2013年09月15日

赤ちゃんの骨でストロンチウム計測(1)−英米の恐るべき人体実験

 今現在、「科学的」な被曝知見は60年以上前のヒロシマ、ナガサキしかないと、デマが大手をふってまかり通っています。そして、このフクシマで放射能による人体の影響を明らかにしようではないかと、福島民報までがいずれどうせまた世界のどこかで起こるであろう放射能被害に備えて、健康被害の有無を含めた情報を蓄積しておくことは、人類への貢献(福島民報)という自虐的な記事まで載せる始末。
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の世界がまさにそこにあります。

 しかしながら、核兵器開発国もまた同じような人体実験を繰り返していたことは、アイリーン・ウェルサム(プルトニウムファイル著者)のインタビューで紹介したとおり。


 今回、同じようなおぞましい実験を訳していただきましたので、数回に分けて紹介させていただきます。サンシャイン実験−死亡した赤ちゃんの骨を集めて、核実験によるSr-90の影響を調べる研究です。(このように死体の灰からストロンチウムが測れるというのに、海洋に大部分が流出されたとするストロンチウムの含有量を魚で検査をしないのはなぜでしょうか。しかも,腐るからできないという低俗な理由で)

THE X FILES THE GUARDIAN Thursday July 6 1995

(邦訳)

Xファイル 1995年7月6日 木曜日 ガーディアン紙

コベントリーに住むパンジャブの女性達は、放射性チャパティを食べさせられていた。リバプールの妊婦達は、放射性同位体を注射された。まるで大衆紙の狂気じみた見出しのようだが、そうではない。原子力に関する秘密実験のことだ。核実験に関する新たなうねりがあるが、政府の支援により15年にわたって行われた秘密研究について、マギー オケイン記者がお伝えする。

[訳注: パンジャブとは、パキスタン東部とインド北部の地方です。1849年から1947年まで、イギリスの支配下におかれていました。チャパティとは、インド、パキスタン、バングラデシュ、アフガニスタンにおけるパンのひとつです。
Punjab Region
チャパティ
原文の”On the eve of a new wave of nuclear testing” (直訳は、「核実験の新たな波が来る前夜」)とは、おそらく、包括的核実験禁止条約起草に関する交渉が活発に行われていたことを指していると思います。
1991年に東西の冷戦が終了し、部分的核実験禁止条約の加盟国は、同条約を改正してすべての核実験を禁止する条約にすることを提案しました。1993年、包括的核実験禁止条約の起草に関する交渉が始まり、3年にわたって集中的な交渉が行われました。1996年9月、包括的核実験禁止条約は1996年9月、国連総会で採択されました。
部分的核実験禁止条約
包括的核実験禁止条約
Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty ]


グレース ブラウンさんは、4月のある金曜日、パスタを料理していた。グレースさんは、ノースウェールズのランゴレンの小さな家に住んでいる。電話が鳴った。引退した66才の元保護監察官からだった。その人は、グレースさんが、39年前に子どもを亡くしたのではないか、と尋ねた。
電話をかけてきたのは、デービッド リーフさん。今では、トウェンティ トウェンティ社という独立したテレビ制作会社の調査担当者。リーフさんは、グレースさんを1年間探してきた。リーフさんは、お宅に伺ってもいいか、とグレースさんに尋ねた。グレースさんの息子のレイ君は、1957年7月10日に1才になった。誕生日をお祝いするために家族は、海辺のライルに出かけた。でも、レイ君は、その日、ずっと落ち着かず機嫌が悪かった。レイ君は、帰り道、おばあちゃんの腕の中で気を失ってしまった。デンハムの病院に連れて行ったところ、レイ君は脳出血とのことだった。次の日の朝早く、グレースさんは、息子さんの顔が「向きを変える」のを見た。そして、レイ君が亡くなったことを知った。
[訳注: 参考サイト
Twenty Twenty Television]


