1971年 今村博(初代)
1984年 住谷寛(6代目)
1997年〜2000年(平成9年〜12年) 二見常夫 現 東京工業大学国際原子力人材育成(日立GEニュークリア・エナジー)寄附講座 教授
東電を退職したあとに、東京工業大学に関連企業の日立から金を出して、教授になる。素晴らしい天下りです。そういえば、原子力委員である尾本彰もこのルートを歩んでますね。わたしが本店に着任したときの笛木謙右発電部長の前任者だったらしいのですが、直接は存じ上げません。
2000年6月(平成12年)〜2002年6月 服部拓也
2002年〜2005年(平成14年〜平成17年)? 松村 一弘
2005年〜2008年 大出厚
2008年6月〜2010年6月 小森明生
この方は、わたしが1993年3月に福島第二原発の勤務時に発発電部第一保修課長で本店原子力技術課への辞令を手渡してもらいました。まじめな方で、今回の原発事故の際もいろいろと発言しており、テレビ会議にも出てきています。(ドライベントに躊躇していたことが出てきます)
泣き崩れて、致死量の放射能漏れを認める ことをした人物でもあります。
2010年6月〜2011年11月 吉田昌郎
先日なくなられました。昨日のブログで紹介いたしております。私自身は、この方は直接は存じ上げておりません。
2011年12月〜2013年6月 高橋毅
わたしが本店に赴任したときの直属上司(副長)。(当時の課長が武藤栄)ものすごい切れ者で、かつ性格が温和(高橋さんを見習えと、岩上さんより叱責あり)なかたです。詳細は、こちら
2013年6月〜現在 小野明
高橋毅の後任として赴任してきたのが、小野明氏です。IAEA勤務歴もあり、頭が良くて、性格も良かったと思っています。彼が赴任して数ヶ月後に辞表を出しましたので、上司の勤務査定にはあまり響かなかっただろうと私自身は考えていました。その後、原子力畑から離れて営業所勤務をされていたはずですが、311以降原子力村に引きずり戻されたのではないかと勝手に想像しています。当時、この小野明氏と現在広報をしている尾野氏とわたしで、10名たらずしかいない原子力技術課内に3名もオノがいたので、武藤さんは、小野明・・オノイチ 尾野・・オノニ わたし・・オノサン と呼んでいるとだじゃれを言ってたこともありました。(この意味がわかったのは、会社を辞めてから随分立ってからでした)よだんになりますが、当時の交換の人には、MOX(燃料)のオノ(尾野)か 安全(グループ)の オノ(私)かで、交換を振り分けてくれと説明していました。
こうやって見ますと、私も随分と中枢のセクションで仕事をしていたことがわかりますね。。。
樅の木会・東電原子力会編『福島第一原子力発電所1号機運転開始30周年記念文集』、2002年所収 をお持ちの方がおられましたら、貸していただけないでしょうか。
◆関連ブログ
原発立地の時は「やらせ」どころか、だまし討ち2011年07月09日
近藤駿介原子力委員長の電力業界との癒着2012年05月24日
致死量の放射能漏れを認める(3月19日会見より)2011年11月16日
NHKスペシャル原発危機_安全神話〜当事者が語る事故(出演者の背景をひもとく)2011年11月29日
吉田所長、病気療養のため移動、後任は高橋毅氏2011年11月28日
吉田昌郎元1F所長が死去。被曝の関連を直ちに否定するが、現在も恐るべき調査が続行中2013年07月10日
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人はただ一度、生きるだけです。
原発問題は、国の運命を 一部の連中に私物化されているとも言えますが、私の住む北九州市も市政が何者かに私物化されている状況です。
来年工事着工予定の小倉サッカースタジアムは、totoくじから30億円を頂き、残り60億円が丸々北九州市の借金となります。
その裏では、各予算の削減が行なわれているとの事。
昨日、母校の小学校に用事で伺ったのですが、本年度の学校(教育)予算が20%も削られ、正門・裏門のインターホン設置すらできないほど厳しい状態だという事でした。
水道局で聞く話では、「予算削減は教育だけではなく色々ですよ!」との事です。
教育よりもサツカーが大事なのか?
それもギラヴァンツのあの成績(ロアッソ熊本より下の22チーム中20位)です。
北九州市は、とにかく見通しが甘過ぎる公共事業ばかりで、高齢化率も政令指定都市でトップであり、公共事業をやりたい連中に潰されます。(がれきの受入れも絆とは名ばかりでした。)
例えば東大を卒業して福島原発に行く気になるでしょうか?
現場の人だって有能な職人ほど福島原発へ行かなくとも食べていけるわけですから、此から徐々に無能なトップと仕事のいい加減な職人で福島原発を管理していく様に為るのではないでしょうか?
そして福島原発はそこで働く人の命を此からも飲み込み続けるのでしょう。