2011年07月02日

私のバックグラウンド−30万アクセス

ブログ開設  2009.4.24
10万アクセス 2011.5.22
20万アクセス 2011.6.14
30万アクセス 2011.7.2


少しずつ、読者が増えているようです。いつもありがとうございます。

 私のバックグラウンドを紹介します。

母は、戦前生まれの広島育ち(原爆投下時は疎開しており、直接の被ばくはありません。)私は長男で母の初めての出産でしたので、広島の病院で生まれました。
小学校の夏休み・春休みは、毎年広島に4週間近く遊びに(母の実家)行ってました。原爆ドームは中にまで入ったりしました(当時は、まわりに柵などなく勝手に中に入れた)し、毎年原爆投下の日には慰霊祭をテレビで見てました。
 中学校になってから原爆資料館に行ったこともあります。

東京電力では、最初福島第二原発に配属となり、
・研修    1988.5 〜 1989.1 運転員(大晦日、正月は3直で、中操で迎えました)
・第一保修課 1989.1 〜 1993.3 タービングループ
担当機器
・RCIC(原子炉隔離時冷却系)・・今回3号機が粘れた理由は、この系統が曲がりなりにも生きていたから
・水処理建屋・・木戸川から取水し、原子炉用の純水を作る系統(すこしだけ、今回につながります)
・IA, SA系統・・空気制御弁の制御用空気を作る機器。コンプレッサーです。
・復水器
・循環水配管(海水を復水器まで送るとてつもなくおおきな配管・・2メートルくらいか?)
・海水熱交換器建屋
・スクリーン設備
・配管、弁 の点検

 あと、新入社員中に2F-3の再循環ポンプで不具合が起きたので、少しの期間(半年)だけ手伝っていたこともあります。再起動までに2年近くかかったのではなかったでしょうか?一時、福島第二原発の全号機が停止し、発電部長が、「いまや、福島第二受電所だ」と自嘲気味にいってました(原発は稼働していなくとも、大量の電気を必要とします)

本店の原子力技術課安全グループ 1993.3 〜 1995.10
(総勢、私を入れて3人)では、

・原子炉水位計の不具合
・原子炉定期検査時の停止時安全性の評価
・Unresolved safety issue などの海外情報整理
・シュラウドの亀裂問題
・耐震バックチェック(阪神大震災級の地震でも、機器が安全であると証明する)

もう一人の担当者は、
・シビアアクシデント対策
・福島第一原子力発電所1号機のセーフティレビュー(古くても、耐震、津波、
その他何が起きても大丈夫ですよを証明する)
・MOX燃料の安全性評価

などをやってました。(もっとやっていたはずですが、あまり思い出せません)

熊大在学中は、日本全県制覇を目指して、あちこち青春18切符で旅行。東北にすんでいたこともあり、今では行ったことない県は徳島県だけ。

海外旅行も、エジプトで大変な目に遭ってからおもしろさに惹かれ、バックパックであちこち旅行しました。エジプト旅行記(未完)

熊大医学部を卒業してからは、熊大第二内科に入局、研修医時代には
・白血病
・リンパ腫
・免疫系疾患(膠原病)
・固形ガン(膵臓ガン、大腸ガン、肺がんetc)
・糖尿病
を担当。白血病の骨髄移植の導入前の化学療法を行ったこともあります。

ICUも1年勤務していましたので、
・全身やけど
・持続的血液透析(CHDF)
・人工心肺の管理(72時間心臓の止まっていた患者さんが生き返りました)

など、その後、NTT病院で一般内科・血液内科を担当し開業して、今に至っています。

何しろおおざっぱな性格ですので、細かい数字は苦手ですが、今回の福島原発に関連するであろう分野は、ほぼひととおりなぜかしら知っている経歴になっています。(話を聞いたら、分かる程度ではありますが)どの分野も実のところ、嫌々やっていたのですが、まあ今につながっていますので納得はしています。(東電は、イヤがこうじて辞めました)

 東京電力には育ててもらいました。働きやすい職場だったといまでも思っていますし、ときどき懐かしくなることもあります。(特に現場の人たちが好きでした)
 今では、金銭的なつながりなどは当然ながら、なにもありません。


 これからもブログを書き続けたいと思っていますので、応援のほどよろしくお願いいたします。

 20万アクセス記念?の「原子力は、産業のアヘン」は是非とも目を通していただけますと幸いです。

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posted by いんちょう at 22:16| 原子力