グレースさんは、その次の日、病院に息子さんの洗礼服を送った。病院がレイ君の遺体の埋葬準備ができるようにするためだった。悲しみにくれていたグレースさんは、亡くなったレイ君の姿を再度見ることができなかった。それで、グレースさんは、レイ君の足の一部が取り除かれたことを知らなかった。
1週間後、レイ君の足の骨には、HB88-HBという参照番号が付けられた。レイ君の足の骨は、その月に医療研究委員会が摘出した33本の骨のうちの1本だった。33本の骨は、主にノースウェールズの丘陵地帯の子どもたちの死体から摘出された。秘密実験は、1955年から1970年にかけて行われた。合計で、5,999本の骨の試料が実験に使われた。時を同じくして、「サンシャイン計画」という同様な実験がアメリカでも行われていた。
レイ君が亡くなる1週間前、医療研究委員会では、会長のハロルド ヒムズワース卿の部屋で予定外の会議が行われた。ヒムズワース卿は、医療研究委員会のほかにも、核爆弾爆発に関する委員会を率いていた。この医療研究委員会の予定外の会議では、次の結論に達した。「ハーウェル原子力研究所で政府の核研究を行うために、病理学者に接触して0才から5才の子どもの骨の試料(望ましくは大腿骨)を提供してくれるように依頼すること。」
[訳注: 参考サイト
Sir Harold Percival Himsworth
Obituary: Sir Harold Himsworth
Medical Research Council]


1953年以来、大気中の放射性物質の濃度が上昇した。イギリスとソビエトが核実験を行ったためである。人体の放射能を示すものとして最適なのは、子どもである。子どもは、大人よりもずっと速く放射性物質を吸収するからだ。骨(望ましくは大腿骨)の収集が始まった。
ヒムズワース卿の部屋での会議を締めくくったのは、ある医師の次の発言だった。「もちろん、これをやるのは、どちらかというと難しいだろう。すべてを機密にしておかねばならないからだ。」
グレースさんは、先週、こう語った。「私の赤ちゃんにこんなことが起きていたなんて、想像すらしたことがありません。支離滅裂な悪夢を見ているようで動転しています。もし、お医者さんが、他の赤ちゃんを救うために息子の心臓をくれ、と私に頼んだのだとしたら、辛かったことでしょうが、私は息子の心臓を提供しただろうと思います。でも、何も言わずに、息子の身体から小さなものを持って行ってしまうなんて...」
リーフさんがグレースさんを捜していた間、イギリスでどのような放射能研究が行われて来たのかということが明らかになってきた。ドキュメンタリー番組を制作したトウェンティ トウェンティ社からガーディアン紙に提供された書類によれば、末期ガン患者も実験に使われて、原子力に関する研究のためにデータが収集されたとのことだ。また、これらの書類から、気分が悪くなるような科学者の狂気が伝わってくる。科学者は、パンジャブの女性達をモルモットにして新たに発見された放射性物質を与えた。また、何百人もの妊婦に放射性同位体を注射した。
 謎解きはアメリカで始まった。1987年、ニューメキシコ州のアルバカーキトリビューン紙のアイリーンウェルサム記者が、空軍基地の研究所で動物実験に関するファイルを読んでいたとき、その脚注に偶然目を止めたことから始まったのだ。脚注には、18人にプルトニウムが秘密裏に注射されたと書かれてあった。ウェルサム記者は、6年かけて機密書類を読み進めた。それはまるで、下やぶをかき分けながら深い森の中を進んで行くような作業だった。また、ウェルサム記者は、アメリカ情報自由法にもとづいて情報の開示を請求した。そして、軍によるマンハッタン計画に関与していた科学者が、放射能の影響をみるために、疑うことを知らない末期患者を実験に使用したことを明らかにした。ちなみに、マンハッタン計画のもとで核爆弾が製造された。また、プルトニウムとは、核爆弾の爆発を引き起こす化学物質である。大量のプルトニウムを注射された18人のうち10人が注射後18ヶ月以内に亡くなった。
[訳注: 参照サイト
Eileen Welsome, Albuquerque Tribune made history with "Plutonium Experiments"]


