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どんな医者がいい医者なのでしょう。
どなたかに推薦していただいた本〈よく覚えてません)私が学生時代から読んでいる本
原題 The Lost Art of Healing
(悲しいことに絶版になっているようです。)
があります。最近はあんまり読んでいなかったのですが、本日は久しぶりに広げてみました。この先生(バーナード・ラウン)は、心雑音のレバイン分類で有名なレバイン先生を師とされています。全編、患者に対する慈愛に満ちた観察が述べられています。
12世紀の偉大な哲学者であり医師でもあるマイモニデスも,癒しの芸術を信奉し、「患者は苦しむ人間だと言うことを決して忘れまい。患者が病気の入れ物とは思うまい」と祈った。
私は医師になることができて、大変名誉に思う。とにかく医師は、最高の演劇を最前列に座ってみているようなものだ。芸術は人生を模写するのかもしれないが、人生そのものではない。医師は時代の壮大なパノラマを目の当たりにする観客である。それぞれのできごとが、社会的・文化的な歴史を形作っていく。私はしばしば患者に診察費を請求するのに気が引ける。患者ほど親しく心の内を教えてくれるものはない。命の危機を救い、長く生きられるように他の人を助ける喜びほど、すばらしいものはない。患者こそ私の最大の教師である。私を医師に育ててくれたのは患者である。本書は彼らへの私のささやかな返礼である。
2500年前、ヒポクラテスは「人への愛があるところに、技への愛もある。自分の病状は危険だと自覚している患者でも、医師に全幅の信頼を置くことで健康を回復するものもいる。」と助言した。16世紀には、当時ドイツの偉大な医師パラケルススが、医師の基本的な資質として「患者とその身体、病気を理解するのに必要な直感力があること。医師は、患者に触れて感じることで、患者の心と共感できなければならない」と述べている。
患者を癒す言葉
注意深く選んだ言葉ほど、治療に効果を発揮するものはない。患者は温かい思いやりを求めている。医師は言葉をかけることによって、随分患者の気持ちを和らげることができる。言葉は治療に役立つが、医師の手持ちの道具の中でも過小評価されているものの一つだ。しかし医療に携わっていると、言葉に癒す力があることを常に認識させられる。
最も暗い状況でも、私は一筋の光明を見つけたいと思う。本当か嘘かと言うことではなく、病状が絶望的なときでも患者が何とかがんばっていけるよう、また、回復の見込みが全くないときでも回復への道をたどれるよう、患者の力になりたいと思うのが、医療が本質的に目指すものである。
レバイン先生は診察を終えてベッドを立ち去るとき、かならず患者の方に優しく手を置いて、しずかに「だいじょうぶですよ」といって安心させた。
人を癒そうとする医師は、患者の主訴や病気の器官だけにとらわれてはならない。患者の生活における悩みも理解しようとしなければならない。そうすれば、医師が目先の病気だけでなく、人としての患者自身を尊重していることが患者に伝わる。患者は、よりすすんで個人的な問題や悩みを打ち明けてくれるようになり、医師はどうすれば患者を癒すことができるか、よりよく把握できるようになる。第3章でも述べたように「問診では、病気についてだけでなく、患者の心の悩みを理解しようとしなければならない。」
私も過ちを犯す。それも、残念ながら何度もだ。そのようなときは、過ちを包み隠さず、同僚や特に若い学生たちに正直に伝える。詩人エフトゥシェンコの言葉が、私の胸に迫る。
そして、隠された全ての過ち、全ての罪は
かんしゃくのように彼ら自身をたたきのめす
「言葉にされなかったものは忘れられ
忘れられたものは再び繰り返される」
といわんばかりに
あやまちを認めることは大きな教訓となる。失敗を認めれば、同じ失敗を繰り返す歯止めになる。謙虚に失敗を認めることは、医師の使命を神のみわざと勘違いすることを防ぐ。医師は全能の神ではない。ただ、直感、経験、知識が少しあるだけだ。病人を少しでも楽にしたいと、たゆまず努力して初めて、医師は能力を最大限に発揮できる。
私は医師の冗談を思い出す。患者が医師に、どうすれば長生きできるかたずねた。医師は、してはいけないことを長々と列挙した。患者の楽しみはほとんど残されていなかった。がっかりした患者は、「もし、それを全部守って、生きがいをあきらめたら、長生きできるのですか。」とたずねた。間髪を入れず、医師は答えた。「いいえ、しかし、人生が長く感じられます」
医師は楽天主義の化身でなければならない。暗闇の中でも一筋の光明を探すのが医師のつとめだと私は信じる。見通しが暗いときでも、患者を安心させることで、たとえ完全に回復しなくとも、病状をより楽にすることができる。「医師が患者を制限してはならない。患者自身に制限させよ」と言う気が、私の長年のモットーだ。
ここでも私は、医療の極意についてシベリアの医師が「医師が患者を診るたびに、患者の気分が良くなることです」と言ったことを思い出す。末期の入院患者を回診して、なにも打つ手がないとき、私はあの大柄なシベリア人の姿を思い出す。私は患者の枕を裏返しにする。今までしわになって、汗がにじんだ枕に頭を乗せていた患者は、すべすべとしてひんやりとした枕に頭を当てることができる。私が病室を出て行くと、看護婦が患者に時々たずねられる。「あの親切なお医者さんは、だれですか」。ほんのちょっとしたことで、人は気持ちよくなれる。ときには、些細なことが、患者にとっては大変な違いに感じられるのだ。そして生きるつらさが軽減する。
改めて読んで、自分がほとんどできていないことに愕然とさせられます。
いい話ではありませんか。この百分の一でも実践できたらと思いながら、日々診察をしています。
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http://www.youtube.com/user/Anjiin#p/u/19/XTFByIEWy5U
敦賀原発の定期検査の記録と思いますが、偶然みつけました。
圧力容器の中に入っての作業(水が噴出するような装置の取り外し)や、そのほか色々、作業員の声も入っています。
見る人が見たらオッ!と言うかもしれません。圧力容器の中って人が入れば結構狭いものなのですね。
こんな映像ピーアール館に行っても見れませんよね。ご存知でしたか。
2007年から2010年にかけて全部で20件投稿されています。
すべて保存しましたので そちらの判断で紹介するなりしてください。
ツイッターでこちらのブログを今日知ったばかりです。主人にも帰宅したら教えたいと思っています。とても興味深い記事が沢山あり、これからも読ませて頂きます。
素晴らしい本をご紹介頂き感動しました。
是非読んでみたい本ですが絶版なのですね、残念です。古書で見つけてみます。
私は医者でないただの普通の人間ですが、
同じような思いやりを持ち、病気で苦しんでいる人を少しでも楽にさせる事が出来たらと思います。肉親にはなかなか優しく出来ない自分ですが、病院で寝たきりの母の枕をそっと裏返してみたいと思います。
不整脈に対する一般的な治療法になるでしょう。ホルター心電図を取ってもらい、ひつようならば(心停止がある)ペースメーカーの埋め込みと行った治療でしょうか。
症状のみをお話しされて、検査、治療を受けることをおすすめします。旦那さんの理解も必要かと思います。
この著者の内科医の方のブログです。
事故当初からのブログを全部読めば、
内部被ばくを減らせる勉強になります。
http://ameblo.jp/lisalisanet/archive-201202.html
放射能を体から取る、放射能を体から出す
とかで、グーグル検索すると、
色々なブログが出てきますよ。
グーグルで一番に出てきたブログは、これです。ご参考に。
http://ameblo.jp/kabuooson/entrylist.html