」は、15年以上にわたって行われたという。核実験の放射性降下物が人体に与える影響を見るために実験が行われた。アメリカの科学者は、死産児だけではなく、幼児の死体をも入手した。
オーストラリア、イギリス、カナダ、香港、南アメリカおよびアメリカの病院が、合計6,000体の死体を提供した。オーストラリアから何体が送られたかについての詳細はない。
イギリスのデイリーメール紙の報道によれば、赤ちゃんや子どもの親は、同意を求められたことはなく、骨または臓器を摘出した後の遺体がどうなったかについても何も知らされていなかった。
最高機密の実験は、サンシャイン計画と命名され、死体は実験に使用された後、アメリカで埋葬された。
ロンドンのオブザーバー紙によれば、人間「モルモット」に関する記載は、各人の名前ではなく、実験の厳格な機密保持のためにコードネームで行われたとのことだ。赤ちゃん B-1102 は生後8ヶ月で死亡した男の子で、赤ちゃん B-595 は生後13ヶ月でなくなった女の子、という具合だ。
イギリスは、1955年にシカゴ大学のウィラード リビー博士が秘密会議を招集したときにサンシャイン計画に参加した。同会議においてリビー博士は、多くの死体(特に死産または新生児の死体)を収集するよう呼びかけた。
オブザーバー紙が入手した書類によると、後年、炭素年代測定法でノーベル賞を受賞したことで有名なリビー博士は、1955年の会議で次のように語ったとのことだ。「人間のサンプルがもっとも重要だ。それゆえ、死体泥棒をどのように巧みにやるかを知っている人間は、自分の国に多いに貢献することになるだろう。」
「高額な報酬を請求する法律事務所を雇って、死体泥棒に関する法律を調査させました。でも、あまり乗り気にはなれませんでした。死体入手を合法的に行うのは、非常に難しいということがわかったからです。」
約50体の死体がイギリスからアメリカに送られたが、それらの死体のいくつかはイギリスでもトップクラスの病院から提供されたものだった。セントラルミドルセックス病院、ロンドンの王立癌病院、王立子ども病院のほか、ブリストルやグラスゴーの病院からも死体が提供された。

[訳注: 参考サイト
Central Middlesex Hospital

The Royal Marsden(ロンドンにあるがん専門の病院)

Great Ormond Street Hospital(ロンドンにある病気の子どものための病院。以前の名称は、The Hospital for Sick Children )

Great Ormond Street Hospital for Children]


昨夜、ウッドリッジ氏は、この問題に関心があり、申し立てを受けて問題の真相を健康省の職員とともに確認したいと述べた。
「現代においてこのようなことが行われていたら、違法と言わないまでも非常に倫理観にかけているということになります。」と健康省の報道官は語った。
問題に関する直接の責任は、病院を管轄下においている州および地域の政府にある、と報道官は述べた。

赤ちゃんの骨や臓器が返却される可能性も
2002年7月22日 サンデータイムス紙 ショーン パーネル記者
何千もの人間の臓器や骨が死体から摘出され研究に提供されたが、それらが遺族に返却される可能性がある。
オーストラリア連邦政府の健康高齢者担当省は、オーストラリア健康倫理委員会が2回に分けて行った問い合わせを受けて、摘出された身体の部分に関する情報を求める人々のために、全国的なホットラインを開設することを検討している。
臓器は解剖後に保有され、骨は21年にわたる核実験計画において使用された。臓器または骨のいずれについても、それらが葬られていないのか、それとも死者とともに焼かれたのか、ほとんどの家族は知らされていなかった。
健康倫理委員会は、骨の灰の一部がいまだに保管されていることを突き止めた。また、骨を実験に提供していた医療機関のほとんどは公立病院であるが、それらの病院が家族の求めに応じて処理費用を負担するべきだとしている。
健康倫理委員会は、解剖後に保有された臓器に関しても同様な知見を得て勧告を行った。また、オーストラリア連邦政府に対し、州政府の健康省が臓器の処理にかけた費用の払い戻しを検討するよう促した。
骨または臓器のいずれの場合においても、倫理委員会は、遺族のほうから初めに連絡を取ってくるようにすべきだと政府機関に促した。遺族のなかには、亡くなった大切な人の身体がどうなったかを知りたくないという方もおそらくいるだろうからだ。
全国的な情報提供の機会が9月に予定されている。
クイーンズランド州健康省の報道官は、同省が遺族からの問い合わせに対応するカウンセラーを配置すると述べた。
この報道官は、遺族が特別な処理法を望む場合、臓器または骨を取り戻すことができるであろうと述べた。
3年が経過しても遺族から請求を受けなかった臓器および骨のすべては、公的な式典において処理されることになりそうだ。
健康高齢者担当省の女性報道官は、先週、電話を返してこなかったが、ダーウィンで開催された連邦政府および州政府の健康省大臣の会議において問題が討論されたことと思われる。
放射性同位元素であるストロンチウム90の測定試験のために使用された約22,000本の骨の3分の1以上は、クイーンズランド州からのものだった。
メーター病院とロイヤルブリズベーン病院が1957年から1978年に研究計画に参加した。
[訳注: 参考サイト
Mater

Queensland Government
Royal Brisdbane and Women's Hospital]


この4月、連邦政府および州政府の健康省の大臣は、解剖の際に摘出された身体の部分の使用に関する新たな規則を定め、臨床医が必ず初めに遺族の承認を得るようにすることに合意した。

[訳注:
オーストラリアでは、イギリスが12回の核実験を行ったそうです。
以下は、オーストラリアの核実験場、核廃棄物投棄場所、原子炉、ウラン鉱山などを示す地図。
(核実験場を示すマークは、黒い骸骨。)
2013091601.jpg
Australian Map of Nuclear and Uranium Sites

オーストラリアの地名に弱い方のための、オーストラリア地図

世界の被曝被害を考える会さんより
「オーストラリアの核実験」

上記ブログに掲載されている
オーストラリアの核実験場の地図
2013091602.jpg

原子炉の一覧 ウィキペディアより

以下、オーストラリアの箇所の抜粋。
ルーカス・ハイツ原子炉 HIFAR
(High Flux Australian Reactor; 10
MWt)…心臓病やがんの治療のための原子炉。(患者は1年の治療につき約50万円支払う必要がある)1958年1月26日に初めて臨界に達し、2007年に解体が開始され、解体完了には10年かかるとみられている[1]。
HIFAR:OPAL 炉に変更。2006年8月12日午後11時25分に初めて臨界を迎えた[2]]


◆関連ブログ
赤ちゃんの骨でストロンチウム計測(1)−英米の恐るべき人体実験2013年09月15日
タグ:P 人体実験
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2013年09月15日

赤ちゃんの骨でストロンチウム計測(1)−英米の恐るべき人体実験

 今現在、「科学的」な被曝知見は60年以上前のヒロシマ、ナガサキしかないと、デマが大手をふってまかり通っています。そして、このフクシマで放射能による人体の影響を明らかにしようではないかと、福島民報までがいずれどうせまた世界のどこかで起こるであろう放射能被害に備えて、健康被害の有無を含めた情報を蓄積しておくことは、人類への貢献(福島民報)という自虐的な記事まで載せる始末。
2013091501.jpg
の世界がまさにそこにあります。

 しかしながら、核兵器開発国もまた同じような人体実験を繰り返していたことは、アイリーン・ウェルサム(プルトニウムファイル著者)のインタビューで紹介したとおり。


 今回、同じようなおぞましい実験を訳していただきましたので、数回に分けて紹介させていただきます。サンシャイン実験−死亡した赤ちゃんの骨を集めて、核実験によるSr-90の影響を調べる研究です。(このように死体の灰からストロンチウムが測れるというのに、海洋に大部分が流出されたとするストロンチウムの含有量を魚で検査をしないのはなぜでしょうか。しかも,腐るからできないという低俗な理由で)

THE X FILES THE GUARDIAN Thursday July 6 1995

(邦訳)

Xファイル 1995年7月6日 木曜日 ガーディアン紙

コベントリーに住むパンジャブの女性達は、放射性チャパティを食べさせられていた。リバプールの妊婦達は、放射性同位体を注射された。まるで大衆紙の狂気じみた見出しのようだが、そうではない。原子力に関する秘密実験のことだ。核実験に関する新たなうねりがあるが、政府の支援により15年にわたって行われた秘密研究について、マギー オケイン記者がお伝えする。

[訳注: パンジャブとは、パキスタン東部とインド北部の地方です。1849年から1947年まで、イギリスの支配下におかれていました。チャパティとは、インド、パキスタン、バングラデシュ、アフガニスタンにおけるパンのひとつです。
Punjab Region
チャパティ
原文の”On the eve of a new wave of nuclear testing” (直訳は、「核実験の新たな波が来る前夜」)とは、おそらく、包括的核実験禁止条約起草に関する交渉が活発に行われていたことを指していると思います。
1991年に東西の冷戦が終了し、部分的核実験禁止条約の加盟国は、同条約を改正してすべての核実験を禁止する条約にすることを提案しました。1993年、包括的核実験禁止条約の起草に関する交渉が始まり、3年にわたって集中的な交渉が行われました。1996年9月、包括的核実験禁止条約は1996年9月、国連総会で採択されました。
部分的核実験禁止条約
包括的核実験禁止条約
Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty ]


グレース ブラウンさんは、4月のある金曜日、パスタを料理していた。グレースさんは、ノースウェールズのランゴレンの小さな家に住んでいる。電話が鳴った。引退した66才の元保護監察官からだった。その人は、グレースさんが、39年前に子どもを亡くしたのではないか、と尋ねた。
電話をかけてきたのは、デービッド リーフさん。今では、トウェンティ トウェンティ社という独立したテレビ制作会社の調査担当者。リーフさんは、グレースさんを1年間探してきた。リーフさんは、お宅に伺ってもいいか、とグレースさんに尋ねた。グレースさんの息子のレイ君は、1957年7月10日に1才になった。誕生日をお祝いするために家族は、海辺のライルに出かけた。でも、レイ君は、その日、ずっと落ち着かず機嫌が悪かった。レイ君は、帰り道、おばあちゃんの腕の中で気を失ってしまった。デンハムの病院に連れて行ったところ、レイ君は脳出血とのことだった。次の日の朝早く、グレースさんは、息子さんの顔が「向きを変える」のを見た。そして、レイ君が亡くなったことを知った。
[訳注: 参考サイト
Twenty Twenty Television]


グレースさんは、その次の日、病院に息子さんの洗礼服を送った。病院がレイ君の遺体の埋葬準備ができるようにするためだった。悲しみにくれていたグレースさんは、亡くなったレイ君の姿を再度見ることができなかった。それで、グレースさんは、レイ君の足の一部が取り除かれたことを知らなかった。
1週間後、レイ君の足の骨には、HB88-HBという参照番号が付けられた。レイ君の足の骨は、その月に医療研究委員会が摘出した33本の骨のうちの1本だった。33本の骨は、主にノースウェールズの丘陵地帯の子どもたちの死体から摘出された。秘密実験は、1955年から1970年にかけて行われた。合計で、5,999本の骨の試料が実験に使われた。時を同じくして、「サンシャイン計画」という同様な実験がアメリカでも行われていた。
レイ君が亡くなる1週間前、医療研究委員会では、会長のハロルド ヒムズワース卿の部屋で予定外の会議が行われた。ヒムズワース卿は、医療研究委員会のほかにも、核爆弾爆発に関する委員会を率いていた。この医療研究委員会の予定外の会議では、次の結論に達した。「ハーウェル原子力研究所で政府の核研究を行うために、病理学者に接触して0才から5才の子どもの骨の試料(望ましくは大腿骨)を提供してくれるように依頼すること。」
[訳注: 参考サイト
Sir Harold Percival Himsworth
Obituary: Sir Harold Himsworth
Medical Research Council]