ウェルサム記者は、この実験についての記事を1993年11月15日から連載した。この衝撃的な報道が大きな反響を呼んだことから、アメリカエネルギー省は、他の実験に関する省内の何百ものファイルを公開せざるを得なくなった。それにより、オレゴン州の囚人130人の睾丸に多量のX線を照射した実験が明らかになった。また、マサチューセッツ州の知的障害児に放射性ミルクをかけたオートミールを食べさせた実験なども明らかになった。ちなみに、ウェルサム記者は1994年4月、この報道が評価されてピューリッツアー賞を受賞した。
[訳注: この段落の原文は、”When Welsome broke the news last spring,”(去年の春にウェルサム記者のニュースが伝えられたとき、の意)」という文言から始まります。これは、「1994年4月にウェルサム記者がピューリッツアー賞を受賞した」ことを示していると思います。
この段落(原文は長い一文)は、前後の繋がりを考えながら意訳しました。同期者の記事の連載時期を記すとともに、ウェルサム記者の「1994年のピューリッツアー賞受賞」を盛り込みました。
また、ウェルサム記者の記事が大きな反響を呼んだことで、クリントン大統領は、1994年1月15日に諮問委員会を設置し、放射能人体実験に関する調査を行うよう指示を出しました。同諮問委員会は、1年半かけて調査を行い、1994年10月21日に中間報告、そして、1995年10月3日に最終報告を行いました。
以下にリンクを貼ったのは、ジョージワシントン大学の国家安全保障に関するオンライン記録保管所にある放射能人体実験に関する諮問委員会の記録です。
The National Security Archive/Advisory Committee on Human Radiation Experiments]


去年11月、クリントン大統領の命を受けた諮問委員会は、軍の支援による放射能人体実験に関する報告を行い、1940年から1974年における何百人ものガン患者の総被曝量が高いものであったと発表した。
[訳注: 原文には、「去年11月」(Last November)とあります。その通り解釈すると、「1994年11月」です。その時期に「報告を行った」というのは、1994年10月21日の中間報告を指すのではないかと思うのですが、定かではありません。諮問委員会は、調査期間中、12回の公聴会を開きました。それゆえ、1994年10月21日の中間報告の後の11月に何らかの発表または報告を行ったのかもしれません。]

トウェンティ トウェンティ社のプロデューサーであるジョン ブラウンロウさんとジョー ブルマンさんは、このアメリカでの人体実験に関するさまざまな報告や報道を見聞きした。そして1994年、2人は、イギリスの核開発史を探ることにした。2人は、キューにある公文書館に行き、30年規則のもとで公開された機密書類を読むことから始めた。また、あいまいな医療関係書類から証拠をほじくり出した。原爆の製造以来、イギリスでは多くの実験が行われたはずだ。それゆえ、これまでの調査で見つけたものは氷山の一角にすぎないだろう、と2人は考えている。イギリスには、情報自由法がない。そのため、2人は、国防省から真の意味での協力は得られなかったという。
[訳注: 参照サイト
John Brownlow
Joseph Bullman
1994年から1995年にドキュメンタリー制作のためにブラウンロウ氏とブルマン氏が閲覧していた公文書は、30年規則にもとづいて公開されたものでした。

30年規則というのは、「公文書はその作成日から30年後に公文書館において公開される」というものですが、以下に略述するような制限がありました。

「公文書は、その作成日から30年後に、各省から公文書館に移管されて公開される。しかし、各省の大臣の公文書に関する諮問委員会により特定の文書に免除が与らえれた場合、当該文書は公文書館への移管を免除される。

公文書館に移管された公文書は公開される。しかし、公開することにより『国の印象、安全または対外関係を害する』おそれがあるとみなされる公文書の場合、当該公文書は公開されない。」

Thirty year rule

イギリスでは2000年に情報自由法が制定されました。]


1952年、イギリスは、一連の核実験を開始した。そして、核爆弾による放射能がどのように兵士に影響するのかを知りたくてたまらなくなった。それで、ハーウェル原子力研究所にその研究を行うよう委託したのだ。1953年、イギリス陸軍は、将来有望な科学専攻の卒業生をハーウェル原子力研究所に送り始め、人体への放射線照射の研究に従事させるようになった。
1956年、オックスフォードにあるチャーチル病院には、17人の「容態は落ち着いているが、治癒不能の悪性疾患」の患者がいた。彼らには放射線の全身照射が行われ、彼らが発症した被曝症状が観察された。この実験を行った医師の1人は、チャンネル4の取材に対し、実験に関与した医師がハーウェル原子力研究所と何らかの繋がりを有していたと述べた。この医師によれば、繋がりとは、主に、ハーウェル原子力研究所と器具を共同で使用していたことを指すという。
[訳注: 参照サイト
チャンネル4]


