2011年08月22日

2011/3/13 高濃度汚染地区の迫真動画・・早過ぎたレポート


2011.3.18のレポートです。どれくらいの方がご存じだったでしょうか。


2011.3.21の宮崎日々新聞には、この記事が載りました。
2011032102.jpg

こちらのサイトでは全文も読めます。
現地ルポ・振り切れた測定器の針
ジャーナリスト豊田直巳氏
 東日本大震災が福島第1原発を襲ったのは、私が事故発生から25年目のチェルノブイリ原発取材を終えて帰国した直後だった。チェルノブイリでの取材体験から日本がのっぴきならない事態に陥る可能性を直感、「まさか日本で原発事故取材に出掛けるとは」と思いつつ、3月12日に福島県郡山市に入った。

 翌13日、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)の仲間や写真誌「DAYS JAPAN」編集長の広河隆一さんと合流した。

 福島第1原発のある双葉町は、13日時点で既に避難指示が出ていた「原発から20キロ圏内」にあったが、入域制限しているチェックポイントまでは行ってみようと国道288号線を東に向かった。すると、予想に反して双葉町まで行き着いてしまった。検問も避難指示の案内板もなかったのだ。

 国道をまたぐJRの鉄橋が崩れ落ち、地震のすさまじさを見せつけていたが、人影はない。

 毎時(以下同)20マイクロシーベルトまで測定可能な放射線測定器を取り出すと、アラーム音を発しながらみるみる数字は上がり限界値の19・99を表示した。放射能測定が初めての仲間が「この数字はどのくらいのレベルなんですか」と防護マスクでくぐもった声で聞いた。「おおよそだけど、普段の東京の数百倍かな」と答える。既にかなりの高濃度汚染地に入り込んでいた。

 車を町の中心部に向けて進めた。人けのない家が並ぶが、地震の被害はそれほど見られなかった。そこで、もう一台の100マイクロシーベルトまで表示する測定器を取り出すと、これも針が振り切れた。

 この事実を行政当局に知らせようと、双葉町役場に直行したが、役場玄関の扉は閉ざされたまま。緊急連絡先などの張り紙もなかった。静まりかえった町に、ときどき小鳥のさえずりが聞こえる。

 入院患者に被ばく者が出たと報じられた双葉厚生病院に向かったが、ここも無人。玄関には患者を運び出したとみられるストレッチャーが何台も放置され、脱出時の慌ただしさがうかがえた。地震で倒れた医療機器や診療器具が散乱。消毒薬の臭いが漂う。

 原発から約3キロの同病院前でも測定器の針は100マイクロシーベルトで振り切り、上限に張り付いたまま。そこで1000マイクロシーベルト(1ミリシーベルト)まで測定できるガイガーカウンターを取り出したが、これもガリガリガリと検知音を発し、瞬時に針が振り切れた。「信じられない。怖い」。私は思わず声に出していた。

 放射性物質の違いなどにより同列に論じられないにしても、これまで取材した劣化ウラン弾で破壊されたイラクの戦車からも、今も人が住めないチェルノブイリ原発周辺でも計測したことのない数値だった。

 放射能汚染地帯の取材経験が一行の中で最も多い広河さんも信じられない様子。「これから子どもをつくろうと思っている人は、車から降りない方がいいかもしれない」と真顔で言った。

 放射能は風向きや地形によっても異なる。もう少し調べようと海岸に向かったが、病院から数百メートル行った所で津波に運ばれたがれきと地震で陥没した道路に行く手を阻まれた。放射能汚染に気を取られ、しばし忘れていたが、紛れもなくここは巨大地震と大津波の被災地でもあった。その被災地を五感では感知できない放射能が襲っている。

 慌ただしく町中の取材を終え、汚染地帯を脱しようと急いで帰る途中、町方向に向かう軽トラックに出合う。車を止めて汚染状況を説明すると「避難所にいるんですが、牛を飼っているので餌やりに行かないと。だめですか」。私に許可を求めるような困った表情で年配の女性が聞いてきた。「長い時間はこの辺にいない方がいいですよ。気を付けてください」。そうお願いするしかなかった。

 町内の道路をまたぐアーチには「原子力 郷土の発展 豊かな未来」との標語が掲げられていた。しかし、現実には未来を奪いかねない放射能の脅威に町はさらされていた。

   ×   ×   

 とよだ・なおみ 56年生まれ。イラク戦争、劣化ウラン弾問題などを取材。著書に「戦争を止めたい―フォトジャーナリストの見る世界」など。(共同通信)

【 2011年03月22日 09時10分 】


 この記事を読んだときに、本当に驚きました。大本営発表が続き、マスコミに壮大な圧力がかかっている(今でもあまり変わらないですが)3月下旬の時期にこのような報道がなされたからです。この線量が、とんでもないと今ならば全員が分かることでしょう。1mSv/hr以上の環境放射線量など、みたことも聞いたこともないからです。 (高レベルといわれても、せいぜい10μSv/hrでしょう)ようやく、本来の報道が始まるのではないかと当時は、かなり期待していました。

