なにか知りたいことがあるならば右側の検索ボックスを。(Googleは複合検索可能)
ブログ記事は、引用元リンクを明示の上ご自由にお使いください。
14時から、熊大の工学部で長崎で原爆にあわれた方の被爆体験講話会に参加させていただきました。パンフレットは以前紹介しましたが、再掲載

フクシマがあったのに、なぜかしら原発についての記載は一切ありません。
被爆体験を話されましたのは、当時14歳、現在80歳の男性の方。留学生を対象としていますので、英語による翻訳、スライドでは中国語、韓国語の同時通訳。(英語の通訳の方はかなりお上手。ここまで苦もなく翻訳できる方は、あんまり見たことはありません)
この方のお父さんは原爆前に死亡、弟2人、妹1人、母一人。の5人家族。本人はこの地図では左下の工場で被曝。自宅は爆心地から300メートル地点。母と妹、弟は、原爆の直撃で死亡、弟一人は、放射能被ばくにより1ヶ月後くらいに徐々に衰弱して、亡くなった。とのことでした。

そして、原爆の投下
話の中にピンク色の光線があったと話があり、なるほどそうなのだと納得いたしました。肉親を火葬して弔う話など、14歳の子どもにとっては本当に耐えきれないような悲惨な経験だったと思いますし、聞く人全員の涙を誘いました。
2つほど質問させていただきました。
・突然死などの症例はなかったか?
・ご自身の健康に問題はなかったか?
被曝後10年くらい立ってから、白血球が2000近くまで下がったが、注射(詳細不明。私もぴんと来る薬剤なし)をして良くなった。以降は、あまり健康不調はない。・・実際2時間近い説明の際にもずっと立ってお話しされていました。姿勢も良く、若々しいほどでした。
被曝後に徐々に亡くなって言い方はたくさんいた。でも、被曝との関連性は不明。
黒い雨が降ったのは長崎でも確認されているのに、福島の避難区域が同心円状になっていたのは、本当におかしいと思ったと指摘されておられました。
最後に司会の女性の方に「なぜ、福島のことを話さないのですか?」とききましたところ、「立場上言えません。」と返答あり。同じ日本の被曝のことなのに、なぜこんな返答しかできないのでしょうか。原発事故が起き、世界中に核被害が及んでいるにもかかわらず、世界平和しか唱えないのは、本当に片手落ちです。日本の病理の深層を垣間見ました。福島のことなんて、長崎の役人にとっては、本当に人ごとなのです。情けないことです。
■関連ブログ
本物の被爆体験を聞いて、自分に力を2011年11月16日
はだしのゲンの作者−中沢啓治2011年11月06日
原爆生き残りの方の証言(肥田医師、橋爪文さん)2011年10月13日
タグ:Z
立場や人によって色々と思ってやって下さい。
少なくとも身内や自身が2世3世で放射能と関る人生を送っている人は、福島のことは他人事ではないです。
私自身、結婚のとき相手の親から「方角が悪い」と意味不明の断わりを言われました。
「原爆2世に娘は嫁がせたくない」とまともに言えないからです。
そんな経験をした人は長崎には多々居ると思います。
先生、お察し下さい。
私には全く理解ができません。同胞が苦しんでいるのに、立場によって言いたいこともいえないのなら、なんのための長崎なのですか。
内部被曝の怖さを十二分に知っている人たちが声を上げずに、むしろ安全を流布する側に回っている(山下教授を筆頭に)のを見ますと、もはや同じ国の方とはとても思えません。
私とは意見が合わない気が致します。
今まで美輪さんの人生訓には納得できるところがあると思っていましたが、このような発言をするとは・・・。
状況を勉強されていないだけかもしれませんが、被爆者の方が福島に言及されない、または大したことがないというのなら、確かに片手落ちです。
私も同じ国に住んでいて今まで親しくしていた人でも震災後は世界が違うと感じることが多々あります。どんな体験をしても気付けない人は気づけないのでしょうか。
山下俊一氏は別物です。
あの人の発言に同意する人あまり居ないと思いますよ。こちらでも。
そんな経験をした人が多いならば、1人でも同じ思いをさせたくないという考えになるのが当然だと思いますが。
同じ思いをさせたくないなら、経験者・当事者である方々が声を上げなければいけないと思います。
隠していては、何の解決にもなりません。
院長先生のおっしゃるとおり、山下などの安心デマ発信野郎ばかりが声を上げているということになっているではありませんか。
福島の人たちは「あの長崎の方がそう言うのなら」と信用してしまっているのですよ。
自分たちのエゴ(そうとしか思えません)のために、被害者を増やすのですか?