チャーチル病院の放射線療法を担当するエイドリアン ジョーンズ医師は、この実験が核研究機関のために行われたことは何の疑いもないことだと語った。「いたるところの政府が放射線の影響を知りたがっていたのです。しかしながら、これらの実験で患者なんらかの被害を受けたという証拠は一切ありません。」
ジョーンズ医師によれば、ハーウェル原子力研究所のような研究機関は、科学者に資金を与え続けて放射線の影響に関する研究を行わせた。「研究に参加した人を何人か知っています。彼らは、自分の研究成果が科学誌で公開される場合で、かつ、同僚達が自分の研究を知っている場合にのみ、研究資金を受け取ると主張しておりました。」
ジョーンズ医師は、放射能に関する「外側での」科学研究は、患者の費用負担で行われたのではないだろうと確信していた。
[訳注: 参照サイト
Churchill Hospital
Dr. Adrian Charles Jones]


イギリスのチャーチル病院での実験と同様な実験がアメリカでも行われた。1960年から1971年、シンシナティ病院のガン患者88人に、放射線の全身照射が行われたのだ。この放射線照射実験は、ユージン L. センガー医師が行った。同医師は、アメリカ国防核支援局にも勤務していた。イギリスの研究計画とアメリカの研究計画に直接的な繋がりがあったかどうかを確かめるのは不可能である。アメリカの政府機関は、イギリスがアメリカと協力して行った研究に関する情報を機密とすることに合意したからだ。
[訳注: 参考サイト
Dr. Eugene L. Saenger
Eugene Saenger, Controversial Doctor Dies at 90
The University of Cincinnati Department of Radiology Eugene L. Saenger Fund
アメリカ国防核支援局(1959年から1971年)は、国防原子力局となってから1998年に国防脅威削減局に統合されました。

アメリカ国防脅威削減局]


1950年から1972年にイギリスで行われた放射線の研究の必ずしもすべてが、軍の直接的な利益となったわけではない。インタビューを通じてガーディアン紙に提供された書類には、忌まわしいイギリス人科学者の写真が掲載されている。科学者は、さまざまなグループに実験を行ったが、妊婦、アジア系女性、精神病患者のグループにも実験を行ったのだ。
キャサリーン モリソンさん(62)は、アバディーンの近くにある小学校の校長先生だった。モリソンさんは、思いやりが深くて思慮分別のあるご婦人だ。モリソンさんは、心配していた。モリソンさんは、33年前、初めての子どもを身ごもっていた。そのときに参加した放射能実験について心配していたのだ。
実験は、放射性物質の微小な粒子を用いて行われた。首にある甲状腺が、妊娠中の女性にどのような働きをするのかを調べるためだった。モリソンさんは、自分の首に入った放射性ヨウ素が、7年前に見つかった甲状腺がんと何らかの関係があるとは言わない。しかし、アバディーンの産科医療研究組織で91人の女性に対して行われた実験の影響をいまでも心配しているのだ。
「彼らは、実験では放射性物質を使うと確かに私たちに言いました。しかし、当時、私たちの誰も、それが何かを知らなかったのです。それから間もなく放射性降下物の話が世間で言われるようになり、私たちは心配し始めたのでした。これらの実験に参加したスコットランド北西部のお母さん達は、その後、出産しました。『生まれた91人の子どもたちがどうなったのかについても、十分興味を持っているのではないですか』と、私は科学者に聞いてみたいです。」
バーミンガム大学医学部のアリス スチュワート医師は、過去20年、放射線の影響について広範囲な研究を行って来た。「小児がんを引き起こす最も一般的な原因は、おそらく自然放射線であろうという証拠があります。ですから、自然放射線以外に何かを付け加えるということは、すでに知覚できる危険性をさらに高めるということです。」
[訳注: 参考サイト
アリス M. スチュワートについて]


