
はだしのゲンの筆者である中沢啓治氏が死去されました。晩年は肺がんを患っておられたようですが、インタビューなどでお元気な姿をついこの前まで拝見していましたので、残念でなりません。ヒバクシャの中で、核兵器と原発を結びつけて発言しておられる方は、ほとんどおられません。私の知る限りは、肥田先生、橋爪文氏、そして中沢啓治氏のみです。
はだしのゲンを購入したのは311以降の2011年9月。全巻を通して読んだのも、その時が初めてです。診察中に何度も目を赤くしながら、読み返したことを思いだします。マンガの中身は、原爆だけではなく
・天皇制
・軍国主義
・内部被曝問題
などの問題点が非常に多く描かれており、現代の日本に全てつながります。
一番最初の記事は、内部被曝の教科書−はだしのゲンから(1)−やけどのマゴットセラピー
そして、急性被曝症状の教科書として、原爆症の教科書−はだしのゲンから(2)原爆症赤痢を紹介いたしました。
それ以外にも原爆症を的確に捉えたページが、たくさんあるため、1ページを私の著作の中でも引用させていただきました。

この短いページマンガの中に
・原爆投下後3年
・血を吐いて死んでしまう人
・原爆小頭児の子どもを産んで、産後の肥立ちが悪くて死んでしまう。
・原因不明の病気でなくなる人多数
と、被曝症状によって引き起こされる病気が、概観できます。このような漫画のページは無断引用できませんから、次のように許諾をもらいました。
10月8日−汐文社に電話。できるだけ早く、許諾して欲しいと。(やや無茶ではありますが)その際に中沢先生のスタンスを聞いたところ、きちんとした使い方をする場合には、どうぞと許諾をしている。例えば、はだしのゲンを英訳する際には、著作権料を請求していない。
10月11日−汐文社から電話。中沢先生の埼玉県と広島県の自宅の電話番号を教えるので直接許諾をとって欲しい。
中沢先生の自宅へ電話。埼玉県にはおられず、広島県の自宅でつながる。電話には奥さんが出てこられて、中沢先生に電話口で用件を伝えてくれた。こちらの意図をお話ししたところ、はいどうぞと許諾をもらう。
このような経緯で、びしっと決まった漫画の1ページを引用することができました。新聞などの報道によりますと、11月には病院に入院されておられたようですから、このタイミングを逃せば、もうこのページを使うことなどできなかったでしょう。
まだ読まれていない方、是非ともはだしのゲンを手にとってお読みください。我々が知らなければならない内容がふんだんに書かれています。
◆関連ブログ
内部被曝の教科書−はだしのゲンから(1)−やけどのマゴットセラピー2011年09月10日
原爆症の教科書−はだしのゲンから(2)原爆症赤痢2011年09月11日
戦時中と瓜二つのマスコミと世論(絆に騙されないために)2012年06月06日
はだしのゲンを平和教育プログラムに採用−反対勢力も2012年08月08日
タグ:はだしのゲン
医師達の知識がいつまでも漫画を越えられないどころか、はるか下にいるのが残念です。
私は子供の頃からの読者で、かれこれ25年ほど前に京都で講演会に行った記憶があります。その講演の締めくくりで、中沢啓治さんが「再び戦争を起こそうとするやつが現れたら私がこの手で殺してやります」と仰っていたのが強く印象に残ってます。私が福島の事故直後、周りの情緒に流されず、子供達を迅速に避難させられたのは、はだしのゲンを読んでいたからです。今では子供たちが自ら図書館で借りてきた中沢啓治さんの漫画を読み始め、親子で作品を読み始めた矢先でした。
本当に残念でなりません。ご冥福をお祈りするばかりです。
この方には是が非でも原発廃炉の瞬間を見届けていってもらいたいと願っていました。
昭和14年生まれながら早生まれでしたから、被爆時は広島市立神崎国民学校の一年生でした。原爆投下の瞬間、友達の母親に呼び止められて自身はたまたま建物の塀の影に入って熱線を浴びずに奇跡的に助かるが、父、姉、弟を失った人でした。
同じ小学生でありながら新潟の片田舎におりました当方は全くそんな事は知らずに戦後を迎えました。中沢さんのその後の詳細は先生のブログにありますから省きます。
中沢さんの遺志を受け継いだ残された世代に原子力と名がつくもの全てを日本の国内から追い出す義務が残されたと痛感致します。
ご冥福を祈ります。
がんという死因にも、最後までみをもって告発されていたのかなと感じました。
最近、U-NEXTという動画サイトに体験入会しました。
