最近、被曝と思われる症状をツイッター、ブログなどで見かけることが多くなりました。私自身は、内部被曝の患者さんと直接話したことはもちろんありません。おそらく、話したことがない医師がほとんどでしょう。そして、症状をまとめたような教科書は、もちろんありません。
有名な方々としては、
・肥田舜太郎氏(被曝をされた医師・・現在94歳)
・橋爪文氏(市民の立場から原爆体験を語られる・・現在80歳)
・中沢啓治氏(はだしのゲンの作者・・現在72歳)
いずれの方も活躍されています。ブログ右上の検索ボックスにこの方たちの名前を入れていただけますと、たくさんの記事が出てくると思います。是非、お読みになってください。
橋爪文さんは、12月に新版で本を出されています。
ご自身の原爆体験、そしてその後にでた原爆症の話など、克明に記述されています。ちょっと、気になる内容がありましたので、書き抜いておきます。(p.148)
被ばく者は、白血球はもとより、悪性貧血、ガン、骨粗鬆症他様々な後遺症を持っていることが判明している。おそらく一人ひとりが人知れず心や身体の苦痛に耐えて生きているのだろう。
余談になるが、30年くらい前になるだろうか、会場は横浜だったと思うが、世界各国の医学者が集まって、放射能の人体に及ぼす影響についての研究結果の報告や意見交換などを含めたパネルディスカッションが行われたことがある。それによると、放射能障害についてはだいたいわかってきたが、ただ一つ研究の及ばないところがある。それは、被曝後すぐからその地に住み着き、その地に生えた、あるいは栽培したものを食べて生きた来た人の研究である。彼らは現在どんな放射能障害を持っているのか。
客席でこれを聞いた私は、その時はよほど手を上げようかと思った。私で役に立つものならば・・・しかし、私の心の深いところから鉛のような怒りが突き上げてきて、私を頑なにしてしまった。
ABCCによって人間であることを剥奪された日の憤りが、私の心に息づいてきたのであった。
原爆症の中で、特につらかったのを挙げ句ならば、それは「原爆ブラブラ病」ではないだろうか。
極度の倦怠感である。私の場合四六時中、何十年も続いた。あまりのつらさに、私は夜寝る時に神に祈ったこともある。「明日の朝、眼が覚めませんように」。
医師に懇願したこともある、「一日でも一時間でもいいから、さわやかで軽い身体にしてください。」
それが放射能の内部被曝によるものだと知ったのは、ずっと後になってからであった。
被曝による様々な病気については「被曝後の私の健康状態」(229ぺージ)に記した。
・・この健康状態によりますと、
1947年 白内障、乱視、SLE
等々の疾患にかかられたことがわかります。
ABCCは何をしたか から短いですが、証言を書き抜きます。
◎証言
1.深川宗俊氏「広島はたたかう」より(1966年、胎内被爆者・被爆二世を守る会発行)1945年8月6日、広島市内の救護所、病院は全滅しました。多数の救護班や救援隊が県内・県外から送られて来ますが、日本の調査団の貴重な調査研究は、すべて米軍の占領軍の命令で没収されました。原爆に関する研究発表も、原爆をテーマにした芸術作品も、9月19日に米軍が実施したプレスコードで、私信まで検閲されました。
当時宇品にあった原爆救護病院も10月14日、米軍メイソン大佐らの手で、それまで行った調査結果の提示を求められ、あらゆる研究資料や剖検材料を没収しました。メイソンらは、それは作戦行動の一部であると脅したのです。アメリカはABCCの敷地について、元宇品と比治山を要求したが、広島市は強く反対の意向を伝えました。「どうしても反対すれば、広島市にとっても日本政府にとってもいい結果にはならない。」というGHQの殺し文句でけりがついたのです。
占領中はこのような殺し文句が大手を振って通ったのです。学校の授業中でも子どもが連れ去られたり、街で遊んでいる子どもにチョコレートなどをばらまいて、ジープに乗せていったりしたのです。それに反すると、軍法会議にかけると脅すのです。ある少女の場合は、一糸まとわぬ裸にされたうえ、前・横から写真を撮られ、それを気にやみ精神異常をきたしたそうです。
