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内部被曝・・これほど隠蔽された核の被害はありません。

体内に放射能が入ることです。そして、こんな意見もあります。

シーベルトが同じであれば、外部であっても、内部であっても同じ。。なるほど、そんな考えもあるんですね。
一体、どういう事なのでしょうか。私の手元にある4冊の本から、内部被曝のくだりを紹介します。
はだしのゲン


ピカが落ちたあとに、入市した兵隊がどんどん亡くなる。)
この本は是非購入を p.36
「わしゃピカには遭うとらんのじゃ。あの日の昼から中隊長の命令で広島に入り、怪我人を助けて運んだり死骸を運んだりした。二晩、浅野邸で寝て、三日目に救援作業に出るよう思うたら気分が悪くなり、ここへ運ばれてきた。なしてわしの髪の毛は抜けるんじゃ、ピカに遭うとらんのに」
からだのどこにも火傷やけががなく、衣服にも破れや焼け焦げなどはない。本人の訴えるとおり、原爆の爆発時に市内にいなかった者に、、どうして死んでゆく被害者と同じ症状が現れるのか。
逓信病院長の日記(必読)p.149
夕食後、相変わらず世間話。広島のガスを吸うて死んだという人の話をまた聞かされた。原爆を受けなかった者で毎日広島に出入りしていると被ばく者と同じような症状で倒れ、祇園町には現にそれで死んだ者があるという薄気味悪い話を聞いた。私は口内炎の患者が増え、斑点や脱毛も恐るべき症状ではあるが、口内炎はさらに恐ろしい症状であることと、その恐るべき口内炎の患者が次々現れだしたことや看護人が疲れて倒れつつあることを話した
昭和20年8月末の暑い夏の日のことである。
庭屋潔二等兵は、終戦直後の長崎に上陸した。埠頭から長崎駅に移動する目にうつる景色は、驚くべきものだった。しないは見渡す限りガレキの荒野で何もない。崩れかけたビルだけが点在する。
「水は絶対に飲んではいかん」
と上官に命令されていた。むろん、理由は長崎が原子爆弾で破壊されたからである。とはいえ戦争末期に招集された陸軍二等兵には、「原子爆弾」の何たるかは分からない。分からないながらも常識は持っているので、
「水道の水なら浄化されているから、大丈夫だろう」
そう考え、庭屋二等兵はガレキの中にぽつんと立つ水道管の蛇口をひねり、流れ出る水に浴びながら飲んだ。強い日差しに焼けた顔とのどを冷やすように、水はしみこむ。
その数日後である。庭屋二等兵は下痢に襲われて、高熱にうなり、頭髪が抜け出した。明らかに急性放射線障害であった
(中略)
放射線医学では「最大許容放射線被曝線量」の言葉がまかり通っていた。それは広島と長崎の被ばく者の放射線障害の追跡結果で作成されたもので、原爆投下後の戦災と苦しみのなかで亡くなった方々が残した、貴重な国際的な医学遺産である。
ところが、このかけがえのない医学資産はむざんにも改ざんされていた。戦後5年間、昭和20年から25年までに、ガンや白血病でなくなった被ばく者は、原爆被爆以前から罹患していた可能性があるとの屁理屈で統計から外されていたのである。あえて「屁理屈」と書く。それは、核政策上のアメリカ側の指導であったからである。
当初は、爆発でけがや火傷をしていれば、放射線障害から外された。原爆は上空で爆発するので、その爆煙は成層圏にいたり、風とともに放射性物質は大気圏へ拡散し、地表に残留放射線は存在しない。「黒い雨」は地上の泥が舞い上がり降ってきたものに過ぎない。こう、アメリカはこう強弁したのである。
もし発病初期に体の怠さを感じたら、何よりもまず休養して栄養をとることが肝腎である。無理を押して仕事をするものは、へたな植木屋が移植した松の木のように、次第に気力を失って生命を絶っていく。小畠村の隣村でもその隣の村でも、被曝を免れたつもりで広島から至極元気で帰郷して、一ヶ月か二ヶ月ぐらい根を詰めて働いていたものは、一週間か十日ぐらい床について死んでしまった。発病が身体の一局部に現れると、この病気特有の痛みを感じ、肩や腰の痛みも他の病気とは比較しがたい症状である
真実は一つしかありません。同時期に同じ場所に住んでいた人たちが異口同音に内部被曝のことを報告している。この、内部被曝の被害については、現在の学問では一切評価されていません。科学的には証明されてはいませんが、事実なのです。フクシマではこの168倍以上の放射性物質が降り注いだと評価されています。
なぜ、日本人は過去から学ぶことができないのでしょうか。
■関連ブログ
福島除染ボランティアと入市被爆2011年11月09日
福島民報の一面から−汚染状況が株式欄に類似2011年10月31日
内部被曝−その評価と治療方法2011年10月10日
まだ生存者がいるうちに 広島長崎での放射線被曝の正式な記録を日本政府が作成すべきですが…何で民主党政権は次々 外国の言いなりになるのでしょう?