 動画の中では、伊達市月舘で50μシーベルト/hrだったと報告されています。本当にこのあたりは、一刻の猶予も許されない避難区域だったのです。

これだけのことが分かっていたのに、伊達市の避難は遅れに遅れ、封鎖地域の設定も1ヶ月以上なされませんでした。大勢の方が内部被曝をしてしまい、もう取り返しがつきません。なぜ、このジャーナリストたちの決死の報告を握りつぶしてしまったのでしょう。
 また、記事をよむこちら側も、マイクロシーベルト、ミリシーベルトなど、全く分かっておらず、「ただちに危険はない」の話が頭にこびりついていた時期でした。いくら正しいことを伝えていても、受け取る側に危機感・放射能の知識がないわけですから、この豊田氏をはじめとするジャーナリストたちは、大いに歯がゆさを感じていたと思います。

 山下氏の100マイクロシーベルト/時 安全宣言は、このレポートが報道されてから3日後です。

この報道を見て、驚いて退避した人と、とどまった人、どちらが正しかったのでしょう。知識がないのは、本当に恐ろしいことだと思います。

 まだまだ危機は続いています。御用達学者の口当たりのいい言葉を盲目的に信用するのではなく、自分の頭で考え、行動するしかありません。

 最後になりますが、この動画は海外に紹介されているのでしょうか?原発直後の現地の状況をレポートした動画は、おそらくこれ以外にはないはずですし、世界中の人が震え上がるはずです。概略の英訳をつけていただき、発信していただけたらと本当に思います。また、それこそが、このジャーナリストたちの決死の報道に、遅くなったとはいえ生かすことになります。

 また、この動画も削除される可能性が高いと思います。是非とも、
http://keepvid.com/
から、各人のパソコンに保存してください。そして、海外のお友達に紹介してください。

■関連ブログ
遅れてしまった立ち入り禁止区域の設定2011.5.21
天は自ら助くる者を助く2011.6.12
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posted by いんちょう at 20:35| Comment(12) | 原子力
この記事へのコメント
動画ありがとうございました。
これらの取材がまとめられている本をたまたま購入していたので紹介させていただきます。
これが3月のうちにマスメデイアでも報道されていたら状況は変わっていたのでしょうね。

フォト ルポルタージュ
福島
原発震災のまち
豊田直巳
岩波ブックレット

その後の取材も載っています。まだお読みでない方は是非。


Posted by 仙台出身 at 2011年08月29日 06:38
はじめまして、よく拝見しております。この記事は当時私も読みました。ですが不思議と話題にはなりませんでした。今でこそ汚染はある程度認識されていますが当時は事実は握りつぶされていたので広まらなかったのでしょう。タイトルどおり早すぎたのかもしれません。
Posted by たけ at 2011年08月29日 22:56
こんにちは。
この動画をインターネットで見た覚えがあります。夫にも伝えましたが、あんまり興味をもってもらえませんでした。
このときは、どのくらいの数値が危ないのかとか全く分かっていなくて、いろいろネットで調べていたものの、テレビで大丈夫だと言っているから、ネットの情報はどうなんだろう?
なんて思っていたのを覚えています。
もっとちゃんと放射能について知っていたらと思います。
Posted by ekuku at 2011年09月01日 14:51
はじめまして。熊本出身のokudacchiと申します。この動画は、upされた時点で拝見しました。それまでの僕は、恥ずかしながら朝日・日経・NHKによる報道は基本的に正しいものと思っていました。しかし、この動画をきっかけに
NET情報に積極的に接する事となり、いわゆるマスメディアや政府による報道はちょっと違うのではないかと思うようになりました。フリーランスのジャーナリストの皆さんに感謝いたします。そして、国民のために頑張ってください!
Posted by okudacchi at 2011年09月03日 16:26
おはようございます。この動画、鮮明に記憶しています。
3・11以降、水の汲置や昆布の摂取などをツイートし、その後にこの動画が出ました。当時、この動画を見て{大変だ!}と発言したところ、知人から{あおるな。この前からの発言を見ていて、現地への思いやりはないのか?と感じていた}といわれ、1msv超が危険と判断する人と、100msvまで安全とする人とでは、論戦は水掛け論になると感じました。
今、あらためて、この記事を読んで、ますます切なくなりました。
Posted by yochan at 2011年11月17日 06:51
原発事故の状況を福島県民は知ることが出来なかった”唯一状況を知ることが出来たのはTVから流れる原発が爆発した画像だけで放射線の情報などは誰も知ることが出来なかった。もし3月18日のレポートや21日の宮崎日々新聞の記事を知ることが出来ていたなら福島市の娘夫婦に避難避難はしなくとも大丈夫などと引き留めはしなかった今。後悔も後悔の思いが消えていない!だだあの頃ガソリン不足や新聞もページ数も減り内容も地震関連記事に隠された様にも思います。あの時にこの情報が欲しかった!これからもこのレポート、記事の公開を希望いたします。
Posted by 飛びたいサンマ at 2012年02月20日 12:27
こんにちは、拝見いたしました。
貴重なソースを有り難ぅ存じました。
______________________________________________________