2.岡村ヒサさんの証言 私は昭和20年当時、尾長町で産院を開業していました。41歳でした。その頃はまだ家庭分娩が多うございましたが、だんだん少なくなりまして、昭和30年頃には、皆産院に吸収されました。何も記録は持っていませんが、奇形がたくさん出ました。当時はABCCへ、みな報告しなくてはいけないシステムになっていました。奇形が出ましても、報告するのを嫌う人もございましたので、しなかったこともあります。
3.久保浩之さんの証言 妻は的場の電停にいましたが満員で次の電車を待っていて原爆に遭いました。前の電車に乗っていたら助からなかった。その後ABCCが何度も呼びに来て、最後は憲兵(MP)と一緒に来て、強制的に比治山の施設に連れて行かれた。抵抗すると軍法会議にかけると脅され、泣きながら採血され、脊髄液も取られた。また、ABCCは死産した奇形児などの胎児を渡すと、内緒で報酬がもらえた。
4.知人の女性の証言 ABCCで脳を取られて、返された子どもの様子を今でも鮮明に覚えている。頭部は目だけが見えるが、他の部分はすべて包帯でグルグル巻きにされて、悲惨な状態だった。
メールで個人的にいただいた証言
入市被爆の情報を集めておいでとのこと、私めの父方の祖父(他界)のことをご報告申し上げます。被爆地は広島です。
庄原に住んでいた祖父は、原爆投下3日後に、救護隊として市内に入りました。私めが物心付いた頃には祖父は既に他界しており、以下、父から聞いた話なのですが…。
救護隊の仲間のうち、広島市内の、井戸か水道か、とにかく、そこの水を飲んだ人は、庄原に帰ってほどなく、全員、亡くなってしまったそうです。祖父は、誰かから『危険』を教えられていたのか(今となっては確かめようもないのですが)庄原から持参の、水筒の水しか飲まなかったそうです。
それで命を永らえた祖父ですが、私めが物心付く前に亡くなってしまったくらいですのでやはり早死だったのでは…と思います。祖母も同様です。父は持病がありつつ元気なのですが、父方のおじ・おばに早死が多い…という印象です。
白血病で亡くなった叔父もおります。
祖母やおじ・おばは、被爆直後の広島に行ってはいないのですが、祖父が着て帰った服を、祖母がきっと『埃をはたいて、洗濯して干した』に相違なく、その回りに、子供たちもきっと居たと思います…。
上記の洗濯の情景は、あくまでも、私めの想像なのでありますが…。
ちなみに、母は被爆後半年もしないうちに(たぶん、その年の暮)に市内(基町)に戻って暮らしております。一度だけだったようですが、ABCCに検査されたとのことです。母方の叔父も、30代でガン死しております…。祖父も足の骨のガンになりました。玄関には、しばらく被爆瓦が積んであったそうです…。
また、別の方から
1) 彼は中国から引き上げてきて、原爆ドームの側に住んでいました。遊び場は原爆ドームの瓦礫のなかだったそうです(入市被爆調査)。
2) S21年頃(小学2年)より数年間にわたりABCCの調査に協力していたそです。
3) 調査内容は血液検査が主体の調査だったが、身体能力検査などもあったそうです。
4) 代用食の時代で血液を大量に採血されて、目が回っていたそうです。
1) 友人の死亡
基町の我家から100mも離れていない所に、丸山君という同期生がいました。毎日戸外でキャアキャアと言って遊んでいました。ある朝、突然弟と一緒に死んだと聞かされ、嘘だと叫びました。
本当に2人共に死んでいました(昭和24年頃)。
死因は、当時配給されていた大豆油の絞りカスの食事が悪かった、といわれていました。放射能など話題にもなりませんでした。私たちも毎日代用食を食べていました。
2) 広島では原爆の影響で、何十年もペンペン草も生えないといわれていましたが、現実はご存知の通りです。私は広島城のお堀で毎日遊んでいました。お堀は今風に言えば放射能のホット スポットだと思いますが特に放射のによる不具合は考えたことはありません。正直良く分からないのが実感です。
追記(3)
