2011年05月15日

その日何が起きたのか。(地震当日を報道から振り返る)・重要

 そろそろ、いろいろなデータ、状況が表に出てきました。

発表当時は、?と思ったことが、振り返られるようになっています。地震と津波でいったい何が起きたのか。当時の発表記事を元に再現してみます。

東日本大震災 2011年3月11日14時46分18秒

 この時刻に起きた証言としては、下記の記事が参考になります。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110318-OYT1T00188.htm?from=main4
2011年03月18日にブログでも紹介しています。

 1号機内で電気設備関連の作業中だった男性作業員は「揺れるというよりは、横にも激しい勢いで振り回されている感じ。縦揺れはほとんど感じなかった」と振り返る。原子炉頂部にある天井からつり下げられたクレーンや照明が、激しくぶつかり合う音を聞いて、「これは普通じゃない揺れ方だ」と気付いたという。
 建物の廊下では、ずれた金属製配管の継ぎ目から、水が勢いよく流れ出ていた。余震が続く中、非常灯で薄暗い階段を懸命に駆け降りたが、「出口の扉は本当に開くだろうか」と心配になったという。
 放射能に汚染されているかもしれない水の怖さより、このまま原子炉といっしょに閉じこめられてしまう恐怖の方が強かった


 水が勢いよく流れ出ていたということから、かなりの大口径配管が原子炉建屋内で破断していた。と考えられます。・・・・

point 1 沸騰水型原子炉一次配管の破断・・・地震の前

http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1309-j.pdf
(東電、プレス発表)
・原子炉自動停止(スクラム)
・外部電源の一系統が損傷(外部電源喪失)
・非常用ディーゼル発電機が自動起動

 ここまでの推移では、大口径配管の破断?が一番気になります。

時刻がはっきりしませんが、約30分後 すなわち15時15分頃に津波が押し寄せたと思われます。

この時の描写
 あわてて階段を上って屋上から海を見ていると、約30分後、水平線の向こうから白い壁のような巨大津波が押し寄せてくるのが目に飛び込んできた。高さ約6メートルに達する大波は、同原発沖合に設置された、幾重にもある防波堤をのみ込んでいった。

 1号機から6号機までの原発の周囲は、あっという間に水浸しになった。それぞれの原子炉建屋に隣接する発電施設に冷却水を供給しているポンプ設備が、次々と流されていく。この設備を失えば、発電施設内を通る高温の蒸気を冷却することができない。技術者は初めて見る光景に恐ろしさを感じ、「これは危険なことになる」と直感した。


 そして、東電プレス発表から
15時41分に非常用ディーゼル発電機が故障し、すべての交流電源喪失を宣言。
・・津波の後ですから、おそらく津波が原因でしょう。
 水没、燃料タンク喪失、燃料配管の喪失、あるいは負荷の電気回路ショートによる発電機本体の故障?
非常用ディーゼル発電機の故障原因は、まだ、プレス発表されておりません。

point 2 全交流電源喪失
point 3 冷却用海水ポンプの喪失(こちらの方が重要度が大きい)

 あとでプレス記事を添付しますが、このpoint 3を原子力保安院、東京電力は軽視していたと思います。が、これは、東電の技術者ならばわかる話。
私のSNS記事を記載を添付します。(以前も添付していますが)
2011051501.jpg

point 2をカバーするために、このような記事が配信されています。 (すでに削除・・NHK)
福島第一原発へ電源車が出発 
3月11日 19時5分
 福島県対策本部の午後6時の発表によりますと、福島第一原子力発電所の1号機と2号機で、原子炉を安全に冷やすための非常用の発電機がすべて使えなくなり、東京電力の電源車8台が福島第一原発に向かっているということです。また、陸上自衛隊の福島駐屯地からも電源車1台が福島第一原発に向かっているということです。


 出来ることはこのくらいです。おそらく、大勢の人が固唾をのんで見守っていたことでしょう。

 そして、出てきたのがこの報道です。(報道が見あたらないので、ブログから)
http://www.the-journal.jp/contents/takano/mb/post_204.html
《電源車調達》
 11日、電源喪失で炉心溶融の危険が予想される中、東電は「冷却作戦」のための電源車を東電及び東北電力管内からようやく6台、掻き集めて現地に向かわせるが、陸路の輸送は困難を極め、ようやく東北電力が提供した2台が国の現地拠点「福島オフサイトセンター」に到着したのが午後9時。バッテリーも切れて無電源に陥るタイムリミットまで2〜3時間しかない。ところがそこで分かったことは、電源の繋ぎ口が津波に使っていて接続できず、しかも、仮に接続できる状態であったとしても、毎日によると「高電圧の電源車を繋ぐための低電圧用のケーブルが用意されていなかった」ので、またAERAによると「ケーブルが短くて使えず、プラグも合わなくて、本社に「500メートルのケーブルが必要だ」と連絡が届いた。「そんな長いものは社内を探してもみつからない」。12日の午前0時を過ぎても幸いなことにバッテリーはまだ動いていて、危なかった2号機の水位も何とか安定を回復していた。その頃ようやく低圧ケーブルは調達できたものの「関東から空輸を準備中」という段階。そうこうするうちに、午前2時半、今度は1号機の格納容器内の圧力が上昇しはじめ、その3時間後には外部に大量の放射線物質が漏出した......。


