2011年08月25日

今の日常生活を後世に伝えましょう

 福島原発から大量の放射能漏れが起きて、5ヶ月以上経ちました。

放射能は目に見えず、においもしません。
みえないばくだん2011.7.8

放射能のことを記述しますと、
「正しく理解してください。」
「我々ががんばっているのに、一体おまえはなにをやっているのだ。」
とほぼ袋だたきにあいます。
とくに奇形、病気のことを取り上げますと、わたしのように全くの個人でやっているブログにもコメントがつき、twitterまで訂正させられます。

海外の方の報告も、全く無視しています。
福島はまるで別世界・・グリーンピース2011.8.9
「状況は本当に本当に深刻だ」-チェルノブイリ経験の生物学者2011.7.26

一見何事もないような日常ですが、3.11からは大きく変わってしまいました。今の平穏な時代が一体いつまで続けられるのか。誰にも分かりません。

3.11までに我々が経験していた何事も思わなかったこと。
・外でどろんこ混じりになって遊ぶ
・国産の食べ物を安心して食べる
・同僚、上司の悪口をみんなで酒を飲みながら話す

そして、今は見慣れていてどうも思わない生活
・自分の自宅の玄関
・自分の部屋、無邪気に遊んでいる子どもたち
・通勤路
・職場内の同僚
・仕事をしているときの様子

職場の写真など、当たり前すぎておそらくほとんどの方が取っていないはずです。写真一枚でもあれば、「あのときは、ああだった」と強烈な印象を持って、あとからでも懐かしく振り返ることができます。

 旅行に行って写真を撮るのは、みんなしているでしょう。これからは、何気ない日常を取っておくことの方が重要になると私は思っています

 読者の方お一人でも、いつもの日常を記録していただくきっかけとなりましたら、幸いです。


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posted by いんちょう at 11:43| Comment(7) | 原子力
この記事へのコメント
はじめまして。
今日は、仕事が休みで、原発から辿って偶然この記事に到着してお邪魔させて頂きました。

私も3・11後「明日は無い。明日どころか・今日この後さえ分からない。」と思っています。
先生のおっしゃる通りとうなずいていました。

写真ですが、自分は3・11に関わらず、過去からずーっとカメラを持ち歩き絶えず自分が「んん・・」と目が向いたものにシャッターを切り続けています。
それを定期的にブログにアップしたりしています。

TBSラジオの荒川強啓さんの番組で、宮台真司さんと近藤勝重さんが話した「幸福論」がYOUTUBEにアップされています。
http://www.youtube.com/watch?v=reoX4WMwd6k

ここでも先生が書かれたことや自分が思っていることが見事に語られています。近藤勝重さんの語り口が見事です。

三島由紀夫さんは、戦前の時点で明日は死ぬかもしれないと思っていた時代の方が幸福感があった、と盛んに色んな場面で語り、自らは「自分は戦後と決して寝なかった」と戦後の世界を否定しました。
三島さんが亡くなって40年を過ぎ、3・11後に自分が若い頃から読んできた三島さんの言葉が脳裏に浮かんでいました。

3・11後、もうすぐで半年近くなる中、東京は何事も無い世界に戻ってしまいました、一見して。
しかし、見えない世界では「ガン」が進行している。絶えず放射能は見えない所で降り続く。

改めて、3・11直後に目覚めたみんなの心に目覚めた死生観の感覚に戻れないものか・・・そう思っていた日でした。
先生のお話しの意図が多くの人に伝われば良いと、私も思います。
Posted by かたちんば at 2011年08月25日 17:43
こんにちは、いつも拝読しております。

この記事を読んで、ああ・・・と思わず声が出ました。
被災地ではないところでは、今も普通に日常が流れている。(かのように見える)この幸せな日常を、記録しておきなさい(今後、この幸せは過去のものになるだろうから)と、私には取れたからです。

8月6日が近づくと、原爆の特集を放送しますが、そこでときどき原爆投下前の町の様子の写真が出たりします。
いつもの日常が写っている写真、家族の記念写真、そういうものが画面に出ると、「この人はどうなっただろうか」と苦しくなります。

私たちが今、記録をとっておくと、未来の人にはそういう意味を持つ写真となってしまうのでしょうか。


大学生をかしらに3人の子供がおりますが、大変な思いをして育ててきました。1人が登校拒否になったその最中に介護もしました。やっとなんとか落ち着いてきた、ああ、あとは無事に社会に送り出すだけ、あともう少しと思っていました。
貧乏ですが、家族全員で畑の草取りをしたり、ジャガイモを掘ったり、私はそれで十分幸せでした。

何が、足りなかったのか。
どういう努力が私たちに足りなかったのでしょうか。


福島から230km、幸い高い山脈が壁となって東京ほどの影響はありませんが、関西の大学に行った息子のすぐそばで瓦礫の受入表明がありました。いざとなったら鳥取のおじのところへ行こうかとまじめに考えていたら鳥取でも受入表明がありました。


