2013年03月06日

放射能防御と放射線防御−その意味と違い

いろいろと示唆に富む記事が掲載されていましたので、紹介します。

原発事故関連死(11)102歳の母「診察拒否」 被ばくを疑った医師
 東京電力福島第一原発事故で施設からの避難を強いられたお年寄りは、県内外の病院や施設などで次々に命を落としていった。1月までにその数は520人に及ぶ。避難先を転々とする中、体調を悪化させ死期を早めた。東京の病院で被ばくを疑われ、一時は診察を拒否された高齢者もいる。不条理な差別を受け、故郷の地を踏めないまま逝った。遺族の嘆きは深い。ついのすみかを追われた災害弱者の「原発事故関連死」を追う。
 病室の母は、体にたくさんの管を付けられ力なく呼吸するばかりだった。心肺停止で埼玉県行田市の総合病院に救急搬送されたと聞いて駆け付けた時、既に意識はなかった。
 「これでお別れになるのかな。双葉に帰れなくてごめんね」。東京都練馬区の篠美恵子さん(65)は、母・山本ハツミさんの手をそっと握った。
 翌日の平成23年11月3日。親族らが見舞った後、ハツミさんは静かに息を引き取った。急性循環不全。102歳だった。
 「100年も双葉で暮らしてきて最期が埼玉だとは。母も悔しかったと思う」。母のそばで過ごした7カ月は、あっという間だった。
 双葉町の高齢者施設「せんだん」に入所していたハツミさんが原発事故で郡山市の郡山養護学校に避難していると聞き、たまらず夫婦で3月17日夜に迎えに行った。
 22日午後9時すぎだった。ハツミさんが38.8度の熱を出した。郡山から都内の自宅に連れてきて、4日目だった。夫の常雄さん(66)に体温計を見せた。「ちょっとまずいな。衰弱している」
 食事も排せつも自立し、認知症もなかった母が明らかに弱っていた。
 到着した救急隊員はストレッチャーを手に搬送の準備に掛かった。「郡山でスクリーニングを受けた」と説明すると、隊員は動きを止め、顔を見合わせた。
 「検査結果を知る必要がある」と告げられ、施設側に確認した。「被ばくはしていない。具体的な数値は現場が混乱していて残っていない」。教えられた内容をそのまま隊員に伝えた。
 救急車は15分ほどで都内の総合病院の救急搬送入り口に滑り込んだ。迎えた男性医師は、上半身にプロテクターのようなものを身に着けていた。レントゲン撮影時に用いられる放射線防護用エプロンだった。救急隊が病院側に母が被ばくしている可能性を伝えたのだと思った。
 「被ばくしている人は診察したくない
 医師から発せられた言葉は、診察の拒否だった。美恵子さんは事態をすぐには理解できなかった。
 「私にも家族がいる。被ばくしたら困る」
 美恵子さんは、全身から力が抜けていくのを感じていた。スクリーニングで母の体に放射性物質は付着していなかった。なぜ信じてくれないのか、なぜ差別されなければならないのか、母が何か悪いことでもしたのか−。空白の時間の後、ようやく言葉を絞り出した。
 「診てもらえないなら、福島に連れて帰るしかないわね」
(2013/03/04 11:47カテゴリー:原発事故関連死)


 まず、1月までの520人もの死亡。この記事ではすべてストレスと決めつけていますが、少なからぬ人数が被曝させられてしまったこと、そして高率になくなられていることは、この記事からもわかります。(1400名中167名死亡)

 この双葉町の高齢者施設「せんだん」については、次のような記事がありました。
原発事故関連死 長期避難 死期早める 高齢者施設せんだん(双葉)
36人死亡 体調悪化、心労重なり
2013030601.jpg
せんだんの玄関先には避難当時のままベッドや車いすが残されている=2月撮影

