放射能は管理区域から持ち出さないように、除染する必要があるわけですが、プレスの前でそれを端的に話すと、大臣の首が飛びます。
鉢呂氏「放射能うつす」と発言 政府、与党に進退論
鉢呂吉雄経済産業相が東京電力福島第1原発の視察を終えた8日夜、都内で報道陣の一人に防災服をすりつけるしぐさをし、「放射能をうつしてやる」という趣旨の発言をしていたことが9日分かった。与党幹部が9日夜、「事実なら厳しい」と述べるなど、政府、与党内に進退問題に発展するとの見方も浮上した。野党は「死の町」発言と合わせ、13日召集の国会で追及する姿勢を強めており、野田佳彦首相が厳しい判断を迫られる可能性も出てきた。
2011/09/10 00:07 【共同通信】
この裏には、いろいろと画策があるようですが、福島を訪問した大臣ですから、放射能が衣服についているのは間違いなく、それをうつすと言っただけで辞任−そもそもわるいのはこのような汚染物質をまき散らした東電ですが、そうではなく事実を言った人間の首を取るとは、マスコミはいったい何を考えているのでしょうか。
このように考えれば、何を示しているのかはだれにでもわかるでしょう。(赤いつぶつぶの絵)

この発言をしますと、山のようにツイッターで反撃されました。どうやら、放射能の基本的な知識も何もないことがよくわかります。
「ピカの毒はうつる」発言(onodekita)に対する反応
onodekita氏「ピカの毒はうつる」と差別的発言
ピカ といえば、広島に落ちた原爆のことを指します。はだしのゲンではどのように描写されているか。

たしかにピカの毒はうつるはずないのに、差別だと書いてあります。
003:『はだしのゲンが見たヒロシマ』完成披露記者会見レポート 中沢啓治さん(『はだしのゲン』作者)+石田優子さん(『はだしのゲンが見たヒロシマ』監督)
福島の原発事故への、被爆者としての中沢さんの思いは?
中沢:僕は前から原発には反対でした。まだまだ人間が制御できる段階ではないと思うんです。案の定それが起きたと。この地震列島にものすごい数の原発を作るのは危険だと思ってました。事故後のチェルノブイリにも僕は行きました。4号炉にも入りましたが15分で出てきて、(測定器が)振り切れるほどの放射能が充満していました。(放射能が無くなるまで)100年くらいかかるんじゃないでしょうか、いや無くならないというか(わからないが)……。日本にもし事故が起きたらどうなるんだろうと思って帰ってきたんだけど、東北の大地震からよもやこんなことが起こるとは。まだまだ人間が制御できる段階じゃない。原発は放棄して、自然燃料に切り替えるべきじゃないかと思っています。
原爆が落ちたとき、僕は「黒い雨」を全身に浴びたわけです。ものすごく気持ちが悪くなって水も何も飲みたくない。じーっとうずくまってた。それが放射能の影響だとは当時は誰もわからない、そもそも放射能というものがわからんわけです。だから僕は放射能汚染されてるんです。だけど今回の福島原発の事故で風評がはびこって、福島から来た子供をいじめぬくというから、本当に腹が立った。先生はしっかり勉強してほしい。広島で放射能を浴びたって、僕はこうして72歳まで生きてるわけだから。放射能は伝染しないと子供たちに教えなくてはいけない。親も風評に騙されて動かないように。やはり放射能、放射能という恐怖感を持ってしまうが、大丈夫なんだと。こんなことを言うと原発の肩を持つような捉え方をされたりするかもしれないけど、そうじゃなくて、風評に踊らされないようにきちんと冷静に見てほしいと思ってます。
日々放射能汚染のニュースが報道されていますが、冷静にと?
中沢:僕たちの時代には、測定器とかいうものは何もなかったんです。広島の焼け跡に、郊外から用事をしにきた人が入って、帰っていくと翌日死んでる。そういう事実がいっぱいあって、なんで広島の焼け跡を歩いたら死ぬんだと不思議でしかたがなかった。当時は放射能というものがわからないから伝染病じゃないかと。だから広島の焼け跡には行くなという噂が広がったけど、結局は放射能だったんです。広島の焼け跡に黒い雨が集中的に降ったところと降らないところがあって、歩いたところにたまたま集中的に充満していたから死んだんでしょう。放射能は伝染病じゃない。僕もたっぷり浴びましたが、こうして生きてますから。
はだしのゲンの中には、ゲン自身、いつ自分の身にピカの影響が出てくるのか不安がるシーンがいくつも出てきます。

被爆後8年−被爆者に暗雲
広島市原爆障害者協議会の発表によると被爆者に急激な白血病の増加がみられ、早急に対処することが決定した。さらに原爆症はほとんど全身病の性格を持つとも発表した。
ゲンの顔から汗が噴き出ています。被爆をしても長生きできる可能性があるのは確かですが、全然心配いらないというわけでもないと言うことは、このゲンの顔が雄弁に物語っています。
肥田先生をして反核運動に駆り立てた入市被爆
「わしゃピカには遭うとらんのじゃ。あの日の昼から中隊長の命令で広島に入り、怪我人を助けて運んだり死骸を運んだりした。二晩、浅野邸で寝て、三日目に救援作業に出るよう思うたら気分が悪くなり、ここへ運ばれてきた。なしてわしの髪の毛は抜けるんじゃ、ピカに遭うとらんのに」
からだのどこにも火傷やけががなく、衣服にも破れや焼け焦げなどはない。本人の訴えるとおり、原爆の爆発時に市内にいなかった者に、、どうして死んでゆく被害者と同じ症状が現れるのか。
はだしのゲンにも同じ記述

そして、救護者被爆なる概念もあると教えてもらいました。
長崎原爆:「救護被爆者」がん多発 原爆症認定へ裏付け
長崎に原爆が投下された直後、長崎県大村市の「大村海軍病院」に収容された被爆者らを救護した軍医や衛生兵、看護師らが、がんや肝機能障害、白内障などを、一般より高い率で発症していることが、弁護士らの調査で分かった。被爆者援護法は、広島・長崎市外で救護活動に携わった人も「救護被爆者」として原爆症認定の対象にしているが、認定例は報告されていない。調査に加わった澤田昭二・名古屋大名誉教授(素粒子物理学)は「被爆者の衣服や髪に付いた放射性微粒子を医療従事者が吸い込み、体内で被ばくし続ける内部被ばくによる健康被害の可能性が高い」と指摘。調査結果は、救護被爆者の原爆症認定に向けた一助となりそうだ。
調査は05年11月〜06年11月、同病院の元職員約700人に救護状況や健康状態に関する質問状を送付して実施。遺族を含め約120人から回答があり、うち実際に救護活動に当たった人は73人(男性32人、女性41人)だった。救護被爆者への原爆放射線の影響に関する調査は過去に例がない。
1945年8月9日の原爆投下後、長崎市の北約20キロの同病院には、救援列車やトラックで被爆者千数百人が運び込まれ、約860人の病院職員が救護に当たった。
全国で266人の被爆者が起こしている原爆症認定訴訟の原告に、当時の同病院看護師1人も参加。同病院で救護に当たった人にがん死亡者が異常に多いと聞いたことから、近畿弁護団が統計の専門家と共に調査した。
調査結果は、被爆者278人、非被爆者530人を対象にした「04年くまもと被爆者健康調査プロジェクト04」などと比較して分析。同病院の救護被爆者73人のうち25人(34.2%)ががんを発症しており、「くまもと04」の非被爆者の発症率(9.7%)や遠距離・入市被爆者(19.9%)よりも高率だった。また、肝炎の発症率も「くまもと04」の非被爆者の約2倍。白内障や変形性関節症、前立腺肥大(男性)の発症率も、他調査での非被爆者に比べて高かった。脱毛や下痢など被爆者特有の急性症状も多くの回答者にみられた。