リバプールでは1953年、胎盤の研究において、妊婦に放射性ナトリウム水溶液が注射され、40人以上の胎児が被曝した。同様な実験は、ロンドンのハマースミス病院でも1952年に行われた。270人の出産前の妊婦の胎盤に、特製の注射器を使って放射性ナトリウムを注射したのだ。
[訳注: 参考サイト
Hammersmith Hospital]


これらの実験に関する医学論文において科学者は、何気ない様子で、前回の実験のときに妊婦に用いたトレーサーよりもずっと放射線量が低い新しいトレーサーが見つかった、などと記している。
何年ものあいだ医学界では、少量の放射性物質の人体への影響について意見が分かれていた。しかし、医療研究委員会は1992年に論文を発表し、最もエネルギー量が少ない放射性物質を可能な限り少量投与した場合であっても、細胞に異変を生じる可能性があると述べた。
スチュワート医師は次のように語った。「医師が患者を実験台にするのではないかというのは、いつも見張っていなければならないようなことです。でも、現在ではずっと厳しくなっています。本当の規範は、ニュルンベルグ綱領でした。当時、内科医達は、一体自分は何をしているのだろうと自分自身に問いかけ始めたのです。現在では、倫理委員会があって、放射性トレーサーの使用は禁止されています。胎児は非常にか弱いですから、放射線に被曝するのは、たとえどんなに少量であったとしてもガンのリスクを高めます。」
[訳注: ニュルンベルグ綱領というのは、医学研究上の倫理に関する規範です。「被験者の自発的な同意を得ることが必要」を初めとして10か条が定められています。
医者裁判
ウィキペディア ニュルンベルグ綱領
福岡臨床研究倫理審査委員会ネットワーク ニュルンベルグ綱領(1947年)]


上述の胎盤に関する実験と同様な実験が1940年代後半、アメリカのテネシー州ナッシュビルでも行われた。科学者は、800人の妊婦に放射性の鉄を与えたのだ。現在、当時の被験者たちは、一切知らされていなかったとして、バンダービルト大学に数百万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしている。バンダービルト大学の追跡調査によれば、被曝した子供達のガンの発症率は4倍高いものだった。
イギリスにおいては、なんらの追跡調査も行われていない。小学校の校長先生だったモリソンさんのように、アバディーンの実験では、女性達は放射性物質を使うことを知らされていた。「私は、当時、29才でした。実験に参加した女性達は、知的で教育を受けており、自分の子どもに最高のものを与えたいと考えていました。それで、実験に参加したのです。お医者さんが私たちを危険な目にあわせるなんてまったく考えていなかったからです。」
しかし、医者は患者を危険な目にあわせる。1972年、コベントリーに住むパンジャブの女性21人が、放射性の鉄を使用した秘密の実験に巻き込まれた。彼女らの多くは、英語を話せなかった。この女性達は、膝の関節炎や頭痛といった様々な症状があって医者に行った。そのせいで、栄養に関する実験台になり、彼女達の家に届けられた放射性チャパティを食べることになってしまった。
サーシャ クマールさんは、エセックス大学の研究員だ。クマールさんのお母さんは、実験に参加したパンジャブ女性の1人である。「実験に参加したほとんどの女性がコベントリーのチャーチル通りに住んでいました。私の母は、左の膝に酷い関節炎を抱えていて、医者に行ったのです。医者は、母に特別な食事療法をしましょう、と言いました。特製のチャパティが車で1日おきに配達されるから、それを食べなさいと。
それから、ある日のこと、シャー医師は、母に特別な病院に行って血液検査をしなければならないと言いました。私たちは、バスに乗り、それからタクシーに乗りかえて30分程のところにある病院に行きました。母と私は、その病院への生き方を知っておりました。なぜなら、チャーチル通りの他の女性達もその病院に送られていたからです。病院に行ったら、なんでもかんでも真っ白だったということを覚えています。病院の人たちの靴までが白かったのです。」
[訳注: 医師の名字が「シャー」であることから、この医師もインド系またはパキスタン系と推測されます。]