1953年以来、大気中の放射性物質の濃度が上昇した。イギリスとソビエトが核実験を行ったためである。人体の放射能を示すものとして最適なのは、子どもである。子どもは、大人よりもずっと速く放射性物質を吸収するからだ。骨(望ましくは大腿骨)の収集が始まった。
ヒムズワース卿の部屋での会議を締めくくったのは、ある医師の次の発言だった。「もちろん、これをやるのは、どちらかというと難しいだろう。すべてを機密にしておかねばならないからだ。」
グレースさんは、先週、こう語った。「私の赤ちゃんにこんなことが起きていたなんて、想像すらしたことがありません。支離滅裂な悪夢を見ているようで動転しています。もし、お医者さんが、他の赤ちゃんを救うために息子の心臓をくれ、と私に頼んだのだとしたら、辛かったことでしょうが、私は息子の心臓を提供しただろうと思います。でも、何も言わずに、息子の身体から小さなものを持って行ってしまうなんて...」
リーフさんがグレースさんを捜していた間、イギリスでどのような放射能研究が行われて来たのかということが明らかになってきた。ドキュメンタリー番組を制作したトウェンティ トウェンティ社からガーディアン紙に提供された書類によれば、末期ガン患者も実験に使われて、原子力に関する研究のためにデータが収集されたとのことだ。また、これらの書類から、気分が悪くなるような科学者の狂気が伝わってくる。科学者は、パンジャブの女性達をモルモットにして新たに発見された放射性物質を与えた。また、何百人もの妊婦に放射性同位体を注射した。
 謎解きはアメリカで始まった。1987年、ニューメキシコ州のアルバカーキトリビューン紙のアイリーンウェルサム記者が、空軍基地の研究所で動物実験に関するファイルを読んでいたとき、その脚注に偶然目を止めたことから始まったのだ。脚注には、18人にプルトニウムが秘密裏に注射されたと書かれてあった。ウェルサム記者は、6年かけて機密書類を読み進めた。それはまるで、下やぶをかき分けながら深い森の中を進んで行くような作業だった。また、ウェルサム記者は、アメリカ情報自由法にもとづいて情報の開示を請求した。そして、軍によるマンハッタン計画に関与していた科学者が、放射能の影響をみるために、疑うことを知らない末期患者を実験に使用したことを明らかにした。ちなみに、マンハッタン計画のもとで核爆弾が製造された。また、プルトニウムとは、核爆弾の爆発を引き起こす化学物質である。大量のプルトニウムを注射された18人のうち10人が注射後18ヶ月以内に亡くなった。
[訳注: 参照サイト
Eileen Welsome, Albuquerque Tribune made history with "Plutonium Experiments"]


ウェルサム記者は、この実験についての記事を1993年11月15日から連載した。この衝撃的な報道が大きな反響を呼んだことから、アメリカエネルギー省は、他の実験に関する省内の何百ものファイルを公開せざるを得なくなった。それにより、オレゴン州の囚人130人の睾丸に多量のX線を照射した実験が明らかになった。また、マサチューセッツ州の知的障害児に放射性ミルクをかけたオートミールを食べさせた実験なども明らかになった。ちなみに、ウェルサム記者は1994年4月、この報道が評価されてピューリッツアー賞を受賞した。
[訳注: この段落の原文は、”When Welsome broke the news last spring,”(去年の春にウェルサム記者のニュースが伝えられたとき、の意)」という文言から始まります。これは、「1994年4月にウェルサム記者がピューリッツアー賞を受賞した」ことを示していると思います。
この段落(原文は長い一文)は、前後の繋がりを考えながら意訳しました。同期者の記事の連載時期を記すとともに、ウェルサム記者の「1994年のピューリッツアー賞受賞」を盛り込みました。
また、ウェルサム記者の記事が大きな反響を呼んだことで、クリントン大統領は、1994年1月15日に諮問委員会を設置し、放射能人体実験に関する調査を行うよう指示を出しました。同諮問委員会は、1年半かけて調査を行い、1994年10月21日に中間報告、そして、1995年10月3日に最終報告を行いました。
以下にリンクを貼ったのは、ジョージワシントン大学の国家安全保障に関するオンライン記録保管所にある放射能人体実験に関する諮問委員会の記録です。
The National Security Archive/Advisory Committee on Human Radiation Experiments]


去年11月、クリントン大統領の命を受けた諮問委員会は、軍の支援による放射能人体実験に関する報告を行い、1940年から1974年における何百人ものガン患者の総被曝量が高いものであったと発表した。
[訳注: 原文には、「去年11月」(Last November)とあります。その通り解釈すると、「1994年11月」です。その時期に「報告を行った」というのは、1994年10月21日の中間報告を指すのではないかと思うのですが、定かではありません。諮問委員会は、調査期間中、12回の公聴会を開きました。それゆえ、1994年10月21日の中間報告の後の11月に何らかの発表または報告を行ったのかもしれません。]

トウェンティ トウェンティ社のプロデューサーであるジョン ブラウンロウさんとジョー ブルマンさんは、このアメリカでの人体実験に関するさまざまな報告や報道を見聞きした。そして1994年、2人は、イギリスの核開発史を探ることにした。2人は、キューにある公文書館に行き、30年規則のもとで公開された機密書類を読むことから始めた。また、あいまいな医療関係書類から証拠をほじくり出した。原爆の製造以来、イギリスでは多くの実験が行われたはずだ。それゆえ、これまでの調査で見つけたものは氷山の一角にすぎないだろう、と2人は考えている。イギリスには、情報自由法がない。そのため、2人は、国防省から真の意味での協力は得られなかったという。
[訳注: 参照サイト
John Brownlow
Joseph Bullman
1994年から1995年にドキュメンタリー制作のためにブラウンロウ氏とブルマン氏が閲覧していた公文書は、30年規則にもとづいて公開されたものでした。

30年規則というのは、「公文書はその作成日から30年後に公文書館において公開される」というものですが、以下に略述するような制限がありました。

「公文書は、その作成日から30年後に、各省から公文書館に移管されて公開される。しかし、各省の大臣の公文書に関する諮問委員会により特定の文書に免除が与らえれた場合、当該文書は公文書館への移管を免除される。

公文書館に移管された公文書は公開される。しかし、公開することにより『国の印象、安全または対外関係を害する』おそれがあるとみなされる公文書の場合、当該公文書は公開されない。」

Thirty year rule

イギリスでは2000年に情報自由法が制定されました。]


1952年、イギリスは、一連の核実験を開始した。そして、核爆弾による放射能がどのように兵士に影響するのかを知りたくてたまらなくなった。それで、ハーウェル原子力研究所にその研究を行うよう委託したのだ。1953年、イギリス陸軍は、将来有望な科学専攻の卒業生をハーウェル原子力研究所に送り始め、人体への放射線照射の研究に従事させるようになった。
1956年、オックスフォードにあるチャーチル病院には、17人の「容態は落ち着いているが、治癒不能の悪性疾患」の患者がいた。彼らには放射線の全身照射が行われ、彼らが発症した被曝症状が観察された。この実験を行った医師の1人は、チャンネル4の取材に対し、実験に関与した医師がハーウェル原子力研究所と何らかの繋がりを有していたと述べた。この医師によれば、繋がりとは、主に、ハーウェル原子力研究所と器具を共同で使用していたことを指すという。
[訳注: 参照サイト
チャンネル4]


チャーチル病院の放射線療法を担当するエイドリアン ジョーンズ医師は、この実験が核研究機関のために行われたことは何の疑いもないことだと語った。「いたるところの政府が放射線の影響を知りたがっていたのです。しかしながら、これらの実験で患者なんらかの被害を受けたという証拠は一切ありません。」
ジョーンズ医師によれば、ハーウェル原子力研究所のような研究機関は、科学者に資金を与え続けて放射線の影響に関する研究を行わせた。「研究に参加した人を何人か知っています。彼らは、自分の研究成果が科学誌で公開される場合で、かつ、同僚達が自分の研究を知っている場合にのみ、研究資金を受け取ると主張しておりました。」
ジョーンズ医師は、放射能に関する「外側での」科学研究は、患者の費用負担で行われたのではないだろうと確信していた。
[訳注: 参照サイト
Churchill Hospital
Dr. Adrian Charles Jones]


イギリスのチャーチル病院での実験と同様な実験がアメリカでも行われた。1960年から1971年、シンシナティ病院のガン患者88人に、放射線の全身照射が行われたのだ。この放射線照射実験は、ユージン L. センガー医師が行った。同医師は、アメリカ国防核支援局にも勤務していた。イギリスの研究計画とアメリカの研究計画に直接的な繋がりがあったかどうかを確かめるのは不可能である。アメリカの政府機関は、イギリスがアメリカと協力して行った研究に関する情報を機密とすることに合意したからだ。
[訳注: 参考サイト
Dr. Eugene L. Saenger
Eugene Saenger, Controversial Doctor Dies at 90
The University of Cincinnati Department of Radiology Eugene L. Saenger Fund
アメリカ国防核支援局(1959年から1971年)は、国防原子力局となってから1998年に国防脅威削減局に統合されました。

アメリカ国防脅威削減局]


1950年から1972年にイギリスで行われた放射線の研究の必ずしもすべてが、軍の直接的な利益となったわけではない。インタビューを通じてガーディアン紙に提供された書類には、忌まわしいイギリス人科学者の写真が掲載されている。科学者は、さまざまなグループに実験を行ったが、妊婦、アジア系女性、精神病患者のグループにも実験を行ったのだ。
キャサリーン モリソンさん(62)は、アバディーンの近くにある小学校の校長先生だった。モリソンさんは、思いやりが深くて思慮分別のあるご婦人だ。モリソンさんは、心配していた。モリソンさんは、33年前、初めての子どもを身ごもっていた。そのときに参加した放射能実験について心配していたのだ。
実験は、放射性物質の微小な粒子を用いて行われた。首にある甲状腺が、妊娠中の女性にどのような働きをするのかを調べるためだった。モリソンさんは、自分の首に入った放射性ヨウ素が、7年前に見つかった甲状腺がんと何らかの関係があるとは言わない。しかし、アバディーンの産科医療研究組織で91人の女性に対して行われた実験の影響をいまでも心配しているのだ。
「彼らは、実験では放射性物質を使うと確かに私たちに言いました。しかし、当時、私たちの誰も、それが何かを知らなかったのです。それから間もなく放射性降下物の話が世間で言われるようになり、私たちは心配し始めたのでした。これらの実験に参加したスコットランド北西部のお母さん達は、その後、出産しました。『生まれた91人の子どもたちがどうなったのかについても、十分興味を持っているのではないですか』と、私は科学者に聞いてみたいです。」
バーミンガム大学医学部のアリス スチュワート医師は、過去20年、放射線の影響について広範囲な研究を行って来た。「小児がんを引き起こす最も一般的な原因は、おそらく自然放射線であろうという証拠があります。ですから、自然放射線以外に何かを付け加えるということは、すでに知覚できる危険性をさらに高めるということです。」
[訳注: 参考サイト
アリス M. スチュワートについて]


リバプールでは1953年、胎盤の研究において、妊婦に放射性ナトリウム水溶液が注射され、40人以上の胎児が被曝した。同様な実験は、ロンドンのハマースミス病院でも1952年に行われた。270人の出産前の妊婦の胎盤に、特製の注射器を使って放射性ナトリウムを注射したのだ。
[訳注: 参考サイト
Hammersmith Hospital]


これらの実験に関する医学論文において科学者は、何気ない様子で、前回の実験のときに妊婦に用いたトレーサーよりもずっと放射線量が低い新しいトレーサーが見つかった、などと記している。
何年ものあいだ医学界では、少量の放射性物質の人体への影響について意見が分かれていた。しかし、医療研究委員会は1992年に論文を発表し、最もエネルギー量が少ない放射性物質を可能な限り少量投与した場合であっても、細胞に異変を生じる可能性があると述べた。
スチュワート医師は次のように語った。「医師が患者を実験台にするのではないかというのは、いつも見張っていなければならないようなことです。でも、現在ではずっと厳しくなっています。本当の規範は、ニュルンベルグ綱領でした。当時、内科医達は、一体自分は何をしているのだろうと自分自身に問いかけ始めたのです。現在では、倫理委員会があって、放射性トレーサーの使用は禁止されています。胎児は非常にか弱いですから、放射線に被曝するのは、たとえどんなに少量であったとしてもガンのリスクを高めます。」
[訳注: ニュルンベルグ綱領というのは、医学研究上の倫理に関する規範です。「被験者の自発的な同意を得ることが必要」を初めとして10か条が定められています。
医者裁判
ウィキペディア ニュルンベルグ綱領
福岡臨床研究倫理審査委員会ネットワーク ニュルンベルグ綱領(1947年)]


