なにか知りたいことがあるならば右側の検索ボックスを。(Googleは複合検索可能)
ブログ記事は、引用元リンクを明示の上ご自由にお使いください。
かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。
見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。
《旧約聖書の伝道の書(新共同訳ではコヘレトの言葉)1章8節〜10節》
この映画ご存じでしょうか。1975年のアカデミー賞を取りました。主題は、非人間的なロボトミー手術。聞いたことがある手術かと思います。
精神外科(ロボトミー手術)
そして、この発明者 エガス・モニス (Egas Moniz)

ポルトガル北部大西洋岸のアベンカに生まれた。ロボトミーという名前で良く知られる精神外科手術、前頭葉切断手術を精神疾患を根本的に治療する目的で考案した。これが功績として認められ、1949年にスイスの神経生理学者ヴァルター・ルドルフ・ヘスとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。受賞の理由は「ある種の精神病に対する前頭葉白質切截術の治療的価値に関する発見」である。
まことにとんでもない手術ですが、非常に広範囲に行われ、なんとあのノーベル賞まで受賞しています(今日まで、この受賞は取り消されていません。)
つい最近、ノーベル賞のお祭り騒ぎがありましたが、このような間違った手術に賞を与えて、そのまま責任を取っていない賞が本当に人類最高のほまれと言っていいのでしょうか。
サイコドクターあばれ旅 から
ロボトミー lobotomyから
ロボットみたいにするからロボトミー、と思ってる人がもしかしたらいるかもしれないが、それは違う。そんな率直な(笑)名前、いくらなんでもつけるわけがないではないか。第一、ロボットはrobot、ロボトミーはlobotomy。綴りが違う。
ロボトミーのlobo-というのは、中肺葉とか前頭葉とかの「葉」という意味。一方、-tomyは切断とか切除を意味する。いわゆるロボトミーは、正式にはprefrontal lobotomyといい、「前部前頭葉切截術」と訳されている。つまり、前頭葉の前の方を切っちゃうぞ、ということだ。
さて、標準的なロボトミーのやり方について、ちょっと説明しておこう。まずは、こめかみのあたりにきりきりと小さい穴をあける。穴があいたら、その中に細い刃を突き刺し、手探りでぐりぐりと動かして前頭葉の白質を切断する。おしまい。
おおざっぱである。むちゃくちゃおおざっぱである。
そもそも前頭葉は、脳の中でももっとも人間らしい知的活動をつかさどっているといわれている部分である。正確にどのような機能を持った場所かということについては、いまだによくわかっていない。それなのに、とにかく切ってしまう、という無謀さには恐れ入ってしまう。
当然ながら、そのうちロボトミーを受けた人は性格・感情の上での顕著な変化を示すことがわかってきた。つまり、手術を受けた人は、楽天的で空虚な爽快感をいだくようになり(だからうつ病に効くとされたわけだ)、多弁で下らないことをいう。また、生活態度に節度がなくなり、反社会的犯罪行為を示す者もいたという。さらに意欲が乏しくなり、外界のできごとに対して無関心、無頓着になる。
こういうことが問題にされるようになり(当初はこういう性格変化が逆に病状にいい影響を与えるとされていて、まったく問題にならなかったのだ)、さらに抗精神病薬が開発されるようになったこともあり、1970年代以降はロボトミーはほとんど行われていない。
(中略)
ここで、ロボトミー肯定派である広瀬貞雄先生の言葉を引用しておこう。
「我々の今日までの現実的な経験としては、ロボトミーは臨床的に有用な棄て難い利器であり、従来の療法ではどうしても病状の好転を来たすことができず、社会的にも危険のあったものがロボトミーによって社会的適応性を回復し、或は看護上にも色々困難のあったものが看護し易くなるというような場合をしばしば経験している」
「精神病院内に、甚しく悩み、また狂暴な患者が入れられているということは、戦争や犯罪やアルコール中毒の惨害以上に一般社会の良心にとって大きな汚点であるとし、このような患者がロボトミーで救われることを肯定する議論もある。1952年にローマ法王PiusXIIは、その個人の幸福のために他に手段のない限り肯定さるべきだという意味の声明をした」
なお、この広瀬先生も、ロボトミーによって患者の性格が変化し、環境への積極的な関心や感受性が減り、内省したり将来を予測して行動する能力が低下することは認めてます。でも、それ以上にプラスの変化の方が大きい、と広瀬先生は言うのですね。「著効例の中には国立大学教授、会社経営者、優秀な開業医、技師など高度な社会的機能を果たしているものも少なくない」と広瀬先生は書いております。
さて、当初から批判の声が多かったロボトミーは、薬物療法の発達と人権意識の高まりに伴い、1960年代後半から徐々に下火になっていく。しかし、一部の病院ではその後も手術は続き、日本精神神経学会で「精神外科を否定する決議」が可決されてロボトミーがようやく完全に過去のものとなったのは、1975年のことである。

手術風景

また、このような記述も
昭和6年東京生まれの男性Aさんは、12、3歳頃から他人に迷惑をかけることが多かったらしい。昭和21年頃から家族や親戚の家を転々とし、盗みや喧嘩をくりかえしていた。昭和25年頃より独語空笑が目立つようになり、XX病院で電気ショック療法を受ける。
昭和28年4月9日、22歳でこの病院に入院。6月23日にロボトミーを受ける。翌年の1月8日に退院したが、その後も無為徒食、奇異な行為があり、制止しようとすると家族に暴力を振るう。昭和29年3月19日再入院。7月23日ロボトミー施行。