被爆者手帳所持者のうち、疾病が原爆に起因し治療が必要な「原爆症」と認定された人には医療特別手当が支給されるが、認定は手帳所持者の1%未満の2242人。爆心から2キロ以遠の「遠距離被爆」や、被爆地に後日入った「入市被爆」でも、ほとんど認定されていない。救護被爆として手帳を所持する2万5566人については、放射線の影響はほとんどないとして、原爆症認定申請を却下されてきた。 (岩崎日出雄)(毎日新聞 2007.08.04)
爆心地から20キロも離れていれば、さすがに原爆放射能を直接受けたわけではないでしょう。これは、被爆者に降り積もった放射能が、救護者にうつって二次被爆を引き起こしたと考えるのが妥当です。
さらに、1945年9月に広島に入ったオーストラリアのジャーナリスト W. バーチェットは、その著書広島today のなかで次のように記しています。

ニつの現場報告
「原爆疫病。
『私は、世界への警告として、これを書く』
医師たちは働きながら倒れる。
毒ガスの恐怖−−全員マスクをかぶる。
エクスプレス・スタッフ記者、ピーター・パーチェット」
これは、広島からの私の電報を紹介するデイリー-エクスプレス紙の見出しであった。当時「原爆放射線」という用語は、私も、大方の読者も知らなかった。だが最初の爆風や猛火による大虐殺から生きのびた人びとに新しい病気が襲っていたことは私には分かった。病院の残りの建物で生き残りの幾人かの人と会って、担当の医師と話した。私の報道は一九四五年九月五日付の第一面全面と、裏側のベージの大部分を占めた。ローレンスはファレルを頼りにするほうを選んだ。ニューヨーク・タイムズ紙の彼の報道は、どうしたわけか次の見出しで九月十三日付にな場したのみであった。
「広島の廃墟に放射能なし。
陸軍調査官、大地の溶解もなしと報告−六万八千戸の建物に被害。
東京九月十二日HW・L・ローレンス(ニューヨーク・タイムズへの電報〉。彼は次のように報告している−
T-F・ファレル戦略部門原爆調査団団長は、爆破された広島を調査したあと、秘密兵器の爆発力は、原爆発見者が考えていたものよりも大きいと報告した。しかし、その爆弾が町の廃墟に、危険で長くのこる放射能や爆発の瞬間に毒ガスを生んだことは否定した。
彼はその指弾下の科学者グループが調査をはじめた九月九日、爆発地点に放射能が残こっているという証拠は見つからなかったとのベ、彼の立見として、現在の地域で住むことによる危険はないと語った。
『目標地域における物理的破壊は実際には完壁なものであった』『情景は惨状そのものであった。破壊、損害を受けた建物は全体で六万八千であり、広島市の全建物のおおよそ80%〜100%にのぼった』と彼は報告した」
(中略)
「会議は終わりにちかづいていた。しかし、その会議が広島から私の電報−原爆の後障害で人びとは死んでいったという−を否定することが主たる目標であったことはあきらかであった。准将の服装をした科学者が、原爆放射線−私が説明した症状を呈する−の問題はありえない、なぜなら、爆弾は、『残留放射線』の危険をとりのぞくために、相当の高度で爆発させられたからだと説明した。
私が部屋に足を踏み入れたときは、劇的な瞬間であった。みすぼらしい身なりのために、服装がきまって勲章もつけた将校より不利であると感じた。まず質問したことは、報告をした将校は広島に行ったことがあるのかということであった。彼は行っていなかった。私にとって出だしは好調であった。私はみてきたことをのベ、それについての説明を求めた。彼は、門外漢に対して説明する科学者のように、最初は全く紳士的物腰であった。私が病院で会った人たちは、大爆発にともなう爆風と火災の犠牲者であった。日本の医師らが、彼らを扱う能力がなく、または、正しい薬物治療ができないでいることは明らかであった。将校は、爆発時に広島市内にいなかっだ人も、おしなべてあとで影響を受けたとの主張を無視した。意見のやりとりのなかで、市の中心部を流れる川に入ると死んでいく魚のことをどう説明するのかという私の質問に、問題はしぼられていった。
『魚が死んだのは、明らかに、爆風によるか水の温度が極端に高くなったせいです』
『一ヵ月たってもですか』
『潮の干満の影響を受ける川ですから、うしろに流されることもあるでしょう』
『だがね、私は市の郊外の場所に連れて行かれて、そこで活きている魚が川のあるところまでくると腹を上に向けるのをみたんですよ。その後、あっという聞に死んでしまった』スポークスマンは顔を青くして『君は日本の宣伝の儀牲になったのではないのかね』といって、腰をおろした。おきまりの『サンキュー』で会議は散会となった。
私の放射線の話は否定されはしたが、広島のことがその直後から大っぴらに話されるようになった。
私は米陸軍病院に、検査を受けるために連れて行かれた。その後、白血球の数が減っていると知らされた」
本当に最初から、残留放射能を隠すべく米国が画策していたことがよくわかります。そして、それは肥田先生がこの事故が起きてから、何度も何度も述べていたこととも一致します。
このニューヨークタイムズに記事を流した記者が、陸軍省のお抱えであったこと、そして、バーチェットの肉声の入ったデモクラシーナウ
字幕ボタンを押すことで、日本語字幕をみることができます。
放射能は物質ですから、除染しなければ当然汚染が拡大します。無駄な二次被害を出さないようにできるだけ放射能を拡散しないようにする・・・こういった基礎的な内容さえ、2年たった現在でもほとんど理解されていないこと−そして、その裏に米国の核兵器戦略が垣間見えること−に、愕然としています。
マスコミの質が日本と欧米では全然違うと書かれている方も数多くいますが、どうでしょうか。日本における原爆被爆の実態を隠したのは、米国の記者それ自身だったことがよくわかります。日本だろうが、米国だろうが、ヨーロッパだろうが、カネに転ぶ人間は、転びますし、そちらの方が声が大きくなるのです。
また、日本と米国・欧米の教育の違いを日本人が被爆を受け入れている理由にしている−自分の頭で考えていない−論調もよく見ます。それも間違いです。仏マルクールの放射能漏れの報道をみても、米国のスリーマイル島の事故の報道をみても、どの国民であれ等しくだまされています。そもそも、核エネルギーなるものはきちんと学習能力のある国民が大多数を占めていれば、開発、応用など不可能なのは明らかです。
日本人は末端の作業者が一番しっかりして、物事がわかっているというのは誰もが否定できないことです。その特性を生かせば、この核被害の連鎖はきっと止められると私は信じています。
◆関連ブログ
死の町−真実を話すと猛反発を食らうニッポン−被爆後2年2013年04月09日
福島除染ボランティアと入市被爆2011年11月09日
放射能と人体(3)核の本質−内部被曝2011年11月14日
われわれは原発事故にどう対処すればよいか(肥田舜太郎氏)2011年06月26日
仏マルクールの「産業事故」(2)・現場に近づけない2011年09月15日
スリーマイル原子力発電所の事故(放射能漏洩量と運転員の質)2012年09月24日
福島菊次郎さんの「ピカドン」
http://daysinternational.net/jp/feature/kikujiro/
1951〜1960年にかけて広島の被爆者中村さんに密着し撮影したもの。福島さんは「あんた、代わりに敵を討ってくれ」と撮影を許可されたが、本人の死後お悔やみに出向くと、息子に「帰れ!」と怒声を浴びせられた。どれほど家族を傷つけていたかを知ったという。
