かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。
見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。
《旧約聖書の伝道の書(新共同訳ではコヘレトの言葉)1章8節〜10節》
今回の原発・放射能災害を小規模に起こしたものが水俣病だと最初から思っています。その関連性については何度もブログで紹介してきました。
そんなことでは被害は起きないと、さも玄人のような話で説明しておきながら、いざ被害が起きると我々には知識がなかったと主張する国の役人たち。
今回のガレキでも、環境省は「放射能の知見はない」と公言しながら、環境省近畿地方環境事務所、廃棄物・リサイクル対策課長の林里香氏は
今夜の立山町のガレキの説明会(岩峅公民館)で、環境省の課長(女性)が、「100ベクレルは枕元に置いても安全な基準値です。」と言いました。住民から失笑を買いました。
と発言されました。本当にそう思われているのかどうか。
さて、本日の話題。次のブログから記事を利用させていただきました。
水俣病・有機水銀中毒 12010年03月20日
昭和31年5月1日,水俣市の新日本窒素(現,チッソ)水俣工場付属病院の細川一院長が,「水俣市の漁村一帯に,これまでに見たことのない中枢神経疾患が多発している」と水俣保健所に報告した.細川院長が保健所に報告した奇病というのは,歩行障害,言語障害,狂躁状態などの原因不明の中枢神経障害をきたす小児患者で,チッソ水俣工場付属病院に入院してきた5歳の姉,引き続き入院した2歳の妹,この姉妹が報告のきっかけとなった.この姉妹は水俣市内月浦に住む田中義光さんの子供で,姉妹の症状は進行性で日本脳炎に似ていた.しかし日本脳炎の特徴である発熱,頭痛,嘔吐はみられず,これまでに経験したことのない悲惨な症状を示していた.さらに医師たちを驚かしたのは,同じ症状の患者が近所にもいるという家族の話だった.そのため内月浦地区周辺を調査することになり,その結果,田中姉妹と同じように四肢の筋肉を硬直させ,狂声を発する患者8人が見出され入院することになった.
昭和31年5月16日,熊本日日新聞は「水俣に子供の奇病,ネコにも発生」との見出しで水俣病を報じた.この水俣の奇病は人間に限らず,他の動物にもみられていた.海岸周辺の住民の話から,10年以上も前から水俣湾の魚介類が大量に死んでいることが観察されていた.また数年前から「猫が痙攣を起こし,よろけながら歩き,狂ったように急に走り壁にぶつかり,あるいは海に落ち死んでしまう」,このような不気味な現象が地元では知られていた.さらに不気味なことに,ふらふらと飛んでいたカラスが急に落下するのを目撃した住民も多数いた.
水俣病の公式届出の約3年前である,昭和29年7月31日の熊本日日新聞は,「猫がてんかんで全滅」の見出しをつけて記事を掲載していた.漁村では網がネズミにかじられないように猫を飼う家庭が多かった.その猫が全滅したため.ネズミが増え網がかじられる被害が多発していると報じたのである.その当時は猫の病気はあまり問題にされず,住民たちはこれを「猫踊り病」,「猫の自殺」と呼んでいた.さらに飼い猫が「猫踊り病」で死んだ家では,その後,同様の症状の患者が発症していることが分かった.
最初の報告は、チッソの病院長です。この方は告発したあとどうなられたのでしょう。
水俣病は狭い地域に集団で発生していることから,また患者の家の猫も「猫踊り病」で死んでいたことから,奇病の原因として最初に注目されたのが新種の伝染病であった.そのため白衣を着た保健所職員が患者の家を真っ白になるまで消毒し,患者は疑似日本脳炎として隔離された.この伝染病という噂により,患者たちはさまざまな差別を受けることになる.患者の家の前を通る人たちは,手で口をふさぎながら,足早にすぎていった.患者が街を歩けば,住民は汚いものを見るように,遠くから患者を見つめるのだった.患者がバスに乗ると,乗客は席を立ち離れようとした.このように患者や家族は病苦だけでなく,周囲からの差別を受け,孤独の中で苦しめられていった.村八分と同じ扱いを受けたのである.
(中略)
熊本県水産課は,因果関係は明確ではないが,工場排水による魚介類の汚染が原因と考え,食品衛生法に基づき工場排水の停止と漁獲禁止の処置をとろうとした.しかしチッソ会社と日本化学工業協会は政府に圧力をかけ,厚生省は熊本県の処置を認めなかった.また漁業の補償問題を懸念した行政は,すべての魚介類が有毒化している証拠がないとして,漁獲禁止の措置をとらずに放置した.水俣の漁民は病気を恐れ,また水俣湾の魚は売れずに水揚げは激減した.昭和31年に45万トンであった水俣湾の魚介類の水揚げは,昭和32年には1万トンまでに激減した.漁民は生活の補償を受けられず,どん底の生活に追い込まれた.しかし一方では,この水揚げの激減により,昭和32年には新たな患者の発症はみられなくなった.