1)ある日、夕食の時間まで屋外で元気一杯で遊びましたが、翌日の朝「兄弟共に死んだ」と聞かされました。当然信じられず、彼らの家(長屋)の裏の窓をよじ登り室内を眺めました。確かに2人並んで横たわっていました。兄弟が一度に死去するなどは、私は今でも食中毒ではなかろうかと思っています。
2) 蓮の実 蓮の実は今でも懐かしい食べ物です。お堀に乗り出して思う存分採りました。満腹になるまで食べて残りは家に持ち帰りました。私は皆様の何十倍も蓮に実を食べているでしょう。
東京に出てきても、自然食品の店で蓮の実を売っていることがありました。懐かしくて買って食べた記憶があります。
蓮の実は、橋爪文氏の本の中にも出てきます。こういった細かな描写が一致することこそ、本物かどうかを見分ける重要なポイントだといつも考えています。
最後に、平和データベースから
広島平和記念資料館では、被爆の実相を後世に伝えるため、昭和61年度(1986年度)から、広島で被爆された方の体験談をビデオに収録し、貴重な資料として保存・活用しています。
被爆体験は非常に重要な記録です。今回、手記をお寄せいただいた方々、本当にありがとうございました。まだまだ載せていきたいと思っていますので、もし、原爆経験や、祖父母の話などを聞かれた経験がありましたら、 a00@onodekita.com まで、送っていただけますと幸いです。
被曝への対応方法(みんな楽しくHappy♡がいい♪)から
放射線になんか負けない! 肥田舜太郎氏の負けないメッセージ。 もご覧ください
2011年12月20日
原爆被ばく者の方の証言
posted by いんちょう at 21:18| Comment(8)
| 原子力
先日、Facebookで教えてもらった南相馬の女性のブログがあります。
これも、放射能の影響なのかわからないという人もいるのでしょうけれど、これこそ、照明できない恐ろしさなのだと泣きそうになりながら読みました。
髪がごっそり抜け、爪が無痛ではずれたり・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/kmasa924/28532025.html
歯もこんな風になっていることを写真入りで訴えてあります
http://blogs.yahoo.co.jp/kmasa924/28563665.html
症状を書けば書くほど、圧力がかかっているようで、心配です。
もちろん、できることなら避難して頂きたいのですが、この方の日々の症状はリアルすぎて嘘だととても思えません。
この小佐古氏について、「街の弁護士日記 SINCE1992」様のブログに詳細情報が記されている。2つほどさわりをご紹介。
1.>2011年4月30日 (土)
http://moriyama-law.cocolog-nifty.com/machiben/2011/04/post-36f6.html
ついに漏出、学者の良心
政府様が「国民の安心」のために、日夜、心血を注いで努力されておられる神々しいお姿に、忠良なる下僕として、心から敬服する次第でございます。
・・・
ところが、こともあろうに東京大学大学院という官学の殿堂からお選びになった小佐古教授が参与を辞任したというでばありませぬか。
・・・
小佐古教授は放射線安全学の権威であります。
その専門家が、学校の校庭の利用を認めるに当たって、政府様が採用した数値は、とんでもない数値で、到底、子どもの安全を保証できないとして政府様を批判しました。
政府様が採用された年間20ミリシーベルトは、原子力発電所の放射線従事者でも希な被曝量であって、子どもに適用することは科学的にもヒューマニズムの立場からも正当化できないとまで述べております。
小佐古氏は、絶句し、涙まで流しておりました。(以下略元ページ参照)
2.>2011年5月 3日 (火)
http://moriyama-law.cocolog-nifty.com/machiben/2011/05/post-74b1.html
小佐古参与会見中止 政府圧力で
資料を揃えて改めて詳しい会見をするとしていた小佐古氏が官邸の圧力で、急遽2日の会見をキャンセルした。
中日新聞の会見中止の記事を見て、一遍に目が覚めた。
正直者の僕は、政府がそこまでやるかと、不覚にも驚いた。