「ピカの毒さえなければ!!」ともがき苦しむ中村さん。何年もたってから被爆者認定され病院で治療が受けられることが決まり、「やっとピカの毒を取ってもらえる!」と期待に胸をふくらますが、その希望もたった一度の診療であっけなく崩れ去ってしまいます。
目に見えない内部被ばくは本人も周りの人も苦しめ、心も深く傷つけていくのだと痛切に感じました。
井戸水を飲んだり、黒い雨を浴びた人たちが原爆症を発症した事から考えれば放射性物質を体内に取り込んだのが原因だと結論に至る筈です。
結局、原爆の被害を受けた日本が、加害国のアメリカを擁護することによって世界に内部被曝の深刻さが隠蔽され、それが多くの原子力発電所が容認されていくことと、劣化ウラン弾という被爆兵器を生み出すことに、つながっていったのだと思います。
また、日本はアメリカ軍に守られていると、いまだに信じている人がいるようですが、アメリカ兵たちは「殺人兵器としての洗脳教育」を受けた集団です。だから日本に駐留しているアメリカ兵の犯罪がなくならないのでしょう。そしてイラクやアフガンから帰還したアメリカ兵の自殺が多いのも(戦場の過酷さだけではなく)洗脳教育が一つの要因になっているのかもしれません。
『戦争における「人殺し」の心理学』(デーヴグロスマン著/ちくま文芸文庫)
http://books.google.co.jp/books/about/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B_%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E3%81%97_%E3%81%AE%E5%BF%83%E7%90%86.html?id=BV4-AAAACAAJ
また、日本と米国・欧米の教育の違いを日本人が被爆を受け入れている理由にしている−自分の頭で考えていない−論調もよく見ます。それも間違いです。仏マルクールの放射能漏れの報道をみても、米国のスリーマイル島の事故の報道をみても、どの国民であれ等しくだまされています。
全くそうですね。日本人はどうしても自虐的思考が抜けなくて「日本人はだめ」「日本はだめ」と考えてしまう。考えてみれば世界中が原発をやめたわけではないのだし、原発やってる国が国民の健康なんて考えていないのは当然のことです。日本「だけ」がおかしいわけではない。
結局、日本はアメリカの言いなり国家にすぎず、政府はアメリカの言いなりロボットにすぎない。それなのに一般の日本人はアメリカを憎むどころか好感を持つ。その理由はテレビ・雑誌などにこれでもかこれでもかと出てくる白人広告による洗脳で日本国民までもロボットにされてしまっているからでしょう。
「こんなに白人や白人ハーフばかり出てきておかしいんじゃないの?」という疑問など誰も持たない。アメリカや白人が「世界の標準」だと思わされてしまっているのが日本人なんです。CNNが「日本では白人で英語を話すだけでスターになれて女性にモテモテ」という日本人の白人奴隷ぶりを世界に動画配信していることをどれほどの人が知っているのか。本当に情けない。韓国流の洗脳より、アメリカへの洗脳の方がよほど恐ろしいし大規模なのに、それを理解している人が皆無といっていいぐらいにいない。
米軍基地問題だって本当なら徹底的に批判されるべきはアメリカそのものなのに、アメリカではなく傀儡にすぎない日本政府に批判の力点が行ってしまう。「沖縄は日本の植民地」と言った評論家がいた。なぜ「アメリカの」植民地と言わないのか。ずっと以前に沖縄の反戦地主が日の丸を焼いた事件があった。なぜ星条旗を焼かないのか。歴史教育も同じ。従軍慰安婦の歴史を教えるのはよい。しかしそれならなぜ米兵の慰みものにされたパンパンのことは教えようとしないのか。いま現在米軍基地の周辺でどんな乱痴気騒ぎが起きているのかなぜもっと報道しないのか。
いい加減に気がつこうよ日本人。みんなみんなみんな、いいように「アメリカ崇拝洗脳」「日本ばかりが悪いという必要以上の罪悪感洗脳」されてしまっている。本当に誰も気がついていない。
恐らくこの投稿にも「違和感」を覚える人が出てくるでしょう。いまから書いておきますが、もし違和感を感じるのであれば、それはあなたがアメリカの言いなり洗脳を受けているということに他ならないのです。
国民が燃えるほどの怒りをアメリカに向けるのは、一体いつの日のことか。
バーチェット記者とファレル戦略部門原爆調査団団長のやりとり、現地を調査取材しているものと、勲章をつけて服装も決まっているものとの、会議の場でのやりとり、「君は日本の宣伝で犠牲になったのではないかね」という政治的な一言で、現実の経験、科学の基礎にもなるデータが葬り去られるという場面、これが、この時から、繰り返し繰り返し、これでもかこれでもかというぐらい、時を変え、場所を変えて、出現しているとおもいます。現在の早野WBCレポートも、「勲章をつけて服装も決まっているもの」が、検査機器、検出限界についての疑義を、無神経なくらい考慮しないで書かれた論文のようであり、この場面の繰り返しではないでしょうか。
「ピカの毒」ときくとと、非常に原始的感情的な部分を刺激されますが、つまりは、セシウム、ストロンチウムなどの長寿命の放射性物質のことをいっているわけだとおもいます。それが、「うつる」かどうか。長寿命放射性物質は、微生物のように増殖はしませんが、物質とはいいながらも、体に入ると、一定の寿命をもって、一定の器官好性に蓄積してゆき、毒性を発揮しつづけるという点で、感染性微生物と毒物の間の性質をもった所があるといえるのではないでしょうか。特に、それが、環境中に散布されるような事態は、原爆投下か、原子力事故のときで、一般の毒物とはちがって、環境中に、あるいは長期的には生態系内全体に大量に、目に見えない形で存在するので、本来は、医学が、「正しく怖がる」ためには、特別の配慮をするべき物質であるものだと思います。どの濃度でどこに存在するときに、どういう経路から「移る」のか?個体の毒性への感受性は、どういう条件によって決まるのか?これこそ、厳密に科学的に決定できるパラメーターになってくると思います。
「勲章をつけて服装も決まっているもの」が、会議の場で、現場の経験報告者を政治的に圧殺するようなことがくりかえされなければ、原爆投下後、早々に「長寿命放射性物質中毒学」「長寿命放射性物質防御学」といった分野ができていたはずです。人類が「原子力」を手にすることによって、人間が、あるいは生態系全体が、進化するにあたって、遭遇したことのないような、汚いともまずいとも思えないような毒物を、目の当たりにしているのではないかと思います。
「きちんとした学習能力」とは教育の産物ではないのですか。その「きちんと」の定義が問題なのです。放射能は「つぶつぶ」ですから「うつる」のはあたりまえ。その言葉尻を取って弾劾するような、客観性の無い悪い、意味での「情緒的な国民」を生んだのは日本の教育の結果なのでは。すべての国民が健全な批判精神をもつような教育をすれば、(確かに専門的な分野ですから)たとえ一時的に騙されたりしても、少し学んでみるとか、少なくとも耳を傾けると思います。それさえしない人がいかに多いか。先日あるご年配の方と原発事故について話したら、「日本にはこれまでたいへんな時代があったけれど、ちゃんと克服して立派な国(?!)になったからそんなに心配しなくても大丈夫よ」と相手にされませんでした。親方日の丸に乗っかってきた方たちはこういうタイプの方多いようですね。
福島原発事故は、アルマールやスリーマイル島の事故に比べていかんせん国民の「騙され度」が違うと思うのですが・・・。
ニュアンスが伝われば…、
長崎の西山地区みたいに山を隔てているから直接被害が無くて、黒い雨は降ったような地域で精神被害が有ったのか?とか、