 東京電力福島第一原発事故の避難で、死者数が平常時を大きく上回った浜通りなどの34高齢者施設のうち双葉町の高齢者施設「せんだん」では、利用者88人の4割超に当たる36人が1年半余りで亡くなっていた。「せんだん」は第一原発から約3.5キロ。切迫した状況下、利用者は5ルートに散り散りになり、約半年で18人が死亡した。一度悪化した体調は回復せず多くの人がその後も死期を早めた。弱者が犠牲になる「原発事故関連死」がなくなる日は見通せない。
 第一原発1号機で水素爆発が起きた平成23年3月12日。施設関係者によると、緊急避難したのは老人ホームの入所者67人、併設するグループホームの9人、ショートステイ8人、デイサービス1人、町社会福祉協議会から介助を依頼された在宅の要介護者3人の合わせて88人だった。
 明確な指示がないまま5グループに分かれた88人は当初、受け入れ先が決まらず転々とした。疲労や心労、体育館や公共施設などの寒さ、不慣れな固く冷たい食べ物、薬の不足など急激な環境変化で持病を悪化させ、衰弱も進んだ。このため19日までに別の高齢者施設、病院、近親者宅に振り分けられた。
 88人のうち67人が福島市、伊達市、会津美里町、栃木県の16施設に移った。このうち28人が、病気や体調を悪化させて死亡した。8人は福島市、郡山市、二本松市、栃木県の病院に入院し、3人が死亡した。家族に引き取られた13人のうち5人も死亡した。
 亡くなった36人(女性25人、男性11人)のうち、避難から約半年で亡くなったのは半数の18人。さらに昨年12月までに18人が死亡している。死因の多くは肺炎や老衰などだったという。
 避難から8カ月後、埼玉県の病院で亡くなった双葉町の102歳の女性は避難前は食事も排せつも自立し、日常生活に大きな支障はなかった。しかし、避難後、肺炎と心筋梗塞を患い、一時は回復したものの再び悪化させて亡くなった。
 岩元善一施設長は「原発が爆発した極限状態の中で避難先を転々とした。生活環境の急変で死期が早まった人は少なくないだろう」と振り返った。

■震災直後、散り散りに移動 
 「せんだん」の老人ホームには要介護4、5の寝たきりの高齢者が25人いた。岩元施設長は移動のリスクを考慮し、当初、職員と施設にとどまるつもりだった。しかし、3月12日昼すぎ、町から「全員避難」を命じられた。
 自衛隊のヘリが迎えに来る双葉高までは約1.5キロ離れていた。寝たきりの入所者はベッドごと玄関先まで運び、自衛隊のトラックや施設の送迎車などに乗せて搬送した。
 半数ほどを誘導し、ヘリを待っていた午後3時36分、1号機で水素爆発。現場は混乱し、県警車両と自衛隊トラック、施設の送迎車、職員の私有車に分乗し散り散りになった。結果として避難は【図】の通りで、5つのグループに分かれた。当日、ヘリで二本松市に搬送されたのは5人だけだった。
 双葉高には利用者12人と岩元施設長が残された。飲み物も食べ物もないまま同校体育館で一夜を明かし、翌日、自衛隊ヘリで二本松市に搬送された。

【特別養護老人ホームせんだんの避難ルート】
(1)南相馬市→川俣町 18人(避難後に5人死亡)
 12日午後2時ごろ双葉高に移動。自衛隊ヘリに乗れず、施設送迎用の車両などで南相馬市へ。道の駅南相馬で一夜を明かす。13日、川俣町の川俣高体育館に着いたが満杯のため同町体育館へ。13人が栃木県の施設に入所。1人が栃木県で入院し、4人は家族に引き取られた。
(2)川俣町→福島市 36人(避難後に22人死亡)
 12日午後3時ごろ、自衛隊のトラックと職員の車で浪江町から川俣町を経て福島市へ。受け入れ先の福島高体育館に行き着いたのは午後11時30分ごろ。31人が福島市、伊達市、栃木県の施設へ。3人が福島市で入院し、2人は家族に引き取られた。
(3)浪江町→南相馬市→郡山市 17人(避難後に4人死亡)
 12日午後、双葉高に移動したが自衛隊ヘリの搬送ができず、県警のバスで浪江町の苅野小へ。警察官らに再避難を促され南相馬市に向かう。午後11時30分ごろ渡辺病院に到着。13日、同市の特別養護老人ホーム長寿荘に移動。16日、福島市などを経て郡山市の郡山養護学校へ。12人が会津美里町と栃木県の施設に入所。1人が郡山市で入院し、4人が家族に引き取られた。
(4)二本松市→郡山市 12人(避難後に4人死亡)
 12日、自衛隊ヘリに乗るため双葉高校庭に移動したが岩元施設長と共に取り残され、体育館で一夜を明かす。13日午後4時すぎ、自衛隊ヘリで二本松市の二本松北小に着陸。午後10時20分に郡山養護学校に避難した。7人が会津美里町と栃木県の施設に入所。2人が郡山市で入院し、3人が家族に引き取られた。
(5)二本松市→郡山市 5人(避難後に1人死亡)
 12日午後4時ごろ、自衛隊ヘリで二本松市の二本松北小に着陸し、同市の県男女共生センターへ。16日、郡山養護学校に移動。4人が栃木県の施設に入所、1人が二本松市の病院に入院した。

