2015年10月15日

1318.新井満の「千の風」は、南風椎氏の「1000の風」のパクリだった(1)

・2011.3.18に早くも「森の異変」をブログにアップされていた南風椎氏が、2015.9.9に亡くなられた。享年67歳早すぎる死であった。
・専門家の大半が、「何の影響もない」を繰り返す中、このような指摘を当初よりされていた南風椎氏に敬意を表する。かれは、ブログの中で「虫や鳥や木が消え始めたら、次は人間が消えていく番だ」と2011.7に指摘されていた。
・最終ブログに「1000の風」が紹介されており、大ヒットとなった「千の風」と、表題と表現が微妙に違うのでブログを丹念に読んだところ、意外な事実が隠されていた。


1313.高線量で奇形が増加しているモミの木(放医研発表)を書いた際に、「虫や鳥や木が消え始めたら、次は人間が消えていく番だ」と2011.7に指摘されていた南風椎氏が2015.9.9に亡くなられていたことをブログで知った。
 あらためて読んでみると、本当に最初から原発事故の影響を指摘されていたことがよく分かる
2011.03.18 Friday小鳥たちがいないなあ、と気がついたのは3日前の朝だった。
梅が咲き競い、椿や木蓮などがほころび始めるこの季節は、毎年シジュウカラやメジロが木の枝を飛び交い、チュンチュンチーチーという鳴き声があふれる頃だからだ。

ちょうどその日のニュースで放射線量が川崎で通常の6倍、横須賀で9倍測定された、と言っていた。ここ横浜も同じようなものなのだろう。
テレビで「専門家」が、とても微量なので人体に及ぼす影響はまったくありません、と語っているのを聞いてギョッとした。人体にはさしあたって無害でも、小さな鳥たちへの影響はどうなんだろう?
農薬汚染で鳥が鳴かなくなった春を書いたレイチェル・カーソンの名作『沈黙の春』を思い出した。


2011.07.27 Wednesdaところが3.11以降、森はすっかり顔が変わってしまった。
ぼくが知っている森ではなくなったのだ。
小鳥がこなくなったことは震災の一週間後に「沈黙の春?」という日記で書いた。状況はその後も変わっていない。小鳥たちは皆無ではないけど、ごくたまに1,2羽見かけるだけ。以前のように群れをなして飛んでくることはなくなった。

夏になってからはセミがいない。去年も酷暑のせいでセミが少ないと書いたが、今年は少ないのではなく、いないと言ってもいい。しかし皆無ではない。ときどきカナカナが一羽、ミンミンが二羽とか鳴いているのが聞こえるくらい。数えられるのがさみしいね。東京からきた小学生が「うるさーい!」と両耳をおさえるようなセミ時雨の森だったのに。
・・
この森が異常な事態であることは断言してもいい。
街のコンクリートやアスファルトに積もった放射能は雨が流してくれるけど、土や草むらに降る放射能は積もり続けるので危険だとも聞いた。
森は土と草むらの上に乗っかっているものなのだ。

昔教わった生態学の基礎の基礎はこうだった。
「虫や鳥や木が消え始めたら、次は人間が消えていく番だ」

ぼくたちは今、知らされているよりはるかに大きな危機の中で茫然と立ち尽くしているだけなんじゃないか、という思いは日々強くなっている。


 そして、わたしのブログも引用されていた。
2012.01.04 Wednesday
年末から年初にかけてぼくのブログ『森はまだ生きているのだろうか』に大量のアクセスがあった。影響力のある人のブログで紹介されたのがきっかけのようだ
ぼくのは7月のブログなので読み直してみたが、訂正する点は何もなかった。
その後『森を出ていこう』という日記も書いている。
森が森でなくなってきたことが近くここを出ていく最大の理由だが、出ていく理由はそれだけではない。そのうちのひとつを書いておこう。

森の中のこの家は、実は土光敏夫が住んでいた敷地の一角にある。
このブログのトップ写真のサンルームでぼくが座っている黒い椅子は、土光敏夫が生前座っていたロッキングチェアなのだ。
日記をずっと読んでくれている人たちはご存知だろうけど、ぼくは昔から「反原発」を貫いてきた。(サイドバーの<Nukes>というカテゴリーを読んでください)でも、日本が原発行政を推進していく上で土光敏夫が決定的な役割を果たした人だったことは、まったく知らなかった。3.11以降に初めて知ったことだ。
不勉強を恥じ入るしかない、

 私のブログまで引用していただいたのに、気がついたのは亡くなられた後でした。有益なやりとりが出来田かもしれないのに、残念で成りません。

 さて、今回のメインテーマは、最終日のブログに書かれていた内容である。

2015.09.18 Friday長野さん、67年間の "Long, Strange Trip” でしたね。笑いと教えをいっぱい残してくれた「森の日記」、ずっと読み続けていきます。

心からありがとう。
これからも、よい旅を。

--- FLY Communications



あとに残された人へ
『1000の風』
訳 南風椎



私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。


私はそこにはいません。


眠ってなんかいません。


私は1000の風になって
吹きぬけています。


私はダイヤモンドのように
雪の上で輝いています。


私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそいでいます。


秋には
やさしい雨になります。


朝の静けさのなかで
あなたが目ざめるとき


私はすばやい流れとなって
駆けあがり


鳥たちを
空でくるくる舞わせています。


夜は星になり、


私は、そっと光っています。


どうか、その墓石の前で
泣かないでください。


私はそこにはいません。


私は死んでいないのです。
私が知っていたのは「千の風」で、「1000の風」とはちょっと異なるし、訳も少し違う。??と思って、調べてみると意外なことが分かった。 続く

■関連ブログ
1313.高線量で奇形が増加しているモミの木(放医研発表)2015年09月30日
タグ:千の風
posted by いんちょう at 21:20| Comment(1) | 原子力
この記事へのコメント
南風椎氏のことを先生のブログで知って、それから時々彼のブログを読んでいました。癌に罹っていることをしり心配していましたが、亡くなられて本当に残念です。
Posted by yaeko at 2015年10月16日 00:01
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