少しは薬害エイズの川田さんを見習うべきです。
私も、差別や偏見のある境遇でした。
人によっては「あんな境遇の娘とは結婚させられない」と思われていたでしょうし、実際ネットでも書かれているのを見たことがあります。
今までたくさん傷つけられてきましたが、負けずに頑張って生きてきました。
結局は、そんなことは気にしない、むしろ大変だったねといたわってくれる人と出会い、結婚し、仲の良い夫婦として暮らしています。
彼は私の頑張っている姿を見てくれていたのです。
もし、傷つけられたからと泣くだけで何もできない・しない娘だったら、彼の目にはとまらなかったでしょう。
私は、もう誰も自分と同じ思いをしてほしくないと考え、似たような境遇の人を1人でもなくしたいと考えています
だから黙ってなどいません。
言うべきときはハッキリ言いますよ。
白い目で見られることもありますが、見る人のほうが下劣で恥ずかしい人なのですから、どうってことありません。
私の母は1才の時、爆心地から5kmの場所で被ばく。
母は父にヒバクシャと知らされておらず結婚したそうですが「だまされた」と言ってたことがありました。(私達子供に影響?でていないので笑いながら)
父の規則正しい性格のおかげ?で母も早寝早起き朝ごはんの生活で「いつも元気ね〜」と言われています。
母の周りの話でも福島のこと自分のこととして考えようとしないようですが広島もまた違うようで、、、長崎だけにこだわってるようで・・・なかなか原発の話仲間まで出来ないようです。
ブルさんへ
「薬害エイズの川田さん」は今回の放射能に関してはスルーですよ。
献血によって被曝者の汚染された血液が そのまま輸血や血液製剤になる危険性への対処を求めましたが 知らん顔です。
自分が被った被害の時は大騒ぎして 利用価値がないと思えば知らん顔。しょせん彼も政治屋の一人に過ぎません。
情報ありがとうございます。
やはり政治屋になるとそうなってしまうのですね。
ただ、薬害エイズ裁判の時に自分が被害者だとして、彼はただ1人実名を公表して戦いましたよね。
長崎・広島の方々は、放射能の被害者だと思うのです。
その被害者の方々が声を上げてほしい、という例として、彼の名を上げさせていただきました。
広島・長崎の被爆者の方にとって 福島は どうなんでしょう?
広島・長崎の場合 一般市民である被爆者たちは完全な被害者ですよね、その彼らにとって「唯一の被爆国であるのに大金につられて 嬉々として原発を受け入れた県」は どう見えたのでしょう?
日本に原発が出来た時 多分 マスコミは「新しい日本の門出」とか ヨイショ一色で 大騒ぎしたんでしょうね。それを見た広島・長崎の方たちは どれほど悔しかったことか。
私は広島・長崎の方たちと福島を始めとする東日本を同列には並べられない と思います。
ちょっと言葉が足りなかった と思いますので追加します。
フクイチの事故以来 様々な事を考えました。
その結果 私は被害者であるのと同時に ちょっと共犯者でもあるのではないか と反省しているのです。首都圏に住み 毎日 当たり前のように電気を使い、街でたまに「反原発」の署名活動をしている人たちを見かけても冷ややかな目で見て通り過ぎ、原発が何であるのか考えたこともなく 日々 お気楽に過ごしてきた。いくらでも時間はあったはず、その気になりさえすれば放射能の危険性だって もっと前に知ることが出来たはず。でも私は何もしなかった。あまりにも無知だった。
遅まきながら気づいた今 経産省前の座り込みに参加し 環境省や都道府県に瓦礫拡散反対の電話やメールをしています。もっと早くに気づくべきだった。まさに「後悔は先に立たねば 年寄りて今は残念」です。
ん〜 やっぱり 広島・長崎の方たちと私たちを同列にしては申し訳ないような気がします。
なんとなく分かりました。
tottokoさん
同列には並べられない、とのことですが。
原発事故の被害は、福島だけの話ではありません。
海外の報道や今までの作物の数値などから判断すると、岩手から静岡まではかなりの影響が出ていると見ていいでしょう。
それらの県の中には、原発がないところもたくさんあります。
また、長崎の隣の佐賀県に原発がありますし、広島の隣の島根県に原発があり、さらに山口県に原発の計画があります。
原発を受け入れたから純粋な被害者じゃないから、福島をはじめとする東日本とは同列に並べられないと言うのは変じゃないですか、西日本どころか隣の県にも原発はあるのですから。
国と電力会社が頑張ってヤラセもしていましたしね。
ただ私も、先日の選挙の結果などで、まだ原発マネーにすがろうとするのかとあきれています。
そういう人たち、おそらくほとんどは老人たちでしょう、その人たちがどうなろうと、ひどい言い方かもしれませんが自業自得ですしどうでもよろしいです。
問題は、何も言えなくなってしまっている若い人と子どもたちです。
特に子どもたちは純粋な被害者じゃないんですか。
私は昔から被爆については興味があり、たくさん本を読んだし、広島にも長崎にも行きました。
被爆した方の話もたくさん聞きました。
だからこそ、ずっと原発には反対してきました。
少なくともお気楽に電気を使っては来なかったし、どんどん増える原発に危機感を感じ、いつかチェルノブイリ原発事故のようなことが起きるのではないかと怖がっていました。
でもそのことを回りに言ってもほとんど分かってくれませんでした。
だから、今までお気楽にしていた人と一緒にしてほしくないというのが正直な気持ちですが、人間なかなか実際に起こらないとわからないという事もありますから、そのことについて責める気持ちはありません。
ただし今でも原発の危険性に対して無知な人は別です、軽蔑しています。
長崎市民さん
私は長崎に何回も行っていますが、とてもいいところですし、皆さんやさしくて明るくて好きです。
でも、今回の件だけには、声を上げてほしかったと思っています。
何があったにせよ、同じ放射能による被害者ではありませんか。
純粋な被害者とか、本当にそんな風に区別して考えているのですか?
