高層気象台における放射能ゾンデ観測48 年の記録
と
放射能ゾンデ観測値の経年変化とその変動要因
です。
まず、2006年の太陽直射光の影響をみた図

4.太陽直射光の影響に関する比較観測
過去に実施した放射能ゾンデ観測はほとんどが日中の観測で,日没近くに実施した事例は5 回のみである.放射能ゾンデが対象とするエネルギー帯において太陽光の有無による影響を調査するため,2006 年3 月14 日00 時51分の飛揚から16 日00 時43 分の飛揚にかけて約12 時間間隔で計5 回の放射能ゾンデの観測を行った.なお,3 月15日00 時47 分飛揚の放射能ゾンデは飛揚後すぐに発信停止したため,この観測データは得られなかった.
図6 に示した観測の結果からは昼夜の差を特徴づけるような観測値の違いは見られなかった.
日没していても、放射線量の変化は見られないようです。

つぎに2011.5.11に行った福島大学が行った放射能ゾンデから

月別平均とは、それほど差異が見られません。
次に、長期間の鉛直分布時系列

3.3 鉛直分布時系列図から見た経年変化
つくばにおける1979 年12 月から2005 年12 月までの高度1km 毎の規格化後の値を用いて作成した放射能ゾンデ観測の鉛直分布時系列図を図4 に示す.1979 年12 月から1982 年頃までは,対流圏から成層圏下部にかけて放射能が広範囲に分布しており,中国による大気圏内核実験の影響の大きさが伺える.この影響は1985 年頃まで残っている.
1986 年4 月26 日に起きたチェルノブイリ原発事故の日本への影響は,大野ほか(1993)が述べているように,事故発生直後の9 月(綾里)の観測には現れず,事故発生から1年近く経過した1987 年3 月と12 月(つくば)に明瞭に現れており,地上で放出された放射能が時間をかけて成層圏まで達したことを示している.
次に福島の上空(ガンマ線)

福島の上空(ベータ線)

ベータ線のホットスポットは、福島原発の影響でしょう。

地上由来の放射線は、かなり強いことが、こちらからも分かります
降下した放射性物質の月別推移

中国核実験の時と比べまして、2桁以上上です。福島原発で降り注いだ放射能は、今までの最大値よりも1桁上であることも確認できると思います。
正直、うまくまとめられませんが、議論の基礎として、上記データを紹介いたしました。
とある方からいただいた、
2011.7.31 の成田-> ロサンゼルス
の測定結果。