この地域は食糧が十分だったか?とか、
まあそういう精神被害と栄養不十分とか、
そういう事が無ければ「ピカの毒」しか考えられない…と言う事で…、
まあ実際どうだったのか?、
しかしピカの毒を飲み込んで〜〜を否定するなら実際に家族とか親戚一同で内部被曝実験してもらいます…と、
出来れば一番すっきりするんでしょうが…、
まあそんな非人道的な事出来ないですし、
御用学者がかかわる実験だとエア内部被曝でしょうから…、
100人のうち50人を内部被曝、
残りを被曝させないで実験、
そして比較する…、
まあ出来ないでしょうねぇ、
しかし一億総被曝させている事を考えればまだ人道的・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/Template:放射線
ここの下の方にそういう歴史が書いてある。こういう核開発史もちゃんと抑えねばなるまい。広島のデータだけでは不十分で、日本人は広島で終わったと思い込んでいるやつが多いが、みんなもっと各国の核開発について知る必要がある。全員、必読と言ってもよい。ソ連のものとか、ぜひブログで取り上げて下さい。ソ連核実験の被害をアメリカに亡命してリークしたソ連の科学者がいます。ある意味広島以上の被害。ぜひ調べて書いて欲しいです。
そうそう仁科芳雄も広島調査団に任命されて入市でやられたが隠蔽されたとか書いてあったよ。
個人的に爆心地からの距離が離れればってのが気になった。熱線・放射線の直接的影響は離れれば危険は下がるとは思うが、残留放射能がヤバイというのには同意する。それ以前に核分裂生成物自体が運動エネルギーを持ってるからね、その影響もあるかも。放射能汚染地帯の場合、放射性物質が高い運動量をもって直接飛んで来ることはありえない。これは、核爆発を起こした時のみで、核分裂生成物のシーベルト換算式などが核兵器の専門書に書いてあったが、この点だけ気になった。核兵器以前でもラジウムの被害なども全て隠蔽されてきた。夜光塗料としてラジウムが使われてた時代(たかが3/4世紀前)は舌でラジウム塗料などを塗っていたらしい。高レベル放射能の被害は、既にある程度認められたのだが・・・
未だに、放射能と放射線と放射性物質の区別すらできずに原子の実在すら知らない人間が多すぎるのも問題だろう。日本人の大多数は、放射能=放射線=放射性物質だと思っているといっても過言ではないんじゃないか。この違いを切り崩すところから、やらないといけないのだろう、信じ難いだろうが。東大の原子力工学(名前変わったらしいが)ですら散乱理論を教えないらしいから核反応まで理解している人は皆無。東大生ですら、フェルミもボルンもシュポルスキーも読んで居ないとは。原子と電磁波や放射線との相互作用ということがまずわからない。そもそも原子物理学という科目すらなくなりつるある、教科書が皆無なのだ。電磁波も非電離放射線という放射線の一種なのだが原子物理学レベルで誰も知らない。つぶつぶとか、既に出回っているたとえ話より一歩踏み込んで、こういうところをきちんと抑えないとだめだろう。国やマスコミにとって、放射線と放射性物質をともに放射能ということで混同してくれたほうが助かるからで、逆に知られては困るんだろうな。だからろくに報道しないし学校で教えないし(科目名や学科名のカモフラージュなどもそう)、混同を推進して混乱させている。まさにゲッベルスの嘘も100回で、放射線と放射性物質が混同されて洗脳支配されてしまった。
全く偶然なのですが、本日のThe Japan Timesに大学で先生をされている名古屋在住のイギリス人と思われる方から日本の教育についての投稿がありました。自分の息子を日本の学校に入学させた経験に基づいた「拝啓、下村博文文部科学大臣殿、教育:私たちは何のためにお金を払っているのですか?」という記事です。
放射能の「つぶつぶ」を「うつす(移す)」と言っただけで国会レベルの問題になったり、「放射能は伝染病ではないから安心」のような認識を生む、客観性や想像力の欠如した、あたかも世の中のすべてを「想定」できると信じきっている国民を生んだ教育とはこういうものです。ご参考までに。
4月16日付 The Japan Times より
http://www.japantimes.co.jp/community/2013/04/16/voices/education-what-are-we-paying-all-the-money-for/
以下要訳
●息子を今年小学校に入学させる際に、インターナショナルスクールや日本の私立の小学校の費用を調べたが、初年度にかかる費用は親に払ってもらったり、自分自身が4年間大学で支払った18年間の教育費の合計よりも高い。
●これら小学校に入るための面接に臨むために、何を着るか、言うかを事前に学ばなければならなかった。例えば面接室に入るには、自分(夫)、子供、妻の順で、子供に金ボタンのジャケットは不利、スリッパは黒など。2歳くらいから受験準備を始める親もいるという。また入学後は学力もさることながら、おとなしく無難に振舞うことが奨励されるような雰囲気。
●しかし今自分が教えている学生達といえば専門分野では優秀であるが、ほぼ50%が日本の首相の名前や、日本の人口、宗教などを知らず、一般知識の乏しさには驚かされる。
●(極めつけはここ・・・)このように自らが生きている社会背景も知らずに、歴史、地理、文学、科学などそれぞれの専門分野でただひたすらに暗記・問題解きをすることで、かえって創造性や批判精神(=クリティカルシンキング)は欠如するばかり。このような学習は結果として、学問への意欲をかき立てる代わりに、新しいことへの無関心という結果になる。
私が以前コメント欄で「勉強できるけど頭の悪い人」「問題解き屋」と厳しい表現をした意味がおわかりだと思います。どなたかのコメントにあるような「自虐的な日本人の教育批判」などという甘いレベルではもはやなく、本当に日本の教育は崩壊寸前、或いはもうすでに崩壊しているという意見もあります。
日本の文部科学省が真の意味での批判精神を養う人格教育(リベラルアーツ教育)を問い始めたのは2002年の中央教育審議会。しかし残念ながら教育の効果はすぐには出ません。日本には教育問題以外にも、選挙制度、公務員制度、雇用制度、などの問題が山積。今回の福島原発事故は、それらの諸問題の悪い意味での集大成ともいえるでしょう。
悲観的になりそうですが幸いにも本日の邦字新聞では、全国80人以上の首長や元職でつくる「脱原発をめざす首長会議」や、脱原発社会の実現を目指し政策提言をする市民団体「原子力市民委員会」の発足が報じられておりました。日本の皆さん、どうぞ思いは熱く、しかしあくまでも理性的に闘い続けてください。
連日の投稿たいへん失礼いたしました。日本の将来を憂慮する一個人のおせっかいだと思ってお許しくださいませ。
私も日本の教育制度がすばらしいなどとは毛頭思っていませんが、では他国の教育制度が日本よりもはるかにはるかにはるかに優れているかと言えばそんなこともないでしょう。どこの国の教育制度にも問題点はあるものです。
たとえばこれは拾い物(2004年の記事)ですが、イギリスの教育に関しての記事です。
http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2004/07/the_economist.html
……
1970年代にイギリスの教育制度は大幅に変わった。以前は11歳で生徒を能力別にクラス分けしていたのだが、階級差別を助長するということでこれを廃止。公立学校の入試も一部の例外を除いて廃止された。平等であることが教育にとって最も大切であるとされたのだ。
