2011年05月17日

首相と斑目委員長を診断する☆

昨日、あっと驚く発表がありました。
長いのですが、おつきあいください。(青字は、報道です)

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/05/16/kiji/K20110516000832340.html
菅首相 格納容器破損の可能性を認識…震災翌日の視察前に
共同 
 菅直人首相は16日の衆院予算委員会で、東日本大震災発生翌日の3月12日に福島第1原発を視察したことをめぐり、格納容器破損の可能性があることを知った上で、あえて実施したことを明らかにした。「放置すれば格納容器にひび割れが起こりえた。だからこそ(視察前に蒸気を排出する)ベントが必要だと言った」と述べた。
 視察に同行した原子力安全委員会の班目春樹委員長も「格納容器が破裂する可能性があることは認識していたし、(首相に)助言した」と答弁した。
 首相は視察に踏み切った理由について、東京電力へのベント指示がなかなか実施されなかったとした上で「陣頭指揮を執るには現地の関係者ときちんと会うことが重要と考えた」と強調。質問した自民党の西村康稔氏は「首相官邸で指揮を執るのが最高指揮者のあなたの仕事だ」と指摘し、防護服を着ずに現場に行ったことを批判した。
[ 2011年5月16日 13:40 ]


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110516-00000049-jij-pol
格納容器破裂の可能性認識=視察前、菅首相に助言―班目委員長
時事通信 5月16日(月)12時28分配信
 原子力安全委員会の班目春樹委員長は16日の衆院予算委員会で、3月12日に菅直人首相とともに福島第1原発を視察する前、格納容器が破裂する可能性があると認識し、首相に助言していたことを明らかにした。視察直後の同日午後に1号機で水素爆発が起きたことについては「その時(視察前)は助言していない」と語った。
 班目氏はまた、「もう少し早く(格納容器の圧力を逃す)ベントが実施されていれば、ここまでの事態は防げた」と指摘した。

いいたいことはたくさんありますが、まず当時の報道を振り返ります。

出かける前。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110312-OYT1T00148.htm
首相、ヘリで視察出発「現地で判断も」
巨大地震
 菅首相は12日早朝、東日本巨大地震の被災地や福島第1原発を視察するため、首相官邸からヘリで出発した。
 首相は出発前、首相官邸で記者団に「昨日以来、政府として全力を挙げて、救済、復興に取り組んでいる。福島原子力発電所から10キロ以内の避難を命令した。状況を把握し、必要な判断は場合によっては、現地で行う」と述べた。
(2011年3月12日06時42分 読売新聞)


ほー、この必要な判断とは、なんでしょうか?まさか、「ベント」の判断を現地でしたのではないですよね。説明責任があります。明らかにしてください。

 次は首相動静から。きっと現地は大変だったでしょう。格納容器の爆発を予見していて、こんなことをさせるなんて・・・首相失格以外の何者でもありません。。

首相動静(3月12日)時事通信 3月12日(土)5時57分配信
 午前5時31分、執務室を出て、内閣危機管理センターへ。
 午前6時8分、同センターを出て官邸エントランスで大地震を受けたコメント発表。同14分、陸上自衛隊ヘリコプターで官邸屋上へリポート発。班目春樹原子力安全委員会委員長、寺田学首相補佐官同行。
 午前7時11分、福島県大熊町の東京電力福島第1原子力発電所着。同19分、重要免震棟へ。同23分、東京電力副社長の武藤栄原子力・立地本部長による説明。池田元久経済産業副大臣同席。
 午前7時47分、武藤本部長による説明終了。同49分、重要免震棟を出て、同8時4分、陸自ヘリで福島第1原発発。
 午前8時29分、仙台市の陸上自衛隊霞目駐屯地着。同35分、陸自ヘリで同駐屯地発。宮城県沿岸部の被災地を上空から視察。同9時14分、同駐屯地着。同17分、陸自ヘリで同駐屯地発。
 午前10時47分、官邸屋上ヘリポート着。同50分、執務室へ


この時の、飛行ルートを教えてください。まさか、福島上空を通るルートではないですよね?

福島第一原発1号機 放出開始3月12日 10時22分
福島県にある福島第一原子力発電所の1号機では、原子炉が入った格納容器の圧力が高まっているため、東京電力は、午前9時から容器内の空気を外部に放出する作業を始めました。経済産業省の原子力安全・保安院は、この作業で大気中に放出された場合でも、避難している住民の安全性は保たれるとしています。


なぜ、9時スタートなのでしょう?


http://www.nsc.go.jp/anzen/soki/soki2011/genan_so16.pdf より
3月11日 原子力安全委員会 議事録
2011051701.jpg

http://www.nsc.go.jp/anzen/soki/soki2011/genan_so17.pdf より
3月14日 原子力安全委員会 議事録
2011051705.jpg