上述の胎盤に関する実験と同様な実験が1940年代後半、アメリカのテネシー州ナッシュビルでも行われた。科学者は、800人の妊婦に放射性の鉄を与えたのだ。現在、当時の被験者たちは、一切知らされていなかったとして、バンダービルト大学に数百万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしている。バンダービルト大学の追跡調査によれば、被曝した子供達のガンの発症率は4倍高いものだった。
イギリスにおいては、なんらの追跡調査も行われていない。小学校の校長先生だったモリソンさんのように、アバディーンの実験では、女性達は放射性物質を使うことを知らされていた。「私は、当時、29才でした。実験に参加した女性達は、知的で教育を受けており、自分の子どもに最高のものを与えたいと考えていました。それで、実験に参加したのです。お医者さんが私たちを危険な目にあわせるなんてまったく考えていなかったからです。」
しかし、医者は患者を危険な目にあわせる。1972年、コベントリーに住むパンジャブの女性21人が、放射性の鉄を使用した秘密の実験に巻き込まれた。彼女らの多くは、英語を話せなかった。この女性達は、膝の関節炎や頭痛といった様々な症状があって医者に行った。そのせいで、栄養に関する実験台になり、彼女達の家に届けられた放射性チャパティを食べることになってしまった。
サーシャ クマールさんは、エセックス大学の研究員だ。クマールさんのお母さんは、実験に参加したパンジャブ女性の1人である。「実験に参加したほとんどの女性がコベントリーのチャーチル通りに住んでいました。私の母は、左の膝に酷い関節炎を抱えていて、医者に行ったのです。医者は、母に特別な食事療法をしましょう、と言いました。特製のチャパティが車で1日おきに配達されるから、それを食べなさいと。
それから、ある日のこと、シャー医師は、母に特別な病院に行って血液検査をしなければならないと言いました。私たちは、バスに乗り、それからタクシーに乗りかえて30分程のところにある病院に行きました。母と私は、その病院への生き方を知っておりました。なぜなら、チャーチル通りの他の女性達もその病院に送られていたからです。病院に行ったら、なんでもかんでも真っ白だったということを覚えています。病院の人たちの靴までが白かったのです。」
[訳注: 医師の名字が「シャー」であることから、この医師もインド系またはパキスタン系と推測されます。]

パンジャブの女性達が送られた「病院」というのは、ハーウェル原子力研究所だった。そこで、特製チャパティの材料だった小麦粉に混ぜられた放射性の鉄の吸収に関する調査が行われたのだった。
デービッド エブリッド医師は現在、この実験を行った医療研究委員会を率いている。エブリッド医師は、同委員会が行った実験を擁護した。また、同医師が得た情報によれば、実験に参加したこれらの女性達は医師から話を聞いていたと述べた。「これらの実験は、合法的で有意義な実験の一環として行われました。特定の民族グループにおける鉄分の不足を計測するというものだったのです。実験に参加したご本人が英語を理解できなかった場合、英語に堪能なご家族のご同席とお手伝いをお願いし、ご本人に情報を提供したうえでご本人の同意を得たのです。」
[訳注: 参照サイト
David Evered
Dr. David Evered]


クマールさんは、チャーチル通りの女性の誰もが実験に参加しているとは知らなかったと言う。「みなさん、頭痛や関節炎などといったいろいろな症状に苦しんでいたのです。年を取っていましたから、お医者さんのことをとても信頼していました。それで、食べなさいと言われたものを食べたのです.」
ブラウンロウさんは、ドキュメンタリー番組「致命的な実験」の製作に1年を費やした。その番組は、今夜、チャンネル4で放送される。
ブラウンロウさんの謎解きの旅は、キューにある公文書館の書庫から始まった。ブラウンロウさんは、これまでに調べたことは、全体のほんの一部ではないかと心配している。ほんのちらっと覗いただけなのではないか、と懸念しているのだ。
「ハーウェル原子力研究所には、そこで過去40年間に行われたことについての何千ものリストや参照文献があります。しかし、ハーウェル原子力研究所では、それらの書類の多くを機密書類としています。また、軍の研究所であるオルダーマストン原子兵器研究所は、行った研究のほとんどすべてを機密としています。アメリカで何が行われていたかを知った今では、イギリスで情報が開示されないために全体像が掴めないことは非常に気がかりです。イギリスは、核の研究に関して常にアメリカと肩を並べてきたからです。」
[訳注: 参照サイト
Aldermaston

中国新聞 2009年6月23日朝刊
核兵器はなくせる 第5章 英仏 見えぬ標的<3> 核融合

2010年2月16日付け 大都留公彦のブログ2さんより
イギリスの核兵器工場オルダーマストン封鎖さる!

2013年1月30日付け 東京砂場プロジェクト@新宿さんより
おばあさんたちの反核、反原子力 Aldermaston Women’s Camp]


CND(Campaign for Nuclear Disarmament、 核廃絶運動)の会長のジャネット ブルームフィールドさんも同じような懸念を抱いている。
「アメリカとイギリスが長い年月にわたって協力してきたことを考えれば、私たちの政府も核実験に関するファイルを公開すべきだと思います。そうすることにより、『イギリスの果たした役割』というものがあったとしたら、人体実験における『イギリスの役割』について我々市民が学ぶことができるでしょう。アメリカでマンハッタン計画のもとでの人体実験が曝露されたことで、ジョン メイジャー首相は、開かれた政府を作ることができるかどうかを試されることになりました。」
[訳注: 参照サイト
Campaign for Nuclear Disarmament
Janet Bloomfield
Obituary: Janet Bloomfield]


イギリス政府、子どもの死体から摘出した骨に関する実験が秘密であったことを否定
ロンドン、1995年7月7日 AFP

イギリスの医療関係の政府機関は昨日、テレビドキュメンタリー番組が「政府出資の放射能実験には、子どもの遺体から摘出した骨を使った実験があった」と報道したことに対し、そのような実験が機密であったことを否定した。
医療研究委員会は、チャンネル4で昨日放送された「真実の物語 ー 致命的な実験」を批判した。また同委員会は、同番組が妊婦も実験に使用されたと伝えたことに対し、「非常に人騒がせで、多くの点において不正確極まる」と述べた。
ドキュメンタリー番組の取材陣の調査によれば、1955年から1970年にかけて病院の病理学者は、秘密裏に6,000体の死体(その多くは子どもの死体)から身体の一部を摘出し、分析のためにイギリス南部のハーウェル原子力研究所に送っていた。
1960年代および1970年代に行われた他の実験は、イギリス中部のコベントリーに住む20人のアジア系女性に対して行われたものである。これらの女性は、なぜ鉄が少ないのかを調べるためであると言われたうえで、放射性食品を与えられていたということだ。
チャンネル4が放送したドキュメンタリー番組によれば、1953年、リバプールでの胎盤に関する研究において、40人の妊婦に放射性ナトリウム水溶液が注射された。このうち何人かがその後、中絶手術を受けることになった。
また番組によれば、リバプールでは別の実験も行われ、胎児が「きれいなミンチ」にされたうえで、どれほどの放射性物質が吸収されているのかが測定された。同様な実験は、1952年から1957年の間、ロンドンの2つの病院でも行われたという。
昨日、医療研究委員会のデービッド エブリッド氏は、以下のように主張した。「子どもに先立たれた親御さんたちが更に悲嘆にくれないようにするために、骨を摘出したことだけは、唯一、秘密にしていた。」
エブリッド氏は、続けてこう言った。「実験は行われましたが、その経緯は医療日誌に記されています。医療日誌は機密とされていませんから、調査に使用できます。」
「放射性物質は、何人かのアジア系女性の鉄分不足を計測するために使用されました。特別栽培の麦を挽いてできた小麦粉に微量の放射性物質を混ぜて、チャパティを焼きました。」
「女性達が、ハーウェル原子力研究所に連れていかれたのは、そこだけに放射性物質を測定できる機器が揃っていたからです。放射性物質がいかに微量であったかということです。」
エブリッド氏は、「当時の標準的な慣例ではなかった」ため、親族の同意なしに死体から骨を摘出したことを認めた。
「致命的な実験」のプロデューサーのジョン ブラウンロウ氏は、次のように語った。「我々が調べたいくつかの書類は、明らかに『機密』と記されていましたが、後になって『機密解除』というスタンプを押されていました。ですから、政府は、明らかにこの実験を秘密にしておきたかったのです。」
「医療研究委員会は、詳細を公開したと言います。しかし、通常、わずかの公文書しか公開されませんし、一握りの人々しか公文書を読みません。本当に一部の人々の間だけで話をしているのです。当時、もっと多くの同様な実験が行われましたが、私たち市民は、それらについて何も知らないのです。」

翻訳に関してのお断り
「Xファイル」の原文について
原文は、ガーディアン紙の記事を個人または団体のブログに転載したものです。ガーディアン紙の元記事を探しましたが見つかりませんでした。ブログに転載されたさい、誤記または書き漏らしがあったようですが、それらについては文脈から推測または適宜修正のうえ訳しました。
ハーウェル原子力研究所について
イギリスの原子力の研究を行っている著名な研究機関の正式名称は、Atomic Energy Research Establishment (原子力研究所)です。そして、英語での通称は「AERE 」または 「Harwell(ハーウェル) 」で、日本語の通称は「ハーウェル研究所」または「ハーウェル原子力研究所」だそうです。
Atomic Energy Research Establishment
ジョン コッククロフト

この研究所は、オックスフォードシャイアーのハーウェルのディドコットにあります。
そして、ハーウェルというのは、現在では、研究機関や企業が集まった都市(サイエンスパーク)だそうです。以下は、ハーウェルの風景が伺えるサイトです。 
Harwell Oxford

原文には、何カ所かに「オックスフォードシャイアーのハーウェルのディドコットにあるイギリスの原子力に関する研究を行っている研究所」というような言い方が出てきます。そのまま、日本語に訳していると長くて読みにくくなります。ですから、思い切って形容詞句はすべて削り、単に「ハーウェル原子力研究所」としました。
また、原文に単に「ハーウェル(Harwell)と記されている場合も、訳語は「ハーウェル原子力研究所」としておきました。


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赤ちゃんの骨でストロンチウム計測(2)−オーストラリアの人体実験2013年09月16日
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2013年09月14日

東京オセンピックの風刺画まとめ

 安倍首相は、オリンピック招致プレゼンの場で、汚染水はコントロールされていると見え透いたデマをはきましたが、IOC委員達は、その見え透いたデマに騙されたふりをして、実利を取りました。
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簡単に示す
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そして、残念ながら日本の実情(この魔法使いは、片山さつき か はたまた 高市早苗?)
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フランスでは、サッカーに負けた腹いせに4本腕のゴールキーパーとして揶揄
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この時は国営テレビでしたので、在フランス大使館が「(東日本大震災や原発事故の)被災者の心情を傷つけるもので遺憾。強く抗議する」とする文書を送りつけて、謝罪してもらえました。

さて、今度はオリンピック。国営放送どころではなくなります。

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フランスの週刊紙カナール・アンシェネが掲載した相撲の風刺画。腕や脚が3本ある力士の横に立つ人物が「フクシマのおかげで相撲が五輪種目になりました」とコメントしている(共同)

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フランスの週刊紙カナール・アンシェネが掲載した「五輪のプールはもうフクシマに」とタイトルが付された風刺画。防護服を着て放射線測定機を持った人物2人がプールサイドに立っている(共同)

汚染水風刺画の仏紙「謝罪しない」 日本大使館は抗議
2013.9.12 21:45 [放射能漏れ]
 フランスの週刊紙カナール・アンシェネが2020年夏季五輪の東京開催と東京電力福島第1原発の汚染水漏れを関連づけた風刺画を掲載した件で、同紙のルイマリ・オロ編集長は12日、ラジオ局のインタビューで「謝罪するつもりはない」と述べた。

 同日午前には、在フランス日本大使館の藤原聖也臨時代理大使がオロ氏に電話で「東日本大震災の被災者の心情を傷つけるものであり不適切で遺憾」と抗議。大使館によると、オロ氏は「そういう意図はなかった」などと釈明したという。大使館は同様の内容の書簡も近く送達する。

 しかし、オロ氏はインタビューで「(風刺画は)誰かを傷つけるものではない」と明言。さらに「日本政府の反応に当惑している。問題の本質は東京電力の(汚染水などの)管理能力のなさにあり、怒りを向けるべき先はそちらだ」などと話した。カナール・アンシェネ紙は11日付の紙面で、腕や脚が3本ある力士などを描いた風刺画を掲載。(共同)


 ものの見事にあしらわれました。しかしながら、放射能漏れで、奇形が生まれることは、「世界の常識、日本の非常識」(被ばくで奇形が生まれるというと、ヒバクシャを傷つけることになるので、禁句らしいです。この国では。不思議なことにABCCには、この事実を「科学的」に証明した論文も作ってます。被曝では奇形児は生まれない。これが、この国の「科学的」結論です)以前から、山のような素晴らしい?風刺画が発表されていました。

