津波に襲われた東京電力福島第1原発が、危機的な状況を続け住民に退避を強いる一方、より震源に近い東北電力の女川原発(宮城県)は安全に停止、被災した周辺住民が避難所として集う。
太平洋沿岸の2原発が明暗を分けたのは、設計時に想定した津波の違いによる立地の差。ただ、女川原発にも想定を超えた波が到来しており、避難している住民からは「お世話になっているし、信じるしかない」と複雑な声も漏れた。
福島第1原発が想定した津波は最高約5・7メートル。しかし、実際にやってきた津波は高さ14メートルに及び、海寄りに設置したタンクやパイプの設備を押し流した上に、重要機器の非常用発電機が水没。東電は原子炉を冷却できなくなる事態に追い込まれた。
東電は「想定には設計当時の最新の知見を取り入れたが、はるかに超えてしまった」とする。
一方、宮城県沖地震など幾度も津波に見舞われた三陸海岸にある女川原発で、東北電は津波を最高9・1メートルと想定。海沿いに斜面を設け、海面から14・8メートルの高さに敷地を整備した。
港湾空港技術研究所(神奈川)などの調査では、原発から約7キロ離れた女川町中心部を襲った津波は、原発の敷地の高さと同じ14・8メートル。津波は一部で斜面を超えた可能性もあり、1〜3号機のうち最も海に近い2号機の原子炉建屋の地下が浸水したものの、「重要施設に津波は及んでいない」(東北電)という。
浸水で2号機の非常用発電機の一部が起動しなかったが、別の系統が稼働し、無事停止した。
そんな原発に、周辺から被災した住民が身を寄せる。東北電は敷地の体育館に最大で約360人を受け入れ、食事も提供している。町内の60代女性は「原発の交付金で町にハコモノばかりでき、何だと思っていたが、それのおかげで命拾いしたので、複雑な思いです」とつぶやいた。
2011/03/27 17:36 【共同通信】
この5.7メートルという数値は、わたしがいたときには全く見なかった数値です。私自身は、本店原子力技術課勤務時代(1993-1995年)に当時行われていた1F-1の定期安全レビューの津波、自然災害の部分を担当しました。この定期安全レビューは、古いプラントが最新の知見に照らしても、十分に安全が担保されているかどうかを再評価する仕事でした。
1Fのプラントは建設してから30年近くが経ち、このようなレビューが必要となったのです(経緯はよく知りません)担当していたのは、武藤栄技術課長(震災時副社長)、高橋毅副長(現福島第一原子力発電所所長)、あと同じ東大精密機械工学科卒業の一年上の先輩、+東芝(例の奈良林氏を含む)+日立(GEのプラントだったので、日立も絡んでいたのだと思います)で98%の仕事をこなし、のこりの2%のみが私の業務でした。その数少ない担当の一つが津波分野でしたので、非常に記憶に残っています。想定津波は、1メートルもなかったと記憶していましたので、事故当初のこの記述には非常に違和感が残っていました。
どうにか当時の報告書のコピーが手に入らないかと思っていたのですが、その一部をコピーしていただいたのでこちらで紹介させていただきます。ありがとうございました。
情報入手先

〒105-0001
東京都港区虎ノ門4-1-28 虎ノ門タワーズオフィス
電話:03-4511-1111(代表)/03-4511-1981(13F原子力ライブラリ)
文献




(この資料の別添に津波の想定高さを書いたA4 1枚紙をつけた記憶があります。どなたか、複写して送付していただけないでしょうか。)
自然災害の最初の項目に
c.津波、高潮については、敷地レベルを小名浜で確認された最高潮レベル(+O.P. +3.7m)以上としている。また、福島第一原子力発電所1号機の敷地付近での津波、高潮による被害は見あたらない。
とさらりと書いてあります。
黎明 -福島原子力発電所建設記録 調査篇-(クリックで映画にリンクします)