ある種の専門学校(芸術やスポーツ、IT関係など)は、入学希望者から10%足らずの合格者を選ぶときに、「適性aptitude」のあるものに「優先権priority」を与える、という表現をせねばならない。「能力ability」と「選抜selection」という言葉は共に禁句なのだ。(このあたり、順位をつけないために手をつないだまま徒競走をやらせる日本のどこかの小学校と発想が大差ない。)しかも、このような選抜−いやいや適性検査はスポーツなどの専門分野で行われているだけで、勉強の分野で行われる事はほとんどない。
いくら教育は平等たるべきと言われても、自分の子供だけは他の子供より優れた教育を受けさせたいと思うのは当然の親心であって、その改革以後イギリスでは私立学校が大流行。先生と生徒の質の差も公立校とは比べ物にならないほど拡大してしまった。例えば、私立学校の物理の教師のうち約80%が物理学の学士号を持っているのに対し、公立学校ではわずかに32%しかいない。
いくらなんでもこれはいかんということでブレア首相が改革に乗り出したわけだが、まだなかなかうまくは行っていないようだ。労働党は私立校と公立校を連携させて私立校の優秀な教師に公立校でも特別授業を持ってもらったりすることを考えているが、当然のことながら私立校は乗り気ではない。
……
いやはや、ひどい格差ですね。しかも「順位をつけたがらない」日本と同じ傾向もあるというのは箇所には笑ってしまいました。
さらにこんな文章もありました。
http://www.users.globalnet.co.uk/~michiej/back31.html
……
イギリスの教育制度は、他の制度(医療制度など)同様、かなり格差の激しいものです。イギリスの高等・大学教育はレベルの高さには定評があります。ところが、小学校レベルとなると、あまり世界には誇れません。学習のぺースが違うということもあるのでしょうが、制度的な問題も見逃せないと思います。個々の地方自治体の財力に依存するところが大きすぎるのではないでしょうか。財源難のところでは、教科書さえ全生徒に支給されないところもあるそうです。従って、予習や復習、宿題も満足にできない学校もあるということです。「うちの学校は宿題を出します。」ということを宣伝文句にしている学校すらあります。
……
貧しい発展途上国ならともかく、先進国中の先進国イギリスで教科書も配られない小学校があるなんて! かわいそうなイギリスの小学生たち!(学校に備え付けてある教科書を使い回すと書いてあるところもありました。そんなに予算、ないのかよ!)。
イギリスだけではありません。今度はドイツの教育制度の問題について。2012年のものです。
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1352953946186.html?_p=1
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技術先進大国のドイツ、その将来を担う子供たちの義務教育で深刻な問題を抱えている。
ドイツ・シュトゥットガルト在住の川口マーン惠美氏(作家、拓殖大学客員教授)が9日、都内(日独協会)で講演を行い、ドイツの学校教育の問題点や日本との教育方針の違いなどについて説明した。ドイツでは州によって教育システムが異なるが多くの場合、6歳から4年間はみな基礎学校(Grundschule)で学び、その後は総合大学進学を目指す生徒が中心のギムナジウム(9年間)、おもに事務、専門職に就くために行く実科学校(Realschule、6年間)、そして職人を養成するための基幹学校(Hauptschule、5年間)のいずれかの学校を選んで進学しなければならない。
戦前から現在までずっと基本的にこの制度が続いてきたが、ここ数十年で中身の大きな変化が起ったと川口氏は言う。
「1960年代はギムナジウムに行く生徒はクラスで数名。半分以上が基幹学校だったのが、今は半数〜8割以上がギムナジウムに行く」
ドイツでは州によって、親に進路を決められる場合とそうでない場合がある。学校の先生が決める場合は、国語と算数の成績によってギムナジウム、実科学校、基幹学校に行ける許可証を与える。
「ギムナジウムに行きたいのに行けなかった子供の心の傷は深い。わずか10歳の子に勉強ができないという劣等感を植えつける」
多くのギムナジウム卒の親は自分の子供がギムナジウムに行けそうにないと聞くと大騒ぎして、子供の尻を叩いて猛勉強させたり、先生に直訴したりすることもあるそうだ。
「昔の基幹学校は職人の子が誇りをもって進学するところでしたが、現在は社会的に恵まれない子、移民の子、落ちこぼればかりが行く学校になってしまいました」
他方、職人の親たちは従来の手工業技術ではなくIT、ハイテク分野を子供たちに学ばせたいと思い、実科学校やギムナジウムに進学させるようになった。…
このような基幹学校の荒廃(落ちこぼれの吹きだまり)が、優秀な職人を輩出してきたマイスター制度の崩壊につながってしまった。ギムナジウムに行けないことで劣等感を持った子供たちは勉強意欲が湧かず、義務教育レベルの知識が身につかないまま、社会に出て失業者、犯罪者の予備軍になってしまうケースも少なくない。
一方、ギムナジウムに進学する子供が増えすぎたことで高学歴化が進み、結果として優秀な技術者不足になってしまった。また、エリート教育が進みすぎると、いろんな職業、経済レベルの家庭の子供たちと接することが少なくなり、視野が狭い大人になる恐れがあるとも氏はいう。
「日本ではルンペンでも岩波新書が読めるくらいの知識をもっているのに、ドイツは分数の計算ができないなど基礎学力のない大人たちがたくさんいる。これは10歳から3つの進路に振り分けてしまうドイツの教育(三分岐型の教育制度)に問題があると思います」
早くから進路を振り分けることで教育格差を生み、それが貧富の差の拡大をも惹起してしまう。そこで、氏が指摘するように義務教育の平等性の確保を目指して、ドイツでも州によっては3つの学校をまとめた総合学校を設立しているところもあるが、あくまでエリート教育を重視して反対の声を上げる親も少なくないという。
近年、学校崩壊が叫ばれる日本だが、ドイツは一層困難で複雑な状況に陥っているようである。
(羽石竜示)
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いかがですか。こういう例をみても「日本だけ」がひどいわけではないことはあまりにも明らかです。もっと探せばいくらでも出てくるでしょう。「人民網日本語版」2011年10月10日の記事には「中国の最大の教育問題=自ら学ぶ意欲に欠ける」とあり、「(中国の学生は)空き時間に自ら学ぼうとしない」という外国人先生のありがたいお言葉も載っています。
イギリス人様が「日本の教育はなってない!」とお叱りの投稿をすると「ハハーッ!」とかしこまってしまう日本人。
日本を駄目にしているのは、そういう奴隷根性なのです。だから日本は戦後何十年たってもアメリカの奴隷であり続ける。
そしてまた予告しておきますが、こういう説明をしても「それでも日本の教育は世界的にひどすぎる! こんなひどいのは日本だけだ!」ということを主張する人が必ず出てきます。それほどまでに日本人は徹底的に自虐を植えつけられている。罪悪感を植えつけられている。説明しても説明しても、決してわかろうとしない。
わかりきったことを何度も書くつもりはないので、私はこの件についてはもう投稿することはないでしょう。
