2012年10月15日

福島の思い出(21)・・タービン班の面々

私が配属されたタービン班は、全部で10名ほど

大木課長→小森課長 大木課長は本当に大人しい課長。小森課長は私に本店行きの辞令をくれた課長で、致死量の放射能量がフクシマから漏れたと認めた。

Y副長・・豪快な副長で、火力出身。現在は関連会社の東電工業の1F/2F統合所長になっています。1F-1/2の運転もしていたようで、オレは英語の警報の方が良くわかるなどと話していました。タービン系についての知識は素晴らしく、どういったときにどのようなことが起こるかなどほとんどすべてを正確に把握していたと思います。頼りになる親分肌の副長でした。(高卒)

K主任・・結婚がやや遅かった。確か、私が配属されたときは新婚で、以前に比べると随分丸くなったぞと言われたような記憶がある。細かい内容を全部ノートにきちんとつけていて、いわゆるメモ魔。私の報告書を読んで、「おまえこれは、年を書いておかないとすぐにいつのことだかわからなくなるぞ。」と指導されたのが記憶に残る。それ以来記録には必ず年を記述するようになった。責任感もあって、定期検査中のいわゆる借金(突発的な工事が発生するが、費用を賄えないこと)も随分とかぶっていたように思う。私の時はそんなこともしていたが、あの隠れ借金は一体どうしたのだろうか。(数億円規模になっていたはず)随分とお世話になったけれど、大変お世話になった広島の祖父の危篤の時に「今は定期検査の立ち上げの時期だから、帰省したらダメ」と言われたことが心に引っかかっていて、今でも忘れられない。当時(今でもだが)、かっとなってしまって「じゃあ、帰りません。」とふてくされてしまった。副主任、発電部長に帰るように促されて、結局は帰省させてもらったけど。(高卒)

N主任・・仕事のテリトリー、マニュアルにうるさい。あ、この仕事しますといったら、「ばか、おまえそこは、総務の仕事なんだから、やりたかったら総務から依頼書をもらえ」と、アドバイスが来る。そんな感じ。奥さんも東電社員。楢葉町が実家で、その土地に遠くから運んできたヒノキの一本柱を使った豪邸を建て、この家は100年は持つ、と豪語されていた。私も新築の冷やかしに遊びに行ったこともある。たいていの人とは年賀状程度の交流は続けているが、私が会社を辞めてからもこの人とは交流が続いて、大熊の梨を毎年送ってもらって、私の新婚当時には熊本にも遊びに来てくれた。あと数年で定年退職だから、おまえのとこに遊びに行くから と言われていたのが311直前のこと。津波と原発で自宅は住めなくなり、今は福島第一勤務になっている(東電学園卒)

S副主任・・私が配属されたときには、タービン本体関係をやっていたはず。郷ひろみの歌が得意で、カラオケの時にはいつも「二億四千万の瞳」を歌っていた。高専卒で仕事が手堅く、細かい。やや郷ひろみに似ていることもあって、学生時代は随分と女性を泣かせたらしい(噂)。既婚(高専卒)

(以下担当者)
I・・・私が行くちょっと前には、パチンコにはまっていて年間数百万を稼いでいたと豪語。私もよくごちそうしてもらっていた。川内村から通勤していて、飲み会の度に会社の施設に泊まっていた。私が辞めてから、退社して、ラーメン屋を開くが店を閉めて、東電の派遣社員として働いていたとのこと。先日、連絡があってDVDを購入してもらった。会社を辞めて3年ほどたって、フクシマに遊びに行ったときにいろいろと世話をしてもらった。富岡駅まで迎えに来てもらったときに、ぜんぜん変わらないなぁ(要は昔から老けていた)と言われたことが記憶に残る。(みてますか?)(東電学園卒)

S・・・弁、空気圧縮機など私の担当はこの人からほとんど引き継いだ感じ。細かい仕事を丁寧にするのが得意で、いろいろと現場のことをよく知っている。私などはいい加減で、このバルブ点検してくださいで終わっていたが、全部のバルブを図面に塗って、一つ一つを確認している。バルブの構造などよく知っていて、こりゃ全然かなわないなとよく思っていたもの。足も速くて、綺麗な奥さんだった。私が退職してから、夜ノ森に家を建てていたが、そこはすでに避難区域。いったいどうされているのだろうか(高専卒)