2分50秒頃
この地方一帯は、農業を主とする静かな田園地帯で
過去数百年にわたって
・地震
・台風
・津波
による大きな被害を受けたことがない。・・・
とありますが、この映画を見ておわかりのようにもともとは断崖絶壁があったわけですから、津波の被害にあうはずがありません。それを経験がないと言って、切り捨ててしまっているのです。
福島第一原子力発電所より
当時、発電所の立地点では継続的な潮位観測を実施しておらず小名浜港のデータが参考にされたが、その観測結果(1951年〜1961年)は次のようになっており、こうした情報を元に防波堤の設計などが実施された[10]。
高極潮位:O.P+3.122m(チリ地震津波)
塑望平均満潮位:O.P+1.411m
平均潮位:O.P+0.828m
塑望平均干潮位:O.P+0.091m
低極潮位:O.P-1.918m(チリ地震津波)
波向は次のようになっており、汀線に直角な東方向が多い傾向であった[11]。
冬期:東北東方向が卓越
春期〜夏期:東〜東南東方向が卓越
秋期:東方向が卓越
防波堤の設計に当たっては、取水口開渠内の最大波高が50cm以下になるように計画し、南北2本の防波堤で波浪を防ぎ、この防波堤を超えた波については取水口周辺に設けた東防波堤によって防ぐものとした。建設する港については3000トン級の船舶が入港可能なように、港口幅100m、港内泊地の水深6mを確保している。防波堤外には波消用にテトラポッドを投入した[12]。
北防波堤天端高:O.P.7m 南防波堤天端高:O.P.5m
値が会います。この記述はニセモノではない証拠です。この記述が正しいとすれば、チリ沖津波の想定は、3.1-1.4=1.7mと言うことになります。私の記憶(70センチ)はさすがに間違いでしたが、津波を考慮に入れていないことは明らかであり、最初に述べた記事の5.7mは少なくとも設計投書の津波高ではありません。
この津波については、東電が中間報告書にしっかりと記述していました。

福島第一と第二の被害の差。この差が爆発に至ったかどうかの比較になるべきで、運転員などすべての力量について、第一原発の方がはるかに上なのは、東電社員なら全員が知っていることです(1Fはトラブルが多いので、その分対処方法に習熟しています。逆に2Fはほとんどトラブルがないので、運転員が習熟する機会はありません)1Fの技術管理が悪かったという報道には、もと東電社員の一人として憤りすら覚えます。

福島第一原子力発電所の各号機は昭和41年〜昭和47年に設置許可を取得している。当初、津波に関する明確な基準はなく、既知の津波痕跡を基に設計を進めていた。具体的には、小名浜港で観測された既往最大の潮位として昭和35年のチリ地震津波による潮位を設計条件として定めた。(O.P. +3.122m)
(中略)
平成5年10月(1993年)、国から、北海道南西沖地震津波を踏まえ、最新の安全審査における津波安全性評価内容を基に、改めて既設発電所の津波に対する安全性評価を実施するよう指示があった。これを受けて、平成6年3月(1994年)、福島第一及び福島第二原子力発電所の津波に対する安全性評価結果報告書を国へ提出した。
私にはこの報告書の記憶はありません。しかし、通算省はどんな災害が起きても「新しい知見」はなかったことを至上命題にしますから、とうぜんこの津波評価は否定されません。
