2011年05月03日

ローマに学べ(米国、オサマビンラディン殺害)



 米国はテロの首謀者を殺害し、最大の成果と話しています。

これはもっとも悪い解決法だと私は思います。

以前、ご紹介しました塩野七生氏の「ローマ人の物語」

 カエサル、ポンペイウス、クラッススが第一回三頭政治を始めます。その後、いろいろあって、最後はエジプトにポンペイウスが逃れ、それをカエサルが討伐しにいきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9
ガレー船から離れたと同時に小舟の中に潜んでいたエジプト軍の刺客によってポンペイウスは殺害され、レントゥルスも捕らえられて、のちに殺害された[18][19]。ガレー船に乗り込んでいたメテッルス・スキピオや妻・コルネリアらはエジプトを離れた。

同年10月、カエサルはエジプトへ到着したが、その地でポンペイウスの死を知ることとなった。その後、コルネリアはポンペイウスの遺灰と指輪をカエサルより受け取ってイタリアへ埋葬し、余生を送ったとされる。


 この状況においても、カエサルはポンペイウスと講話を結び(もちろん、自分に有利なようにですが)そのかわりに、ポンペイウスが支配していた地域を安定して統治(分割して統治せよ)する予定でした。そのボスであるポンペイウスが暗殺されてしまったため、その後ポンペイウスの部下の反乱(局地的ですが、それだけに手を焼きます)に振り回されることとなってしまいます。

 なぜ、イスラム教徒が米国に逆らうのか。第二次世界大戦後にアラブ地域に出来た新興国がその原因でしょう。根本的に解決するには、そこをどうにかしない限り、これからもこの戦いは永遠に続くと思います。
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posted by いんちょう at 20:50| 日記