2011年05月27日

若狭湾の大津波(伝承)・・関電は知っていた・・

 他電力でも、ぼろぼろ出てきます。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201105270022.html
津波被害の文献知りながら「記録なし」と説明 関西電力
2011年5月27日
 関西電力の原発がある福井県若狭地方での過去の津波被害をめぐり、関電が被害を記述する文献の存在を把握しながら、「文献記録はない」と地元などに説明してきたことが26日、分かった。
 文献に記述があったのは1586年に発生した「天正大地震」。敦賀短大の外岡慎一郎(とのおか・しんいちろう)教授(日本中世史)によると、京都の神社に伝わる「兼見卿記(かねみきょうき)」と、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの「日本史」の二つの文献に、若狭地方が地震にともなう大津波に襲われ、多数の人が死亡したとする記述があった。
 一方、これまで関電は地元への広報誌などで、「文献などからも周辺で津波による大きな被害記録はありません」と説明してきた。


 では、関西電力のホームページより
http://www.kepco.co.jp/wakasa/tanpou/tanpou/19.html(消されるかもしれませんので、映像を張っておきます)
2011052702.jpg

 若狭湾にゴツゴツと細く突き出ている常神(つねかみ)半島―その中央を走る尾根の東側は美浜町、西側は若狭町です。若狭町側には、入り江ごとに集落がありますが、険しい断崖が連なる美浜町側には、人家がまったくありません。しかし、ただ一カ所、「くるみ浦」(久留見(くるみ)または久留美(くるび)とも)と呼ばれる場所には、かつて小さな村がありました。
・・中略・・
 くるみ村がいつ滅んだのかは不明ですが、若狭町気山(きやま)の宇波西(うわせ)神社に伝わる戦国時代(大永(たいえい)2年=1522)の文書(もんじょ)には、くるみ浦の名が氏子(うじこ)集落として出てきます。当時は、海運の中継地として栄えていたという説があります。また、江戸時代後期(天保(てんぽう)8年=1837)に、『早瀬浦の共有地である久留見』で、漁の合間に石灰(いしばい)になる石を掘り出したいと願い出た文書があることから、大津波の惨事は、戦国期から江戸後期の間の出来事とみられます。


 ニュースに出ているのはおそらく、この津波のことでしょう。

くるみ村の地図
2011052703.jpg

(参考)若狭湾の原発地図
2011052704.jpg

上記津波を知っているにもかかわらず・・・

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110325/biz11032509120022-n1.htm
関電3原発、津波想定「2メートル未満」 低さ際立つ
2011.3.25 09:07
 関電では福井県内の各原発で想定される津波の高さについて、土木学会が平成14年にまとめた手法を用いて算出。津波の最大波は、美浜1〜3号機が1.53〜1.57メートル▽高浜1〜4号機は0.74〜1.34メートル▽大飯1〜4号機は1.66〜1.86メートル−と想定する。
 一方、3原発に近い日本原子力発電の敦賀原発(敦賀市)は2.8メートル、日本原子力研究開発機構のもんじゅ(同)は5.2メートルを想定。同じ日本海側にある中国電力島根原発(松江市)でも、5.7メートルとしている。

 こちらにも書きましたように、津波対策は防波堤だけでは有害無益。海水ポンプの取水設備の海水面をどうにかしないかぎり(現実的には不可能)、なんの役にも立たなかった・・想定外だったという羽目に陥ります。

 「関西電力の社長はん。あんたのとこの原発あぷないでっせ。地震・津波が来たら、どんな対策しようが、みぐるみはがされまっせ。よう、かんがえておくんなはれや。」。
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posted by いんちょう at 16:55| 原子力