そして46年間の入院。最近のAさんは、ベッドにいることが多く、他患との交流はまったくない。ホールに出てテレビを見たり病棟で行っているレクリエーションに参加する(これも声をかけないと自分からは参加しない)ことが唯一の活動である。
Aさんは今年6月、脳出血で亡くなった。68歳だった。
前部前頭葉切截 ― ロボトミーは"悪魔の手術"か X51.org 参考に
この手術が米国で中止された理由にこの ローズマリー・ケネディ のロボトミー手術があります。
ロボトミー手術 1941年、医師の勧めによって父ジョセフは23歳のローズマリーにロボトミー手術を受けさせる。これによって彼女の暴力性がおさまると考えてのことだった。前頭部の左右の神経線維を切断されたローズマリーは、この手術の結果期待された結果の替わりに尿失禁の後遺症が残り、幼児的な性格に戻ってしまった。彼女は何時間もぼんやりと壁を見つめ続けたり、話すことが支離滅裂になったりして、その人格が破壊されてしまった。これがケネディ家の呪いの最初の犠牲者となった[2]
手術後 1949年、ローズマリーはウィスコンシン州ジェファソンにある障害者施設、St. Coletta's Institute for Backward Childrenに入所することになる。彼女はケネディ家からは距離を置かれ、定期的に母ローズと妹のユーニスが彼女を見舞ったものの、孤独な生活を送った。父ジョセフに至っては、一度たりとも彼女のもとに見舞うことはなかった。ローズマリーは時折フロリダやワシントンD.C.で静養し、また幼年期をすごしたケープ・コッドの家を訪れることもあった。
私がこの前、大学時代の神経解剖の恩師に聞いた話では、この手術が元でケネディが徹底的に調べて、ロボトミーを中止するように要請したとのことでした。
恩師より補得していただきました。
ロボトミーの件はJosef Kennedyが娘にLobotomy を強要し(1941年)、結果後悔し、それに強い影響を受けたColumbia – Greystone Project の評価チームが1947年に調査を開始し、効果なし、有害の結論を出した。それにより米国ではほとんどLobotomy は下火になった。J.F. Kennedyは当時下院議員でした。政界には強い影響力を持っていたが、むしろ親父(Josef )の方がこのような点では影響力は強かったようです(Johnの大統領就任は1961年)。
Columbia – Greystone Project で検索しますと、色々出てきます。
The History of Lobotomy
The Demise of Lobotomy
Finally, around 1950, the first discordant voices against the lobotomy folly started to be heard. Scientific evidence for the benefits of lobotomy was not coming. Even lobotomy's preponents admitted that only one third of the operated patients would improve, while one-third remained the same, and one-third got worst (25 to 30 % is the proportion of spontaneous improvement in many kinds of mental diseases ! Thus, a large proportion of the operated patients could have recovered without the lobotomy). In the United States, a major evaluation study called the Columbia-Greystone project was conducted in 1947 and failed to provide evidence of the positive effects of lobotomies. Many times, the evaluation was performed by the surgeons who did the work, without any kind of scientific controls.
Ethical objections began to pile up, because of the irreversible damage to the brain, and also because of the reports of severe collateral effects of the surgery on the personality and emotional life of the patients. In addition, the appearance of new antipsychotic and antidepressive drugs, such as Thorazine in the 50s, gave new means to combat most of the symptoms experienced by agitated and uncontrollable patients. Neurosurgeons everywhere started to abandon lobotomy in favour of more humane methods of treatment.