パンジャブの女性達が送られた「病院」というのは、ハーウェル原子力研究所だった。そこで、特製チャパティの材料だった小麦粉に混ぜられた放射性の鉄の吸収に関する調査が行われたのだった。
デービッド エブリッド医師は現在、この実験を行った医療研究委員会を率いている。エブリッド医師は、同委員会が行った実験を擁護した。また、同医師が得た情報によれば、実験に参加したこれらの女性達は医師から話を聞いていたと述べた。「これらの実験は、合法的で有意義な実験の一環として行われました。特定の民族グループにおける鉄分の不足を計測するというものだったのです。実験に参加したご本人が英語を理解できなかった場合、英語に堪能なご家族のご同席とお手伝いをお願いし、ご本人に情報を提供したうえでご本人の同意を得たのです。」
[訳注: 参照サイト
David Evered
Dr. David Evered]


クマールさんは、チャーチル通りの女性の誰もが実験に参加しているとは知らなかったと言う。「みなさん、頭痛や関節炎などといったいろいろな症状に苦しんでいたのです。年を取っていましたから、お医者さんのことをとても信頼していました。それで、食べなさいと言われたものを食べたのです.」
ブラウンロウさんは、ドキュメンタリー番組「致命的な実験」の製作に1年を費やした。その番組は、今夜、チャンネル4で放送される。
ブラウンロウさんの謎解きの旅は、キューにある公文書館の書庫から始まった。ブラウンロウさんは、これまでに調べたことは、全体のほんの一部ではないかと心配している。ほんのちらっと覗いただけなのではないか、と懸念しているのだ。
「ハーウェル原子力研究所には、そこで過去40年間に行われたことについての何千ものリストや参照文献があります。しかし、ハーウェル原子力研究所では、それらの書類の多くを機密書類としています。また、軍の研究所であるオルダーマストン原子兵器研究所は、行った研究のほとんどすべてを機密としています。アメリカで何が行われていたかを知った今では、イギリスで情報が開示されないために全体像が掴めないことは非常に気がかりです。イギリスは、核の研究に関して常にアメリカと肩を並べてきたからです。」
[訳注: 参照サイト
Aldermaston

中国新聞 2009年6月23日朝刊
核兵器はなくせる 第5章 英仏 見えぬ標的<3> 核融合

2010年2月16日付け 大都留公彦のブログ2さんより
イギリスの核兵器工場オルダーマストン封鎖さる!

2013年1月30日付け 東京砂場プロジェクト@新宿さんより
おばあさんたちの反核、反原子力 Aldermaston Women’s Camp]


CND(Campaign for Nuclear Disarmament、 核廃絶運動)の会長のジャネット ブルームフィールドさんも同じような懸念を抱いている。
「アメリカとイギリスが長い年月にわたって協力してきたことを考えれば、私たちの政府も核実験に関するファイルを公開すべきだと思います。そうすることにより、『イギリスの果たした役割』というものがあったとしたら、人体実験における『イギリスの役割』について我々市民が学ぶことができるでしょう。アメリカでマンハッタン計画のもとでの人体実験が曝露されたことで、ジョン メイジャー首相は、開かれた政府を作ることができるかどうかを試されることになりました。」
[訳注: 参照サイト
Campaign for Nuclear Disarmament
Janet Bloomfield
Obituary: Janet Bloomfield]