ご報告ありがとうございました。
このフライトによる被曝量をラフに計算しますと、
26.5マイクロシーベルト
となりました。
以前もだしました被曝量から

おおよそシカゴと考えます(随分違いますが)と、当時と比較すると約2倍の被曝量になっているでしょうか。
こちらのサイトで線量を計算しますと

となるようですから、今回の測定結果は特におかしくはなさそうです。
私の力ではまとめることができません。何か良い解釈などありましたら、コメントにご記入ください。
■関連ブログ
上空の雲に放射能滞留?−飛行機内測定結果2011.7.25
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お忙しい中毎日大変興味深い記事をありがとうございます。
私は横浜在住の医療従事者です。(薬剤師)
本業より、原子力を含む工学系に大変興味があるという困った専門家を続けておりましたところ、今回の原発事故が起きました。
身近に先生がいらっしゃったら、いろいろお話が伺えただろうなあ!と毎日思っています。
今は、仕事のかたわら母として幼児をかかえ毎日の水、食べ物、土、空気に不安な日々を送っています。
震災翌日からわが子は屋内退避状態にしたため、一番フォールアウトの多かった時期の影響を多少なりとも少なくできたのではないかと思っております。
さて、前置きが長くなりましたが、知人の子ども(3歳)が喉を「ガーっ」とならす(喉を気にしている)症状が続くため、近医(小児科)を受診しました。
もともとアレルギー体質ではありますが、今までにない喉を気にする様子が続いているため、診察を受け、最後に放射性物質の影響はないのか不安に思っていることを診察時に伝えたそうです。
すると・・・医師は「冷戦時代には今よりもっと多くの放射性物質が降ってきた。それでも影響はなかった。」というようなことを説明し、機嫌を損ねてしまったそうです。
はっきり放射性物質の影響だと言い切れる症状ではないでしょうし、ましてや「現時点では」それほど深刻な影響だと確定はできないでしょう。
しかし、現在、子を持つ親たちの不安を受け入れていただける医療機関が少ないことに、これから長く放射性物質にさらされ続けなければならない日本人としての希望が見いだせないのです。
私の同僚たちも、子を持つ母や妊娠中の身でありながら、あまり気にしていない仲間が非常に多いことも、私には信じられません。
先生がお近くであれば、知人をご紹介させていただき、症状を診ていただいて継続してカルテに症状を残していただくことを兼ねご相談に伺いたいところですが、遠方のため難しいのが非常に残念です。。。
先生にどうしてもお願いしたいことがあり、コメントさせていただきました。
どうか、医療従事者としての「東電福島第一原発事故と広範囲の放射性物質汚染における低線量被曝の影響」などの先生のご考察を、今後継続的にブログなどで発信し、広く世の皆さんに広めていただけないでしょうか。。。
私自身は、先生のブログやインターネットで毎日深夜まで情報収集しておりますが、発信する能力がなく大変もどかしく思っております。
長々と申し訳ありません。
これからも、ブログを楽しみにしております。(内容は知って楽しいとは言っていられないことばかりですが。。。)
もう発言をやめようと思うこともあるのですが、私とおなじ考えの医師が一人でも増えれば、助かる患者さんが何百人も増えるわけですから、細々と発信しています。
被曝に関しては、私もほとんど知りません。3月に原発災害が起きてからは、ほぼ毎日何らかの情報を発信しています。また、それが義務だと思っています。私の書いている内容が100%正しいわけではないと思いますので、内容を咀嚼しながら、読んでいただけたら、そして、ブログをお知り合いの方に紹介していただけたらと思います。
今後ともよろしくお願いします。
飛行機での被爆について非常に気にかかっていることがあります。
3月15日、午後16時ごろに東京発福岡行きの便に搭乗しました。
現在のフライトですら高度の高い場所はかなりの線量であることが先生の報告でわかり、15日の一番危険だった日に子供を飛行機に乗せて疎開したことをとても悔いています。
その時間帯の上空の放射性プルームの状況や放射線量が一体どれほどのものだったのか・・・。
先生の分かりうる範囲で検証いただけませんでしょうか。
無理なお願いをして申し訳ありません。
フライトでは、ほとんど外部被曝ですから、それほどは神経質になる必要はないと考えます。もし、誤解を生むような表現であれば、申し訳ありません。
3月15日に福岡に避難させた決断は、ほめられることはあっても、非難されることはないでしょう。
私は、どうしてこの時期に避難を決断することができたのか、そちらの方を教えていただきたく思います。
繰り返しですが、飛行機は短時間の外部被曝ですので、健康には影響ないといって良いと私は思っています。
国民を守る事よりも、パニックを起こさせない方が重要だと考える国に住んでいるのが悲しいです。
降下した放射性物質の月別推移ですが、月別と言いながら最初の方は5年刻み、縦の目盛りが対数になっているのです。
私はこれを普通の目盛りに直したグラフを見て驚きました。↓
http://mkt5126.up.seesaa.net/image/110508-03.jpg
ご参考までに…
15日に起きていたことを政府が国民に正しく伝えていなかったために、わが子は普通に学校に歩いていき、休み時間には外で遊んだそうです。私は飛行機が午後便であったため午前中だけは学校に行かせてしまったのです。
まさかフクイチからの放射能がそんなに早く関東を襲うとは思わずに・・・。
あの時こうしていれば、とかああしていれば、とか子供のことを考えると後悔ばかりの毎日です。でも、そうやって後ろ向きに考えることはもうやめようと思います。
危険性とは長い付き合いになりそうですから、どのように戦っていくかをちゃんと考えていこうと思います。
本当に有難うございました。