Concern over the protection of patients against lobotomy and similar radical therapies, particularly in inmates, where release was widely exchanged with agreement to a lobotomy (a highly unfair, biased and controversial offer); translated into laws in the United States in the 70s and in many other countries as well. Psychosurgery was classified as an experimental therapy, with many safeguards to the patient's rights.
The original lobotomy operation is now rarely performed, if ever, although many countries still accept psychosurgery as a form of radical control of violent behavior (Japan, Australia, Sweden and India are among them), In the Soviet Union, land of psychiatric abuse, lobotomy was outlawed in the 40s, not because it was not useful to suppress oponents of the Communist régime (they used other methods, such as forced hospitalization), but because there was a ideological stance against it.
明らかに非人道的な手術とわかった時点でも、この手術を平気で擁護し、継続する学者がいることに驚きます。そして、それはいまの放射能を擁護する自称専門家たちの姿でもあります。
このような人たちは、一体どのようなことが起きれば、自分の間違いを認識するのでしょう。
放射線を正しく恐れる・・上関、横浜の安全資料2011年09月24日
100mSv安全の根拠-原爆の知見を信用しますか?(60万アクセス)2011年08月27日
残るか去るかは住民自身が判断しなくてはなりません。-山下俊一2011年08月21日
タグ:医学
現代のABCC(ABCC知らない方はググッて)たる福島県立医大「吹く」学長の
山下俊一氏を暗にひっかけていらっしゃるんですね。
ならば同感です。
先生、全力でいきましょう!
世の中がこうなってくると、聖書の言葉が胸に迫ってきます。今日のところなど特に。
これからも応援しています。私もこどもたちのために、「何が重要なことなのか」見極める力を養いながら頑張りたいと思います。
私の子供時代、京都でもまだ京大や京都府立医大でロボトミー手術があったと聞いています。
ケネディとロボトミーについては存じませんが、ケネディの精神障害者政策について「ケネディ教書」をご存知ですか?
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/CK4.HTM
20年以上前に『岩波ブックレット』でケネディ教書のことを知り、どうしても行きたくて1992年3月にボストン郊外のケネディ博物館まで吹雪の中を行ってきました。(当時、夫の留学でカリフォルニアに1年居ました。)英語もよくわからず、入館者は私と夫だけ、学芸員の方もいなかったので、単なる自己満足だったのですが、帰国してから本をいろいろ読みました。
呉秀三氏の「わが国十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」は、「ケネディ教書」と共に、今も涙なくしては読むことができません。
ケネディ存命中から妹さんのことは世に知られており、彼のリベラルさと父ジョゼフの「NO1主義」の相克が喧伝されたこともあります。(子供の頃の記憶ですが)
私は、母親が妄想型分裂病で伯母がアルコール中毒でした。父親は他に家庭があり、私は母の一人娘だったので、12歳から仕方なく母親の介護30年間、伯母の尻拭い20年間しました。
このような背景から、精神病患者や依存症患者、心身障碍者(このような表現は今はしてはいけいないのですが、便宜上させていただきます。)の方々について、様々な実経験を致しました。ボランティアも少々しました。
「自傷他害」と認められなければ措置入院はできませんが、患者を抱えて孤軍奮闘する家族として「座敷牢」があればいいのにといつも思っていました。閉鎖病棟の見学に行ったこともあります。
先生の「ノーベル賞についての苦言」、深く心に響きました。
1961年アメリカ映画「ニュルンベルク裁判」
もまた、「障碍者への断種法という人権侵害が戦争犯罪として裁かれること」をエピソードの一つとして描いています。
被告人(ナチスの法務大臣)は全くの悪人というわけではなく、むしろ善人が戦争と言う無法な極限状態でどのように変心するかということに心動かされました。
この映画の中で、スペンサー・トレイシー扮する判事が、周囲がみな被告は無罪にすべきだという意見に対して発する、
「それなら私が納得するように説明してくれ。きっちりとだ!」と言った言葉は、
周囲に流されやすく、何事も穏便にしようとする私の弱い心を今も支えてくれています。
他人が何と言おうと、自分が納得できないことは、納得できないのです。
最近、テレビでは、整形外科医などが登場し、様々な「医師にあるまじき暴言」を吐いています。
そういう医師と呼ぶのも嫌な「芸能医師」を見ていると、医療や病院、医者に対する信頼が揺らいでしまいます。
このロボトミーの記事を呼んで、先生みたいな良心を持った医者もいるんだなと感動しました。熊本ということで、私は遠くに住んでいるので診察してもらうことは無理ですが、先生みたいな医者に診て欲しいと心の奥底から思いました。