向こうは近代科学発症の国であると同様に元から文系社会でハリーポッターみたいな魔法や神秘主義とホーキングのような一流の科学とが混在してます。原子物理学のメッカだったキャベンディッシュもイギリス。ウラン産業牛耳ってるのも英のほうだから本家は米じゃなくてこっちにいる。みすず書房の「二つの文化科学革命」とか読むと米ソ冷戦最盛期で米ソに対しイギリスの科学は文理の乖離が著しいなどと批判してます。日本で文系と理系が対立しているのはイギリスでは何十年も前に経験済み、歴史を学ばないからああいう連中は、いつも同じ間違いを繰り返す。科学の社会史、岩波現代文庫、上下によると、そもそもニュートンですらスウィフトのラピュタ(アニメのほうじゃなくてガリバー旅行記のやつ、英語版も邦訳も著作権切れで無料でよめますので探してください)で批判されたように近代科学技術というのが誕生してからは弾圧されたのですが、特権階級にとって科学は有益であると判断されるとむしろ推進されるようになります。初めて科学を推進したのはナポレオン。エコールポリテクニックは今日のMITやチューリッヒ工科大学のモデルになったような学校です。ナポレオンは初めて理系の学校をつくって科学者・技術者を量産したという意味で革命的だった。とくに富裕層や特権階級でなくても入試に通れば誰でも通えるようにしたため、ラプラスとかラグランジュとか、当時のフランス人科学者は庶民階級出身者が多いのは事実。調べればすぐわかる。ナポレオンも一国の荒廃は数学力により決するとすら述べている(ソースは数学セミナーの最新号)。余談だがシンガポールとか香港とか、ものすごい数学教育大国でまだフィールズ賞などは受賞していないが、進度は日本よりも早く三角関数の微分ができないと中卒資格すら取れず小卒で一生底辺というすさまじい国だが、こういうのをみても衰退していく国なんだろうな。中学生が英文論文を発表しているのに、日本では数学オリンピックで金メダルを取っても医学部にしか行かないんだもの。医者は医者で必要でしょうが、どうみても頭脳損失。アメリカの場合医学部が大学院なので優秀な人間が理学部に集まるようになってて医者にするのは惜しいようなのはヘッドハンティングされる。こういう面だけみても新技術は弾圧し、アホ官僚や医者や御用学者のが儲かるとか異常な国だろう。日本の科学技術は欧米からパクったせいだというのもあながち嘘ではない。完成品をぱくってくればいいんだから。でも自分がパクるものがなくなると行動不能になる。社会科学では変化させようとすると慣性の法則で難しいとかアシモフもファウンデーションシリーズで述べている。これも国力衰退で原子力が爆発する話。半世紀も前から予言されてた。
さて話を戻しましょう。欧米の場合大学に理系学部を設置するだけでものすごい苦労したんですね。だからMITもチューリッヒ工科大学も専門学校だった。学位授与権がなかったので大卒資格がとれずに、MITとか社会人技術者向けの学校だった。今でも社会人の科学者・技術者向けの夜間や半期の教育もやってるはずです。それが世界のトップ大学になったのは世界大戦による戦時独裁体制で、100年前なんてアメリカは農業国で科学力というのは日本とスタートラインはあんま変わらないわけです。統計力学のギッブスぐらいだよね当時(100年ぐらい前)のアメリカの一流の科学者って。第一次大戦で直接国土の戦災を免れた日本とアメリカが戦後の勝ち組で輸出などもはかどったが日本のは現代のmade in China みたいの安かろう悪かろう。ドイツ軍は科学力で輸入が止まっても化学合成などで耐えたが、日本は阿鼻叫喚状態だったらしい(科学の社会史より)。ようは日本人には科学というツールが使いこなせなかった。欧米からパクってくるのはいいが、こういう肝心なときにね。そもそも近代史自体、学校でろくにやらないから。小中高と3回は歴史をやるのにいつも明治あたりで三学期の終わり頃になってしまうというパターン、で、大人になってから学び直そうにも縄文時代から初めて近代史にたどり着く前に力尽きる奴らが多い。歴史って他の科目とちがってあまり積み重ね科目じゃないので近代史から学び初めてもいいんですね。近代科学史などたかが300年ぐらいだし日本史より短いのですぐおわります。いきなり年号を暗記するよりまずは流れを掴むぐらいの軽い気持ちでやればよろしい。
それで、日本語ではUniversityもcollegeもinstituteも全部大学と翻訳されるので紛らわしいですが文化的には別物ですね。日本でも東工大とか国立工学部はもともと専門学校だったのが多いですが、東大だけは世界初の工学部設置に成功した。個人的にはここらから日本の科学技術や環境破壊の根元があるのではないかとみている。
そうそう鉱毒事件についても全く体質が変わってないからこれも要調査。
和魂洋才とかいうのは実は相当最悪な意味を含んでいるんじゃないか。思想面を無視して科学技術だけパクってきたからじゃないかと思う。日本の理科教育では歴史や科学哲学や数学と科学との関係とか、全く教えないが、そもそもの根元が徳川吉宗が蘭書解禁したとき理系の本だけ解禁されたんですね。江戸時代だと文系の本は思想面で植民地化されるリスクを懸念したというのもあるだろうが全て裏目に出ている。明治から1980年代ぐらいまではまだそういう思想面を重視する思想もあり、科学雑誌なども盛んに出版されてたけど翻訳を除くとろくな科学雑誌はニュートンと岩波の科学ぐらいしか生き残っていない。そもそも現代科学自体バベルの塔で専門外の人とコミュニケーションができなくなってる。せいぜい、高校から大学2年ぐらいまでの内容が理系のコモンセンスで、それまでなら参考書も大量にあるので学べるが肥大化しすぎて手に負えなくなりつつある。しかもそういう再教育システムすら日本にはなく(理科の検定試験とか通信制大学は皆無)、自力で本をかき集めてやるぐらいしか方法がないからな。人間の判断力を鈍らせるには情報を飽和させるほうが有益になってしまっている。情報が飽和すると自暴自棄になる。ソーカル事件のような連中もだから出てくる(自己相似形が日本で増殖中)。自力で判断するよりいろいろな説があるというだけで考えられなくなっている。原子の仕組みをきちんと教えるよりわざとわかりにくくして、元素と原子と分子と核の違いがわからない人間を量産したほうがよい。学力トップ層にとってはそういう教え方のほうがむしろ教育的であり、わかりやすすぎるよりもわざと難しい教え方のほうが自分で理解しているのか確かめられる。逆にそれ以外の層は棄民してなにも知らないでいたほうがよいという奇妙な利害一致が見られるのだろう。
誰でも数学が理解できる手法を開発した遠山啓も文部省(当時)に弾圧されたがこういう理由もあるのだろう。宗教教育や数学教育というのも凡人にとって物事を判断するツールになりうるから存在するという理由もある。
テストなどで難しい問題ばかりだと自暴自棄になってしまったことはないだろうか?その結果パブロフのごとく反射的に判断する確率でコントロールされた洗脳支配された人間ばかりになってしまった。こういう情報を飽和させるという認知科学も知らないで情報化時代にやられ放題。科学すら使いこなせないのに、イット革命なんていっているやつらに使いこなせないから外国勢力の思うままだ。
性交渉で妻にも被害 夫、危険性教わらず
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/us/000406.html