今朝 7時半ころから ずっと 院長先生のツィッターが見られなくなっています!
「問題が発生」したり「只今 混み合って」いたり しまいには「エラー502」で「このページは表示できません」
そんなに不都合な事を呟かれたんですか?
床下にラジウム瓶を置かれたりしないように お気をつけ下さいね。
サーバー側の問題で、回線混雑やメンテ時に表示されます。
ブログとツィッター両方ならtottokoさんのプロバイダのサーバーエラーかも。
戦後の名ラジオドラマ「君の名は」にして、大事な人の名前も知らずの物語。
日本人は忘却好きだなのだと思います。
それとも、戦後の刷り込みでしょうか。
新しいもの、消費は美徳のように経済成長まっしぐらでした。
それも学んでいない。
時間の経過で廃棄されるファストフード。
賞味期限を見て捨てる主婦。
感覚を捨ててしまった。
忘却は感性を失うことから始まります。
日本の現状は社会的痴呆でしょう。
戦後ずっと米軍が駐留して治外法権で(日米地位協定に定めてあります)日本の政治三権すべてを軍事力で強権支配しているからです。
断言できる人は少数なのではないでしょうか。
先日、良く買い物に行く店の野菜売り場の
男性店員2人(責任ある立場の方なのでしょう)が
「なんでもないから、売っているのに
皆、なぜ買わないのか」と大声で話していました。「ふううん、やっぱり売れないのか」と納得して帰ってきました。
一見、放射能汚染を忘れたかのように見えるのは、同調圧力(日本のムラ社会意識)の
せいなのかな、と思います。
放射能のことを話すと、精神障害(粘着質、神経質、うつ、)扱いされるのも厄介です。
内部被ばくの深刻さ、放射能被害防止に
熱心な人々が多数派になれば
同調圧力も精神障害扱いも
逆方向に働くはず。しかし
なかなかそうならない。
オリンパス、大王製紙、よみうり
とうでん・・・日本では強いものには屈しなければ、生きてゆけなかった。
これからも そうなのだろうか。
今は、反旗を翻したキヨタケさんに
ひっそりエールを送っている一主婦
です。
ご紹介の本、さっそく注文してみます。
はだしのゲンは、小学生の頃、図書館で読みました。
とても怖かったことを覚えていますが、細かいところなど忘れていると思うので、再度読み返してみようと思います。
福島では、4月あたりから学校を通しても
「ストレスのほうが体に悪いから、お母さん方冷静な対応を」という文科省や菅さんからのプリントが配布されたり、上の山下氏の「大丈夫」という記事がやたら目についたりします。
新聞の投稿欄も「放射線に負けずにがんばろう」といった趣旨のものの採用が多いような。。。
そんな中、いつまでも怖い怖いとは言いにくい雰囲気。怖がってる暇があったら、少しでも除染したらと言われてるかのように感じてしまいます。
庭の除染もしないまま、こどもを連れて逃げちゃった私は罪悪感も感じています。
せっかく逃げたのに、避難生活も大変なことばかり、、、
もう、疲れ果てました。帰ろうか、、、なんて最近は考えたりします。
最初は声をあげなきゃ、となんらかの活動していた人たちも、なんにも考えないでなかったことにして暮らすのが楽かも?、ホントにストレスのほうで先にまいっちゃうかも?と思っちゃうほど、疲れちゃったんですよね。。。
いっそのこと、山下氏の「ニコニコしてる人に放射線は来ない」が信じられたらどんなに楽かと思います。
で院長先生に教えて頂きたいことがあるのですが…
アルギン酸がストロンチウムの蓄積量を減らすそうですが 既に蓄積されたストロンチウムを排泄することは出来ないのでしょうか? 「アルギン酸製剤」で調べたら「アルカロイドG」が出てきて「アルカロイドG」で調べたら「胃粘膜保護」が出てきてワケがわからなくなりました。
ストロンチウムの蓄積予防には何を飲めばよいのでしょう?