全国紙では、少なくとも目立つスペースには取り上げる可能性は低いと思うので、以下に記事を張り付けておく。(以下元ページ参照)
例えストレスに晒されたとしてたった9ヶ月で次々と歯を失うものでしょうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/kmasa924
このコメントは特に公開いただかなくて大丈夫です。
ある人:地位協定破棄しても、アメリカで新自由主義を叩き込まれた売国官僚が省庁を牛耳ってるし、主要企業群は株式で米国資本に与されてるから、どうにもならないですよ。 ▲
通りがけ:破棄してもどうにもならないとは思いません。
もし本当に地位協定の治外法権が何も日本の政治に影響がないのならとっくに破棄されているでしょW
あの治外法権があるばっかりに311震災後遅くとも翌312には菅首相官邸内部に米軍事顧問の米軍属が正式な外交ルートを経ずに入り込んでおり、無知無能な菅首相に米軍保護の立場から指図して福一の処理を妨害して爆発拡大させ、外部から人間が近づけないようにして事故原因究明を出来なくさせたのは間違いないです。
地位協定の治外法権がなければそんな外国の首相官邸に外交官でもない下っ端の軍人が乗り込むような悪さを密かにやってのけることは不可能ですね。
7月にはブログで鼻血が出た、と書いていて、今月10日には、太ももに謎の紫斑、
http://ameblo.jp/nakagawa-shoko/entry-11102820813.html
そして今回の嘔吐と高熱…。
巷で噂されている例の病気の可能性もあるのではないでしょうか? だとしたら、一刻も早く治療を始めないとまずいのでは。
彼女のブログにコメント欄がないので忠告できないのですが、もしこちらのブログをご覧の方でアメーバブログ会員の方、メールは送れるようなので、精密検査するように言ってあげてください…。
さて検察は戦前から特高検察というゴロツキよりさらに悪いアメリカ同様の鬼畜でした。敗戦後乗り込んできたGHQの占領統治の手先ポチになって生き延びた彼らは、DVや精神疾患が外形上偽性遺伝するのと同じように治外法権で暴虐凶悪犯罪やりほうだいのGHQの姿をそっくりそのまま自分たちへ取り入れたのです。米軍同様口先だけの「トモダチ」「民主主義」「人権」「自由平等」などの美辞麗句の偽善お題目をテキトーにちりばめてマスゴミと共謀して不正を誤魔化しつつ、かつそれをも効果的に心理的恫喝に使いながら暴力の揮いたい放題に、米外交官でもないのに勘違いして日本人である自分にも治外法権があるかの如く振る舞いつづけてきた。
かくしてここまででたらめな法匪鬼畜検察が出現し、判検癒着して司法を奇形化し、警察キャリアエリートと一体になって不正に談合して日本の司法全体を鬼畜以下のどん底にまで腐らせた。
つまり、地位協定を破棄して治外法権は外交官のみの特権であるという国際法の常識を日本国に確立発効させれば、日本国憲法に従って今の奇形司法法匪検察泥棒警察を一網打尽に弾劾検挙訴追できるのです。
さすれば日本の独立復興はたやすい。なぜなら地位協定という奴隷契約こそ日本をアメリカスパイ天国であり官僚天国でありスパイ官僚天国であらしめる原因病因病原体なのであるから。
なぜ逃げないのか?
という疑問はさておき 彼女に限らず 福島在住の方のブログに「頑張って下さい」とコメントする人たちの神経がわからない。
頑張って…って何をどう頑張るの?
どんなに頑張っても人間は放射能には勝てないのだから コメントするなら「早く逃げて下さい」しかないだろう。 それが言えないなら黙ってろ!軽々しく「頑張って」なんて書き込むな!
そう励まされたら 逃げたくても逃げられなくなったりするんじゅないか? それが心配です。
とにかく福島の人たちには1分1秒でも早く逃げてほしい。
p28に作業に配属された兵士の生と死に、オルガさんの息子レオニッドさんの記録が出ている。
1987年の7月〜12月に歯が22本抜けるとある。
ぬまゆさんの歯が抜けると、同じ症状が、1990年発行の本に記されている。
恐ろしい。
同じことが、起こっている。この日本で。