(中略)
水俣市はチッソあっての水俣市であった.水俣市はチッソ工場を中心に商店街が連なり「チッソ城下町」とよばれていた.市民の多くがチッソ工場で働き,チッソは水俣市のドル箱と言われていた.地元の人たちはチッソが奇病の原因と疑ってはいたが,チッソで成り立っている水俣市では,チッソ水俣工場の存在は余りに大きく,市当局や市議会は常にチッソに対し逃げ腰だった.
チッソは工場内の立ち入り調査を執拗に拒否し,そのため工場内の調査は不可能な状態であった.工場排液が怪しいとの確信があったが,水俣市の財政の半分以上を占めているチッソ水俣工場に立ち入る勇気を誰も持たなかった.「チッソ城下町」と呼ばれていた水俣市で会社の責任を追求することは出来なかった.そのため原因究明は大きく遅れをとった.
(中略)
昭和33年9月,それまで水俣湾へ直接流していた排水経路を,チッソ水俣工場は突然反対側の水俣川河口へと変更した.それまで狭い水俣湾に停留していた廃液が不知火海へ直接流されることになった.なぜ排水経路を変更したのか,このことについて会社側の説明はなかった.チッソ水俣工場は工場排液を水俣病の原因と認めていなかったが,狭く限局した水俣湾に廃液を流すよりは,広い不知火海へ廃液を流すほうが希釈され被害が少なくなると予測したのであろう.
しかしこの排水路の変更により決定的なことがおきた.水俣湾周辺に留まっていた水俣病患者が,汚染海域が拡大したため不知火海全域で発症することになったのである.それまで患者の発症が見られなかった不知火海沿岸各地,さらには離島にも患者が続出する事態になった.このため不知火海沿岸はパニックに陥ることになる.この工場排水の変更が,被害をさらに拡大させ,工場排水が水俣病の原因である可能性を高めていった.
(中略)
昭和34年10月以降,工場幹部は水俣病の原因を廃液と知りながら,うやむやにする工作に出た.まず患者や漁民に対しわずかばかりの見舞金,補償金の支払いを約束する.そしてその条件として「将来水俣病が工場排水によるものと判明しても,新たな補償金の要求は一切しない」という項目をいれた.さらにこの補償金は会社側の責任を示したものではなく,あくまでも「隣人愛による行為」と説明したのである.
現在の東電もまったく同じ賠償をやっています。
熊本大学の有機水銀説を否定するかのように,昭和35年4月12日,東工大教授・清浦雷作が「水俣病の原因は腐った魚介類の毒(アミン説)」によると新聞紙上で大きく発表した.清浦雷作は水俣湾の魚介類を分析した結果,魚肉が分解したときに出る4種類のアミンを検出,これを猫に注射すると水俣病と同様の症状が出ることから,魚介類のアミンが何らかの反応によって有毒化したことが水俣病の原因と発表した.翌36年には東邦大学・戸木田菊次教授がこのアミン説を支持する論文を書いた.このように水俣病の原因について,熊本大学の有機水銀説と清浦雷作のアミン説の2つが対立したが,当時のことである,田舎の熊本大学よりも東工大教授・清浦雷作の方が多くの支持者を得ていた.
さらに日本化学工業協会・大島竹治理事,横浜国大・北村教授は水俣湾に流れ込んだ農薬が原因であるという農薬汚染説を主張した.また戦時中水俣にあった日本海軍施設の爆薬が海中に投棄され,その中の爆薬が溶けだしたとする「爆薬投棄説」まで持ち出された.これらチッソ工場の立場を守ろうとする諸説に対し,メチル水銀説の熊本大教授らはただちに反論したが,メチル水銀の出所を明らかにすることはできなかった.チッソ水俣工場が廃液の検査を拒否したため,原因の決め手に欠いていたのである.チッソ水俣工場は無機水銀を使用していたが,有機水銀は使用していないと無関係を強調した.
まさしく、現在も東大の御用学者が、フリージャーナリストその他のただしい意見を権威でもって押さえつけています。
水俣病は他の公害病とは異なっていた.海水によってきわめて薄い濃度に希釈されたメチル水銀が,水中の生物間の食物連鎖を経由して,魚貝類に高度のチル水銀として濃縮されたのである.この数万倍にも濃縮された魚貝類を摂取した人々のなかからメチル水銀中毒症の犠牲者が出たのである.
