いわずとしれた731部隊(細菌、人体実験を行った満州国にある旧関東軍部隊)のルポです。731部隊についてはある程度知っていたつもりでしたが、あまりのおぞましさに何度となく読むのをやめてしまいました。「私はどうなってもいいから、この子を助けてくれ」という子どものいる母親を、生体実験で殺し、そしてその子どもまでも平気で人体実験をしてしまう。その数3000名を超えているであろうと書かれています。この本を読めば、書かれているのは本当だとわかるはずですが、Amazonの書評を見てもでっち上げだと書かれており、ネット上のWikiを見ましても、否定的な内容ばかり書かれています。
この、文章の書き方
「しかし、旧日本軍を非人道的として糾弾する一方、後述のように「ノンフィクション作品」としては問題点が多く指摘されており、「プロパガンダ小説」であるという批判がある。」
原子力関係でもこのような言い回しを見た記憶があります。恐らく、同じ人物が原子力関係の工作員としてたむろしているのだと思われます(妄想)
Amazonの書評もまるで一頃昔の私のブログコメント欄を見るようで、腐臭が漂ってきます。できるかぎり書評を下げることで、売れないように工作しているのでしょう。
悪魔の飽食 著者サイトをご覧になってください。また、今回の原発事故とは直接は関係ありませんが、この731部隊が戦後医学界の重鎮になったのは確かです。一度読まれておくことを強くお勧めします。この本を読めば、なぜ医学者達がフクシマの現状を放置して平気なのかがわかります。
から
日本政府は、GHQの占領政策下でABCCの設立当初から協力体制を取らされ、「ABCCの設置の翌年(1948年)、広島、長崎に国立予防衛生研究所の支所を設置してABCCの活動を援助してきたが、研究が進むにつれ国立予防衛生研究所とABCCの関係はますます緊密になり、援助と言うより共同研究の形」(原爆調査委員会「年報」1961年7月1日〜1962年6月30日)をとった。ABCCの業務は、1975年に新設された放射線影響研究所に引き継がれた。
国立予防衛生予防研究所は、原爆の被害調査に専門家組織として米国側からは期待されたわけであるが、ABCC設置と同年の1947年、細菌人体実験を行った旧日本軍731石井部隊への人材供給源であった東京大学伝染病研究時(いまの医科学研究所)から分離し、731に関係した医学者を幹部に作られた(『毎日新聞』1966年5月14日)厚生省管轄の政府機関である。このころ731関係者は、細菌関連研究の研究成果を米国に提供することで戦争責任から免責されるというGHQとの裏取引によって社会活動に進出し始めた。石井部隊関係者によってミドリ十字の前身日本ブラッドバンクが設立され、ここにも731関係者が集まった。予防衛生研究所は、薬害エイズの原因となった非加熱製剤関連では、政府検定機関として、やはり731部隊関係者が設立したミドリ十字の薬剤を認可するという巡り合わせとなったがミドリ十字、厚生省、予研などがエイズ問題で社会的にその責任を問われる中で1995年4月、国立感染症研究所と改称された。
731部隊-ABCC-放影研-国立感染症研究所 のつながりがみえてきますね。
前置きが長くなってしまいました。長崎大学の被爆研究チームがフクシマに少なからぬ人数、送り込まれています。
8月23日(木)の福島ローカルニュースから


プルトニウムは半減期が2万4千年。ごく微量の放射能でも、放射性物質の量としては莫大なものであることは、以前説明しました。
さて、この人物 福島医科大学の大津留晶教授だとわかりました。
。長崎大学医学部准教授で、2011年9月まで長崎大病院永井隆記念国際ヒバクシャ医療センター副所長を務めた。2011年3月11日の東日本大震災に続いて発生した福島第一原子力発電所事故後には被曝医療支援で福島県に派遣され、同年10月より福島県立医科大学の教授に就任した。
(中略)
福島第一原子力発電所事故後の活動
福島第一原子力発電所事故直後の2011年3月13日に文部科学省からの要請を受けて、長崎大学から放射線医療チームの団長として福島県に派遣された 。大津留は、状況について「医師たちは何をしていいか分からず、放射線への不安で緊張の糸が切れかかっていた」、「幸いだったのは福島医大が原発から56キロ離れていた点。もし、ここが避難区域内だったら、福島の医療は崩壊していただろう」と語っている。当時、福島県では彼らに対して、「ヨウ素剤をみんなにすぐに飲ませること」や「すぐの避難」という意見が相次いでいた。
このため、大津留は後に福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに任命される山下俊一長崎大学教授に電話で「福島県立医大が浮き足立っている、先生方がパニックになっている」と報告し、3月18日に山下は福島県からの要請で福島県に行くこととなった。
この人物が結果として、福島の方達にヨウ素剤を飲ませ、すぐに避難させることを妨げたことになります。
そして、講師として呼ばれたのがみなさまよくご存じの山下俊一氏と高村昇氏です。
高村昇氏

