2011年07月23日

東電を辞めた理由(1)・・格納容器

 チェルノブイリ原子力発電所の事故が起きたとき、私はまだ大学生でした。この時の新聞の広告がいまだに頭に残っています。(3日間古新聞を探しましたが、見つけきれませんでした)かわりにWebから。
事故翌日の新聞
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原子力文化より
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それから、1年後。
87/05/29 朝日 「チェルノブイリ型の事故 日本では起こらぬ」
「ソ連原子力発電所事故調査特別委員会」は28日、原子力安全委員会に最終報告書を提出した。炉の型式の相違などからソ連のような大事故が日本で起こるとは考えられないとし、「早急に現行の安全規制、防災対策を変更する必要はない」と結論、安全設計面で緊急性のある「教訓」はないとの考えを示した。ソ連事故でクローズアップされた「想定外」のシビアアクシデント(過酷事故)に対する安全対策については、国際的な研究が進行中であることなどから「先送り」とした。


原子力とエネルギーの学習遊園地から
昭和61年に旧ソ連のチェルノブイル原子力発電所で起きた事故は、どのような状況だったのですか?
旧ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイル原子力発電所で昭和61年4月、原子炉と原子炉建屋が破壊し大量の放射性物質を放出する事故が発生しました。
   この事故は、外部からの電力の供給がストップし、タービンへの蒸気が供給停止したときに、慣性で回転しているタービン発電機のエネルギーが、発電所内で必要な電源としてどこまで利用できるかを実験しているときに発生しました。
 チェルノブイル原子力発電所は、黒鉛減速炉といい、この炉は特に低出力の状態では、いったん出力が上昇すると、どんどん上昇していくという悪い炉の特性があり、さらに運転員が6項目にわたる重大な運転規則違反を重ねたため、炉の出力が急上昇しました。炉の急激な出力上昇により、多量の蒸気が発生し、圧力管が破裂、燃料棒が破損しました。さらに減速材の黒鉛の火災により一酸化炭素が発生し、これらが爆発して原子炉と建屋を破壊、大量の放射性物質が大気中に放出されたものです。
 消防活動中の発電所職員など31人が死亡し、203人が急性放射線障害を起こし入院しました。(昭和61年8月、ソ連発表)また、発電所から半径30キロメートルの地域の住民約13万5千人が避難しました。
 事故直後からヨーロッパ各地で放射性物質が検出され、福井県でも、昭和61年5月4日から雨や空気中のホコリ、牛乳などから事故による放射性物質が検出され始めました。その主なものはヨウ素131でしたが人体への影響を心配するほどの量ではありませんでした。
 昭和62年5月、原子力安全委員会の同事故調査特別委員会は、わが国の原子力発電所については、反応度事故に対する適切な設計上の対策がなされていることや、安全最優先の考え方のもとに十分な運転管理を行っていることなどから、チェルノブイル事故と同様な事態は起こり得ないと考えられ、わが国の安全対策を直ちに改める事項は特別にないとの報告をまとめました。
 しかし、運転員の操作ミスが原因だったことを他山の石とし、原子力発電の安全確保対策の一層の充実に反映することになりました。

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資源エネルギー庁のホームページから
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電事連ホームページから
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日本の原発には、格納容器、鉄筋コンクリートの建屋があるので、チェルノブイリのような事故は起きない。

と書かれています。当時からこのことが、ずっと疑問としてあたまにありました。

いくら格納容器があっても、圧力が上昇したら、最終的には爆発するのではないか?どうして、爆発しないといえるのか??

 私が、本店原子力技術課安全グループに配属されたのは、1993年4月(平成5年)のこと。当時私のグループは、武藤課長(当時)をトップにアクシデントマネジメント対策をやっていました。

その報告書は、「軽水型原子力発電所におけるアクシデントマネジメントの整備結果について評価報告書 平成14年10月」で読むことができます。

 ここの4ページに

(3)格納容器ベント
 耐圧性を強化した格納容器ベント配管を設置することにより、格納容器過圧防止としての減圧操作の適用範囲を広げ、格納容器からの除熱機能を向上させる。


 今まで大丈夫といっていた内容をひっくり返すことになりますので、当時どのように発表するかで、随分ともめていました。関電と東電が議論を戦わせ、電事連がまとめる。そういった感じ。
で、「安全なものをより安全にするために」といった苦し紛れの説明でした。

 が、私はその議論に加わりながら、愕然としていました。チェルノブイリ原発事故の際は、格納容器があるから、外部に放射能が漏れ出すことはない。といっていたのに、やはり、シビアアクシデントが起きた場合は、防げない。
 格納容器が破損するくらいなら、その前にベントをして圧力を逃すしかない。そのまま、爆発するよりもはるかにましだ。
という理論なのですから・・・