当社は、「津波評価技術」に基づき計算した津波水位を
福島第一原子力発電所:O.P.+5.4〜5.7m
福島第二原子力発電所:O.P.+5.1〜5.2m
と評価し、機能維持の対策としてポンプ電動機のかさ上げや建屋貫通部等の浸水防止対策などの対策を実施した。なお、この計算結果については、平成14年3月に国へ報告し確認を受けている
電力が得意な国のお墨付きを何度も何度も書いてきています。
平成18年9月に発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針が改訂され、この新指針に基づき耐震性について再度確認する(以下、耐震バックチェックと記す)よう国の指示が出された。耐震バックチェックにおいては、既に地質調査等を終え、基準地震動を策定するとともに主要設備の耐震評価を中間報告として国へ提出している。津波については、地震随伴事象として最終報告書で評価する必要があることから、その最終報告に向けて最新の海底地形と潮位観測データを考慮し、平成21年2月に「津波評価技術」に基づき再評価した結果、津波の水位は
福島第一原子力発電所:O.P.+5.4〜6.1m
となり、その津波高さに応じて、ポンプ用電動機のシール処理対策等を講じている。また、福島第二原子力発電所の再評価の結果からは追加の対策は必要なかった。
以上のとおり、これまで様々な取り組みを行ってきたものの、今般の津波は当社の想定を大きく超えるものであり、結果的に津波に対する備えが足らず、津波の被害を防ぐことができなかった。
東電、15m超の津波も予測…想定外主張崩れる 福島原発
東京電力が東日本大震災の前に、福島第一原子力発電所に従来の想定を上回る10メートル以上の津波が到来する可能性があると2008年に試算していたことが政府の事故調査・検証委員会で明らかになった問題で、東電は同じ試算で高さ15メートルを超える津波の遡上(そじょう)を予測していたことが24日わかった。
大震災で同原発は、14〜15メートルの津波に襲われたが、「想定外の津波」としてきた東電の主張は、15メートル超の遡上高の試算が明らかになったことで崩れた。東電は試算結果を津波対策強化に生かさず、大震災4日前の今年3月7日に経済産業省原子力安全・保安院に対し報告していた。
東電によると、国の地震調査研究推進本部が02年7月に新たな地震の発生確率などを公表したのを受け、東電は、08年にマグニチュード(M)8・3の明治三陸地震(1896年)規模の地震が、福島県沖で起きたと仮定して、福島第一と第二の両原発に到達する津波の高さを試算した。第一原発の取水口付近で高さ8・4〜10・2メートルの津波が襲来。津波は陸上をかけ上がり、1〜4号機で津波の遡上した高さは海面から15・7メートル、同5・6号機で高さ13・7メートルに達すると試算した。
(2011年8月25日10時31分 読売新聞)
このような報告をしていたにもかかわらず、社内報告書では全く持って想定外だと主張する神経。論理破綻していることに気がつかないのでしょうか。
そもそも、この想定津波は敷地の高さ+10mを下回るために,対策を取ることが比較的容易だからやっていたに過ぎません。もし、小高・浪江原発ができていたら、地球は終わっていたでしょう。そして,15メートルの津波に耐えうる核発電所を作ることは不可能です。津波来襲1ヶ月後のガレキの状況