イギリス政府、子どもの死体から摘出した骨に関する実験が秘密であったことを否定
ロンドン、1995年7月7日 AFP

イギリスの医療関係の政府機関は昨日、テレビドキュメンタリー番組が「政府出資の放射能実験には、子どもの遺体から摘出した骨を使った実験があった」と報道したことに対し、そのような実験が機密であったことを否定した。
医療研究委員会は、チャンネル4で昨日放送された「真実の物語 ー 致命的な実験」を批判した。また同委員会は、同番組が妊婦も実験に使用されたと伝えたことに対し、「非常に人騒がせで、多くの点において不正確極まる」と述べた。
ドキュメンタリー番組の取材陣の調査によれば、1955年から1970年にかけて病院の病理学者は、秘密裏に6,000体の死体(その多くは子どもの死体)から身体の一部を摘出し、分析のためにイギリス南部のハーウェル原子力研究所に送っていた。
1960年代および1970年代に行われた他の実験は、イギリス中部のコベントリーに住む20人のアジア系女性に対して行われたものである。これらの女性は、なぜ鉄が少ないのかを調べるためであると言われたうえで、放射性食品を与えられていたということだ。
チャンネル4が放送したドキュメンタリー番組によれば、1953年、リバプールでの胎盤に関する研究において、40人の妊婦に放射性ナトリウム水溶液が注射された。このうち何人かがその後、中絶手術を受けることになった。
また番組によれば、リバプールでは別の実験も行われ、胎児が「きれいなミンチ」にされたうえで、どれほどの放射性物質が吸収されているのかが測定された。同様な実験は、1952年から1957年の間、ロンドンの2つの病院でも行われたという。
昨日、医療研究委員会のデービッド エブリッド氏は、以下のように主張した。「子どもに先立たれた親御さんたちが更に悲嘆にくれないようにするために、骨を摘出したことだけは、唯一、秘密にしていた。」
エブリッド氏は、続けてこう言った。「実験は行われましたが、その経緯は医療日誌に記されています。医療日誌は機密とされていませんから、調査に使用できます。」
「放射性物質は、何人かのアジア系女性の鉄分不足を計測するために使用されました。特別栽培の麦を挽いてできた小麦粉に微量の放射性物質を混ぜて、チャパティを焼きました。」
「女性達が、ハーウェル原子力研究所に連れていかれたのは、そこだけに放射性物質を測定できる機器が揃っていたからです。放射性物質がいかに微量であったかということです。」
エブリッド氏は、「当時の標準的な慣例ではなかった」ため、親族の同意なしに死体から骨を摘出したことを認めた。
「致命的な実験」のプロデューサーのジョン ブラウンロウ氏は、次のように語った。「我々が調べたいくつかの書類は、明らかに『機密』と記されていましたが、後になって『機密解除』というスタンプを押されていました。ですから、政府は、明らかにこの実験を秘密にしておきたかったのです。」
「医療研究委員会は、詳細を公開したと言います。しかし、通常、わずかの公文書しか公開されませんし、一握りの人々しか公文書を読みません。本当に一部の人々の間だけで話をしているのです。当時、もっと多くの同様な実験が行われましたが、私たち市民は、それらについて何も知らないのです。」

翻訳に関してのお断り
「Xファイル」の原文について
原文は、ガーディアン紙の記事を個人または団体のブログに転載したものです。ガーディアン紙の元記事を探しましたが見つかりませんでした。ブログに転載されたさい、誤記または書き漏らしがあったようですが、それらについては文脈から推測または適宜修正のうえ訳しました。
ハーウェル原子力研究所について
イギリスの原子力の研究を行っている著名な研究機関の正式名称は、Atomic Energy Research Establishment (原子力研究所)です。そして、英語での通称は「AERE 」または 「Harwell(ハーウェル) 」で、日本語の通称は「ハーウェル研究所」または「ハーウェル原子力研究所」だそうです。
Atomic Energy Research Establishment
ジョン コッククロフト

この研究所は、オックスフォードシャイアーのハーウェルのディドコットにあります。
そして、ハーウェルというのは、現在では、研究機関や企業が集まった都市(サイエンスパーク)だそうです。以下は、ハーウェルの風景が伺えるサイトです。 
Harwell Oxford

原文には、何カ所かに「オックスフォードシャイアーのハーウェルのディドコットにあるイギリスの原子力に関する研究を行っている研究所」というような言い方が出てきます。そのまま、日本語に訳していると長くて読みにくくなります。ですから、思い切って形容詞句はすべて削り、単に「ハーウェル原子力研究所」としました。
また、原文に単に「ハーウェル(Harwell)と記されている場合も、訳語は「ハーウェル原子力研究所」としておきました。


◆関連ブログ
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posted by いんちょう at 19:59| Comment(5) | 原子力
この記事へのコメント
まるで安部公房の小説、いや、それ以上に狂った、おぞましい事が国家によって行われてきたのですね。なぜ何処の国でも国家の中枢には気違いじみた人間が入り込む事になるのでしょうか。
いま一度、我が国の内閣の顔ぶれを確認してみますと、フクシマの汚染水は完全にコントロールされていると豪語したラドン男をはじめ、ナチスを参考にしたいと言っているマンガ男や、放射能汚染魚の輸入を禁止した国をWTOに提訴するなどと言い出すような狂った連中ばかりです。(自国民の健康を守るのは国として当たり前の事です)
その狂った連中が今度は「秘密保全法」なるものを制定しようとしているのですから、まさに末期的としか言いようがありません。(これから起ころうとしている事を隠し通すつもりなのでしょう)
実際、現在も様々な健康被害の実態が国によって隠蔽されている状態です。いったい誰のための国なのでしょうか。

