赤ちゃんの骨でストロンチウム計測(1)−英米の恐るべき人体実験
赤ちゃんの骨でストロンチウム計測(2)−オーストラリアの人体実験
の補遺となります。
サンシャイン計画に関するアメリカの新聞記事
World Wakes Up to Horrible Scientific History
恐ろしい科学史に目覚める世界
ABCニュース 6月7日 リーラ ジェシント記者
アメリカとイギリスで放射性降下物の影響に関する秘密の調査が行われてから半世紀が経ち、世界の人々は、1950年代の「死体泥棒」に関心を寄せるようになった。
「サンシャイン計画」は、核実験により人間が取り込む放射性ストロンチウム90の量を測定するために、入手した赤ちゃんの死体を使って調査を行うものだった。
火曜日、オーストラリア連邦政府の健康高齢者担当省の大臣は、親の同意なくオーストラリアの赤ちゃんの試料がサンシャイン計画のために発送されたという報告を受けて、調査を開始した。
「我々は、オーストラリアの赤ちゃんが、本当にこのように使用されたのか、何人の赤ちゃんが送られたのか、その子たちは何処から来たのかを明らかにする必要があります」とオーストラリア連邦政府健康省のマイケル ウッドリッジ大臣は述べた。
オーストラリア連邦政府は、イギリスの新聞が「イギリスの科学者がいくつかの病院から子どもの死体を入手し、その子達の骨や他の身体部分を核に関する極秘実験のためにアメリカに送った」と報道したことを受け、数日後、調査を開始した。
海を隔てた香港は、1997年まではイギリスの植民地だった。香港でも新聞が報道し、人々は怒りを募らせた。世論の高まりを受けた香港政府は、水曜日、調査を開始した。
「国家への貢献」
アメリカ政府の文書によれば、1,500以上もの死体(その多くは赤ちゃんの死体)が、1950年代、ヨーロッパやオーストラリアなど6カ国から集められ、放射能の影響を見るための調査に使われた。この調査は、当時の原子力委員会が行ったものである。
[訳注: アメリカ原子力委員会は、1974年に廃止されました。
アメリカ原子力委員会]
アメリカエネルギー省およびイギリス原子力公社の後援により、サンシャイン計画が行われた.この計画は、人体の細胞がどの程度ストロンチウム90を取り込むのかを見ようとするものだった。特に、骨に関心が集まっていた。
1995年6月、前アメリカ大統領のビル クリントンが設置した諮問委員会により、原子力委員会の放射能人体実験に関する機密書類が公開された。この機密書類によれば、サンシャイン計画に携わっていた科学者は、彼らの研究が倫理的にも法的にも疑わしいと認識していた。
1955年1月18日の秘密会議の議事録には、ウィラード リビー博士の言葉が記されている。リビー博士とは、シカゴ大学の研究者で、1960年のノーベル化学賞受賞者である。リビー博士は、人間のサンプルの入手が難しいとしたうえで、サンシャイン計画の結果は、試料の数によって「非常に大きく異なってくるだろう」と述べた。
「どうやって死体を入手すればいいのかわからない」と、リビー博士は言ったそうだ。「しかし、最も重要なことは死体を入手することだ。特に若い人の死体を入手することだ。人体の試料が最も重要であり、死体泥棒をいかに巧みにやるかを知っている人間は、自分の国に多いに貢献することになるだろう。」
「小さなもの」
何の疑いも持っていなかった多くの親御さん達にとって、悪夢のような出来事だった。
1995年、イギリスで「致死的な実験」というドキュメンタリー番組が放送された。この番組には、ジーンピカードさんというイギリス人のお母さんが登場する。1957年、ピカードさんの赤ちゃんは死産だったのだが、イギリスの病院の医師は、赤ちゃんから2本の足を取ってしまったという。病院は、赤ちゃんから足を取ったことを隠そうとした。それで、ピカードさんは、赤ちゃんのお葬式のときに、ドレスを着させてやれなかったという。
「私は、娘に洗礼服を着させてやれないものか、と尋ねたのです。でも、許可されませんでした。それで、私はとても動転したのです。娘が洗礼を受けられなかったからです。誰も私に、何も言いませんでした。娘の身体を切って、なにか小さなものを持って行ってしまうなんていうことは言いませんでした。」
イギリスとカナダのマスメディアは以前、サンシャイン計画のために乳児の死体がアメリカに送られていたと報道したことがある。しかし、この闇の中の死体輸送について、公的な調査が行われることはなかった。
50年後
イギリス原子力公社の女性報道官であるエリザベス テイラー氏は、イギリスの科学者が確かにサンシャイン計画に関与していたと認めたものの同公社は、現在、何百もの書類を移動しているところであり、それらの書類のすべてが必ずしも機密解除されたわけではない、と述べた。
「[オブザーバー紙の]報道に続いて、私たちは、この問題について調べるようになりました。山のような情報があります。これは1950年代のことなので、調査するのは容易ではありません」と、テイラー報道官は言った。
テイラー氏によれば、原子力公社は、イギリスの科学者がアメリカに送った死体に関する記録をいまだに見つけることができないとのことだ。