 それにしても、奇形が生まれると言うことが全くのデマなら、「オマエノ カアチャン デーベソ」と言うようなもので、いわれた人間が傷つくことはあり得ません。放射能で奇形が生まれることが、世界中で認識されているからこそ、被災者を傷つけると日本大使館が認めたことになりますね。

 しかしながら、ガリバー旅行記から、風刺にかけては一流のヨーロッパ。これだけですむはずがありません。オリンピック風刺画でまとめたものを紹介させていただきます。これら一つ一つに、官房長官は抗議を行ってもらいたいものです。

オリンピック関連
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「私たちの東京五輪は1000年は延期しないとダメです。」

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ル・モンド 「フクシマを忘れるための日本のオリンピック」

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汚染
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「フクシマは対策済みです」
「汚染水も完全にコントロールされています」
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「ここの水は汚染されてるらしいよ。」
「え、何だと?!」

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日本の実情を非常に良く表した1枚

仕事熱心な外務省と官房長官には、是非ともすべての風刺画に抗議をしていただきたいものです。

◆関連ブログ
(サッカー)川島のファインセーブを腕4本に合成・・原発事故の影響2012年10月16日
フクシマの被曝では奇形は起きない、何の被害もない、ガンも起きない2013年06月21日
原爆と核実験場での放射能と奇形児(600万アクセス)2012年10月04日
タグ:P
posted by いんちょう at 19:46| Comment(16) | 原子力

2013年09月13日

9月26日(木)第8回院内勉強会のおしらせ

下記の通りの日程で、勉強会を行います。参加ご希望の方は、下記要項をご覧の上、お申し込みください。当日の勉強会の様子は、録画した上でYoutubeにアップいたします。

日時 平成25年9月26日(木) 13時30分 〜 15時00分 (講演−約1時間程度)
場所 熊本市横手1−2-121 小野・出来田内科医院
電話 096−355−7532
演題 今月のブログ注目記事
内容 ブログ記事の概略を紹介した上で、質問を受け付けます。講演会ではなく、ざっくばらんなお話会をイメージしてます。
費用 無料
参加者 15名(駐車場は12台あります。できれば、公共交通機関をご利用ください。)
応募方法 こちらのページからお申し込みください。先着15名(満席)
申し訳ございませんが、電話・メールでは受け付けておりません。

病院へのアクセス
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西山中学校前すぐ
新町電停徒歩7分
医院の前が駐車場です。満車の場合は地図中のPが駐車場です。一方通行もある狭い道ですので、ご注意ください。すこし離れたところには、コインパーキングもあります
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駐車場入り口がややわかりにくいため、新町交差点から駐車場までの動画を撮影しました。参考にどうぞ。−奥の駐車場であれば、(名前が書いてありますが)どこに駐めていただいてもかまいません。


横手郵便局から医院まで(新町と逆側です)


(撮影 ドライブレコーダー Driveman 720)
タグ:勉強会
posted by いんちょう at 20:06| Comment(3) | 日記

2013年09月12日

腐るパン、腐らないパン(マクドナルド、大手ベーカリー、地元パン)の比較

 夏休みの自由研究−随分と苦しめられた記憶があるでしょう。私の記憶に残っているのは、中学生の頃、ニワトリがいつどのくらいの頻度で鳴くか。を調べた研究でしょうか。もう少しうまくやっていれば、大賞を取れたのかもしれないと、今頃になって妄想しています。

 私が、こりゃあ、すごいと思った自由研究は、

柏・我孫子・中央線のバックグラウンド放射線
1992年8月に、小学校の夏休みの自由研究で、柏にあった自宅(柏市旭町)・市立旭小学校の周辺、および中央線車内での放射線量測定をしていた記録が出てきたのである。科学技術館が子供向けにサーベイメータ「はかるくん」の貸し出しをしており、運よく夏休み中に借りられることになったのでこの自由研究を行った、という身もふたもない内容がレポートのイントロに記されている。
計測環境

機器: はかるくん DX-200
測定方法: 記されていないが、おそらく小学4年生の胸の高さ付近での測定であろう。どのくらいの時間測った、等は不明。

柏・我孫子の空間線量率

自由研究レポートにはひたすら測定値が書き込んであるのでざっくりまとめると以下のとおりである。

旭小学校校庭のグラウンド: 0.02〜0.03uSv/h程度
校舎(鉄筋コンクリート)の周囲: 0.02〜0.06uSv/h程度
アパート(鉄筋コンクリート5階建て)の内部の階段 0.05〜0.08uSv/h

他にも我孫子の手賀沼親水公園での測定もあり、0.02〜0.05uSv/h程度であった。
中央線車内での空間線量率

また、中央線に乗って車内での線量を測定した記録もあった。
駅名 線量(uSv/h)
東京 0.009
四谷 0.033
新宿 0.012
中野 0.015
荻窪 0.024
立川 0.039
福生 0.015
青梅 0.018
御嶽 0.021
トンネル 0.024
御茶ノ水 0.012


 ため息しか出てこないような線量です。事故前の東京はこんなにも低かったのですね・・・

さて、本題。1999年に購入したマクドナルドのハンバーガーを14年もの間保存し続けるとこうなるをたまたまネットで見つけて、本当かどうかを夏休みの自由研究としてみました(子どもにこの研究はおもしろいよ、と声をかけたのですが、イヤだ、やらない と言われたので、私個人のブログネタになってしまいました)

2010年8月10日・・実験開始
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左から、リョーユーパンAngelus(熊本パン屋)、マクドナルド、ロッテリア のパンとハンバーグ

リョーユーパンは、しばらく前に購入してあった冷凍保存もの。Angelus、マクドナルド、ロッテリアは8月10日(土)に店頭で購入しました。家の中で行う実験ですので、臭いがでて妻から苦情が出ても困りますので、購入後直ちにジップロックの中に入れています(滅菌処理などはしていません)できるだけ、手で触らないように気をつけたつもりですが、Angelusのパンだけは包丁で適当な大きさに切り分けました。なお、室温保存ですので、連日40度近い気温まで上がっていたことはまず間違いありません。

8月15日(5日経過)
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Algesuのパンが少しだけ黒くなってきましたが、あとのパンには変化はありません。

8月18日(8日経過)
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Anglusのパンは黒カビと緑のカビがかなり増殖してきました。(他は変化ありません)

8月23日(13日経過)
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ロッテリアのパンの半分ぐらいにカビがつき始めました。マクドナルド、リョーユーパンは変化ありません。

8月29日(19日経過)
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マクドナルドのパンにカビが生えてきました。Angelusとロッテリアのパンはカビのため小さくなってきています。リョーユーパンは変化なし

9月7日(28日経過)
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マクドナルドもすごいことになってきましたが、リョーユーパンにはほとんど変化なし

9月12日(33日経過)
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リョーユーパンに少しだけカビが生えてきました。

考察
・食パンとごまパンとハンバーグと 腐りやすさだけを考えても、単純に比較するのは本来ならば、実験としては適切ではない。
・しかしながら、真夏のほぼ炎天下におきながら2週間以上腐敗しないというのは、かなりおかしい。
・特にリョーユーの食パンは一ヶ月以上室温に放置しておきながら、カビがほとんど生えないというのは通常考えられない
・現在食べている食品が、どの程度で腐るのか(人間が食べてもいい食品か)は、各人自分なりの方法で調べた方がよさそう

 私が聞いたところに拠ると、日本人の遺体はなかなか腐らない−食品中の防腐剤が全身に巡って腐りにくくなっている?−とききました。ちょっとでもカビが生えているとすぐに文句を言う国民性がこのような化け物商品をつくりあげたのでしょうが、それにしてもちょっとひどい。


な本も出版されています。

 誰にでも簡単にできる実験です。お子さんによく食べさせている商品などは、一度どの程度で腐敗するかを調べてみてはいかがでしょうか。あまりにも腐らない商品を食べさせ続けるのは身体には少なくとも良くはなさそうですから。
posted by いんちょう at 21:49| Comment(19) | 日記

2013年09月11日

東京には放射能は降下していない−どや顔で説明する医師たち

 オリンピック招致の際に汚染水は「コントロールされている」と誰にでもわかるデマを臆面もなくプレゼンした安倍首相。ウソをつかないことこそが、ニホンの信用につながっていたはずなのに、それをあっけなく打ち崩してしまいました。「首相が平気でウソをつくような国」は、信用できないと、あとしばらくしたら言われるようになるでしょう。

 311以降急速に信用を失った職業の一つに医師もあるでしょう。それまでは、いろいろと言われても健康のことを一番に考えてくれると私は考えていました。今までにない放射能が降下し、将来大規模な健康被害が起きるのが目に見えますので、いろいろな場で私自身発言しましたが、たいていの医師はそんなことが起きるはずがない。放射能よりも喫煙の方が問題だと全く相手にしません。挙げ句の果てには、放射能の被爆の影響ではないかと心配する患者の相談を鼻でせせら笑い、「東京には放射能は降ってませんよ」というデマを平気で発言する始末。つまり、2011年から知識が全く増えていないのです。私もいろいろと書いていますが、こういった初歩的なところで未だにボタンの掛け違いがあることに、正直途方にくれます。

その医師の頭の中にあるのはおそらく、この記事(2013.4.14 週刊新潮)
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こんなデマ記事を流しておきながら、未だに全く反省のない週刊新潮。

この記事がデマであることは、
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のグラフと、文科省発表の定時降下物の推移 2013.3 を見れば、すぐにわかります。

数字ではわかりにくいので、SAVECHILDさんのページから
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たとえば、東京は、17,354Bq/m2 (3ヶ月) 降っていますから、上記グラフでは圏外です。

1960 年代の放射能汚染はもっとひどかったと聞くけど?
1950 年代以降、米国やソ連が核爆弾をたくさん作り、実験のために大気圏内でどんどん爆発させた。 そのために大量の放射性物質が世界中にばらまかれ、日本にも降ってきた(他にも放射線や放射性物質に関わるさまざまな害が生じたが、ここではそこまでは話を広げないことにしよう)。

「1960 年代の放射性物質での汚染は、今回の福島の事故での汚染よりずっとひどかった」という話をする人がたまにいる。 だから心配はいらないというわけだ。 いろいろな人から聞くので、それなりに広まっているみたいだ。

しかし、残念ながら、この説はまったく正しくない。ただの勘違いだと思う。

たとえば東京でどうだったか? データを比べると、核爆発実験の時代に何年もかけて降り注いだのと同じくらいの量の放射性セシウムが、今回はほとんど一日で(!)降り注いだことがわかる。総量は同じくらい。だから「一日分」の量はすごく多いということになる
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核爆発実験の時代、もっとも放射性物質の降下が多かったのは 1963 年 6 月。東京で、1 ヶ月のあいだにセシウム 137 が 550 Bq/m2 降り注いだそうだ。 さらに、1963 年の 1 年間での降下量は約 1900 Bq/m2である。 核爆発実験が盛んだった 1964 年までの総計は約 5600 Bq/m2であり、その後の降下量はずっと少なくなる。 核爆発実験の時代から 2005 年までの 50 年ほどの降下量すべてを足しあわせるとおおよそ 7600 Bq/m2くらいだ(放射性セシウムは崩壊していくし、そもそも流されたり飛ばされたりするから、これだけの量が残っているわけではない。これは参照のために単に足しあわせただけの数値)。

今回はどうだったか?  文部科学省が測定して公表したデータをみてみよう。

東京に雨が降った 3 月 21 日の新宿でのセシウム 137 の降下量は 5300 Bq/m2。 上のデータと単位をそろえてあることに注意してほしい。 つまり、最悪だった 1963 年 6 月に 1 ヶ月かけて降り注いだ量のほぼ 10 倍が 1 日で降ってしまったのだ!  少なくとも 1 日あたりの降下量ということで考えれば、前代未聞だし、核爆発実験の時代よりも桁違いに多いのである。

核爆発実験の時代には放射性物質が毎日のように(ほぼ)一定の割合で降り注ぎ続いたわけだが、今回はそれとは大きくちがう。 やはり文部科学省によると、3 月の新宿でのセシウム 137 の総降下量は 8100 Bq/m2である。 つまり、半分以上が 21 日にまとめて降ってきたということになる。 また、セシウム 134 もほぼ同じくらい降り注いでいて、3 月の総降下量は 8500 Bq/m2である(核爆発実験の際にはセシウム 134 は出ない。解説「セシウム 137 とセシウム 134」を参照)。