 いっていることが180°違います。

「やっぱり、あの広告は、ウソだったんだ・・・・」


このことが頭にありましたので、事故当初に格納容器ベントをするという報道を聞いたときに
・あのとき検討していたことは無駄ではなかった
・何とか、最悪の事態は防げるのではないか。
と思っていました。・・

■関連ブログ
福島第一原子力発電所の事故分析(初投稿。爆発直後)2011.3.13
3月11日のSNS(当時の私的予測内容)2011.5.3

私のバックグラウンド−30万アクセス2011.7.2
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10万アクセスを超えました2011.5.22

40万アクセスありがとうございました。
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posted by いんちょう at 22:59| Comment(7) | 原子力
この記事へのコメント
旧ソ連の原発に格納容器がないのは、核兵器用のプルトニウムを生産するために、短時間で運転を止めて頻繁に燃料棒を取り出す必要があるためと言われています。
逆に言えば、日本の軽水炉に格納容器があるのは、安全の為というのはウソ(タテマエ)で、そういう行為をしにくくするためなのでは?
(軽水炉のプルトニウムは核兵器用には不向きとされますが、核爆弾製造が不可能なわけではない。)
Posted by 赫々云々 at 2011年07月25日 14:50
ロシアは、ご指摘の理由もあるかもしれませんが、停止せずに核燃料を交換できる、それはそれで優れた炉型です。

まあ、日本は原理からいって釜にする必要があります。
Posted by いんちょう at 2011年07月25日 19:42
 初めまして、こんにちは。このページを読んでいたらあまりに懐かしくて、つい投稿してしまいました。私も原子力に配属後(寮は夜の森独身寮でした)東電を退職しました。原子力は多分大丈夫だろうけれど、やはり何となく怪しいし、退職まで地方と本社の異動を繰り返すのは嫌だったのが退職の理由です。退職した時、もったいないとか後悔するとか、周りや東電の人事からは散々非難されたものです。
 私の場合、平成5年に東京電力に入社し、火力に希望を出しましたが、福島第1に配属になりました。東電学園研修(当時は豪華客船飛鳥で福島まで行く研修もありました)後、福島第1の第2発電部発電課で当直研修を経験しました。結局、正式な配属後に辞めるのは迷惑だろうと判断し、研修が終わる直前にやめたので半年もいなかったわけですが、同期や職場の雰囲気が大変良くて大好きな職場でした。原子力でなければ辞めなかったのですが、「自分だけ助かってしまった」という気持ちが重く残ってしまいます。
Posted by teru at 2011年11月20日 15:48
 私も夜ノ森独身寮でした。

http://onodekita.sblo.jp/article/44286341.html

平成5年入社と言うことは、私とちょうど入れ替わりになりますね。平成8年には飛鳥にも本店代表として乗りました。

 当時は辞めるのはかなり少なかったと思いますが、同期はその後どうなったかご存じですか?
Posted by いんちょう at 2011年11月20日 16:26
 コメントありがとうございます。夜ノ森寮の時は、2階の一番手前の部屋でした。串田さん?という人が主(ぬし)として長く住んでいました。確かガゼールという旧車に乗っていたような・・・。寮母さんは自衛隊を退職した新任の夫婦で、大変親切に面倒を見ていただきました。やる事といえば、近くのパルパ?というスーパーに買い物に行くか、図書室で漫画を読むか、同期でテニスをするか、洗車くらいでした。
 院長先生が記載されているように、当直の時に取水口から魚を捕まえて、刺身にして食べました。死後すぐだと硬くてあまり美味しくないものだな〜なんて平和な会話をしていましたね。
 言われるとおり、辞める人は殆どいなかったと思います。大学の先生に報告に行ったところ「推薦の枠で後輩に大変迷惑がかかるんだぞ」とお叱りを受けました。退職して次の会社に入りましたが、これでよかったのか常に自問自答でした。現在は地方公務員をやっておりますが、それでも東電は懐しかったですね。役所なら東電の雰囲気に似ているかと思っていたら、東電の方が人間関係は全然良かったと思います(偶然恵まれただけかもしれません)。
 その後、同期がどうなったかはわかりませんが、今回の事故作業で経験者が全て召集されたことが想像できます。良くしてくれた人達の顔を思い出すと涙が出てきます。
Posted by teru at 2011年11月21日 00:00
海外在住の主婦です。初めて投稿致します。院長先生の真摯で鋭い切り込みに毎日感心し、唸っています。

添付したのは、志賀原発訴訟に関する原告団ニュースです。被告は、御用学者のスーパースター大恥プルトド君(大橋弘忠氏)を原子力安全信頼会議の委員に任命した北陸電力です。