先生のブログで「はだしのげん」のことを読んでいたため、一番最初にさがしたのがこの映画でした。
http://p.unext.jp/title/view/47/0/8/1/2/0/0#firstView
16日間無料体験できますので、ご興味のある方はアニメでもどうぞ。
小学校の図書室に唯一漫画として蔵書されていたのが、この「はだしのゲン」と「風が吹くとき」だったように思います。
両書ともあまりに衝撃的な内容なのに、ほぼ全員が読んでいました。その後中学卒業まじかに東京に原発をという本を手に取りました。
日教組だの教育者のモラル低下など批判も多い教育界ですが、まだ余計なことが入り込まない心がまっさらな時期にこのような衝撃的な作品に触れられたのはやはり大きかったです。
しかし、この十年ぐらいでしょうか「何か」が、この日本の国で変わってきたように思えます。今度の政権与党は「憲法改正」を公約に掲げていました。憲法の問題では「九条」が、まず挙げられますが、改憲派の政治家にとっての本丸は「第三章」(一〇条〜四〇条)なのだと思っております。ここを変えなくては「徴兵制」(一八条)や「思想統制」(一九条)、「完全自己責任社会」(二五条)の実現ができません。他にも憲法の三章には日本の民主主義の根幹をなす条文が並んでいます。いったい改憲派の政治家たちは、現行の日本国憲法を改正して何をしたいのでしょうか。
確か7〜8年前だったと思います。園遊会に呼ばれた東京都の教育委員長が「日本中の学校に国旗を上げて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」と誇らしげに言った時に、「強制にならないように」との天皇陛下のお答えに、顔を真っ赤にしていたことを思い出します。こんな人が教育長だなんておかしなものです。民主主義の国の教育は国民一人ひとりが生まれ持った個性や能力を最大限に生かせるようにすることが重要な事なのに、どうやら国家に従順でコントロールしやすい国民を養成するのが教育だと勘違いしていたようですね。そういえば、この教育長(当時)は先日亡くなった米長邦雄とか言う将棋名人ではありませんか。つい死人に鞭を打つようなことをコメントしてしまい申し訳ないです。
来年の夏の参議院選挙の結果が憲法改正、TPP、そして原発政策の今後の方向性が決定的になるような気がします。今回の衆議院選挙の結果を考えると強い不安を覚えます。ただ昨年の地震や原発事故で多くの日本人が決して「平和=戦争をしていない状態」ではない、という事に気が付いたと思っています。私たち日本人が震災と原発事故で学んだことが、日本の民主主義を守ることになればと願っております。
亡くなられた米長氏のことはわたしも覚えています。ちょうど、都立高の先生の君が代不起立問題を知り、わが子の中学校卒業のタイミングでもあり印象的でした。そしてその後今の抵抗に比べたら小さなものでしたがわたしたちの抵抗のなか第1次安倍内閣で教育基本法改悪がなされてしまったのでした。
わが子はいま、他国で勉強しているのですが、東京出身の子と知り合いになったそうです。関西の子は君が代ひとつ知らないと馬鹿にしたように言われると言ってました。(それ以外はとてもいい人だと)
都教委は石原都政の下、国旗国歌の強制、つまり、国家に国民を従わせるのが当たり前であるという思想を子供たちに「教育」してきたのだなあと、その話を聴いてちいさなショックを覚えました。(たぶんここを読みに来られる方でも、東京の方の中にはわたしの考え方の方がおかしいと思われる方が多いかもしれませんね。)今度の自民の改憲案は、さらにその色合いを濃くするものです。
ぼんやり生きていると気づかぬ間にとんでもない状況におかれてしまうことをあらためて感じました。わたしたちも今や中沢氏と同じ被ばく者になりました。気づいた者が発言し続けていくことの大切さを継承していきましょう。
7巻大人買いをして家族で読みました。
先日、拙宅の子が中沢氏の「わたしの遺書」を買って読んでいました。大げさですが、うれし涙が出ました。
「君が代斉唱しない教師が職を奪われる」ニュースを見聞きし、「君が代歌わない理由がわからない」と言っていた子。はだしのゲンを読んで
その理由が理解できた、と言っていました。
我が家の「はだしのゲン」はたくさんの子供たちに読んでもらえる場所にささやかですが寄贈しました。
はだしのゲンが読み継がれますよう、祈っています。
衝撃でしたが、30過ぎた今、けして
悪い影響はなかったと思います。
忘れられてほしくない作品です。