この 8100 Bq/m2というセシウム 137 の降下量は、上に書いた約 50 年の総計の 7600 Bq/m2とほぼ同量である。 やはり今回の降下量はすごく多かったことがわかる。 右上のグラフに 2011 年を付け加えると、今のグラフの範囲の 4 倍以上のところまで突き出てしまうのだ。 上でも触れた気象研究所の「環境における人工放射能の研究 2011」の表紙のページにそのようなグラフ(上にも書いたようにこのグラフの縦軸は対数プロットなので注意)がある)


また、以前も紹介しましたが、CTBT担当官の分析
今回の高崎の137Cs 濃度は,1966 年の大気核実験時の3500 倍,そしてチェルノブイリ事故時の84 倍高い

では、地球全体で見ればどうなるか。

放射能で汚された今、なすべきこと 京都大学原子炉実験所 小出裕章氏講演 2013/06/23 福島
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私自身は、重量換算から考えて、公式漏えい量の10〜100倍の放射能が漏えいしたと考えておりますので、だとすると、だいたい大気圏核実験総量にほぼ等しい放射能が漏えいした可能性があります。(核兵器では、セシウム134は存在しませんので、おなじウランの量だと原発の方がはるかに汚い爆弾となります)

 未だかつてない放射能を漏えいし続けるフクシマ。今後一体どうなるのか。正確に予想できる人は誰もいません。過去の経験−チェルノブイリ−をみて、類推するしかありません。チェルノブイリの状況を加良部て、何がどうなったか、ソ連はどのように対処したか。それを見て、各人が判断して行動する。誰かの助言を鵜呑みにしてはなりません。

(お知らせ)
甲状腺エコー用に超音波機器を購入(東芝 Xario XG)いたしました。検査ご希望の方は、a00@onodekita.comまで、メールください。(購入費用には、書籍販売代金のほとんどすべてを利用させていただきました。ありがとうございました)
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なお、データはDICOM通信を使って、サーバーに記録しております。(RS_Base + RS_Receiver使用)メールで画像劣化なく送付することもできます。−余談ですが、電子カルテ(Dynamics)と検査データベース(RS_Base)の導入、メンテナンスも私自身で行っております。

◆関連ブログ
東京の「放射能」は一万倍のデマ2012年10月21日
今回の高崎の137Cs 濃度は,1966 年の大気核実験時の3500 倍,そしてチェルノブイリ事故時の84 倍高い2013年01月09日
タグ:P 降下物
posted by いんちょう at 20:52| Comment(8) | 原子力

2013年09月10日

利益にも自分の業績にもならないから、放射能問題にはタッチしないと白状した「科学者」

 311以降、180°認識が変わった「科学」に関する認識です。以前は、きちんと調査をして結論を出していたとばかり思っていたのですが、とうやらあらかじめ決められた結論を導くための道具にしか過ぎないと自ら白状しました。

・放射能は安全

それ以外の科学は、すべて抹殺されています。恥を知れと思いますが、実態はそれよりもはるかにその上でした。

科学者が放射能騒動に関わらなかった理由
私が考える「科学者が放射能騒動に関わらなかった理由」は以下の通りです
(1)ネットによるバッシング
(2)職場への嫌がらせ
(3)職場からマスコミ露出を止めて欲しいという要請
(4)歪んだ正義感に冒されたリアル知人からの罵詈雑言
(5)研究業界のリアル知人との人間関係
(6)「危険」と言う方が思い遣りのある人と取られやすい雰囲気
(7)勉強が面倒
(8)関わっても利益が無い

放射能騒動に関わるとどれくらい負担が増えるのか
この部分は私の体験を書きます。
(7)微量の放射線が健康被害を起こす可能性が低いことを淀みなく説明するには、分子生物学と細胞生物学の知識が必要で、実験動物を使った解析の経験があり、疫学調査のデータを読む力がある私でも、様々な分野の研究者から情報を集め、最近の論文なども目を通して勉強する必要がありました。また、福島の状況が過去の文献に照らしあわせてどの危険性に相当するのかを判断するためには、様々な観測データに目を通す必要もありました。

(8)私が実名で放射能による被害は小さいと発言したのは2011年10月の授業から、学会や講演など公の場だと2012年5月からですが、私は放射線生物学は専門ではないし、私が専門家だとしても一般人への解説をしたところで国の依頼を受けていない限りは何の業績にもなりません。授業で放射線生物学の基礎を扱うことも特に要請はなく、大学生にとってその知識が必要だと判断したためです。


 全編呆れる話なのですが、業績にもならないから、何もしない。なんと情けない『科学者』でしょうか。こういった人物に共通するのは、自分たちがどんなに苦しんでいるか。を一方的に述べることです。カネと権力に守られ、マスコミにも喧伝されるのに、それでもこんなにも文句を言う。反対派は、カネもない、コネもない、マスコミも宣伝してくれない中で、工作員からの嫌がらせもものともせずに、発言していることを知らないのでしょう。本を出そうと思っても、出版社も出してくれない。講演会でもだれもスポンサーになってくれない。貧乏人と金持ちのけんかです。(それでも、金持ちの方が押されていると思っているのが、おかしいわけですが)

「どんな馬鹿でも真実を語ることは出来るが、 うまく嘘をつくことは、かなり頭の働く人間でなければならない。」

ウソをつくからこそ、膨大な知識が必要だと、上述の科学者が曝露していますね。たとえば、広島で奇形児が生まれたという産婆さんの証言。この話など単純に自分の経験しか語っていませんが、誰もウソのことだと思わないでしょう。(一部のみ)
 私は昭和20年当時、尾長町で産院を開業していました。41歳でした。その頃はまだ家庭分娩が多うございましたが、だんだん少なくなりまして、昭和30年頃には、皆産院に吸収されました。
 何も記録は持っていませんが、奇形がたくさん出ました。当時はABCCへ、みな報告しなくてはいけないシステムになっていました。奇形が出ましても、報告するのを嫌う人もございましたので、しなかったこともあります。

 一番多かったのは兎唇でございました。それも口蓋裂もあって、泣くと喉の奥まで見えるんです。お乳も飲めないような...それから肢指過剰ですね。多指です。それから鎖肛(正常な位置に肛門がなく、直腸が盲端になっており、5千人に1人の確率で発病する)。肛門のないのも多うございました。兎唇や多指は数が多うございました。分娩で頭の先がでましたら、今度も兎唇じゃないかしらと思ったら、やはりそうで、そのたんびに憂いたことを覚えています。あーどうしてこんなに兎唇が生まれるんかしらと思いました。


どうですか?この内容を否定することができるでしょうか。事実、この兎唇、多指、鎖肛は増加していることをすでに隠せなくなってきています

 結局、科学とは事実をねじ曲げて解説する権力者の道具に成り下がってしまった(一体いつのことからかは知りませんが)と言うことでしょうね。

2020オリンピック・・安倍首相が一芝居打って、IOCも見て見ぬふりをしましたが、海外のマスコミの風刺は次の通り

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「私たちの東京五輪は1000年は延期しないとダメです。」

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ル・モンド「フクシマを忘れるための日本のオリンピック」

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フクシマの風刺は、以前からもたくさんありました。

科学技術立国ニホン の威信にかけて、「科学者」の方には、ぜひ世界中に、放射能の安全性を説いてもらいたいものです。

◆関連ブログ
原爆と核実験場での放射能と奇形児(600万アクセス)2012年10月04日
じわりと増え始めた奇形児(鎖肛、口蓋裂、多指・・)2013年08月08日
フクシマの被曝では奇形は起きない、何の被害もない、ガンも起きない2013年06月21日
(サッカー)川島のファインセーブを腕4本に合成・・原発事故の影響2012年10月16日
タグ:P 奇形
posted by いんちょう at 21:37| Comment(13) | 原子力

2013年09月09日

内服薬を飲み忘れない方法

 医者は簡単に、「この薬は絶対毎日飲んでくださいね」と患者に言うものですが、いざやってみるとこれはかなり難しい。すぐに飲むのを忘れますし、飲んだか飲まないかさえわからなくなります。カレンダーに貼るのは面倒だし・・・・そういう方におすすめの方法

現在の薬の包装(PTPと呼ぶ)には、大きく分けて10錠タイプと14錠タイプがあります。以前は10錠タイプしかなかったのですが、薬価がどんどん上がってきて、仕入れ価格が95%以上になってきますと、1錠でも無駄にできなくなってきましたので、通常よく出す1週間単位が増えてきました。特に定期的に内服する血圧、糖尿病などの薬はほとんど10錠と14錠タイプを併売しています。

まず、ウィークリー包装から(当院で最もよく使っているタナトリル)
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これは、上から曜日を決めてしまえばいい・・と説明していたのですが、なんと次のような商品が発売されていました。
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 よく見ていただけるとわかりますが、上から月、火、水、木、金、土、日 と印字してあります。たとえば今日は月曜日なので、左上から飲み始めるそして、2週間経過するまで、途中でぴりぴり外したりすることなく、そのまま保管。全部のみ終わってから、この包装すべてを捨てます。たとえば、飲み始めが水曜日だったら、上から3番目の薬から飲み始める。こうすることで、その日飲んだか飲まないかはすぐにわかるようになります。

次は10錠包装。これも比較的多いのですが、曜日作戦が使えません。たとえば、チラーヂン
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悩んでいましたが、次のようにして解決
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お分かりでしょうか。日付で飲む場所を決めるのです。たとえば、今日は9日ですので、一番左下を飲む。それから、10->1->2 ・・・ ->8(28日) まで飲んだときに、このシート全体を捨てる。1日に2錠飲むときは、2シートを同時に使っていきます。くれぐれも、途中で空いたシートを捨ててしまわないことがポイントです。

 もし、それでも飲み忘れた場合はどうするか。そこは飛ばします。(詰めない)そして、最終的に端数が残ったときに、その余らせてしまった部位の薬を飲めばいいのです。

 そして、更に確実にするためには、当該部分の薬をPTPから取り出して、料理の一品でもあるかのようにおてしょう皿に裸で出しておく。(食事の前は比較的覚えているはず)食事を食べ終わったら、その薬を飲む。上記の方法と組み合わせれば、ほぼ盤石です。

 いかがでしょうか。どうしても飲んだか飲まないかわからなくなってしまう人、お試しになってみてください。

◆関連ブログ
補給水の作り方2013年07月15日
posted by いんちょう at 21:51| Comment(2) | 日記

2013年09月08日

2020東京五輪−汚染は完全にブロック、健康問題は問題にならない−「自信があるからそういった」安倍首相

 本日、ブエノスアイレスで2020年東京オリンピックが決まりました。


 この動画は、1分足らずですが、前振りの長いこと。発表までに20分引っ張られ、サマランチが出てきてから5分程度のオリンピック憲章歌がオーケストラで放送され、さらにサマランチが持っている五輪マークのついた封筒をインドネシアかどこかの理事がわざわざ持ってくると言うあまりにもくさい演出がありました。(まるで極秘スクープを発表する日本の民放テレビ局を思わせるような)汚染水問題で東京はあり得ないと思われておりましたが、安倍首相の「素晴らしい」スピーチで東京に。

総理に質問(みんな楽しくHappyがいい
ゲラードハイバー:
素晴らしいプレゼーテーション、ありがとうございます。
とても感情に訴えるプレゼーテーションでした。
安倍総理、こんな質問をして非常に申し訳ないんですが、福島原発についての質問です。
最近は毎日のようにメディアが報道しています。
どれだけひどい状況かという事、
もちろん総理は「東京には影響が無い」とおっしゃいましたが、
それはどのようにして、その根拠はなんでしょう?
また、なぜそのように安心できるのでしょうか?
専門的な技術的な観点から、総理お願いします。



安倍:
ご質問ありがとうございました。
わたくしも日本語で答えさせていただきます。
(ここから日本語)
結論から申し上げれば、えー、全く、え、問題ないという、こと、で、あります。
えー、どうか、新聞のヘッドラインではなて、事実を、見ていただきたいと思います。
汚染水による、影響は、

司会:総理、今通訳に少し問題があるようです。
安倍:おー、OK!   よろしいですか?