N・・・私自身はあんまり気にしていなかったけれど、関係会社に対する態度などでやや問題となって、職場がすぐに変わってしまった。(学園卒)

Y・・・貝殻焼却設備の設計、建設、タービン本体などを担当。私以外では大学卒はこの人だけ。1年年次が上なので、タービン関係の重要なところは、この人が担当していた。(大学卒)確か、福島原発にいるときに関連会社の女性と結婚したような・・

F・・・ほいほいとなんでも嫌がらずにやる性格だったためか、途中で1Fの東京電気工務所に出向。無難に東電の下について、仕事をこなしていた。やや、説教口調にはなるが、熱くてまじめな人だったと思う。タービン班にいるときに、年上の女性と結婚して、まわりの女性がみんながっかりしたという噂。富岡にある ふじ・・(名前忘れた)で結婚式をして、最初のセリフが「よめっこきたぞぉ〜」だったことだけが印象に残っている。(山形、高卒)

K・・・私より年下だったが先輩社員。海水系のタプロゲ(復水器細管に貝殻がつまらないように流すスポンジ状の玉を制御する装置)などを担当。(東電学園卒)

私・・・配属、当時23歳・・副主任以下全員30歳という非常に若いメンバーだった(今にして思えば)1年上の学卒社員がいたので、私が担当したのは、弁、空気圧縮機、水処理装置、循環水配管、スクリーン装置、屋外タンクなどの本当の傍流設備。しかしながら、これらすべてが今回の津波の事故に関係しているから、事故当初恐ろしくなった。当時は、1.2号機とも第3回、第4回くらいの定期検査。まだまだ新しいプラントでした。そのため、職員も若かったわけです。


◆関連ブログ
東電の思い出
posted by いんちょう at 22:28| Comment(8) | 原子力
この記事へのコメント
吉本興業の吉田かおりさんという漫才師が、
45歳の若さで心不全で死亡というニュースが流れています。
関西は、食材などに無頓着で、特に外食産業などには福島県産のお米が相当流通しているようですから、その様な食材からセシウムをとっていた可能性がありますね。
元ジャーナリストの上杉隆さんも、確実な話として福島県の高校生が数名心不全で亡くなったという話をしていましたが、これから若い有名人の死亡報道が増えそうです。

放射能被爆は、有名人・一般人に分け隔てなく襲ってきますので、近い将来恐ろしい事になります。

誰が責任をとるのか?

私は、小倉の日明焼却場でガレキ焼却再開する10月末に熊本方面(南)に避難する予定です。

誰かこのガレキ拡散の暴挙を止めてください。

橋下徹の各党挨拶回りや、IPS細胞手術虚偽がどうこうなどの話はどうでもいいと思いますが。
Posted by 大庭孝広 at 2012年10月16日 03:17
ほのぼのと読みました。
根本は「悪」ですが、働く人たちはショッカーではないことが解りました。(いやショッカーかな?)
東電学園が堀越学園と同じ印象を持ちました。
Posted by ほらこ at 2012年10月16日 05:30
こんにちは。はじめまして。
私は福岡市に住む30代の主婦です。
3人の子どもがいます。

私が北九州のガレキ問題に気づいたのは焼却される2日前です。
私の周りには問題意識を持っている人が多いのですが、それでも問題意識を持っていない人の方が絶対に多いので
ガレキ問題の分かりやすい紙芝居を作ろうと思い立ちました。

私は絵を描くのが好きで二人の子を自宅で水中出産したことから
「自宅出産で行こう!」http://yomi.cocolog-nifty.com/
「プルサーマルとわたし」http://plaza.rakuten.co.jp/zuyozuyo/
などブログまんがにしています。

まんがや絵にすると伝わる垣根が低くなると思うのです。
小田様の記事を少しずつ読んでは驚いているところです。
そこで、お尋ねしたいのですが、
良く新聞でも「空間線量を量ったが問題はなかった」とか書いていますが
その意味が、ごまかしが、よく分からないのです。