また薬ではなく昆布茶や昆布飴でも効果があるのでしょうか?
宜しくお願いします。
昆布茶などはヨウ素です。(甲状腺)
内部被曝の治療方法などはないと思います
ここに住む知人の猫が4歳で突然死しました。
餌はアメリカ輸入缶、家から出さない育て方だったのですが
ベランダには出していて、そこの雨水を良く舐めていたそうです。
先週突然けいれんを起こし、真夜中に動物病院に行って
すぐに気管内挿管したものの、最後は腎不全の診断で
亡くなったのだそうです。
水俣病の初期風景とそっくりだと思いました。
もっと悲惨なことにならなければよいのですが・・・
避難者登録しているが、避難先に送られて来たのは、健康調査問診と、不在者投票案内のみ。影響ないと、初期被曝させておいて、県は甲状腺エコー開始したが、避難先に連絡なく、検査場所は福島県(泣)
選挙候補者が、こぞって放射線医療拠点と(どんぶり計算の多額の予算かかるのに)と言うが、被曝した市民は発病よそくされるのだろうか。発病したら、県内にもどらないと治療受けれないのだろうかと不安。
避難は経済困窮で、なれない土地に子供より大人は適応しにくい。援助なくとも、日々子供の為に涙しながら頑張る日々。福島県を思い少しでも納税と住民票を置いてきたが、自主避難の県や市からの配慮(広報を送るとか、予防接種の事等最低の)もない。
今は、地元は放射能の話題タブーで、避難した人が地域が除せんして安全になったから帰るとなると非難されるから帰りにくいよ、と言われ、すでに帰る場所すらない気持ち。
でも、いつまでも避難者ではいられない。避難を公認してくれなければ、よその県民にならざる得ない。食品や土壌の安全が確保されない今はまだ帰れないし、苦悩の日々。
原発放射能物質が憎い。
初期被曝に関する対応も。電話した、原発関連相談先の対応がなかったのも。すべてが。役所で、震災失業にも関わらず国保減額ならないと調べず言われたことも。(払いきれず再度申し入れして、何ヵ月もたって許可おりた!?差額は代表の市が返して(泣)!!と願うが返金なし)
他県の支援がなければ税金だけで、生活費もままならなく、先々賃貸かりて生活するのが不安。
今になって、近くに同郷の避難相次いでいるが、子供の被曝を防ぐためだけに全て失い避難する人が何を思っているのかを分析すれば、多岐に渡る対策がとれるのではないかとおもう。
多分 今がいちばん大変な時期だろうと思います。が いくら国や県が除染・安全と言っても もうそれを信じる県民はいないでしょう。まして女子駅伝が終わるのを待つように15日 環境省が公表した汚染数値、避難地域ではない福島市内でも10万bq/平方m.という高度汚染がわかったわけですから 今後は帰る人より出る人の方が増え それが一定数を超えたらセキを切ったように一斉に逃げ出すでしょう。その日は遠くないでしょう、それまでの辛抱です。
中通りから滋賀県に自主避難している方のブログ「福島県からの自主避難者として生きる」はご覧になりましたか? 同じ自主避難者同士 このブログの主にメールで相談してみたら どうでしょう? 一人で悩まず、誰かに相談する。悩みを語り合ううちに いい方法が見つかるかもしれません。 頑張ってお子さんを守ってあげて下さい。ふぁいとぉ!
いまでもガイガーカウンターちかづけたら
反応するはずです。
反応があるところには絶対直接触らないでください。