安倍:
まず結論から申し上げますと、えー、全く、問題、ありません!(ニコッ!
えー、どうかあの、ヘッドラインではなくて、え、事実を見ていただきたいと思います。
汚染水による影響は、ま、まぁ、第一原発の港湾内の0.3平方km範囲内、の中で、完全に、ブロック、されています。
えーー、福島のキ、近海で、私たちは、モニタリングを、行っています。
ま、その・・・結果、えーーー、数値は最大でも、WHOの飲料水の水質ガイドラインの、500分の1であります。これが事実です。

そしてわが国の、食品や水の安全基準は、世界でも最も厳しい、厳しい基準であります。
食品や、水からの被ばく量は、日本どの地域においても、この基準の100分の1であります。

ま、つまり、健康問題については、今までも、現在も、そして将来も!全く問題はない!!
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という事をお約束いたします。

さらに完全に問題のないものにするために、
抜本解決に向けたプログラムを、私が責任を持って決定しすでに着手をしております。
実行していく、ま、その事をはっきりとお約束を申し上げたいと思います。


どこが、完全にブロックされているんでしょうか。汚染水ダダ漏れで、韓国が輸入を厳しく禁ずる措置をとったのも「風評」というのでしょう。本人自身は、自信があるから言ったなどとまるで子どもの言い訳のようなことを平気で述べています。

「自信あるから言った」 汚染水漏れ対策で安倍首相
 安倍晋三首相は7日夜(日本時間8日午前)、ブエノスアイレスでTBS番組に出演し、国際オリンピック委員会(IOC)総会で東京電力福島第一原発の汚染水漏れを解決できると説明したことについて、「自信があるからそう言った。海外の不安は払拭(ふっしょく)できた。だからこそ、日本が招致を勝ち得ることができた」と語った。

「自信があるからそういった」・・・なにやら、学校ではやりそうな言い訳です(よい子はまねしないように)。

そして、おそろしいのは「健康問題は問題にならない」と言っていること。

甲状腺癌を初めとする健康問題はすでに起きていますし、脳梗塞、心筋梗塞が増えているのも(震災のストレスともいわれています)、そして奇形の子どもたちが生まれていることも、事実としてあります。それは、日本国の首相にとっては、「問題にならない」と言っているわけです。健康問題が起きないと言っているわけではありません。

 そもそも、ロンドンオリンピックの時にもIOCは日本人選手の入場を拒んでいます
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 つまり、IOCは放射能汚染問題について、不必要なほどに怖れていることがわかります。そもそも、日本はオリンピックで優位に立つとそのたびにルール改正を行われて、弱小チームになる(バレー、ノルディック複合などで皆様ご存じの通り)ほど、オリンピックの中ではつまはじきものです。つまり、安倍がなんと言おうとも、招致活動になんの影響も与えないことは明らかです。真偽は別にして、次のようなツイートが流れていました。

 一部にはIOCを日本が騙したなどと、大それたことを言っている人もいますが、いつの間にそんなに日本の情報発信力が強まったというのでしょうか。米国、フランス、イギリス、中国、ロシアと言った核兵器とその内部被曝についての専門家がいるというのに、日本が騙せると思えますか?もし、そのような力をこの日本の政治、経済が持っているとすれば、それはそれで素晴らしいことです。

 今回の東京五輪は、一番の目的は内部被曝被害を隠蔽すること(チェルノブイリ2年後にキエフオリンピックを決めるようなもの)であるにもかかわらず、それを気がつかない日本はシリア爆撃で米国を支持すること、そしてTPPに参加すること、そして消費税を上げて国民から更に毟り取ることを交換条件にして招致を決めてもらった(と思っている)のでしょう。

 この被曝五輪。脱被曝の山本太郎がなんと発言するのでしょうね。

 世界全体が狂っている。気がついている人は、今更ながら身にしみたのではないかと思います。

東京五輪のマスコット

◆関連ブログ
オリンピック−途中で退場させられていた日本人選手団のなぞ2012年07月31日
オリンピック強制退場問題(2)−ホントとウソの見分け方2012年08月01日
オリンピックの影に隠れきれなかった海洋汚染2013年09月06日

【注意】非公開希望のコメントは、こちらに書かないでください。メールでお願いします。
posted by いんちょう at 15:55| Comment(38) | 原子力

2013年09月07日

2013年度第16回日本自費出版文化賞-入選 「フクシマの真実と内部被曝」

 2012年11月21日に自費出版しました「フクシマの真実と内部被曝」がNPO法人 日本自費出版ネットワーク主催の2013年度第16回日本自費出版文化賞(2013年9月5日)で入選となりました。
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 特別賞クラスを狙っていたのですが、ちょっと残念です。(笑)

Amazonの書評(現在27のレビューがあります)
透徹した論理。「鋭敏な感性」が生んだ渾身の労作!, 2012/12/6
 悪魔の所業の如き「原子力ムラ」による福島原発事故。だが、真相は隠蔽され事故は風化されようとしている。
かつてこれほどの無明を見たことはなかった。この混迷の時代に「元東電原発技術者」という特異な経歴を持つ
小野医師が「フクシマ」に鋭くメスを入れ、事故の根源的考察から現状の危機の本質を探った良書である。
 その該博なる知識と情報収集努力には頭が下がる思いがする。大事なことを平易に語る。この一冊ですべてが
分かると言っても過言ではない。今こそ自らが考え行動し「真実を見抜く眼」を持つことの大切を教えてくれる。
苦難に抗しても冷静な判断を養う一助になる。まさに国民必読の書!


中国新聞社の書評
複眼で見たフクシマ 元東電の原発技術者→内科医 経験つづり自費出版
(前略)
 原発技術者と医師の知識を基に、原発の仕組み、放射線の種類や人体への影響、外部・内部被曝の違いなどについて分かりやすく説明している。汚染されたがれきの処分や原発再稼働などの問題の対応策も提示。自分や子どもを守るため、現実にきちんと目を向け、自分の考えで動き、声を上げていくことが大切だと訴えている。

 原発で働いていただけに、現場の様子や社員同士の生々しいやりとりなどもあって興味深い。
(後略)


熊日新聞書評(2013.2.24 朝刊)
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「フクシマの真実と内部被曝」(小野俊一、七桃舎 1月)は、元東電原発技術者が語る告発書。広島県に生まれた著者は、東電に入社後福島第二原発に勤務し、原子力技術課安全グループに配属される。95年に退社すると、大学で医学を学び、現在は県内で内科医院長をしている。津波に襲われたフクシマ原発の惨状を目の当たりにして証言を決意。事故発生以前から原発が安全上未解決の問題を抱えていたことや放射能の被害がどの程度の規模にまで及ぶのかを明らかにしている。
 特に内部被曝の怖さを政府は軽視しているとして、被ばくが人体に与える影響に警鐘を鳴らしている。専門的な事項がわかりやすく解説され、深刻な現実が伝わってくる。最後に大事なことは自分で情報を集めよとも戒めている。


 今後ともよろしくお願いします。

−DVD、著作の紹介− 注文 (商品のクリックで、紹介ページに飛びます)
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◆関連ブログ
【新刊】フクシマの真実と内部被曝−自費出版のお知らせ2012年11月21日
個人出版−出版社の設立からAmazon流通まで2013年03月24日
DVD新発売のお知らせと、商品の紹介2013年08月18日
タグ:自費出版
posted by いんちょう at 22:09| Comment(4) | 日記

2013年09月06日

オリンピックの影に隠れきれなかった海洋汚染

韓国、東北など8県の水産物輸入全面禁止 汚染水の懸念拡大理由に配信元:産経新聞 2013/09/06 12:08更新
 【ソウル=加藤達也】韓国政府は6日、東京電力福島第1原発の汚染水漏れを受け、福島など計8県の水産物の輸入を9日から全面的に禁止すると発表した。対象は福島のほか、青森、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、千葉の各県。8県からの輸入量は2012年で約5000トンで、日本産全体の約15%に相当するという。
 韓国政府は福島第1原発の事故以降、日本政府の安全基準や措置に準拠し禁輸対象を福島を含む8県50種の水産物に限定していた。
 今回の措置にあたり韓国側は、韓国国内で水産物全体の安全性への信頼が揺らぎ、日本産以外でも一部の水産物の売れ行きが激減するなど、経済に与える影響の懸念が大きくなったことを強調している。
 韓国政府はこれまで、汚染水流出問題で日本政府の対策や流出状況に関する情報提供を評価していた。
 今回、禁輸水産物の対象を拡大した背景について、韓国政府関係者は「連日数百トンの汚染水が海に流出していることで、国民の懸念が大きくなっている」と指摘。親族が集まる今月19日前後の中秋節の連休を前に、食品安全への関心が高まっており、政府としても対策をとらざるを得なくなったものとみられる。
 韓国側は日本政府に対しこれまで以上に詳細な情報提供を求めていくほか、韓国産食品についても放射能検査の基準や実施を厳格化する方針だ。


 今、日本政府が最も気になっているのは、オリンピック招致問題です。IOCの竹田とかいう理事は、「東京は福島から250キロ離れているから大丈夫」などというトンデモコメントを全IOC理事に送りつけました。

この報道に対して、日本の官房長官は、

韓国政府の決定についてきかれ「(日本は)厳格な安全管理をしており、検査結果が基準値を上回れば出荷制限をしている」としたうえで、韓国政府には「科学的根拠に基づいて対応してほしい」と述べた。

と発言。そして、安倍首相は、2泊6日世界一周旅行をして

 「政府が前面に出て(汚染水問題は)完全に解決していく。2020年にはまったく問題がないと説明したい」

と知っている人ならば、絶対無理なことを国際公約しようというわけです(まあ、国際公約したところで、不可能であることは、みんな知っているわけですが)
 この人物は、年金問題を最後の一人まで必ずやり抜くと全く無理なスケジュールを指し示して、ポンポン痛いとして首相を辞めた人物。同じことをまたオリンピックでやるつもりでしょうか。2020年−あとたった7年−で、汚染水問題が本当に片づくと思っているとしたら、なんとおめでたい人物でしょうか。まあ、その程度のオツムですから、原発再稼働と輸出を言えるわけでしょうが。

石巻ではまさしく「科学的」に放射能を測定しています。

20130831 魚の放射性セシウム濃度測定に新装置 投稿者 Yurusan呆れますね。こんな短時間で選別できるって、一体どれだけのセシウムを持っていたら、検出できるんでしょうか。こんなので信用するのは、よほど何も知らない人間だけだと思いますけどね。。。

海水の問題で一番頭が痛いのが、海水中のストロンチウムはセシウムの10倍。深刻化する海産物の放射性セシウム濃縮です。ところが、海産物に関して、最も重要なストロンチウムを水産庁ははかっておりません。そして、その理由がまさに幼児的な言い訳

白血病引き起こすストロンチウム 食品内の含有量測定は困難
「ストロンチウムは検出に30日ほどかかります。魚は水揚げされて30日すれば腐敗するので検査にふさわしくないのです。国の基準値は、セシウムが100ベクレル以内ならば、たとえストロンチウムが含まれていても人体に影響はないだろうと見越した推計値です。したがって、ストロンチウムを測定していなくても心配することはありません」

 水産庁はこう弁明する


 この人物は、放射能は煮ても焼いてもなくならないことを知らないのでしょうか。[焼いて、炭にしてからはかれば、なんの問題もない]なぜ30日も生ものの状態でなければ測定できないかのような情けない言い訳を平気でするのか。できないからやりませーん。では、さすがどうでもいいと考えている役人の言葉。私がざっと調べただけでも、1週間程度で測定ができる画期的な方法がすでに発明されています。そして、海産物はストロンチウムだけではありません。放射性銀もまたイカ、タコなどの軟体動物に大量に含まれているという報告があります。

 それらをすべて無視して、放射性セシウムだけ測定したところで、誰が信用できますか。日本の政府は、「風評」(汚染)実態を隠すために、できるだけ過小評価のできるセシウムだけ評価をして、放射性銀、ストロンチウムの評価はしないと決めています。残念なことですが、もう太平洋の大半は汚染され、もう海産物を食べることはロシアンルーレットをすることとおなじになってしまったのです。

そして、この汚染は福島近辺だけではありません。陸地に降り積もった放射能が河川を伝わって海に入ります。終わる事なき複合汚染が永遠に続くのです。チェルノブイリよりも放出量は多く、世界で初めて大都市が放射能汚染を受けた〜NHK海洋汚染から


◆関連ブログ
海水中のストロンチウムはセシウムの10倍。深刻化する海産物の放射性セシウム濃縮2013年07月03日
1億ベクレルのセシウムが海水に漏えいし続けるフクシマ2013年07月23日
チェルノブイリよりも放出量は多く、世界で初めて大都市が放射能汚染を受けた〜NHK海洋汚染から2012年01月17日
タグ:P 海洋汚染
posted by いんちょう at 21:20| Comment(11) | 原子力