この方は、現在も福島県放射線健康リスク管理アドバイザーをされているようで、庭の草刈り、被ばくするかや山歩きで被ばくしないかなどで、内部被曝を無視して外部被曝だけで安全安全を説明しています。さすが、40前に教授になっただけの実力者です。私のような不器用な人間からすると、感心するばかりです。
みなさまよくご存じの山下俊一氏

山下氏の師匠長瀧重信氏 元放影研理事

実は、あの児玉龍彦教授もこの長瀧氏の弟子であるという話しもあります。

以上は、フクシマで活躍している長崎大学医師の面々です。名前と顔写真を覚えて、一体どういうことを話しているのかをしっかり勉強しましょう。それにしても、福島医科大学の教授に就任とは・・・驚きました。
◆関連ブログ
細菌性赤痢情報と国立感染症研究所の生い立ち2011年09月23日
1Bqをラドン、セシウム、プルトニウムで考える2011年12月26日
残るか去るかは住民自身が判断しなくてはなりません。-山下俊一2011年08月21日
その後、秦邦彦さんの本などで、この本の行き過ぎたところも知ったのですが、基本のスタンスは変わりません。たとえこの本がプロパガンダであったとしても、「731部隊-ABCC-放影研-国立感染症研究所 のつながり」を否定することは誰にもできないと思います。
あ〜、それにしても291部隊の下っ端医者(市川陽子)は頭に来る。
「院長の独り言」ブログは今では私の人生の教科書のような存在です。ありがとうございます。
又あらためて悪魔の飽食を注文してみました。今でも並々とつがながっているとは怖いものです。
医大の教授になるというのは、ドロドロ具合は大学や科によってかなり異なりますが、並大抵のことではありません。今までの業績に加えて、人柄や私生活(女性スキャンダルも)まで大学内の審査会で調べられ話し合われます。大学派閥もありますし。たまに他大学からの引き抜きもありますが、よほどの業績がある人でもそれまで大学にいた医師たちを納得させる時間がある程度は必要。
大津留晶氏らが、かなり短い期間で福島県立医大に入り込めたのは、これはもう政府や官僚主導で仕組まれたとみて間違いない。私大でなく公立の大学なので、入り込ませる素地もあったのでしょうか。県立医大関係者が匿名でよいので当時の状況を告発してくれることを望みます。
この辺の素早い動きに文科省(特に三役、鈴木寛など)がかなり関わったそうですが、これは文科省の前身に科学技術庁があり、今も原発推進省であるのが原因でしょう。
子どもをもつ親は文科省を許してはいけない。彼らは子どもの命などどうでもいいと思っている。
旧陸軍病院である国立成育医療研究センター。
ここがアメリカの検査会社シーケノム社と手を組んで、妊婦の血液から胎児のDNAを調べるそうです。
目的は「日本人でのデータ収集」らしいです。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120829-OYT1T00031.htm
もうご存知かも知れませんが、長瀧氏と山下氏のリスクコミュニケーションに対する考え方について書かれた、宗教家島薗進氏の連続ツイートのリンクをはらせていただきます。先生がご存知のことも多いと思いますが。Fになぜ長崎が推進側に取り込まれていったか、それを山下氏がどう都合よく解釈したかが書かれています。
【長瀧重信氏と山下俊一氏のリスコミ経験】まとめ@〜G
http://togetter.com/li/361301
山下俊一↓
http://mainichi.jp/opinion/news/20120826ddm003040168000c.html
福島エートスの関係者(何の科学者なんだ??)↓
http://blogos.com/article/45768/
まあ、お決まりのワードで固められてるので、突っ込みどころ満載ですが(笑)
対策として仕方ない事とは重々判るのですが、起ってしまった事は取り戻せません。福島第一と関連つけていない記事なのでさらっと流す人もいるようですが、私にはさらっと流せません。小野先生も読者の皆様も継続して見て行きましょう。掲載されないニュ−スの片鱗が現れているようです。
しかし、彼らのほとんどが、その行ってきた行為について全くといっていいほど語らずに死んでいっています。幸い、私は、肉親を含めた何人かから、その重い口から出た加害行為についての一片を聞いています。
戦後70年弱、今、元日本兵達歴史の証人がどんどん少なくなっていくことをいい事に、ある人達の都合の良いよう歴史が歪曲されていることに対し、非常に憂いを感じます。
