2011年09月11日

福島の思い出(16)・・研修ばかりの新入社員時代

 東電学卒社員(大学卒)は、もともとは全員が幹部候補生でした。本店とサイト(発電所)を交互に転勤し、徐々に昇進していくパターンだったのです。原子力発電所に配属される人数は、せいぜい20名くらいだったはずですが、私の時にはもう40名くらいになっていました。(2Fは、ちょうど10人)その後も徐々に学卒社員は増加し、わたしが本店に配属となった5年後には、もう全員を東京に集めることは物理的にできなくなってしまいました。サイト内の移動あるいは、発電所から発電所への移動もあるようです。これでは、なかなか学卒社員も入社したくないと思うでしょうが、まあ、親方日の丸であれば、就職する人もいるのでしょうか。

 さて、研修の日程家計簿しかありませんが・・・

1988.4.1-4.2x 新入社員研修(東電学園)
1988.5.9-5.13 福島第一での初期研修
1988.6.20-6.24 田町 原子力新入社員研修
1988.8.12-8.20 夏期休暇
1988.10.17-10.25 原子力、機械、科学部門研修
1988.11.13-11.18 茨城営業所研修
1988.11.20-12.2 後期新入社員研修(東電学園)
1988.12.5-12.6 柏崎刈羽原子力発電所研修

家計簿から抜き出してみました。資料もなにもかも捨ててしまっていますので、なにをしたのかさっぱりわかりません。ただ、行った場所をメモ程度に控えていただけです。

 職場の人たちは、「1年目の新入社員は、研修ばかりで使えないんだよなぁ。」と言ってましたが、まあこの日程を見ますとそれも当然ですね。ほぼ、毎月出張しているのですから。宿泊施設は、東電の社員用宿泊施設だったと思います。
・目黒
・表参道
・田町
など、立地点は非常に良く、社員が泊まる場合は、1泊2食で 2,500-3,000円だったと思います。それも、3,000円以上するような立派な食事がついてです。一度、両親を福島に呼んだことがある(原発の中まで、案内しました。)その時に泊まった富岡荘の食事に非常に驚いていました。食事だけで、外部で食べれば5,000円以上もするような和食コース料理がでて、宿泊込みで2,500円程度でしたから。−この富岡荘、私がやめて10年程度で廃止されたと聞きました。
 研修時の宿泊費は会社持ち。昼食代の補助もあったような・・・

 研修自体はなにも覚えていませんが、「君たちは、原子力を選んだんだから、骨を埋めるつもりでがんばれ。」みたいなことを言われました。はたして、自分はこの仕事を続けられるのだろうかと疑問に思ったことが、昨日のことのようです。

東電の思い出

  1. 福島の思い出(1)・独身寮
  2. 福島の思い出(2)・福島第一での初期研修
  3. 福島の思い出(3)・3交代勤務
  4. 福島の思い出(4)・・3交代(日勤)
  5. 福島の思い出(5)・福島第二の機器配置ほか
  6. 福島の思い出(6)・3交代勤務表、東電学園
  7. 福島の思い出(7)・1直時パトロール
  8. 福島の思い出(8)・放射線管理区域へ
  9. 福島の思い出(9)3直−チェルノブイリ動画・おすすめ
  10. 福島の思い出(10)・・入社前夜
  11. 福島の思い出(11)・・研修社員のおしごと・中操の説明
  12. 福島の思い出(12)・・家計簿と夜ノ森駅
  13. 福島の思い出(13)・・あぶくま洞見物
  14. 福島の思い出(14)・・原子力って安いんですか?
  15. 福島の思い出(15)・・赴任前の新人研修

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posted by いんちょう at 22:14| Comment(0) | 原子力
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