何も知らない学者のことを聞いては、迷うだけ。時間の無駄。
先日知ったのですが、原爆資料館でも動画でこういった証言をまとめられています。時間がある時に是非ご覧になってください。自分の言葉で淡々と話されていますので、事実とはなにか が本当によく分かります。
橋爪さんのラジオは、ついに中止になってしまいました。非常に残念です。mp3ファイルはありますので、どなたか公開していただければとは思いますが、著作権の関係で難しいでしょうか。。
本題。今週の土曜日に長崎原爆体験をされた方の講演会があります。生でその声を聞ける機会はなかなかありませんので、お近くの方は是非参加されてください。私も参加する予定にしています。(英訳もあるようです)


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原爆生き残りの方の証言(肥田医師、橋爪文さん)2011年10月13日
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私も3.11以降気がついた者ですが
20才まで長崎にいながら今までなんにも考えていなかったこと反省します。
修学旅行で長崎・広島へ行ったとき原爆体験の話を聴くとあるお母さんに聞きました。それは子供たちも勉強するのよ、ってことを言ってるのですが、子供より先に原爆体験を聞いておくことは子供の取り組み方が違ってくると思うし親子で考えることは代々繋がっていくのではないか・・・簡単ではないけど。
長崎育ちの私でも8月9日の日付だけで何も心に残ってなかったので他県の人が入り込むのはなかなか難しいのかなと思うのですが・・・
知っていきましょう!
http://www.tibethouse.jp/atomic/atomic10.html
チベットの核、ここではすでに語られていたこと。
以下抜粋。
チベットからインドに亡命したゴンポ・ソンダップは、1987年3月、チベットのアムド(青海省)にある二つの核兵器生産施設を訪れた。これら二つの基地は、キャンツァ(Kyangtsa )とテオ(Thewo)に位置し、それぞれ405と792のコード番号が割り当てられている。その報告は、1992年9月14日にドイツのザルツブルグで開催された『世界ウラニウム聴聞会』で発表された。
報告の内容は以下のとおりである。
「405及び792施設での実験、及び廃棄物は、破壊的な影響力を持つ。1960年に至るまで、アムドのこの地域では、農産物は豊作で家畜の健康状態も良かった。今では農産物の収穫高は減少し、原因不明の死を遂げる人間や動物の数が増え続けている。1987年以降、死亡した家畜の数は急激に増加しており、魚はほどんどその姿を消した。1989年、1990年に、この地域で原因不明の死を迎えたものは50人に達している。1990年の夏に、12人の女性が出産し、胎児全てが分娩前、または分娩中に死亡。30歳のチベット人女性、ツェリン・ドルマは、現在まで7回出産を経験したが、すべて死産に終わった」と語る。
報告はさらに続く。
「405及び792施設近辺の住民は、かつて経験したことのないような病気に悩まされている。人々の多くは、肌の色が黄ばみ、視力が著しく低下している。また、地域の全住民から、原因不明の記憶力低下や奇形児出産の増加が報告されている。この地域一帯の人々は、このような状況に対し打つ手立てもなく、唯一頼みとする宗教や現地の医者にしても、ウラニウム鉱山や近隣の核施設に関する知識があるわけではない」