2013年09月04日

あれしきの被曝で何を騒ぐかと言ってはならぬ我は被爆者−フクシマをバカにする被爆者

もう随分と前になりますが、「広島ジャーナリスト」第12号 2013年3月 を送っていただきました。ありがとうございました。

 なかなか読む時間がとれず(時間はたくさんあるのですが・)、読んでみると大変いい記事がたくさん載っていました。いくつかをこれから紹介させていただきます。

澤野重男氏の書かれた文章です。

ある受賞受賞に覚えた「違和感」
 新年1月7日の朝日新聞で、第29回「朝日歌壇賞」の発表が会った。2012年の入選歌から4選者が書く一種を選ぶ「歌壇賞」そのうち「永田選」の受賞作と選者評を読んで、何とも言えぬ「違和感」を覚えた。

永田選
あれしきの被曝で何を騒ぐかと言ってはならぬ我は被爆者
             (アメリカ)大竹幾久子
 我ながら随分はっきりと歌ったものだと思いますが、在米40年余の被爆者だからでしょうか。短歌は渡米後に始めました。
【評】「私に比べたら」と言いたくなるのが人の性。原発への視線に葛藤は深い。

 作者は大竹幾久子氏。アメリカ在住の被爆者。5歳の時にヒロシマで被曝。2003年に母のヒバク体験を「アメリカへ ヒロシマから」として出版(2011年には英語版"Masako's Story"も出版)被曝証言活動にも活発に取り組んでいる。
 選者は永田和宏氏
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現代日本を代表する歌人。細胞学者。京都産業大学教授、京都大学名誉教授。短歌結社「塔」主催。宮中歌会初めの選者でもある。
 この歌を最初に「朝日歌壇」(12年7月30日)で選んだとき、永田氏は次のような評を書いている。

【選者評】大竹さん、思い歌だ。原発事故による被曝量を聞いて、被爆者としては「あれしき」と言いたくなることも。何事にせよ、つい「私に比べたら」と言いたくなるものだが、「言ってはならぬ」という厳しさはすべてに通じる。

 さて、「あれしきの被曝」というのは、東電福島第一原発事故による被曝のことである。そして、選者が「『私に比べたら』と言いたくなののが人の性」とか「何事にせよ、つい『私と比べたら』といいたくなるものだが」とか書いているのを見ると、「あれしきの被曝で何を騒ぐか」と考えているのは、「被爆者」である作者自身で、その作者が広島での自分の被曝と比べてフクシマの被曝を「あれしきの被曝」と過小評価していることがわかる。広島と福島を差別し、分断しているとも言え、しかも実際そう思っても「言ってはならぬ」のである。
 「言ってはならぬ」、その理由は「我は被爆者」だからということだが、「あれしきの被曝」と言うとき、そこに被爆者としての深い悲しみはあるか。各時代を生き抜く知恵はあるか。「言ってはならぬ」、人類が生存か死滅かの岐路にあるとき、被爆者は沈黙してよいか。核被害が現実のものとしてあるとき、思考停止してよいか。
 そんなときに「『言ってはならぬ』という厳しさはすべてに通じる」とか「原発への視線に葛藤は深い」というような言葉=評はどうか。それは、この歌を更に罪深く、胡散臭いものにしているのではないか。
 作者は「あれしきの」と思うのだが、被爆者としてはそういうことが許されない、そう考えれば批判されるから、言わぬのか。
 選者は「言ってはならぬ」ことを「厳しさ」というのだが、ほんとうにそうか。それが「すべてに通じる」というのは、単なる身過ぎ世過ぎのほうべんではないか。
 原発への視線に葛藤はイカに深くとも、「その葛藤は深い」というより、ろしろ「その葛藤は不快」だ。そこからは、核被害の内世界への展望を開くことはできない。
 思うに、フクシマの被曝への過小評価。そして広島と福島を分断する視点。そのような評価と視点を表明して、しかも「言ってはならぬ」こととする思考停止。私の「違和感」の原因は、こちらにある。

 1月26日、米国在留邦人向けのNtbテレビ−8分過ぎから−が大竹幾久子のインタビューを放送した。「今回の受賞短歌に込められた、大竹さんの思いを語ってもらった」という紹介があったので、後日ユーチューブで確認した。
 その番組によると、大竹氏は、福島の原発事故について、放射線量が何とかシーベルトとか言うのを聞いて、「低線量で騒ぎすぎる」という印象を持った。チェルノブイリの原発事故の時のように、小さいこの健康診断を将来にわたってすると言うが、私が被爆したときはどうだったか。傷の手当てもなかった。放射能のことも知らなかった。今は「まあ、手厚いこと」と思う。「優遇されている」と思う。これらの気持ちから短歌を詠んだが、「なんとまあ言いにくいことをずけずけと言ったものだ」「日本にいれば口にも出せない」そんなことを彼女は言った。

(中略)

歌人・大竹幾久子氏にも、広島・長崎と福島との共通性を発見してもらいたい。「放射能は骨髄にとりついて、私の寿命よりも長い間 放射線を出し続けて 内臓を壊していくのだという」(Masako's Story p.89)大竹氏は、自らの放射線被曝を、子のように歌う。Ntbテレビのインタビューでは、「核兵器は使ってはいけない」「非人道的だ」友話している。その思いを、大竹市自身の体験に重ねて、広島と福島を「同列」にかたり、扱えるようになるとき、大竹氏の短歌は「あれしきの」限界を超えて、新しい歌として再生するのではないか。期待したい。

【追記】実は「あれしきの」という意識は広島市民の間にも広くある。それが広島の時間と空間を作っているのではないか。広島だからフクシマがわかるわけでは内。広島が福島を「同列」にとらえ、核被害のない世界を目指さない限り、未来への希望はない。希望の未来としての広島の課題は、福島から学ぶことである。大竹氏の歌の再生への期待は、「ヒロシマという思想」(松元寛)の創造への期待でもある。人類が「生きるために」


 実際関東のホットスポットから、被爆のことを理解してくれるに違いないと逃げた広島で同じような言葉を浴びせられたと聞きましたから、残念ながら広島の大半はここにでてこられた大竹氏と同じ考えなのでしょう。私は、にわかには信じられませんでしたが・・・
 フクシマが起きて、どうしましょうと危機感を覚えられた橋爪文さんとの視点の違い。自分の扱いを顧みて、フクシマは過保護だと思ってしまう視点。そこには被爆者をもう増やしてはならないという使命感などみじんも見られません。そして、この大竹氏は、原爆の被害がぴかっと光った一瞬にだけ起きただけで、残留放射能はなかったとする米国の見解そのままの世界に−67年たった今でも−いることが良くわかります。実際、広島で投下された原爆の168倍ものセシウム137がフクシマからは放出されたわけですから、「あれしきの被曝」という権利があるのは、実はフクシマの方達なのです。
(たとえて言うならば、熱湯でのヤケドをした経験のある人が、本当はひどい低温ヤケドをバカにしてかかるモノだと思います。熱湯でのヤケドは確かに痛いし、水泡もでき大変ですが、低温ヤケドは50〜60度程度の通常ならとてもヤケドなどしない温度を長い間同じ場所に当ててしまったため、皮膚の深層まで深く深く進行し、治癒までに数ヶ月かかるおそろしいヤケドです)

 私は講演会の時に、ヒロシマ、ナガサキが復興できたのだから、フクシマが復興できるというのはウソだ。たとえて言えば、日露戦争ではあの大国ロシアに勝ったのだから、太平洋戦争でも米国に当然勝てる といっている老将の言葉に等しい。といつも説明しています。実際ヒロシマの168倍どころか、その数千倍もの放射能が放出されたのですから。

以前より、推薦している下記の図書


原発事故とヒロシマナガサキを比較した政治家に対して・・
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原発技術者が次のように言い放ちます
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・桁が違います。ヒロシマの原爆の全放出量は数十万キューリーに過ぎません。原発はその200倍から400倍あるんです。それに死の灰で、地表や海、川、大気・・・あらゆるモノが汚染されます。

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・数百マイル離れても、農作物は作れなくなります。・・・死の世界です・・・

 「あれしきの被曝」が実は、ヒロシマ、ナガサキの方だったとみんなが気がつくとき、世の中は大きく動くでしょう。なぜ、これだけの資料がありながら、被爆者の大半がフクシマの被爆をなめているのか。私には本当に理解できないことです。

(フクシマの方が被曝量が多い証拠)2011年3月21日に行われた 山下俊一氏の言葉
これから福島という名前は世界中に知れ渡ります。福島、福島、福島、何でも福島。これは凄いですよ。もう、広島・長崎は負けた。福島の名前の方が世界に冠たる響きを持ちます。ピンチはチャンス。最大のチャンスです。何もしないのに福島、有名になっちゃったぞ。これを使わん手はない。

 今ならわかりますね。広島・長崎が負けたのは、被曝量、集団被曝線量なのです。だから、フクシマの名前が世界中に知れ渡ることになるのです。

◆関連ブログ
「原爆体験を世界に」橋爪文〜NHKラジオ深夜便から(1)2013年03月27日
「原爆体験を世界に」橋爪文〜NHKラジオ深夜便から(2)2013年03月28日
ピカの毒−英国の原爆の父も米国の情報隠蔽を糾弾していた2013年09月02日
放射能の怖さをなぜ人より早くわかることができたか・・説得のヒント2012年05月12日
残るか去るかは住民自身が判断しなくてはなりません。-山下俊一2011年08月21日
posted by いんちょう at 21:49| Comment(10) | 日記

2013年09月03日

山本太郎氏の変節?−脱原発は非現実的、1ミリ避難ではなく、5ミリの避難を優先させよ−

 先の参議院選挙で、唯一ともいってよい見所を作ったのは東京選挙区でしょう。閑古鳥が鳴いていた丸川珠代
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が、百万票を超える票を集めてトップ当選し、久しぶりに共産党が選挙区で議席をとり、豪華すぎる応援団
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を擁した民主党の鈴木寛が落選。そして、なによりも脱原発を主張していた山本太郎が当選。

【参院選】山本太郎氏当確 市民が国会に送り出したの記事を読みますと、
・脱原発
が当選の一番の理由で、それ以外にも
・TPP
・非正規労働問題

などがあるというまとめになっています。
 彼を国会議員にしたのは、今すぐに現実的な施策を行って欲しい(そんなのは与党議員の重鎮にでもならない限りは不可能)わけではなく、たった一人でもいいから、ドンキホーテのように脱原発を国会議員−政治家−としての立場から、主張して欲しいというお母さんをはじめとする人たちの願いだったはずです。それが、現実的であるかどうかは後世の歴史がきめることなのです。私はそう思っていました。

 たまたま、IWJの動画を見ましたところ、(埋め込みができない設定になっています)

130819 岩上安身による参議院議員 山本太郎氏インタビュー

・原発企業の力がものすごく強く、脱原発は−政治的には−現実的ではない
・私は脱被曝を緊急の自分に課せられた使命として行っていきたい
・脱原発は、みんながうねりにならないと無理。(その活動をしたい)

とかなり、違和感のある主張をしています。参議院議員になって1ヶ月足らずの人間が、どうして脱原発は現実的ではないと言い切れるのか。医者になったばかりの研修医が重症の患者をみて、「もうこの患者は助からない。」と決めてかかっているような感じを受けてしまいました。長年、野党をやっている共産党でさえも、脱原発の旗を降ろす気配はもちろんありませんが、なぜたった半月ほどの新米参議院議員が、すでに自分の手足を縛ってしまうような発言をしているのでしょうか。(しかも、政治の経験などほとんどないにもかかわらず)

山本太郎にがっかりした皆さんのお言葉にもまとめられていますが、板橋区議会議員の方の次の発言とあの10倍希釈のペテンキクマコ大学教授
と発言しています。この人物に「脱原発」の国会議員が1ヶ月もたたないうちにこのように言われるとは・・・情けない話です。さらに、
ますます、??となったところで、次の動画を教えてもらいました。


この動画も見ましたが、
・脱原発は政治的には非現実的
・1ミリ被曝で線を引くのは時間がかかりすぎるので、とりあえず5ミリで行こうと決めただけ。1ミリであるのは変わりはない
・脱原発は国民運動にしなければならない、それを私はやる