 本当にこんな理由でしょうか?発電所ですし、失敗すれば今の状況になるのは、専門家ならばわかっています。かりにプラグがあわなくても、導線同士をつないだり、何でもするはず。高圧のかかる発電所なんですよ。そんなばかな。。東京電力はこんなにお粗末なのかとみんな憤慨されたことでしょう福島第一の構内は非常に大きく、東芝、日立の協力企業棟もあり、電力関係は本当に専門中の専門です。こんなことは、やはり考えられません。

 証拠もないのに書くとと怒られそうですが、現在運転中の発電所を止めないために、こういったストーリーを無理矢理作ったのではないかとさえ思われます。それを裏付けるかもしれない記事が、5月11日に熊日に載りました。(ネットでは見つけられません)
2011051502.JPG
使われなかった電源車として記事が書かれており、
・保安院は現状把握が全く出来ていないこと(少なくとも、海水ポンプ流出は考慮してください。お願いですから)
・電源車は次々に到着したが、海水をかぶった機器に電気を通すのは危険だとして結局1台も使えなかった。

 そうだとすれば、やはりケーブル云々の話は嘘(とってつけた話)というしかありません。

point 4 電源車は何の役にも立たなかった(通電不可能)

 それで、爆発まで至りました。

 ここまでは、冷却できないのですから、想定し得ます。不思議なのは、冷温停止に全く持って行けないこと。以前も書きましたが、復水器の水を原子炉に戻すルートがありますし、様々なルートを使えば、さすがにこんなには時間がかからないはずです。

 そうしていると、次の記事が出てきました。
http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011051401000953.html
1号機、津波前に重要設備損傷か 原子炉建屋で高線量蒸気
 東京電力福島第1原発1号機=3月20日(エア・フォート・サービス提供)
 東京電力福島第1原発1号機の原子炉建屋内で東日本大震災発生当日の3月11日夜、毎時300ミリシーベルト相当の高い放射線量が検出されていたことが14日、東電関係者への取材で分かった。高い線量は原子炉の燃料の放射性物質が大量に漏れていたためとみられる。

 1号機では、津波による電源喪失によって冷却ができなくなり、原子炉圧力容器から高濃度の放射性物質を含む蒸気が漏れたとされていたが、原子炉内の圧力が高まって配管などが破損したと仮定するには、あまりに短時間で建屋内に充満したことになる。東電関係者は「地震の揺れで圧力容器や配管に損傷があったかもしれない」と、津波より前に重要設備が被害を受けていた可能性を認めた2011/05/15 02:02 【共同通信】


point 1も裏付けられました。

つまり、配管自体が地震でやられてしまい、それだけでもうどうにもならないところに、津波がきた。ということでしょう。

 従いまして、Wikiより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85

地震と津波による全電源喪失
この地震により、1 - 4号機は発電所敷地内の受電設備が損傷し受電不能に陥り、5・6号機は受電している原発西側の送電線の鉄塔1基(夜ノ森線 第27号鉄塔)が倒壊し受電不能に陥った。本来は、どちらかの外部電源から受電できれば発電所内部で融通できるシステムがあるため全機外部電源喪失を防げるはずだったが、結果的に全機受電不能になり、外部電源喪失状態に至った。 東京電力は公式見解で事故原因は未曽有の大津波だとしているが、4月27日の衆議院経済産業委員会で吉井英勝議員(共産党)の質問に答えて、原子力安全・保安院長が、倒壊した受電鉄塔は津波が及ばなかった場所にあったことを認めた。吉井議員は、「この鉄塔が倒壊しなければ、電源を融通しあい全電源喪失に至らなかったはずだ」と指摘し、電源喪失の要因は地震による損壊であることを明らかにした


と共産党の国会議員が指摘していることは間違いではありませんが、結果としては関係なかった(電源車が使えなかったことを考えますと)になります。これは、原子炉保安院が最初に想定したストーリーを強化するだけであって、問題の本質とは異なると私には思えます。

では、ポイントをまとめます。

1.原子炉内大口径一次配管破断・・地震のみ
2.全交流電源喪失(非常用ディーゼル発電機喪失)・・津波
3.海水系冷却設備の喪失(逸失でしょうか)・・津波
4.電源設備の海水没により、通電不可能・・津波

1号機から3号機まで、耐震の再評価はしてあります。今回の地震が想定内に収まっており、地震の安全性が評価できていたとするならば、地震の解析モデルの誤りまで考慮する必要があります。

 こういったことまで考えて、原子力保安院また経産省は原発の安全性を確認しているのでしょうか?私にははなはだ疑問です。
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posted by いんちょう at 17:57| 原子力