初歩的な質問で申し訳ありません。
ウェブ上で書いてあるページを教えていただけるだけでも結構なので
どうぞ教えてください。

ありがとうございます。

Posted by づよづよ at 2012年10月16日 08:27
なんか、読んでいて切なくなりました。東電社員もひとりひとり、性格も違うし、色んな人生がある。私の周りにいたのは、記事にある地元の東電学園卒の人とかじゃなくて、都内私立中高一貫→東大→東電本店、みたいなお坊っちゃま数人だったけど、その人たちだって悪人なわけではない。むしろ、素直な性格。でもね、あまりに、他人の痛みや苦しみに鈍感で、自分への批判に耐えられず、ネガティブな未来への想像力がなさすぎる。そんな彼らとつきあうのをやめること。うわっつらだけ仲良くはしない。それが私の、母としてできるささやかな抵抗です。
Posted by 都内ママ at 2012年10月16日 09:35
不謹慎と受け取られる方々もいるかもしれませんが、東電は<腐っても鯛>だなと思います。企業文化としてはどうしようもない官僚体質ですが、人材はある程度そろっていたと思います。原子炉3基と核燃料プール4個の同時多発災害を同時にマネージできる人材がいる企業は、日本にどのくらいあるでしょうか。もちろん東電にはどうしようもない幹部も掃いて捨てるほどいると思いますが、福島第一の現場での事故対応は、あの過酷な状況の中で限られた材料と人材でよくやったと思います。アメリカだったら、電力会社でなく、軍が前面に出て対応するような事故ではないでしょうか。
Posted by システム開発者経験者 at 2012年10月16日 17:13
最近佐賀市内では稲刈りのアレルギーによる喉風邪、咳が大流行しています。熱は出ません。放射能の数値はエステーエアカウンターで0.05に下がり安定しました。本当にアレルギー?昨年はなかったのに?不思議です。
Posted by 佐賀県民 at 2012年10月16日 19:16
クスクス笑いながら読んでしまいました。20年も前の事をよく覚えていらっしゃるなと思い、お医者様という職業柄でしょうか、その観察力と記憶力に感心します。
DVDを拝見させていただいた時、ユーモア有り、例え話の判りやすさといい、感情的に熱く語られる正義感の強さ、お人柄が解るような気がして、まだ日本に、こんなに身近に(鹿児島なので。)人の命を一番に考えてくださるお医者様がいると思うと嬉しくなりました。
多くの方が、先生のブログに集まるのは、単に原発における知識の豊富さだけではないと思います。
日本中の人の意識が変わり、原発の無い未来を子供達に残す為に、私たち大人が今、試されているのかもしれません。
だからこそ、勇気と元気と希望を与えてくださる先生のブログが必要とされているのでしょう。



Posted by 柳田直子 at 2012年10月17日 03:12
づよづよ様

小野先生のこちらの記事をお読みいただくとわかりやすいのではないかと。http://onodekita.sblo.jp/article/47322340.html
2011 8/11の記事ですが、放射性物質はその核種によって放出する放射線の種類がいろいろあるのです。鈴木みそさんという方の「放射線の正しい測り方」というマンガは、うっかりすると「笑っている人には放射能が来ない」という方向に持ってかれる危険があるのですが、小野先生が書いておられるように正しい情報も入っています。そこに、放射線ごとのおおまかな飛距離が書いてあります。ここがミソなのですね。w
 適度な位置でほら!測っても出ませんでしたよ!って言われても、このことがわからないと信じてしまいますね。細野や島田市長、静岡県知事のスリーショットがわたしの頭に去来するところです。あいつらぁーって。
 一人でも多くの人があんな人殺したちの嘘を見抜けるようにならないと大切な子どもたちは病気になってしまいます。

 3人もお子さんがおられて、学ぶ時間をつくるのもなかなかご苦労だと思います。お得意の才能を生かされて、お仲間に広めていただけるとほんとうにありがたいです。今後ともよろしくお願いします。
Posted by マツダマツコ at 2012年10月19日 23:13
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