どちらも5分で終わっています。緊迫感も何も感じられません。斑目委員長(以下、斑目氏)は、格納容器の破裂を予測していながら、5分で閉会した。これは、国民に対する犯罪行為です。
 その他の原子力安全委員会の議事録は、
http://onodekita.sblo.jp/article/44269907.html
に書いています。なぜ、斑目氏はご自分の知識を皆に伝達されなかったのでしょうか?5分でこの格納容器爆発の推移を手短に説明されたのでしょうね。議論にもならないくらい、皆さんおわかりだったと。

爆発が起きた3月12日の記事
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110312/dst11031220410283-n1.htm
原発「爆発」誰も説明できず 危機意識ない政府、東電
2011.3.12 20:40
 誰も説明できないのか−。東京電力福島第1原発1号機で12日午後3時36分ごろ、大きな爆発が起きた。東日本大震災と大津波に続き、原発の建屋の外壁が吹き飛ぶという前代未聞の事態。放射性物質漏えいは、人体への影響は。募る疑問に国、東電とも、何も答えぬまま時間だけが過ぎ、危機意識の欠如をうかがわせた。
 経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官らは爆発後、断続的に記者会見を開いたが、こわばった表情で「情報を収集しながら対策を検討したい」「詳細について確認中」と述べるだけ。
 周辺住民の生命を脅かしかねない事態にもかかわらず、何を聞かれても「情報がない。確認中だ」と繰り返した。業を煮やした記者が「最悪の事態を想定していないのではないか」と声を荒らげても、「最大限努力する」としか答えず、かみ合わないやりとりが続いた。
 これに先立ち記者会見した枝野幸男官房長官も同様に「しっかりと把握して対応したい」「住民の安全については万全を期す」と繰り返すのみ。「節電」「取材の安全性」などについて一方的に話しだし、肝心の爆発についてはほとんど答えずに会見を終えた。
 当事者の東電もまったく同じ対応。東京都千代田区の東電本店では、吉田薫広報部長らが記者会見を開き「ご心配をおかけして申し訳ありません」と謝罪したが、爆発の影響などを尋ねられても「しっかり評価しなければ分からない」と、踏み込んだ回答を避けた。


 この時に首相か、斑目氏に出てもらっていれば、的確に説明してくれたのに・・残念でなりません。どうして、追加会見を開かなかったのですか?(この時点で、一番状況を理解していたのは、疑いようもなく首相と、斑目氏です)

 しかし、当の斑目氏の発言
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104050218.html
姿見えぬ原子力安全委 事故時の助言役、果たせず
2011年4月5日12時16分
班目(まだらめ)春樹委員長が初めて会見したのは、地震発生から12日後の3月23日。「助言機関として黒衣に徹してきた」と釈明した。2号機の建屋外で高濃度の放射能汚染水が見つかった28日の会見では、「どんな形で処理できるか知識を持ち合わせていない。保安院で指導してほしい」と自らの役割を否定するような発言も飛び出した。


なぜ、この時点で一番現状を把握したであろう斑目氏が、プレスに発表しなかったのでしょう。もう、それだけで犯罪です。

http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/verification/news/20110404org00m040017000c.html
検証・大震災:原発事故2日間(1)東電動かず、首相「おれが話す」
 東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。
 「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」。機内の隣で班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員会委員長が伝えた。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者だ。
 第1原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる作業(ベント)を前夜から迫られていた。班目委員長は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と振り返る。だが、着手は遅れた。
 首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。
 1号機でようやくベントが始まったのは午前10時17分。しかし間に合わず、午後3時半すぎに原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ。「原発崩壊」の始まりだった。致命傷ともいえる対応の遅れは、なぜ起きたのか。


 あれ、いっていることが明らかに違います。

いままで、失礼なことをいってしまい、大変申し訳ございませんでした。
2ヶ月前にご自分がご経験したことを全く覚えておられなかったのですね。

 長谷川式という認知症診断スケールがあります。最初に簡単な単語(さくら、ネコ、電車)を3つ覚えてもらい、いくつかの質問の後に、再度聞きます。これは、案外難しい。なぜなら、自分に興味がないことだからです。
 しかし、自分の体で体験したこと。これは、記憶に強く残ります。机上でいくら勉強してもよくわからなかったことを、実際に手と頭を使い、さらに身体を使うと遙かに記憶として定着することは、皆様ご存じでしょう。私が医学部学生時代にお世話になった脳解剖の先生は、
「きみ、自分の経験したことを忘れるようになったら、本当の痴呆だよ。」
と。

 菅首相、斑目委員長。あなた方は、認知症にかかっておられるようです。早急に今の職を辞めて、専門病院におかかりください。医師の立場からの助言です。

 記者のかた、国会議員のかた(みられていないとは思いますが)、もし機会がありましたら、ご忠告いただけますようお願いいたします。(認知症のかたは受診を渋ることが多いようですので、苦労されるとは思いますが・・・)
タグ:R
posted by いんちょう at 13:04| 原子力