放射性セシウム、ストロンチウムについても同様の食物連鎖被害が予想されますが、東大を始めとする御用学者は、希釈するので大丈夫と話しています。水俣病をご存じないのでしょうか。
水俣病が問題化した昭和30年代は,日本の経済が復興し,高度成長時代の牽引役として工場側を擁護する雰囲気があった.また政府も工業立国を目指す政策から工場側に有利な立場を取っていた.明治41年,チッソ水俣工場が操業を開始して以来,チッソは日本の化学工業をリードし,水俣市の政財にも大きな影響を及ぼしていた.経済成長を最優先した時代に,工場排水が原因として強く疑われたが,国や市は工場の操業停止を求めることはなかった.これらが水俣病の解明を遅らせ,被害を大きくしたのである.水俣病は被害の大きさと悲惨さから公害の原点といわれている.
水俣病の患者はチッソ水俣工場を相手に裁判に踏み切った.チッソ水俣工場は「メチル水銀による水俣病の発生は予想できなかった」,「アセトアルデヒドの生産過程で有機水銀が発生しすることを知らなかった」,「熊本大学医学部の水俣病研究班は3年かかって原因を明らかにしたが,医学専門家でない技術者に原因がわかるはずはない」,などの弁明をした.
まさしく、このあと数年経って、環境省が口に出しそうな弁明をチッソがやっています。
このままでは震災ガレキ、放射能被害は、水俣病の二桁、三桁、いやそれ以上の災禍を持って、日本人を襲うのは明らかです。
チッソ=東電、水俣市=福島県 と考えれば、現在の状況が納得できるのではありませんか?
◆関連ブログ
ロボトミー・・悪魔の手術が終わるまで2011年10月19日
水俣と福島(上)−企業城下町では真実は封殺される2011年08月11日
水俣と福島(下)−チッソ、東電、国、そして御用学者・・企業救済を優先2011年08月12日
東大・専門家を信用するな2011年04月20日
タグ:水俣病
先生のブログは、私の知らないことが、載っているので、頭の悪いグレープおばさんは、時間をかけて読みたいと思います。
正義のお医者さんが居て、感激しています。これからも、ちょくちょく訪問します。ありがとうございました。
ちょっとタイトルとは異なるのですが、先生のツイッタ―「ロンドンオリンピックが平穏無事に終わるかどうか。極限まで身体を鍛えている人間に対する影響は、無視できないだろう」を読み、気になる報道を添付いたします。(ご存知かと思いますが)
下記の映像は、非常に痛々しいものです。
この日のために、心身ともに鍛え上げていたはずの選手たち。当然、食事にも気を使っていたでしょう。けれど放射能に対する知識を、フードコーチや栄養士らが持ち合わせていなかったら…悲劇です。
この試合、彼女の鍛え抜かれた美しいボディが仲間とシンクロせず床に崩れた時、日本の未来を見てるようで背筋が凍りつきました。
同時に、かわいそうでかわいそうで涙があふれます。
どうかロンドン5輪で悲劇が起きませんように。祈るだけでなく、食べ物・飲料・サプリには最善の注意を払っていただきたいと思っています。
あらためて、母親として子の食事に気をつけなければ、と肝に命じています。
一連の不可思議な出来事が放射能の影響だとしたら・・・おそろしいことが始まっているのですね。
■新体操五輪代表候補、遠藤由華が試合中に骨折
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0505&f=national_0505_090.shtml
■映像
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=z0GIm_2Jn5E
中川恵一が珍説を披露するのは勝手ですが、驚いたのは中央の大手新聞が大々的にその見解を載せたことです。嘘を拡散する新聞を金を払って購読する日本人も日本人ですが、何かが大きく狂っている感じがします。
福島事故のA級戦犯は御用学者よりも、それを重宝し、使用し、事故の隠ぺいに加担し続ける大手メディアではないでしょうか。
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
「盛者必衰」という言葉から現状を打開するためのヒントがあるかと思って平家物語を改めて読んでみたら、その続きには、過去と同じ過ちの繰り返し、異国でも同じ過ちが行われていたということが書かれていますよね。人間、何も進歩していません。
この時代を生き残るのには、歴史に学び、外国に学ぶこと。これが大事ですね。
そうでないと、10年後には、放射能で騒いでいたころは未だマシだったということになりかねません。
巨大な箱モノを作ったけれども、イタイイタイ病の教訓を全く学んでいないほとんど富山県民。最低です。
NHKの自民党総裁選挙のニュースで東北で石原伸晃前幹事長が演説している中で「がれきの法律は自分たちが作った」とポロリと発言していました。
言われてみれば石原慎太郎東京都知事の息子だから納得。どうりで自民党王国富山県にがれきが押しつけられるわけです。
震災がれき試験焼却実施費用600万円も9月県議会補正予算でついたし、富山県立山町にあるクリーンセンターで試験焼却をやられるのは時間の問題、立山町の運命は風前の灯です。
現在、焼却灰を埋め立てる山本処分場がある富山市市長の判断待ちですが、
富山市市長は3月のみんなの力でがれき処理プロジェクトの発起人ですから、やられるのは時間の問題です。