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中国奥地に駐屯していた元兵士の話です。「(現地では)食い物や『他』で苦労したこと無かった。(食い物や他一切)みんなシナ人がヘイコラしながら持って来ょった」。逆に、「(ある意味で)今より贅沢」であったと。
聞いただけの私でさえ、そのわけを記すことがためらわれます。
山下先生の発言は医者としての発言ではないと感じていました。
もしかしたらですが、山下先生ご自身が放射能による障害を持っていると考えるとトンデモ発言を説明できるかもしれません。
例えば、にこにこすれば放射能が来ないという発言も、ご自身が持つ障害の恐怖と共存するときにそう思ったら楽だったからではないか?
穿ち過ぎかもしれませんが・・・
この方はサイコパスだと、わたくしは思います。他人の不幸を喜ぶ者は、人間というよりも餓鬼に近い、と思います。だれも山下を糾弾しないとは、福島の医者には良心があるのでしょうか。それとも、医は錬金術と割り切っているのでしょうか。恐ろしいことです。子供を人体実験に使うような者は、人間とはいえません。
同看護士は、実験が行われていた地域において、40年間も被験者に心を寄せて、自らの役割を果たしたとのことです。この黒人女性看護士の採用には、次の理由がありました。
「タスキーギ学校で訓練を受け、同校付属ジョンアンドリュー病院で働いていた黒人女性看護士が、調査の開始時点で採用された。ボンダーラー医師が、この看護士をぜひとも採用すべきだと言っていたのだ。なぜなら、同看護士には、調査を行う地域との深い繋がりがあったからである。」
(英文ウィキ「タスキーギ梅毒実験」より一部引用のうえ和訳。)
この院長先生のブログの記事を読んだとき、長崎医大の医師達は、福島と「繋がり」があるからこそ、福島へ行くよう選ばれたのだろうと思いました。
本当に不幸なことに、福島は、被災地になりました。ですから、タスキーギの「人体実験」と絡めて考えるのは失礼だと存じます。また、「福島で人体実験が行われていくのだろう」というような心無い言い方も慎むべきだと存じます。
そうは申せ、福島では、被災地の方々のために特別に配慮された医療が行われていく一方で、原発事故の人体への影響について継続的に調査が行われていくのであろう、と推察します。それには、福島の方々をなるべく安心させられるような医師が必要とされるはずです。
福島と長崎の「繋がり」とはなんでしょう。なぜ、東大の医師達ではなく、長崎医大の医師達が選ばれたのでしょう。
福島と長崎には、「被爆地」という共通項があります。長崎という過去に被爆した土地からやってくる医師であれば、福島の方々の信頼を得ることができるでしょう。そして、福島の方々のお気持ちを少しは落ち着かせてさしあげることができるのではないか、という配慮があったのだろうと思います。
福島県民のお気持ちに寄り添って医療を行うという重要な役割を担うとはいえ、長崎医大出身の医師達は、あくまでも「繋ぎ役」です。同医師達は、「中間管理職」的な役割を果たすことになるでしょう。それゆえ、同医師達の上には、上級管理職がいるはずです。
そして、同医師達を選んだ上級管理職とは、政府なのでしょう。いっしーさんがコメント欄でご指摘になったように、「大津留晶氏らが、かなり短い期間で福島県立医大に入り込めたのは、これはもう政府や官僚主導で仕組まれたとみて間違いない。」
通常、上級管理職の上には、取締役社長がいます。例えが悪くて恐縮なのですが、福島県民という平社員、長崎医大出身の医師という中間管理職、日本政府という上級管理職の上に立つ方です。その取締役社長とは、いったい誰でしょうか。つまり、「政府や官僚主導で仕組まれた」背景に誰かがいると仮定したら、どうなるでしょう。
その誰かとは、アメリカなのかもしれません。あくまでも仮定に基づいた推論です。仮定そのものが間違っていたら、推論なんて何の意味もありません。
「そんなバカな。日本は独立国だ」と仰るむきもおられるでしょう。
至極当然な反応で、まっとうなご意見だと存じます。
私も初め、こんな突拍子もないことを思いついたとき、「まさかね」と思ったものです。
でも、以下の記事を見つけてしまったとき、私は血の気が引く思いが致しました。
長い記事ですので、お時間のあるときにお読みください。そして、考えを巡らせてみてください。日本は、本当に独立国なのかどうかと。
西岡昌紀氏執筆 「武見太郎氏の証言 ー 厚生省はアメリカの人体実験に協力した」
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/523.html