※特別養護老人ホームせんだん 社会福祉法人ふたば福祉会が平成17年11月に双葉町長塚に開所した。定員70人。グループホーム「せんだんの家」(定員9人)を併設し、ショートステイ(同10人)と共同型デイサービス(同3人)も運営していたが原発事故で休止を余儀なくされた。24年1月、いわき市の南台仮設住宅の一角にグループホームを再オープンした。
(2013/03/02 14:53カテゴリー:原発事故関連死 )


 おそらく、双葉厚生病院と同じように高線量になりすぎての緊急避難だったと思われます。−すなわちかなり大量の被曝をこの患者たちはしているのです。


 しかも、事故当時の表面汚染のスクリーニングクライテリアは、100,000CPM。十二分に近くにいる人が被曝するレベルですから、医師が診療を拒否するのを非難することはできません。それよりも、このように被曝してしまって、しかも除染(体表面のシャワー、着衣の破棄)をしていないのですから、周りにいる人全員が被曝してしまっているのは事実です。この被曝スクリーニング(画像元
2013030603.jpg
は、福島の人たちを差別するためではなく、被曝した人の被害をできるだけ少なくするために、汚染されたものは捨て、必要ならばシャワーを浴びて除染するために行っているのです。それが、いつの間にか、福島の人を差別する行為だと曲解されて、被曝検査自体ができなくなってしまいました。これは被曝した本人のみならず、周りの人間にまで二次被曝させる許されない報道だったと今でも思います。そして、この100,000CPMといったものすごい被曝でも、問題なしとしてスクリーニングしていた(このレベルが許容されていたのは、福島県のみ)のです。

しかし、この医師が着ている防護服はいただけません。
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これは、放射線を防ぐことができますが、被曝した人が持っている放射能を防ぐことは全くできません。つまり、この患者は、次のように放射能で汚染されていた可能性があったわけです。
2013030605.jpg

この赤いつぶつぶを防ぐには、鉛の服を着ていても何の役にも立ちません。この医師がすべき格好は、次の格好だったわけです。あまりにもシュールな絵でしょ?
2013030606.jpg

 こう考えることで何がわかるか。つまり、二次被曝する線量自体(つまり、ミリシーベルトで表される単位)は実はたいしたことはないこと。それよりも赤いつぶつぶを体内に吸い込む(肺の中に)が遙かに怖いのです。−つまり、内部被曝と外部被曝の違いです。これを混同させるために、環境省はガレキを必ず遠くから、ガイガーカウンターで測定して、線量自体は全く問題ないと発表します。つまり、放射能について何もわかっていないわけです。
 その汚染地域にどういう格好をしていけば、汚染を防ぐことができるかを考えれば、放射能と放射線、そして外部被曝と内部被曝の違いがよく理解出来るのではないかと思います。

 なお、この患者の呈している循環器の不全と肺炎は、いずれも高レベルの放射能暴露を受けたとすれば、十分考えられる病態で、矛盾しません。双葉町からの避難民が被曝していなかったはずはないのですから。


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posted by いんちょう at 21:20| Comment(9) | 原子力
この記事へのコメント
例え院長先生の言う通り、患者が亡くなった理由が被爆でなかったとしても原発事故による間接的な死亡であることは間違いありません。

他にも多数の自殺者が出ています…
しかし、原発推進派はこの死亡を全く計算に入れません…
つまり放射能による直接の死亡しかカウントしないのです!!
しかも院長先生のおっしゃるように直接の死亡の可能性が隠されている可能性がある)

一方、原発停止による停電(仮想)で死者が出たらどうするんだ…なんてことを平気でいいます…
停電によって出る死者は全て”間接的”な死亡にも関わらず…カウントするのです…

同じ死亡でも頭の中で平気で2つに分けて論理矛盾を起こしていることに全く気付かない…
(或いは気付かないふりをしている)
原発推進派は狂ったカルトの集団である証拠です。
Posted by Cipher at 2013年03月07日 01:08
あの日から満二年の記念日が刻一刻と近づいている昨今です。
最近では数値計測するカウンターは殆ど外出時に持参しておりません。
但し玄関のキーにつけてある音で判断をするカウンターは常時持参して
いますが、これで音を聴いて判断することも滅多になくなりました。
たまに聴いても「カチ・カチ」という極めて穏当な音しか聴けません。
但し、ゼロではないということです。