よく見るとぺしゃんこになった自動車もあります。このような津波に対して、電力会社・国は次のショベルカーを配置しただけで、もう大丈夫と太鼓判を押しています。

こんなちんけな重機であの津波に対抗できると考えているとは、もはや関東軍以上の低レベル頭脳としか言いようがありません。自分たちが生きている間には、津波は起きないと考えているんでしょう。
本日、関西電力は性懲りもなく大飯原発を再稼動させたようです。ところが、関電は津波が来ることを知っています。若狭湾の大津波(伝承)・・関電は知っていた・・破砕対があることも知った上で、原発を作っていますから、非常に悪質です。このままでは我々は我欲に満ちた電力会社に本当に殺されてしまいます。
◆関連ブログ
若狭湾の大津波(伝承)・・関電は知っていた・・2011年05月27日
子供だましのシビアアクシデント対策2011年06月25日
地震で壊れるplus津波でさらなるダメージ、一般市民の方が想定できちゃってるのに、ほんと、まともに想定できない彼らに備えも何もできません。
ユニチカが、γ線遮蔽できるシートを開発したとのこと。これでがれき、焼却灰の埋め立ても安心!て、神話路線のみなさんがたいした検証、批判もなく乗っかっちゃうことを恐れます。堂々と放射能に知見がないことを認めながら放射能がれきを全国にばらまく環境省役人や、安全神話どっぷりの御用学者がまたしても、根拠なき安心を振りまくための浅知恵で国土にさらなるダメージの上塗りを重ねてもらいたくありません。
662KeVを5枚重ねで遮蔽できる。ふぅーん、では水、温度変化、圧力などに対する耐久性は?強度は?
放射能の減衰には、5年10年の時間軸では間に合わないことを分かった上で、不完全なものとして使用するなら、シートの定期点検、監視、交換を誠実に実施しなければなりません。正直、こんな日本にできるんかいって気持ちですが。
そして、そうは言っても、原発収束作業に当たっておられる方たちを始め、否応なく職務上放射能に曝されて働く人を護るための技術開発は、未来世代のためにもわたしたちの悲願です。
どうか、原発のように利権のためでなく、このように世界を変質させてしまった償いとして、一刻も早く防護技術が確立されることを願います。わたしは科学技術で貢献できない分、不実な人間と戦い続けます。
夜中の人口衛星から見た東京は異常に明るい
この光の中で自分を含めた人達は病気とも言える快楽に酔いしれていたのです
今となっては本当の病気を恐れなければいけない
しかも何の罪のない子供までもが・・・
人間が生きるために必要な最低限のエネルギーについて考えなければ
あの原子炉の爆発はただの事象となり
現代人全員を不幸にさせてしまう
結局、地震関連の記事を読むことに没頭しました。悲惨な地震や津波、東電の対応、避難された方々の生活や残された家畜についての記事を3週間分まとめて読むのは、気の重くなることでした。
多くの記事の中で、強烈な怒りを覚えたのは、「1000年前にも大津波があったという歴史的事実を無視して、東電が福島原発を建てた」ということでした。歴史に謙虚になっていたら、今回の事故は防げたのではないかと思うと、図書館のソファに突っ伏したくなりました。
今、図書館まで出かけて、その記事をコピーして来ることができませんので、コンピュータで検索したいくつかの記事と動画を添付致します。
歴史的な津波の一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
貞観地震
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110515-OYT1T00788.htm
読売新聞2011年5月15日 仙台平野、弥生時代にも巨大津波に襲われていた
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110515-OYT1T00788.htm
東北地方太平洋沖地震 発生地点⋄規模⋄時刻分布図
http://www.youtube.com/watch?v=QGH08OyQXg4
発生した地震を可視化したのが凄すぎる件
http://www.youtube.com/watch?v=f1NCiar5m94&feature=related
ちきゅうTV Vol.13 東北地方太平洋沖地震調査掘削
http://www.youtube.com/watch?v=t-h-TMiMlDs
独立行政法人海洋開発研究機構 巨大地震⋄津波発生の解明に向け地球深部へ
http://www.jamstec.go.jp/chikyu/exp343/j/index.html
貞観地震については、以下をご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E8%A6%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87
今まで地元産(関西圏)をこつこつ集めて並べていたお店まで・・・。
葉物は東北の物しかありませんでした。
なぜ?
東北の野菜・果物が出回る季節だから?
それとも何か他に理由があるのかな?
事故後、汚染稲わらや、汚染茶葉の汚染経路調査なる、なんか、これやったら誠実さアピールできるでしょ的な実にお役所的な取り組みがありました。経路特定しても、それを刑事告発の立派な証拠に使ってもらわない限り実はまったく意味ない。汚染元ときたら放射能は無主物で、自分ところから出してないみたいに言ってるし、政府に守られて放射能ばらまき続けなんだから。
そんなことがずっと続けられてきて、今日見つけた東電発表。その汚染元が誠実に?調査?してるってアピール。そんなことしてるならすぐ福島の収束に身を張って行ってください。経路特定って、あっちこっちからダダ漏れだし、経路特定して対策するってことは、これからも危ない原発動かし続けますって意思表示だよね。
いますぐ危ない原発止めて、死の灰製造をやめなさい。いますぐ、被害者のために会社を解体して賠償を誠実に行いなさい。いますぐ、とるものもとりあえず、収束の渦中で持てる力をふりしぼり放射能から国民を守りなさい。あなたがたのせいで、わたしたちは本当に多くのものを奪われ続けているのですよ。TEPCOに限りません。
電事連の会社員の皆さん。電力総連の組合員の皆さん。ずっとわたしたちの敵として苦しむ被害者の前に立ちはだかり続けていかれるのですか?
当時の報告書もちょっと適当な感じが,,,
「問題あって危険」とは書けませんよね
私は新潟県の原子力安全対策課と原子力安全規制委員会に電話をして原子炉立地審査指針と言う基準書は何かと訪ねたらこの指針に沿って原子炉を設置しなければならないと言いました。
ところが指針内容の津波の部分を指摘するとこの異常者どもは言葉を濁らせて無言、ダンマリを決め込むなどこの部分は抽象的な表現と捉えることも出来るので詭弁を言い、逃げ態度で話になりませんでした。
平気で嘘を言う、平気で開き直りの態度をします。
国家権力ですね。
自民党が根源なのです。