せめて、何の罪も無い子どもたちのことを考えてあげてください。
黙っていると言うことは容認していることと同じだと受け止められてしまいますよ。
山下は別物で発言に同意する人はそちらでもあまり居ないと思うとのことですが、皆さん黙っているので、世間には全く伝わっていませんし、長崎の方々はあの発言を容認しているとさえ受け止められていると思います。
「長崎の人が声を上げないと山下俊一を容認しているように思われる」マトモな人で そう思う人はいないでしょう。長崎の人たちも「あれは長崎の恥」と言ってますし。
外国人から「日本人が声を上げないのは日本政府のやり方を容認しているからだ」と言われたら どうしましょう? いくら声を上げてもマスコミが取り上げないだけなんですけど…。
プルさんの言う通り 少なくとも子供たちは純粋な被害者です。でも子供たちを被害者にした責任は日本の大人全員にあるわけで、事ここに至るまで 長崎・広島の被爆者の方たちは六十余年もの間 ずっと語り続けてこられた。それを聞かなかったのは私たち国民です。(プルさんは違うのでしょうが)
散々 言い続けてきたのに どうにも出来ないまま起きてしまったフクイチ事故。
長崎・広島の被爆者の方たちの沈黙は起こるべくして起きた大惨事を止められなかった無力感、絶望感のせいではないか、そして今 誰よりも深く傷ついているのは そういう方たちではないか と そんな気がします。
しつこくて申し訳ありません、この件はこれで最後にさせていただきます。
そのマトモな人が少ないから、現在日本はこのような状況になっているわけですよ。
長崎の人、マスコミが取り上げてないだけですか?
「日本人が声を上げないのは〜」とは違いますよ、院長先生をはじめたくさんの方がネットで活動していますし、海外でも報道されています。
長崎・広島の人は、ネットでもほぼ沈黙では?
それどころか「私の肉親も被爆したけど今も元気だから」とか言ってるのをよく見かけますけど。
今回の件も都合が悪いことにはだんまりのようで、「自分たちは純粋な被害者」にだけに賛意を示してますしね。
被害者同士が差別なんてして良いと思いますか?
エイズも感染経路によって差別する傾向があったそうですね。
同情するだけでは何も解決しません。
言わせていただきますが、傷ついていようが何だろうが、現在も被曝を強いられている人たちに対し沈黙しているのがまともなこととは到底思えませんね。
今子どもが被曝させられていることを考えれば、傷ついているとか自分たちこそが純粋な被害者とか考えている場合じゃないと思うのですが。
それと、ウクライナやベラルーシの方々は除染はムダだとかいろいろ声を上げてくれているようです。
あの方たちは「純粋な被害者」ですよね、原発マネーなんかもらっていなかったし。
なのに声を上げているんですけどね。
今だに役所等に放射能汚染について問い合わせれば、必ずエックス線等医療被曝も引き合いに出して話をしてます。そもそも、医療被爆は診断の利益と被曝の害を比べて診断の利益がある場合にレントゲンやCT撮影をしますよね?