たとえばドイツ語ではスペル間違いというものはよく見られますが、日本語のように助詞が混乱して文意が通らなくなるということは、格変化が厳密なため起こり得ません。「イギリスやドイツでエリートコースから外れた子供たち」でも、日本の有名大学を卒業した人々にさえ見られる、文意が混乱するような文法間違いは決してしない。その代わり、日本人なら小学生でも「りんご」という言葉を書き損じることはないが、彼らは「り」と「ら」を入れ替えて「らんご」と間違える。こんなにも根本が違う人間たちの、時間的・場所的重層構造の集大成としての社会システムを表面的に比較することこそがナンセンスです。つまり、「騙す」という言葉の感触や、その意味範囲、そこにまつわる実感とその後の行動パターンが日本と外国では全く違うということを抜きにしては、「世界中の誰もが等しく騙される」ということも言えなれば、「日本人だけが騙される」ということも言えない。
しかし、先に「全てが良質の情報ではない時、全く異なる言語を扱う側には、その情報の真偽を確かめる術はない。」と書きましたが、これが同言語内での場合は、その情報の質と真偽にそもそも興味があるか、興味を持って糸を辿っていったとして、その道筋を理解し、自ら分析することができるか否かという問題になります。理解力、思考能力の始原としての国語力を軽んじる傾向が続く限り、日本人が真に「独立する」ことはないでしょう。国語を失うことは、国を失うことと同じです。ここで、「アメリカでもヨーロッパでも言葉は乱れているだろう、日本だけがひどいんじゃない」と拳を上げることに意味はありません。その「ひどい」の内容が全く異なるからです。印欧語ではスペルが正しく書けずともその文法が崩壊していくことはないが、日本語の特性ではそれが容易に起こり得る。であればこそ、就学中の者、既に社会に出ている者、一人一人が真の理解力を発揮できるような正しい流れを形作ることが、核の悲劇を食い止める大きな布石となるはずです。が、それはそれこそアメリカにとっては都合が悪いでしょうし、「日本人にしか理解できない国語」はこれからますます奪われていくのでしょう。
「国語を失うことは、国を失うことと同じ」確かに国語はとてつもなく重要ですが、しかし国語を失ってもまだ誇りを保つことはできます。たとえばアメリカの移民たちは二世三世……となるにつれて親の言葉を忘れ英語だけになってしまう人が多いと思いますが、それでも民族の誇りを維持している人たちもいるはずですから(アメリカ移民がすべて英語を話すとは言っていません)。
そもそも移民の二世三世四世にとってもはや「国」とは祖国ではなく自分たちの住んでいるその国になるでしょう。しかし誇りを失わない人たちはその国で自分たちの尊厳を守ろうとします。たとえばアメリカの公民権運動などのように。
考えたくもない想像ですが、将来日本がアメリカの州になってしまい(完全に植民地化して)日本人が日本語を捨てて英語になってしまったとしても(日本人の大半が日本語を読み書きできず母語が英語になってしまったとしても)同じことです。あまりにも植民地支配が酷くなれば、国語を失っても独立を回復する動きが出てくるでしょう。
かつてアメリカは「人種のるつぼ」ということを言っていたはずですが、結局それは無理だということになって今は「人種のサラダボウル」と言っているはずです。だから民族の誇りというものは、実はやすやすとなくなるものではないはずなんです。
ところが日本人は実にやすやすとアメリカの言いなりになっている。簡単に自国の文化を捨ててしまう(もちろん全部ではないけど)。これはむしろ例外的で、それは日本が完全に奴隷化しているからです。政治的に奴隷状態なのは説明するまでもないでしょうが、個人の美意識まで奴隷化させられ、ただ「英語を話す白人」というだけで日本ではちやほやされるという情けない現状をCNNが報道しています。特に女性の洗脳状態が酷い。
「どうして日本人(東洋系)が読むファッション雑誌に、こんなに白人モデルばかり出てくるのだろう?」
「なぜマンションやアパートの名前って、カタカナ(英語・フランス語…)ばかりなの?」
こんな疑問など誰も持ちません。この異常な状態を「普通」として受け入れてしまっている。要するに日本人は美的感覚まで「日本語より欧米の方が高級でかっこいい」「日本人より欧米人の方が立派で美しい」と思わされています。
アメリカの悪を徹底的に批判するビル・トッテン氏は「かつての日本人は太い背骨を持っていたが、今はそういう人が少ない」ということを言っている。氏のブログを読めば日本が日本人がいかに奴隷状態かよくわかるでしょう。
http://kamogawakosuke.info/
グローバルではなくグローカル。これが大切なんです。もちろんこんな時代ですから国際協調するのは当たり前ですが、民族の誇りと尊厳を保ったままそうしなければならない。
「現状は異常」「日本政府はアメリカの奴隷」「日本人の価値観は欧米化され白人(や黒人)を日本人よりも美しい・かっこいいと思ってしまう洗脳状態にある」ということに気がつくことが大切です。
何も私は外国人を差別せよと言っているのではありません。外国文化を受け入れるなとも言いません。私自身、クラシック音楽が好きだしインドカレーをよく食べるし外国人の知り合いもいます。ただそこに民族の誇りと尊厳がなければならない。クラシック音楽が日本の伝統的民謡よりも「高級で優れている」と考えるようなことはいけない(売らんかなの商業音楽よりも伝統音楽の方が優れていると考えることは話が別)。外国人の夫がいるといういうと「国際結婚? 子供はハーフ? 素敵!」と思うようなことではいけない。それは外国人を日本人と対等に「見ていない」ことになります。
日本の女性の中には「青い目のハーフを産みたいから外国人と結婚したい」と本気で思っている人までいるんですよ。なんたることですかそれは。民族浄化じゃないですかその発想は。もちろんそんな女性は「一部」だとも言えます。全部ではない。だから日本人女性の中にもそういう日本人女性にあきれ果てている人もいます。
http://plaza.rakuten.co.jp/bitchesRus/
テレビ・雑誌広告に外国人がバンバン出てくる現状は差別なのです。同じ人間なのに、白人や黒人やそのハーフの方が「かっこいい」「美しい」と思ってしまう結果になるわけですから。それに気がついている人が皆無といっていいほど少ない。
外国人がバンバン出てくると「国際化だ」とか「差別がなくていい」と正反対のことを考えてしまう。全く逆。それこそ洗脳であり、それこそ差別なのに。骨の髄まで洗脳されている。だから韓国流には反対運動が起きるのに、アメリカ流には反対運動が起きない。
だからこそ「他国の軍隊」が日本で何をやらかしても日本人はぼーっとしている。韓流反対デモ以上に米軍反対デモを全国的にやらなければならないはずです本来(そこにアメリカ人が加わることも可能です)。いまだに韓国中国に謝罪せよとか補償せよという人がいるのには驚かされますが(多分謝罪も補償もしているはずですので)、アメリカが原爆投下について全く謝罪していないことを怒る人が少ないのはどういうことでしょうか。前にも書いたけど従軍慰安婦のことを教えるのはよいとしても、それならパンパンについても教えなければならない。でもそんな意見を聞いたことがありますか? 私はありません。そういう発想がない。
だから自虐的だといえます。この自虐はつまるところ日本が起こした戦争犯罪に対する罪悪感につながってきます。もちろん罪悪感を持つことはおかしくないし、人間として当然ですが、問題なのはその罪悪感のために「日本の悪」だけにしばられてしまって本当に糾弾するべき巨悪(アメリカ)に対する批判が鈍ってしまうことです。私のみるところ、ものすごく良心的なジャーナリストたちもこの罪悪感トリックにひっかかってしまっている。たとえば佐高信氏。繰り返し繰り返し「日本の会社はおかしい」「日本の政治はおかしい」「日本(人)はおかしい」と言い続けてきた彼は、決して巨悪アメリカに対して国民の目を向けるようなことはしませんでした。結果日本人の目は曇ってしまった。氏の罪はまことに重い。恐らく氏が批判している人たち以上でしょう。