私たち大人は、子供たちにどう責任を取ればよいのでしょうか。


申し訳ありません、あまりにも悲しくて感情をそのままぶつけてしまいました。
どうか今後も医師として、また原発の内部事情をご存知の方として、危険信号をお知らせいただきたく、お願いいたします。
Posted by はじめまして at 2011年08月27日 12:41
 なにがたりなかったのか。

自分の頭で考えて判断することを社会全員で放棄してしまったことではないでしょうか。

「上が決めたことだから仕方がない。」

の一言で済まさないこと。自分で考え、正しくないことには協力しないこと。

 日本が特攻隊を作り出したときに、みんな反対したでしょうか?志願しなければ非国民扱いし、片道のみの燃料で特攻に行かせ、死なずに帰ってきたら家族も含めた全員で卑怯者とののしっていたのではないのでしょうか。

 わたしには今の情景とかぶって見えていけません。
Posted by いんちょう at 2011年08月27日 13:25
昼間投稿したものです。名無しで投稿してしまいました、大変失礼いたしました。

いんちょう先生のおっしゃること、ほんとうですね。ほんとうです。

肝に銘じて、これからを過ごしていきます。


泣き言のようなコメントにお返事いただきましてありがとうございました。

これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
Posted by ふたば at 2011年08月27日 21:50
「当たり前と思っている日常を記録する」
思い起こしてみれば3.11以前にも個人的にですが、突然その当たり前がそうではなくなる経験をいくつかしてきました。それでも「普通の生活」「平凡な一日」がありがたいということを時々忘れてしまいます。
せめて子供だけは、健康に安全に暮らしてほしい。そのためにはどうすればいいか真剣に考えています。
「残された大人たち」はその記録を心のよすがとして生き抜く・・それが日常となる日がくるのかもしれないという気がします。
Posted by rara at 2011年09月01日 09:57
選挙の結果はさんざんだったが、ほんのちょっとだけ慰めになった。追い込まれた状況になってくれば、のんびりした日本人であっても、危険に気づく人は増えてくる。なにしろ、あたりまえの生活が貴重なものに見え始めたのだから。

驚いちゃったのは、我が国のエリート様たちのお子ちゃまぶりだった。ただ幼稚ならまだしも、どーも恵まれて育った方々というのは、よく芸能ニュースで取り上げられるように、クスリでラリッってオツムがメデタクなるらしい。(愚か者の私が言うのだから、ことは深刻だと思う。「目くそ、鼻くそを笑う」である。)

選挙選を見ていたら、母に本を読んでもらっていた幼いころを思い出した。
「鏡よ、鏡、世界で一番美しいのはだーれ?」と問いかける白雪姫の魔女を思い出しちゃったのである。
「お妃様、それはあなたです」と百万人のゾンビに言われて微笑む美魔女様。

その他にも、魔法の鏡に聞くことは沢山ある。
「世界で一番美しい国はどーこ?」
「強い政治家はだーれ?」
「正義の味方はだーれ?」
セリフを書き出していくと、ラリラリしんちゃんや焦げパンマンやバンソコスネオとか、日本アニメ劇場にはキャラが豊富なことがよくわかる。

そして、幻想を求めるナルシストたちを見つめるマスゴミたち。増すゴミもオツムがメデタイのか、はたまたゴマスリなのか、私にはわからない。とにかく、みんなでなかよく浮かれましょ!

今回の選挙で、セージカもガクシャもエンジニアも増すゴミもショミンも、そのメデタイ総意と決意を表明した。
「だって、見えないじゃん? だから、見ないんだよ。」
現実は見ない。でも、幻覚が見える。これは末期症状。
そして、ヤクの使用量は増えて行く。

良い子のみなさんは、真実を映し出す鏡を持って、生き残りを図りましょうね。そして、普通の生活がかけがえのないものであることを子どもや孫に伝えましょう。

でも、あまりにもしゃかりきになってはなりませぬ。世を笑う余裕も必要でございます。
そういう訳で、以下、風刺(?)動画。

処世術(30秒)
http://www.youtube.com/watch?v=JZhXLRbX1EQ
Posted by デス妻 at 2013年07月25日 12:42
特攻隊のコメントで思い出したのですが、大学時代の人権論?の授業で「九人の乙女の像」の話がありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/九人の乙女の像

 自殺しなかったメンバーが現在も、肩身を狭い思いをしながらひっそりと生きていると聞きました。

 結局、戦後も同じような精神論がはびこっているのでしょう。

 日常を意識して記録するということは、もはやそれはただの日常ではなく「意識化された日常」になっているのだと思いました。ポストフクシマ以降、私たちは何気ない日常生活を送りつつも「意識化された日常」を送っているのだと感じます。
 当たり前のことが当たり前でなくなっていて、些細なことに感謝して生活するようになったと思います。
Posted by イチジク at 2014年11月04日 23:01
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