医者が無理やりCT検査をした話は聞きません。今、起きてる公衆被曝は何の同意も無い一方的な被曝を私たちは受けています。
この理由だけで国と東電を集団訴訟で訴えることは出来ないものかと思うのです。
旧知の弁護士と話をしてみました。
答えは「現実的な不利益(健康被害)の提示と、不利益と被曝の因果関係の立証」が必要で大変な作業になるよとの事。
ただ今後も知恵を貸してくれる返事をくれたので、具体的に動く形が作れないか考えていきたいと思います。
と言いつつ自分の考えだけを述べ反論は封じる…旧社会党や左翼活動家やカルト宗教の論者たちが よく使う手ですよね。
プルさんがどういう立場の方で反原発運動にどれだけ具体的に関わってこられたのかわかりませんが…
実は私 昔 一時期 反原発運動に少し関わった事がありまして その時に見た聞いた感じた活動家たちの物の考え方や姿勢にいたく落胆し 以後一切関わらないようになってしまったのです。
「反原発」という同じ目標を掲げながら 何故にあんなにいがみ合わなければならないのか? 結局お互いが「自分こそ正しい、自分に従わない者は間違っている、バカである」と反原発同士が足の引っ張りあいをして物ごとが纏まらず、運動としての力を削ぐ結果となり ボヤボヤしている間に次々 日本各地に原発が増え続けていったのです。
敵と戦う以前の問題で こんな事を続けている限り いつまで経っても日本は変わらないと思います。
人には それぞれの立場や考え方がある。それを尊重し その人が出来る範囲で協力してくれたら感謝する、そのくらいの寛容な精神がなければ かえって反発を招くだけです。
私がオウム被害者の会の高橋さんや 拉致被害者家族の横田さん御夫妻に激しく共感できるのは 彼らが決して何もしない国民を責めず 敵を加害者と政府に絞って活動し続けていらっしゃるからです。
今 私たちの敵は東電であり経済界であり政府であり官庁です。
呉々も そこを間違わないように力を集中し 原発をなくしましょう。
色々ときついことを書いて申し訳ありませんでした。
今までのことは、福島の子どもたちのことを一番に考えてほしいと思うことからの行動ですので、どうかその辺はご考慮ください。
医者のCTスキャンの件ですが、無理やりではないにせよ、患者が嫌がらなければかなり頻繁にやる医者もいるようです。
逸見さんもがんが心配でかなりの頻度で受けていたという話も聞きました。
tottokoさん
これだけは言わせていただきますが、私は左翼とかそういう関係のものでは全くありません、むしろ思想的には右翼に近いかもしれません。
「この件で〜」は平行線の議論が長引くのもよろしくないかと思ってそう書いただけです。
反原発といえば左翼というほうが工作員にそっくりですよ。
いくらなんでも、左翼呼ばわりはあまりにも失礼なことだと思いますが。
色々な立場があるのは分かりますが、それを考慮しすぎて現在の日本の状況にあるのではないですか?
寛容になりすぎたから、今汚染された食品や瓦礫がばら撒かれているのではないですか?
それと、被害者同士で差別していいのか、福島の子供たちはどうなるのかという問いは、触れられていませんね、そんなにどうでもいいことなんでしょうか。
一番の敵はもちろんそうでしょうが、それと戦うためには国民もしっかりしなければならないはずです。
でもいつまでも沈黙されていては、どうしようもないでしょう。
力を集中するにも、まず声を上げていただかないとどうしようもないのでは?
失礼な言い方になりますが、夢物語だけではどうにもなりませんよ。
拉致被害者の件も、結局は国民があまり声を上げないので進展していないですよね。
遠藤周作の『沈黙』がなぜ書かれたのか。この小説が意味することは何か。なぜ、ナガサキ原爆の爆心地が、浦上天主堂であったのか。
長崎で数年前に核シェルター 立山防空壕が公開され、県の職員は8月9日の原爆投下時に核シェルターにいたことが明らかになりました。
小倉がダメだったから長崎に投下したのではなく、はじめから長崎が目標だったことが明らかになりました。
それも、ヒロシマに続いて2発目だからより目立たない形になっている。
ナガサキとフクシマのつながり、予想以上に深いと思いました。
確かに被災地瓦礫の受け入れを拒んだ一部被爆者団体には理解出来ないです。放射線の拡散の可能性が低いのは誰もが知るところなのですから。
ですが勘違いをしてもらっては困ります。
被曝と被爆は同じ悲劇ではないということ。
原発導入当初日本全体が核に対して毛嫌いしていました。被爆者を差別していました。そのことも原発事故の時まで忘れていたのです。電力溢れる豊かな生活を謳歌していたのです。
立場上発言できないのは同じ立場ではないから。
東電の不徹底さのせいでもありますが、自然災害で事故なんです。
福島の方々のくるしみはわからないのです。
わかるはずないのです。わかっちゃいけないんです。
私たちは戦後65年以上もの間反戦、核兵器廃絶平和への祈り、祈りをつづけてきたのです。それと同じにして欲しくないのです。してはいけないのです。
核兵器廃絶は平和な社会実現の方法の一つとして大きな目標としているのであって
戦争という殺し合い、ナチス・原発という虐殺が2度とおこらないがための祈りなのです。
これは世界だけを相手にしているのではありません。日本にも訴えているのです。政府だけでなくあなたを含めた地球市民一人一人への訴えなんです。
広島・長崎の人は被ばくとしてひとくくりにされ、自分たちの思いが二の次にされている気がしてならないのです。
世界が平和に向けて一歩ずつでも確実に歩んでくれることを祈ります。