2013年09月25日

ヒロシマ、ナガサキで5年間癌が発症しなかった本当の理由

 昨日、池田信夫が「低線量被曝によって発癌するまでには平均25年、最低でも5年かかる。」と自信たっぷりに書いておりました。彼は、単なる経済評論家ですから、このように書くにはそれなりの根拠があります。おそらく、唯一の被曝の聖書「ABCC=放影研」の研究成果でしょう。この被曝調査結果をフクシマに当てはめているところだけをとってみても、原爆と原発は全くおなじという揺るぎなき証拠だと私には思えます。

 プルトニウムファイル

を一読すればわかりますが、ヒロシマ、ナガサキの被爆知見など極僅か。それよりも米国兵士やさらにはロンゲラップ島、各国の被爆者達の方がはるかに精密な調査をしているのです。それなのになぜ、ABCCの調査がここまでもてはやされるのかと言えば、答えは一つ。敗戦国で行った調査だからです。すなわち、いくらでも数字のごまかしができるわけです。

原爆投下は予告されていた 国民を見殺しにした帝国陸海軍の「犯罪」古川 愛哲 (著)

p.28から
 昭和59年頃、放射線医学では「最大許容法車線被曝量」のことばがまかり通っていた。それは広島と長崎の被ばく者の放射線障害の追跡結果で作成されたもので、原爆投下後の戦災と苦しみの中でなくなった方々が残した、貴重な国際的な医学遺産である。
 ところが、このかけがえのない貴重な医学遺産は、無残にも改ざんされていた。戦後5年間、昭和20年から25年までにガンや白血病でなくなった被ばく者は、原爆被爆以前から罹患していた可能性があるとの屁理屈で、統計から外されていたのである。あえて「屁理屈」と書く。それは、核政策上のアメリカ側の指導であったからである。
 当初は、爆発でけがや火傷をしていれば、放射線障害から外された。原爆は上空で爆破するので、その爆煙(キノコ雲)は成層圏にいたり、風とともに放射性物質は大気圏へ拡散し、地表に残留放射線は存在しない。「黒い雨」は地上の泥が舞い上がり振ってきたものに過ぎない。こうアメリカは強弁していたのである。
 いずれにしても、広島と長崎に設置されたABCCが放射能の影響を少なく見積もるために意図的にデータを操作したのであった。ABCCは、その運営資金の9割をアメリカ政府、すなわちエネルギー庁が負担した施設で、被曝者の治療はせず、経過観察と解剖の統計を取ることを目的とした。
 この事実が発表されたのは昭和62年(1987)のことだったが、心底から怒りがこみ上げたのを今でも覚えている。中立であるべき科学への幻想は、私の中で木っ端みじんに打ち砕かれたのだ。
 核兵器の残虐性を否定するためアメリカ政府は、被曝者の放射能による影響を極端に少なく見積もったのだが、この政策に日本政府は追従した。唯一の被爆国を名乗りながら、日本政府は被曝者の救済には消極的だった。しかも、放射線の許容量を安易に認めて「最大許容放射線量」という言葉を平然と使用したのである。

−この昭和62年の事実発表について、詳しい方がおられたら教えてください。−

どうでしょうか。これなら、当初5年間に癌が発生しないことも、何の異常も起きないことは火を見るよりも明らかです。あの悲惨な被爆直後の5年間を無事に生き延びられたもののみが、統計の数字として集計されているだけなのです。

◆関連ブログ
アイリーン・ウェルサム(プルトニウムファイル著者)のインタビュー2012年10月29日
放射能と白血病の増加2012年02月18日
タグ:ABCC
posted by いんちょう at 20:46| Comment(9) | 原子力