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「特定秘密の保護に関する法律案の概要」に対する意見募集について

URL:http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=060130903&Mode=0

1 意見募集対象 「特定秘密の保護に関する法律案の概要」
2 意見提出期限 平成25年9月17日(火)必着(郵送の場合は同日消印有効)
3 意見提出方法 御意見については、次のいずれかの方法により、日本語にて提出してください。

(1) 電子メールの場合 以下のメールアドレスに送信してください。
tokuteihimitu@cas.go.jp
※ 文字化け等を防ぐため、半角カナ、丸数字、特殊文字は使用しないでください。
(2) 郵送の場合
以下の宛先に送付してください。
〒100-8968 東京都千代田区1-6-1 内閣官房内閣情報調査室 「意見募集」係 宛
(3) FAXの場合 以下のFAX番号・宛先に送信してください。
03‐3592‐2307 内閣官房内閣情報調査室 「意見募集」係 宛

Posted by 肝澤幅一 at 2013年09月15日 23:01
院長先生

台風18号すごい勢いですね。熊本の方は大丈夫でしたでしょうか。お気をつけ下さい。ブログいつも拝見させていただいています。

高濃度のビタミンCを点滴して被曝を治していく方法もあるという記事を見つけました。被曝をしてしまった方などはやってみる価値はありそうです。ただ保険診療がききません。

どのぐらい効果があるのかは分かりませんが、何も対策をしないよりはよいとおもいます。私はビタミンCの清涼飲料水や、サプリメントを最近取るようにしました。知らない方もいると思いますので書き込みさせて頂きました。


○参考リンク

http://hibakutaisaku.net/activity/
http://nakayoku00.blog62.fc2.com/blog-entry-73.html
Posted by 多摩っ子 at 2013年09月16日 10:31
ビタミンCその他のサプリは被曝に無効です。有効だと称して商売している医療者もいるので騙されないでください。何もしないよりは良いではないか、と思われるかもしれませんが、お金の無駄です。危険な食事を避け、出来るだけ安全な食事を手に入れること、何より危険な地域から逃げることに限られたお金を使うべきです。それ以上の対策はありません。カルディコット医師とのディスカッションでも同様の議論が出ていました。
Posted by RTP at 2013年09月16日 21:14
RTPさんの言われるカルディコット医師の記事がありました。ここではビタミンCが被曝に効かないと一言でぶった切られていますが、裏付けのようなものがあるのでしょうか?

http://tanakaryusaku.jp/2012/11/0005637

ビタミンCがガン治療に有効であることも最初は反論がありましたが、現在ではかなり普及してきています。ポーリング博士が提唱しています。ガンにも効くのですから、何か秘められたパワーみたいなものがあるように個人的には思います。

ビタミンCの話をしますと、ビタミンCはストレスやウィルスに対する抵抗力を高めることで知られていますが、それはビタミンCがコラーゲン
の生成に関わっているからです。

http://www.caloricdiet.com/special/articles/stress.html

また、ビタミンCはストレス時に発生する活性酸素をやっつけてくれます。

私はストレス解消するためというだけでもビタミンCを取ることは被災地、特に福島の方には有効だと思います。不安定な気候で皆さんストレスも抱えていると思いますので。
Posted by 多摩っ子 at 2013年09月17日 13:41
ビタミンC の抗がん作用、被曝作用については、ここで宣伝するのをやめてください。

 法外な金額でがんの代替療法として進めている学会まであります。おそらく、癌だけでは飯の種にならないので、被曝にまで手を出してきていると想像しています。以前、懇意にしていた先生がこの療法に手を上げていることを知り、大変がっかりしました。

 上記の理由ですので、ビタミンCについてはもうこれ以上の言及をおやめください。
Posted by いんちょう at 2013年09月17日 14:09
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