2011年09月04日

福島の思い出(15)・・赴任前の新人研修

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 4月1日に辞令をもらってから、我々昭和63年入社世代は、1ヶ月間の新入社員研修を合同で行いました。

 場所は、東京の多摩地区にある東電学園。以前は全員が1ヶ月間寮に泊まり、夜遅くまで語り明かしたらしいのですが、我々の時代からはいわゆる学卒社員(大学卒以上)が増えてしまい、半分しか寮に泊まれなくなってしまいました。

 私は煩わしい人間関係は苦手でしたので、大学時代に住んでいたアパートから1ヶ月間通勤しました。その当時住んでいたのは、文京区小石川の近く。都営三田線の春日駅から、神保町乗り換えで新宿、直通で京王線−聖蹟桜ヶ丘まで通勤していたと思います。ちょうど人の流れと逆でしたので、座って通勤できました。東京のサラリーマンがこれだったら、苦労しませんね。

 やっていたことは、全員が入るホールでの座学。(200人以上いたと思いますが、正確な人数は覚えていません)
・同和問題
・東電のCI
 ちょうどこの頃、東電マークに切り替わりました。
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そして、この看板のデザイン
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上に東電のマーク。そして下に銀色の背景にクロのゴシックで「東京電力」そして、一番下に支社名?なにからなにまで決まっています。比率などうるさかった記憶があります。帯の幅などももちろん統一。
そういえば、胸につける社章も純銀製でしたね。

建物などの名前
2011090405.jpg

これは本店
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おそらく、大きさからなにからなにまで統一してあります。この材質は何でしょう。ぱっと見るだけで、随分とカネをかけているのがよく分かりますね。一体何のため?

昔は、これが全くのばらばらだったのに、この時に統一したと。例えば、黄色の看板があったり、青の看板があったり。マークはおなじでも、看板のデザインは全く違う・・そういったことが当たり前だったと聞きました。同じ社内でもまあ、意思統一は全くなかったんでしょう。おそらく、仕事のやり方まで全く違ったと想像します(想像です)
 それにしても、この統一のための費用。一体いくらかかったんでしょう。

・東電が発注し、その事業に甘い飴に集まるありのようにたくさんの会社が群がった。東電は、協力会社に恩を売り、協力企業は儲ける。だれが文句を言うでしょうか。そして、そのツケを消費者が払う。・・総括原価方式・・・。当時は、円高でカネも余っていたんですね。そのもうけを消費者に還元しても仕方ない。全部、自社で使ってしまえ ですね。たぶん。
 そうそう、書いていて思い出しましたが、この頃まで東京電力は、電力消費者の方を需要家と読んでました。それがあまりに失礼だということで、「お客様」に変更したのです。

 その他の講義の時は、5−6人の小グループになりました。発電所、営業所、支店、工務店に配属された人たちが1人ずつ集められました。女性は、津田塾の数学科卒だった方一人のみ・・うーむ、名前が思い出せない。あとは男性ばかりでした。スモールグループで討論を受けたり、スチュワーデス上がりの講座の人からマナーを教わっていました。
 この講師は
「ここから、あなたたちを見ていると、えらく威張っている。腕を組んだりして、講義を受けるのは失礼だ。」
といわれました。

 まあ、会社にとっては「東京電力とはなにか」を社員に植え付け、会社に一生忠誠心を誓ってもらうのが目的だったのでしょうか。昼食についても、昼食券を渡され、東電学園内の食堂で食事を取っていました。

 朝来てから、夕方帰るまで東電学園からは一歩も外に出ません。その講義を4週間も続けるのですから、だんだんストレスもたまります。前年までの学卒社員は東電学園の寮に全員で宿泊していたのですから、もう会社に飼われているようなものです。朝から晩まで同じ人の顔を見て、夜寝るまで。私には耐えられませんが、みんな順応していたようです。このようにして日本企業のいわゆる鉄の団結が生まれるのでしょう。

 さて、ある日、どこかで聞いたような心地の良いメロディーが流れてきました。一体何だろうと思っていましたら、これが東京電力の社歌ですと紹介されました。作詞はだれか忘れましたが、作曲は松任谷由実・・ユーミン です。今にしてみれば、その狙いは明らかですね。

 しかし、TVで聞いたことはない。私が聞いたのか、それとも講師の人が話したのか・・・・

 だれにも親しみやすいメロディーなのに、どうして対外的に流していないのか。それは、契約の時の条件によると言われました。
社内だけで使用する場合と社外に出しても良い場合では、契約の金額が異なる。わたしもこのような契約は初めてで随分と戸惑った

といった主旨だったと思います。1988年当時に、どうやら文化人に対する本格的な取り組みを始めたのでしょうか。非常によく知られた文化人たちが全く反原発を掲げないのは、こういった地道な努力があったからかもしれません。

 残念ながら、楽譜もなにも残っていません。そして、インターネットにも影も形もありません。が、この社歌を聴いたのは事実ですし、あまりにも有名な方だったのでしっかりと記憶に残っています。今現在、この社歌はどのような扱いになっているのでしょうか。

 余談になりますが、福島第二原発の研修社員時代に、この社歌を利用したらどうかとコーディネーター補佐の高橋さんまでアンケートを出したことがあります。
 すぐに、中操にいる私のところまで、高橋から連絡があって、びっくりしました。どうやら、こういった意見を書く人は今までいなかったので、うれしかったと。

 1回か2回くらい、放送で社歌を聴いたでしょうか。おそらく、多大なカネを支払っているはずなのに全く活用していない。非常に不思議な思いがしました。

■東電の思い出
  1. 福島の思い出(1)・独身寮
  2. 福島の思い出(2)・福島第一での初期研修
  3. 福島の思い出(3)・3交代勤務
  4. 福島の思い出(4)・・3交代(日勤)&
  5. 福島の思い出(5)・福島第二の機器配置ほか
  6. 福島の思い出(6)・3交代勤務表、東電学園
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posted by いんちょう at 21:11| Comment(2) | 日記
この記事へのコメント
「1988年」は、東芝EMIがRCサクセションの「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」の両面シングルを発売中止にします。歌詞の内容が反原発で、原発推進産業であった、親会社の東芝に配慮して中止になったものと考えます。しかし、この曲は別のレコード会社から発売されヒットとなります。

「松任谷由実」は、東芝EMI。時期と反原発、東芝、東電...そして松任谷由実、当時のEMIの邦楽プロデューサー。事情がわかっている人はわずかながら、点が線に結びつきそうな...。何らかの配慮があったというのは考えすぎでしょうか。

Posted by 欠角 at 2012年12月09日 00:30
 当時のEMIの邦楽プロデューサーは忌野清志郎に対して、反原発色の強い曲を削るように説得します。しかし不調に終わると「素晴らしすぎて発売できません」という新聞広告を出してしまいます。RCはレコード会社を移籍。移籍先で、アルバムを出しオリコン1位に。

 このプロデューサーは、後にこのアルバムが発売された会社の社長となります。そして、そのアルバムを発売中止にしてしまいます(wikipediaより)。
Posted by 欠角 at 2012年12月09日 01:35
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