さて、石原慎太郎氏は
311発生の三日前「2011年3月08日」に

英国の新聞[インディペンデント]紙インタビューに応えて
▼【日本は、年内(2011年内)に核保有国になる】と
▼世界中へアピールしました。

かの
【津波は天罰だ】発言の石原慎太郎氏!が
【人工地震と水面下核実験】を行って
【日本を核保有国としたのか?】

あるぃは
【沿岸部におかれたプルサーマル原発】が【標的】
となって
【ザ.トラスト戦争屋の原発原爆トラスト】に【狙われ】
【的中】したのか?

または、両者が結託したものか?

_______________________


私のPCへ【2011年3月25日】に【侵入】で【コメント】が
入っております。

2001年から、よくまいりました【侵入伝達!】コメントですが...

______________2011.3.25コメの内容は


*人間小泉純一郎を、紫音さんはよくご存じだろぅが
*政治家小泉純一郎は、近未来の評価を待つしかない

______________________と。


この文面は、【石原発言】や【311314】の【後】だけに
小泉純一郎氏の【水面下核実験関与】と【日本の核保有】
について【自信】のよぅなものが感じられてなりません。


さよぅならば【福島の人工地震】と【水面下核実験】は
日本サイドによるものと判断できますが...


何れにしましても、これが【現代の戦争】です。
国内の原発を、即、停止せねばなりません!
_________________________________________________!
Posted by 紫音(shion) at 2012年07月03日 13:31
1歳9ヶ月の子供を持つ母親です。都内に在住していますが、この先々どうしようかと悩んでいます。ブログの記事を読まさせて頂き都内に継続的に住むのは考え直した方がいいのかな?と感じています。
Posted by 藤田あやこ at 2013年01月21日 21:12
 こんばんは。先生、そして藤田あやこ様

 わたしは滋賀県に住んでいます。いまのところ今回の事故によって避難を余儀なくされていません。東京は違います。日々、深刻な被曝にさらされている場所です。小野先生が以前、上京された際に100円均一のお店で買われた装束を着用され、熊本に戻られる際に捨ててこられたことを思い出しましたが、大げさではなく被ばくを最小限に抑える理にかなった行動でした。東京都の汚染は深刻なレベルです。

 仕事や生活の拠点を捨ててあらたな地に家族で移住することは簡単なことでないのは容易に想像できます。国は助けてくれず、すべて自分の責任、思いもよらぬ苦労を背負うことはわかっています。
 けれど、放射性物質は誰彼かまわず、からだの外から、中から、その接する距離に応じて危害を与えるものです。細胞分裂の活発なちいさなかわいい子供たちほど、その影響を受けてしまいます。
 そのことに気づかれたのであれば、ぜひとも、どうか、すこしでも被ばくの避けられる場所へ避難してください。あなたを援助できる力もなくてこんなことをお願いするのはほんとうに心苦しいのですが、どうか、早い時期にご決断いただきたいと思います。
 いま、わたしの住む地域は(ほんとうは日本中、どこも安全ではないのでしょうが)まだ避難の必要はないと言われていますが、いつまでそうなのかはわかりません。わたしもあなた同様、その時がきたら、多くのものを失う覚悟で避難をします。そのために、いろいろと調べています。
 どうか、おこさまも あなたも たいせつに生きていかれますように。
Posted by マツダマツコ at 2013年01月22日 23:20
動画ありがとうございます。
 ここにもジャーナリストの誇りを持って活躍している人がいることに心の安心を得ました。もっと、もっと大きな声で原発反対と、福島県で被曝された多くの子供達を助けなければいけないと強く思います。
 政府、国会議員は本当になさけない。除洗ですませようとする行動がいまだに理解できない。バカかと言いたい。
Posted by naoko at 2013年02月10日 09:55
NHKの5分番組 あの日わたしは
の中に、ガイガーカウンターの数値を毎分、メモして記録した佐久間 寛 さん(81)が出てきます。
http://www9.nhk.or.jp/311shogen/map/
この地図の中の三春町をクリック
3/15 午後2時19分1150cpm
Posted by 首都圏のママ at 2013年03月09日 07:24
この動画を見たのは、去年の11月ころでした。
緊張が走る現場。まさに命がけのレポートです。この様子を見て、はじめて放射能の怖さを知りました。
早い時期にこの動画を見られた方の上記のコメント。
煽るな、と言われていて、何とも言えません。
でもその気持ちも、わかります。

どの数値がどのくらい危険なのか、ある程度知識があるならいざ知らず、目の前に迫る敵が全く姿を見せないのですから、判断がつきません。

やはり、政府が緊急事態を宣言しなければならなかったのです。
やはり、自分の命にかえても行動する人間が必要なのです。
Posted by 北九州市の松ちゃん at 2014年02月27日 21:14
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