過去には「避難勧告」のピーッという音を聴いて慌てて電車を乗り換えた
こともありました。
自宅ではGM-10の自動計測ですから、カウンターを持ち出す機会もなく
なりつつある日々でした。

ところが昨日駅前の眼科医の待合室で何気なく音を聴きましたら、なんと
「カチカチカチカチカチカチ」という連続音が鳴りましたのでびっくり
しましたね。避難勧告一歩手前ですよ。病院の外は問題ありませんでした。

病院ですから人の移動は常時です。外気は入れ替わっている筈です。
なんでだろうと暫く周囲を見回しました。目の前に膨大なカルテが
棚にずらっと並んでいます。

私の想像ですが、カルテなんて必要な物を抜き差しするだけで、カルテ
全体を動かすとか、ハタキを掛けて掃除するなんてしないでしょ?
それらのカルテの上にふんわりと溜まっているのではないかと想像しました。
それ以外にも全く動かした形跡のない物品もありました。

外へ出ますと全く異常はありませんでしたが、薬局に入って目薬をもらう
間も音を聴いてみましたら同じような音が暫く聞こえました。
やはり高い棚の上に動かした形跡のない箱が幾つか置いてありましたね。

眼科医にしろ、薬局にしろ、無関心過ぎるなと感じた一日でした。
皆さんも身辺には気をつけて下さい。身近な何処かに滞留しているかも?
Posted by ハマの住人 at 2013年03月07日 07:25
放射能防護服を着て農業、 夢の中で漫才を見ている気分です。
甲状腺癌の子供が10人も発見されているのに目が覚めない日本人。本土が爆撃されているのに戦争に勝てると思っていた日本人とは今と同じ状況だったのですね。大本営発表の読み方は大変教えられます。(ありがとうございます。) 話は代わりますが関税自主権の放棄に賛成する維新の会ってなんでしょうね。
Posted by ホールインワン at 2013年03月07日 11:42
未だに放射能と放射線の違いも全く知らないような人が未だにいますからね。反対派にも推進派にも、こういう根幹をろくに理解していない人が多すぎる。誰も物理学を知らない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD

まあ実際、放射能自体多義語として使われてるわけで、上記Wikipedia「放射能」の序文にも多義語と書いてはあるが、さすがに放射線と同義語などとは書いていない。せっかくだから、こういう基本的なことの解説記事でも書かれてはどうです?こういうことなら、さすがにわかるだろうと仮定しても、知らない人は実際まだまだいるわけで、定期的に基本的なことを周知していく価値はあると思ってます。

ところで雑誌「日本の科学者」2013年1月号は読まれましたか?既にご存知な方には恐縮ですが、まだの方はぜひとも読んでみて欲しいです。IAEAなどの成立背景から書いてあります。科学雑誌といっても科学と社会との関連とかをテーマにした雑誌なので、そんな難しいものではないと思います。
Posted by erstea at 2013年03月07日 17:31
いつも読ませていただいています。こちらは、近畿ですが、子どもの成長に異変が起きてきているように感じます。
四歳ですが、4月に入園してこの3月に身長は4pから6pくらい伸びているのですが、体重があまり増えていない子どもが、ほとんどです。びっくりしました。今までもクラスで何人かはいましたが、0、5s〜1sしか増えてない子どもがほぼ全員なんて。
どんなことが、子どもの体の中で起きているのでしょうか?
Posted by ゆーん at 2013年03月07日 21:27
いつもありがとうございます。
TV朝日モーニングバードそもそも総研でのTPP医療分野参加特集

参加反対:日本医師会副会長、
中川俊男氏
参加賛成:国際キリスト教大学、八代尚宏氏

反対意見
「1980年代に中曽根とレーガンのモス会議があり以降、アメリカは日本に医療市場の開放をずっと要求してきた。混合診療を解禁すると結果患者の費用負担が増えて、民間の保険会社に入らざるを得なくなり、アメリカの医療保険会社が幅をきかせる。そして貧乏な人は医療が受けられなくなる格差が生じてしまう」
「病院が株式会社となることで株主への配当義務が生じ、営利を目的とした医療になる」
「日本の医療の問題点として保険料率の不公平がある。中小企業加入の協会健保は平均10%負担で、大企業加入の保険は平均2%負担。この不公平をなくして一律10%負担にすれば約2兆円の増収がみこめる」