長くなりすぎました。結論をいえば、日本は革命が起きないとどうしようもないほど現状はひどいですが、そのためには一人一人が頭の中の価値観を革命的なぐらいに破壊しないとどうしようもありませんね。
日本はすでに政治的にアメリカの植民地状態であり、日本人個人個人の価値観も白人黒人外国人(非東洋系)崇拝が入ってしまっているのだ、つまりは「国も自分も情けない奴隷なのだ」と多くの人が気がつかないと、どうしようもない。
しかしそう多くの人が気がつけば、たとえそのとき国語が失われていたとしても、日本人は尊厳と誇りを取り戻すことは可能でしょう。
頑張ってください。
http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-May/thread.html#23893
たとえばドイツでは「足が長い」「顔が小さい」ことは造形美を表す褒め言葉として浸透しているものではありませんが、日本では白人の造形にある種異様な執着を持つがためにそれらの表現が氾濫すること、日本人が自らのそうした執着をマーケティングとして広く利用してきたことに全く異論はありません。しかし、こうした卑近な例をも包括する「日本人としての尊厳と誇り」なるものは、まず「日本人」という固有性が土台となって初めて語られ得るものです。日本という国がそもそも単一民族国家ではないこと、民俗学の歴史の中でその単一性が後書きされていったこと、今日では在日外国人の問題もあることなどについて論じるつもりはありません。私がここで言う「日本人」とは、各地の方言文化をまとめる日本語の言語感覚を持ち、その言語文化を未来へと伝えていく者のことです。
海外で世代を重ねていった二世、三世の日本人の中にも、恐らく様々な意識の違いがあるでしょう。在日韓国人と同じように、とてもはっきりとした意識を持って母国語とその文化を繋いでいこうとした人々は、何世代と時間が過ぎても二つのアイデンティティと向き合っていかねばなりません。しかし全く日本語を手放した人々は、彼らの歴史の中に「日本人」としての固有性が混ざりこんでいるに過ぎません。たとえばドイツ系のレオナルド・ディカプリオはドイツ語ができる、という日本の記述を見かけたことがありますが、彼のドイツ語はこちらの幼児レベルにもありません。ドイツ人としての固有性が彼個人の歴史に紛れ込んでいるとしか言えない状態で、彼が何かを語るとすれば、それはドイツ人としての「誇り」ではなく、「ドイツ系としてのノルタルジー」に過ぎない。それと同様に、日本がアメリカに属する一つの州となり、日本人の母国語が英語のみになった時、その言語感覚の中で見る「日本」は、もはやこの「日本」ではあり得ません。格変化は厳密になったが、りんごを「らんご」と書き間違える英語が母国語の「日本人」が見、その言語感覚でもって理解する彼らの世界は、今とは全く別のものになります。
言語というのはそれに満たされた人間と文化の固有性を造るものであり、理解力の根となるものです。確かな国語力がなければ物事の理解ができないと同時に、その国の固有性がぼやけていく。世界がこんなにも多種多様である時に、その多様性を単一に回収しようとする世界言語の成立など、本来は破壊の流れの一貫でしかありません。「言葉が世界を造る」ならば、その「言葉」の固有性が多様な文化を生むのですから。
二世、三世と世代を経たわけではない日本人の中でも、海外に長く暮らしているうちに固有の母国語を失う人々がいます。現地の言葉も半端なまま母国語という基軸を失うこと、そうして理解と想像の力が混沌としていくことの恐ろしさが、日本に居ながらにして日本語を奪われていく人々の近い未来に滲むことがあってはなりません。まさに夜勤仕事さんの仰る「民族の尊厳と誇り」を取り戻すそのためにも、第二、第三の福島原発事故を食い止めるためにも、核利用に絡む利権構造の中で嘘を嘘と認識していくためにも、人文科学・社会科学・自然科学の総合としてのWissenschaftを確立していくためにも、その道筋の基礎となる言語能力は、印欧語に比べ文法構造そのものが崩壊しやすい日本語であるからこそ、これ以上軽んじられてはならないものであります。しかし前回の投稿にも書きましたように、「日本語を失わせたい」流れが渦巻いているというのも、あながち下らない見方ではないでしょう。ドイツではあるテレビ局が「ドイツ人の知性を奪うための番組しか作らない」と揶揄されていますが、現代の情報戦の一貫として国語や知性を奪うということはあまりに尤もに思えます。
日本の現状を憂い、先を見据える各々が行動を起こしていくしかありません。そうした静かな、しかし確実に未来へと向かう流れを顕在化させる場所の一点として、これからも小野先生のブログを楽しみにして参ります。
いつも貴重な情報をありがとうございます。
それにしても、放射性物質が人や物などを介して広がってしまうことに対しての認識がない人の多さに驚きました。
「差別」という言葉を使い違えていると思います。先生は、差別をするために使っているわけではないのに、それがわからないんですね。
なんだか「風評被害」の使い方といい「差別」の認識といい、間違った使い方をしてるのに気が付かない人たちが多すぎます。
私の親戚は柏崎市に住んでいます。
以前、「もし柏崎の原発から放射能が漏れたら関越トンネルが封鎖されて、柏崎市民はどこにもいけなくなるんだよ〜。」と言われました。 (本当かどうかはわかりませんが)
理由を聞いたら、原発関係の会合で、そういわれたとのこと。被曝してしまうと、放射能が身体に溜まって、その放射能が溜まった身体から放射能が出て、被曝していない人を被曝させてしまうからだって。
と、言っていました。
彼らは、でもそうなったら、仕方ないよね。
他の人たちに迷惑をかけるわけにいかないからね。
と、言っていました。
彼らは、一人として関越トンネルが閉鎖されるかもしれないことを「差別」とは言っていなかったですよ。
そして、放射能が「移る」ということをちゃんと理解していました。
無知ですね!
放射線を発する物質に触れない限り被爆などしませんが?
放射能管理区域は何の為にあるのかも理解されてますか?
放射性物質を含む水に触れれば表面的には被爆しますがそれだけですよ?
体内に侵入しませんが?
貴殿の主張だと放射性物質を扱う仕事をしている方々は他人に放射能を伝染させるという差別主張になりますが?
また、病院でレントゲンなど受けた方々も外には出せなくなりますよ?
理解してますか?
放射線と放射性物質とは違いますが理解してますか?
放射性物質を扱う人は、人にうつすことがあるので、細心の注意を払っています。
X線は放射性物質を使わないので、人にはうつりません。
たかさん、あなたの言ってる事はわかるが、あなたは言葉の定義を間違っておる、もしくはあやふやである。
あなたの知識範囲は狭く、なぜそのレベルで偉そうにコメントしたのか理解に苦しむ。
X線での放射線治療は、放射性物質を使わないので、人にうつす(移す)ことはない。しかし、放射性ヨウ素剤など放射性物質を使う放射線治療の場合、人から人にうつる可能性がある。
放射性物質を含む水にさわったあとに、その手を人につければ放射性物質が移動するし、そのことを放射能がうつると言う。
デマッターを識別する最良の言葉=「差別」