これをざっと読む限りでも、電力会社の体質がよくわかります。先生が先日の勉強会で仰られておられましたが、「電力会社の人間は質問には答えない。バカだと言われても答えない。時間切れを待つ。電力会社の人間もかわいそうだが...」というのも、この原告団ニュースを読めば、手に取るようにわかります。

同訴訟においては、裁判長が被告の北陸電力に対し、「そこまで言われて反論しないのか。」と問うた場面もあります。

電力会社側が時間切れを期待できない原告側の反対尋問の場合、被告側証人は、じっくり追求されますから、「答えられない」ということが露呈し、下手をすると「ボロを出す」こともわかります。

学生時代、理系男子は、私には好ましく思えました。彼らは、地味で不器用でシャイでしたが、遊ぼうと思えばいくらでも遊べる文系男子学生とは違い、浮ついたところはありませんでした。理論に強く、眼鏡をかけている人も多かったせいか、どことなく近付き難いイメージがありましたが、彼らがふと見せる笑みには優しさと茶目っ気がありました。各種実験や物作りに夢中になっている人というのは、それだけで愛すべき存在なのでしょう。 

彼らが各々の職場で、技術者として充実した人生を送っていること、そして若かりし日の優しい微笑みを失っていないことを祈っています。

企業に入社し、夢を持って仕事を始めたものの、技術者としての矜持を失うとしたら、いつのことなのでしょう。そして、なぜなのでしょう。彼らが魂を売るときに得る物とは、一体なんなのでしょう。

我々素人は、偉い専門家が難しい言葉と数字と図面を用いて説明してくれると、「ふーん」と納得してしまう嫌いがあります。でも、専門家の方々は、知識も理解力もあるのですから、企業が推進していることがどれほど恐ろしいことなのかがわかるはずでしょう。怖いという感覚を封印し、会社の代表として証言する場合、証言者には、いくばくかの心の葛藤があるのでしょうか。それとも、なんらの感情をも持ち合わせなくなった人が証言者として選ばれるのでしょうか。例えは悪いですが、政治家の妻が夫の女性スキャンダルについて記者会見するときに、全くの無表情で「夫を信頼しています。」と答えるような場面が浮かんでしまいます。(アメリカには、この手の記者会見が多いです。)

技術者としての誇りや良心を持ち続けている方々が一人でも多くいらっしゃること、そしてその方々が内部から声を上げて、情報が社会に出てくることを祈っています。

もちろん、感心を払わずに生活してきた一般市民が勉強し、自分で考え、質問する能力を持たなければならないのは当然のことです。

http://www.alt-movements.org/shikagenpatsu/sikagenpatsu_genkokudan_news.html
Posted by さらまんだ at 2012年05月01日 12:27
私は、日本人の技術者が一番不得意なものが、システムだと考えています。また、間違いをした責任者を責めないということも日本人が原子力をやらないほうがいい理由です。
福島の事故をテレビを見ていたら、NHKのアナウンサーが、「東京電力は、ベント配管についている爆破破壊弁でベントをしますが、もともと爆破するように考えていますので、安全です。」次に大爆発。NHKは、その場の事情を報道せず、大爆発が起こったとは言わす、政府も「現在調査中」。実際は、燃料棒の被服材だるジルコニウムが、炉水の温度上昇が過度になると水と反応して水素が発生していたため、大爆発が起こっていた。運転屋が知らなかった。システムの勉強はしたはずなのに。システムが不得意な典型例です。また、なぜ、政府とNHKの当時の隠ぺいを刑事裁判にまで持っていかないのでしょうか?
次に起こったのが通称デタラメ春樹こと原子力安全委員会議長の発言。ドイツから来た専門家達が地表の放射線を測り、すぐ除染すべきだと言ったときに、「日本は空間線量を測るんだ。」という頓珍漢な発言をしていました。IAEAが出している事故時の対応として、事故直後に土に降る放射性物質をまず除去しないと、雨などで地中に浸透する、ということは常識です。今頃汚染土が増えすぎたことがわかり、処理に困っています。地下水はどうなんだです。この人もいまだにデタラメ委員長をやり続けている。こうなると、こういう人たちを放逐できないマスコミも含め、能力欠如者が不適切な立場にとどまり続けることに対して甘すぎます。
NHKにいた村野四郎さんは、「原発では事故の経験を生かしてという言葉は使ってはいけない。」と言っていました。国会などでも、「教訓を生かして」という言葉が多く使われています。
日本国憲法では、国民は他国に亡命する権利を有していると書いていますが、そんなことまで考えるようになりました。
暗い話で申し訳ありません。今、アフリカの地で某プラントのコンサルタント業務をやっている技術者です。
お元気で、というところですが、元気でませんねぇ。
Posted by 長妻 宏 at 2012年05月20日 05:30
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