賛成意見
「混合診療にすれば新しい医療を受ける人が増えて症例が増えていずれ保険適応になるかもしれない」
「病院が株式会社になって株式で調達しても、銀行から借りるのと同じ」
「日本は過剰診療。日本は診療所にもレントゲンがあるが、フランスに行った時に小さな診療所にレントゲンを置いてなかった。」


はい、いろいろ細かいところにツッコミを入れたいのですが(医療費増大を問題にしていたのに、先進医療を保険適応にしたらますます日本の医療費が増えてしまうではないか?アメリカの個人診療所で、日本の中規模病院がしていないような先進医療をしている診療所もありますが?保険料率の不公平<例えば土木関係は負担0だから気軽に病院に行くのは有名なはなし>をやめたら無駄な医療が少し減るんじゃないか?等々)

キモは、「中曽根がアメリカと日本の医療市場開放について対談」というところですかね。中曽根ですよ中曽根。このジジイはアメリカに言われるがままに軍事協力はするわ、原発導入するわで、歴史に残るアメリカのポチ犬なわけですが。医療分野にも手を伸ばしていたとは!

あとはコメンテーターが指摘していた「アメリカの保険会社参入がうまくいかなかった場合に、日本の国民健康保険などの公的保険制度を変えろ!とアメリカが日本を訴える場合もある(そしてアメリカの言い分が勝つ)」というところでしょうか。(ラチェット)

単純に考えて、アメリカが日本の医療を健全化するためにいろいろ要求するわけないだろ!ということです。アメリカはアメリカの利益になることを要求するのですから。

また日本の医療の無駄が話題になるとき、すぐに医者だけを悪者にしようとするマスコミや学者がいますが、彼らは製薬会社のとてつもない儲け、厚労省の天下りには触れずじまいでどうも腑に落ちない。

アメリカの保険会社は、日本では普通に保険適応で行われている治療費用を、出し渋る。どれだけアメリカ国民が苦しんでいるか。ちょっと調べればハゲタカ保険会社のエピソードがゴロゴロ出てくるのですが。 それでも日本の国民は日本型医療よりもアメリカ型の医療が良いと言うのでしょうかね?

てわけで私は当然参加に反対ですが、しかし日本医師会にも苦言を言いたい。
「子どもの20ミリシーベルト問題に異議を唱えるのが遅かったこと。いまだに内部被曝を予防するための啓蒙活動をしていないこと。被曝による健康被害を把握しようとしていないこと。被曝を安全ととらえる医師の発言が多いこと。(これは医師会よりも大学や研究機関の医師に圧倒的に多いが)。これらのせいで、良識ある市民ほど医師会に猜疑心をもっている!この二年間の対応を反省すべし!」と。

まぁTPPは別にしても、どう考えても内部被曝による健康被害は将来甚大になるだろうし、日本の医療制度がどうなっていくのやら、私には全く見当もつきません。

追記、Wikipediaより
日本キリスト教大学はキリスト教長老派によって戦後1949年に創設。GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーも大学設置に際し財団の名誉理事長としてアメリカでの募金運動に務めた。
Posted by いっしー at 2013年03月07日 23:13
昨日東京の電車内で催涙スプレーが撒かれたというニュースがありましたがその映像をみて苦笑いしました。外に出た人たちに救急隊員が「まだ服についているかもしれないから気をつけて下さいね」と言っていたのです。当然、放射性物質も同じ。服だけでなく髪の毛、顔、手、靴、あらゆるところに付着します。そのままにしておくと危険です。せめて妊婦、赤ちゃん、子どもだけでも、塗れタオルを使わせるなど除せんしてあげるべきだった。
Posted by だい母 at 2013年03月08日 13:07
TPP、医療も農業も参加してほしくないですが、主婦としては細かいところ、遺伝子組み換えの表示義務がなくなるとか、食品添加物が今より増加するとか、食べ物に関することが気になります。
今も学校給食や園給食で放射性物質を平気で子どもたちに食べさせているのに、さらに危険になりそうで気分が暗たんとします。自分の子どもは給食を拒否するつもりですが、他の子どもは・・・。体をつくるのは、食べ物です。
Posted by モンサントが嫌いな主婦 at 2013年03月08日 14:01
放射線と放射能。

奴らはわざと間違えている。
Posted by たま at 2013年03月12日 12:03
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