との主張に変わりはありません。あたかも官僚のように現実的なことを言い出して、話が進むと思っているのでしょうか。5ミリまで撤退すれば、次は20ミリの厳守(実際、20ミリ以上のところに人が住んでいるわけですから)に後退してしまうのは時間の問題です。しかも、このミリシーベルトは単なる外部被曝の線量ですから、内部被曝のことははいっていません(実行換算係数などは、まやかしもいいところです)。つまり、今の自民党政権とほとんど変わらない主張になってしまっているのです。河野太郎だって、自民党の中では脱原発を訴えているのに、野党でしかもほとんどしがらみがなく当選した国会議員が1ヶ月もたたないうちに「脱原発」の看板を政治的に下ろしてしまうのは、あり得ない話です。

 このようにツイッターで書いておりましたら、山本太郎氏をもう少し見極めましょうという言葉が飛んできました。それは、代表制民主主義ではなく、白紙委任です。私は残念ながら東京の有権者ではありませんので、選挙事務所にまでは電話しませんが、私なりの意見をこのような場で表明することが、議員に対してしっかりとものを言って、考えを改めてもらうきっかけになればと、ブログにしました。意見がおかしいと思ったら、きちんとその選挙事務所に意見を伝える。それこそが、今の日本に求められている民主主義でしょう。山本太郎もまだ政治家になったばかり。あの支持者の熱気を失わないためにも、再度慎重に自分の立ち位置を決めるよう、強く希望します。

 そもそも、山本太郎が国会議員になるなんて、半年前には「非現実」「荒唐無稽」な夢物語だったわけなのですから。

(追加)

風知草:小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男
毎日新聞 2013年08月26日 東京朝刊
 脱原発、行って納得、見て確信−−。今月中旬、脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した小泉純一郎元首相(71)の感想はそれに尽きる。
 三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行した。道中、ある社の幹部が小泉にささやいた。「あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか」

 小泉が答えた。
 「オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」
 「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」

(中略)
帰国した小泉に感想を聞く機会があった。
 −−どう見ました?
 「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」
 −−今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。
 「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」
 「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」


 「昭和の戦争だって、満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」

 「必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大震災。ピンチはチャンス。自然を資源にする循環型社会を、日本がつくりゃいい」

 もとより脱原発の私は小気味よく聞いた。原発護持派は、小泉節といえども受け入れまい。5割の態度未定者にこそ知っていただきたいと思う。(敬称略)(毎週月曜日に掲載)


 自民党の重鎮よりも、「現実的」な山本太郎。おかしな話です。少なくとも、小泉に直接話を聞いて、自分の考えをまとめたらどうでしょうか。

◆関連ブログ
トップ当選確実な丸川珠代(自民党)と当落線上の山本太郎2013年07月17日
10倍希釈を30回繰り返したら、セシウムはなくなる−菊池誠阪大教授(08/25)
posted by いんちょう at 21:51| Comment(34) | 原子力

2013年09月02日

ピカの毒−英国の原爆の父も米国の情報隠蔽を糾弾していた

 ホントの情報は、後から後からその真実性を補う情報が出てくるのに対して、ニセモノの情報は権威を持って現れ、さも本当のように喧伝されるにもかかわらず、後から後から矛盾が出てくるものです。そういった事実を端的に表した言葉として「真理は、時の娘」があります。

以前、原爆投下直後の広島を描写した記事として、あの大異変の中で負傷しなかった人びとが、原爆病としか表現しえない何ものかのために死んでいく-広島todayからを紹介しました。これは、下記の発言がきっかけとなって、いろいろな助言をもらって見つけ出した本の一つです。(騒ぎになるとこちらも勉強して、知識が深まります。いわゆる「炎上」が勉強のきっかけになるわけですから、あんまり気にしないことです)


と発言したところ、デマだの、ヒバクシャを傷つけるだのさんざんたたかれて、onodekita氏「ピカの毒はうつる」と差別的発言なるまとめまで作られました。私自身、原発構内の放射線管理区域で仕事をしたことがあり、放射線管理区域から外に出る際には必ず、ボディーチェックカウンターを通って、外界に放射能を持ち出さないように十分気をつけたものです。それを、放射能がうつるかうつらないか(移動といった意味ですが)と言った、本当の基本から2年たった未だにほとんどの人が正確に理解していないことに大いなる絶望を感じたものです。

この記事内にも紹介していますが、「救護者被曝」

長崎原爆:「救護被爆者」がん多発 原爆症認定へ裏付け
長崎に原爆が投下された直後、長崎県大村市の「大村海軍病院」に収容された被爆者らを救護した軍医や衛生兵、看護師らが、がんや肝機能障害、白内障などを、一般より高い率で発症していることが、弁護士らの調査で分かった。被爆者援護法は、広島・長崎市外で救護活動に携わった人も「救護被爆者」として原爆症認定の対象にしているが、認定例は報告されていない。調査に加わった澤田昭二・名古屋大名誉教授(素粒子物理学)は「被爆者の衣服や髪に付いた放射性微粒子を医療従事者が吸い込み、体内で被ばくし続ける内部被ばくによる健康被害の可能性が高い」と指摘。調査結果は、救護被爆者の原爆症認定に向けた一助となりそうだ。

1945年8月9日の原爆投下後、長崎市の北約20キロの同病院には、救援列車やトラックで被爆者千数百人が運び込まれ、約860人の病院職員が救護に当たった
全国で266人の被爆者が起こしている原爆症認定訴訟の原告に、当時の同病院看護師1人も参加。同病院で救護に当たった人にがん死亡者が異常に多いと聞いたことから、近畿弁護団が統計の専門家と共に調査した


 本人達はほぼ被曝していないと考えられるにもかかわらず、ヒバクシャを手当てしただけで、内部被曝したわけですから、とうぜんピカの毒はうつるという言葉そのものです。フクシマの時にも同様にかなりの高レベル被曝をした人がいたのは疑いようのないことなのですが、表面汚染チェックを差別だと騒いだのが医学者側であったのは、情けないことですが事実です。

さて、このような内部被曝の被害についてまた、古くて新しい記事が8月11日の熊日新聞に掲載されました。

書き下し
【ロンドン共同−半沢骼タ】英国の核開発を主導し「原爆の父」と呼ばれ、米国の原爆開発にも関与したウィリアム・ペニー博士(1991年死去)が日本への原爆投下から約4ヶ月後、「米国は放射線被害を(政治的な目的で)過小評価している」と強く批判していたことが10日までに、英公文書館に保管されていたことが文書でわかった。博士は独自に「殺傷要因」を特定するため、英科学者を米国の核実験に派遣する必要性を訴えていた。

 米国は当時、放射線による悲惨な被害実態が世界に知られることを警戒、厳しい報道規制を敷いていた。文書は、米国が最重要同盟国で原爆を共同開発した立場にある英国に対しても、核兵器の本質を隠していたことを示している。
 文書は原爆被害を調査した英政府機関、医学研究評議会(MRC)のファイルの一部で、45年12月4日にMRC関係者が作成。「ペニー博士は(広島と長崎で)多くが放射線によって死亡したことを示す相当な証拠があると判断している」と記されている。
 ペニー博士はさらに「米国はこの見方を軽視し、あらゆる被害を爆風と熱に起因させようとしている」と批判。「この(放射線被害の)問題は、米国で最も重要な政治問題になろうとしている」と背景を指摘した。
 爆風計算の専門家であるペニー博士は英国での研究を経て、原爆開発を進める米国の「マンハッタン計画」に参加。ナガサキでは観測機から投下を目撃し、その後、広島と長崎を現地調査した。45年12月13日にロンドンで行われた専門家会合で博士は「投下直後の放射線照射により、多くの人々が死に続けたことに疑いの余地はない」と指摘した。
 また、米国提供の情報は不十分で、次の原爆実験に英側も参加し、放射線被害について「最大限の情報」を収集することを医療専門家らに呼び掛けた。MRCの記録によると、英科学者らは博士の提案通り、46年7月にビキニ環礁で行われた実験観測に参加した。

人体影響を完全否定−情報操作した米政府
【ロンドン共同=半沢骼タ】「原爆の父」と呼ばれた英国のトップ科学者の一人、ウイリアム・ペニー博士に広島、長崎での放射線被害の過小評価を批判されていた米国は、戦後長い間、人体への影響を完全否定し情報操作を試みた。原爆の非人道性を象徴する原爆症の存在は、米国への批判増幅の引き金となりかねない上、軍事的に重要性を増していた被害データの独占を狙ったためだ
 「負傷していない人々も『原爆病』としか言いようのない未知の理由で、不可解かつ悲惨に亡くなり続けている」。原爆投下後約1カ月後の被爆地の惨状を、英紙デーリーエクスプレスはこう報じた。米紙ニューヨーク・タイムズも「原子爆弾はいまだに日に100人の割合で殺していいる」と状況を伝えた。
 しかし、米国の原爆開発計画「マンハッタン計画」の副責任者、ファレル准将は、東京の記者会見で一連の報道を完全に否定する。被爆地の惨状を無視するように「広島、長崎では死ぬべき人は死に、9月上旬現在、原爆放射線のために苦しんでいる者は皆無だ」と言い切った。
 米政府はさらに原爆が地上でなく上空で爆発したために、危険な核分裂物質が地上に影響を及ばさなかったと主張。これが政府の公式見解となっていく。間もなく報道規制を強化し、投下後から一カ月後に長崎に入ったシカゴ・デーリー・ニューズ紙が「外傷のない男女、子供たちが毎日のように死んでいる」と報じた記事は連合軍総司令部(GHQ)の検閲で公表を差し止められた
 冷戦前夜の当時、米政府はソ連との軍事的な対立を不可避と判断。軍事的バランスの鍵を握る核兵器開発を進める上で、原爆使用が敵国民、場合によっては自国兵士に与える被害のデータは戦略的に重要だった。こうした事情が、人体への影響に関するデータを独占し、同盟国の科学者にも事実を隠蔽した背景にあった。
【ロンドン共同 2013.8.10】


 フクシマの被曝は、明らかに東関東、さらには北半球全体に少なくとも及んでいるはずですが、あいかわらず上記に書かれたABCCの知見から「被害は起きない」と主張しています。政府は米国のポチですから、当然だとしても、NHKをはじめとするマスコミは一体何をしているのでしょうか。ヒロシマ、ナガサキの被害から目を背け、そしてチェルノブイリの被害も無視して、フクシマの復興だけを叫ぶ。その先に待っているのは一体なんでしょう。

◆関連ブログ
あの大異変の中で負傷しなかった人びとが、原爆病としか表現しえない何ものかのために死んでいく-広島todayから2013年04月15日
ピカの毒−残留放射能−の真実(投下直後からプレスコードで隠蔽した米国と暴いたオーストラリア人記者)2013年04月14日
タグ:内部被曝
posted by いんちょう at 21:45| Comment(10) | 日記

2013年09月01日

SOEKS-01Mの修理

妻用に購入したSOEKS-01M


このガイガーカウンターは電池の持ちはよくないのですが、小さく、軽く、女性のポケットに入れるのにはぴったりで、なおかつ比較的感度が高く(放射能がある場所では、値の上下が激しい)、見やすいといった特徴があり、私自身気に入っている商品です(かつ価格もお手頃)。(もちろん、このガイガーカウンターで食品の放射能がきちっと測れるわけではありません。比較的汚染度が高い食品を見分けることができるかもしれないといったレベルだと思います。)

 購入したときから、この装置を振るとガイガー菅のカラカラという音がしていたのですが、先日線量がゼロになってしまいました。修理してみます

まず、裏側にある4つのビスを外します。
2013090101.jpg

ビスを外せば、簡単に蓋は外れます(かしめなどありません)
思った通り、ガイガー菅が外れてしまっていました。
2013090102.jpg

この修理には半田ごてが必要ですが・・・
2013090103.jpg


2013090104.jpg
(ピンぼけしていますが、ガイガーの外筒にある切れた線と基板の線とをつないでいます)

上記修理が終わったら、外筒を真ん中にある基板の穴を通して、基板からずれないようにします。(もし、カラカラと音がするだけで、数値がきちんと出ている場合には、分解して、この穴にテグス・細い針金などを通してあらかじめ基板に固定することをおすすめします−ご自身の責任でお願いしますね)この部分でガイガー菅を固定した痕跡がありませんので、2011年の冬頃に購入された方は、確認した方が良さそうです。
2013090105.jpg

修理が無事完了しました。
2013090106.jpg

◆関連ブログ
私の購入したガイガーカウンター2011年12月08日
posted by いんちょう at 20:07| Comment(5) | 原子力