1999.9.30(木)におきた東海村核施設の臨界事故。当時、私はすでに東電を辞めており、医学部の学生となっていました。衝撃的な事故であり、今後原発の建設にも影響するだろうと思っていたのですが、現状は・・・・
スクラップブックを作り、自分なりに記事をまとめていましたので、これから紹介したいと思います。まるで、今聞いたかのような話が続きます。
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まず、第一報
1999.9.30(木) 熊日夕刊

一面は、オウム死刑判決だったようです。
・大して大きな扱いではない。
・被曝して倒れると言うことは、急性の放射線障害を起こすレベル(7Sv以上?)
・青い日が出ていると言うことはチェレンコフ光の存在を意味しており、高速中性子が出て水に当たって減速することによって生じる。今回は、ステンレス容器内での反応であり、眼房水に高速中性子が当たったことにより、青い火が見えたのではないか?
と私なりに分析しています。
翌日
1999.10.1 朝刊1面

・通常の1万〜2万倍に当たる 2-4mSv/hr を記録
・半径10キロ以内の住民31万3000人に屋内退避勧告
・JR 常磐線は、水戸〜日立間で運休
・住民160人が避難
2面

・崩れた原子力安全神話
・小出氏の 設計ミスとの評 (今回?もあり得ない事故と発言)現在有名になられています。
・自衛隊には対応能力なし 「この種事故に対応する能力を持ち合わせていない状況だ」
・原発計画にも遅れ必至(そうはなりませんでした)
どうでしょうか、12年前の話ですが、FUKUSHIMAの話を聞いているような感じを受けます。
この事故は、今回の原子力災害の問題点をさらけ出しています。12年前に起きたことから、どうして何も学ばなかったのか。
教訓的な記事が続きますので、今後もこのシリーズを続けていきます。