書類があまりにも多くあるうえに、サンシャイン計画がおよそ50年前に行われていたために調査は難しいものとなっている。また、そのために、サンシャイン計画に参加した各国の政府が、ようやく今頃になって自国の役割がどのようなものであったのかを理解し始めたといえるだろう。
オーストラリアの報道官によれば、同国のウッドリッジ健康省大臣は、イギリスのメディアが今週初めに報道するまで、オーストラリアの赤ちゃんがアメリカに送られていたことを知らなかったのことだ。
報道官は、アメリカエネルギー省に調査協力を求めるための連絡をまだ取ってはいないが、アメリカエネルギー省の協力が得られることを期待していると述べた。
アメリカエネルギー省に連絡したさい、同省の報道官は、いまだにオーストラリアからの連絡は受けていないとしたうえで、次のように述べた。「オーストラリアは、自国の記録を調べているところだと思います。」
ABCニュースは、1995年のイギリスのドキュメンタリー番組の詳細を報道した。同番組では、死体の入手方法についても説明されていて、死体の追跡がゆるい街から供給されていたと述べていた。それゆえ、特に、貧困地域からの死体が多かったと指摘していた。
ABCニュースのアンドリュー チャンが、同番組に関して報道した。
サンシャイン計画に関するイギリスの新聞記事
イギリス、盗んだ赤ちゃんの死体を原子力研究所に
2001年6月3日 オブザーバー紙
最近、機密解除された文書によれば、イギリスの原子力産業は、最高機密の国際プロジェクトに関わり、過去30年にわたって亡くなった赤ちゃんの死体を盗んできた。
この衝撃的な話は、イギリスの著名な病院における臓器の保有をめぐる論争につづいて明らかにされた。
[訳注: 「イギリスの著名な病院における臓器の保有」とは、ロンドンのアルダーヘイ病院で働いていたオランダ人医師が1988年から1995年、検死の際に無断で臓器を取り出していたことを指しています。以下、参考サイト。
Alder Hey Children's Hospital - Wikipedia
Alder Hey Children's Organs Scandal
BBC News
17 December, 2003
Alder Hey doctor cleared by GMC]
アメリカエネルギー省により公開された文書によれば、イギリス原子力公社は、子どもの骨や死体を盗み、極秘の核実験のためにアメリカに送っていた。
公開された何百ページもの書類には、アメリカとイギリスの科学者の間で交わされた書簡もある。これらの書簡において、両国の科学者は死産児の肋骨内の放射能レベルについて検討している。また、ミドルセックス病院から入手してアメリカの核研究所に送った子どもの死体の一覧表もある。
[訳注: 参考サイト
Middlesex Hospital
Middlesex Hospital Alliance]
人間「モルモット」には名前がない。実験の厳格な機密保持のために、コードネームが付けられていた。例えば、赤ん坊 B-1102 は、生後8ヶ月で死亡した男の子で、赤ん坊 B-595 は、生後13ヶ月で死亡した女の子という具合である。
子どもの死体の一覧表が掲載されている報告書には、「最高機密」というスタンプが押されてあり、セントラルミドルセックス病院の病理解剖学 組織学部の医師の協力に対する謝辞が記されている。
[訳注: 参考サイト
Central Middlesex Hospital]
アメリカ政府が極秘計画に関する何百もの書類を公開したとはいえ、イギリスとアメリカの科学者の共謀という最も恥ずかしい面を詳細に記していると思われる繊細な文書は、いまだに機密書類として保管されたままである。オックスフォードシャイアーのハーウェル原子力研究所は、イギリス政府の核研究活動を行っている。「ハーウェルでの秘密会議」というファイルを公開するように求められたアメリカ政府は、オブザーバー紙に対して次のように述べた。「この書類は、機密解除しないことに決定されましたし、フォルダから削除されました。」
ビル クリントン前アメリカ大統領の指示により、「死体泥棒」計画について調査が行われた。「サンシャイン計画」というコードネームが付けられた「死体泥棒」計画の調査結果は、容赦のないものだった。「研究者は、人間の残骸に接触できる中間者に懇願して死んだ赤ん坊の骨を入手するさい、嘘やごまかしを言った。」
オブザーバー紙はいくつかの書類を入手したが、その書類のなかには、サンシャイン計画の最も熱心な研究者が集まったワシントンでの秘密会議の議事録がある。この議事録には、後年、炭素年代測定法を研究してノーベル賞を受賞したことで有名なウィラードリビー博士が、同僚の研究者達に死体を盗むさいには法律に抵触しないようにと言ったことが記されている。
「人体の試料が最も重要である。それゆえ、死体泥棒を巧みに行う方法を知っている人材は、自分の国に多いに貢献するだろう」とリビーは言った。「我々は、高額な報酬を請求する法律事務所を雇って、死体泥棒に関する法律の調査を行わせました。その調査の結果から、あまり乗り気になれませんでした。死体入手を合法的に行うのは、非常に難しいとわかったからです。」
また他の書類によれば、イギリスの科学者は、1950年代初めにサンシャイン計画が開始された当初からアメリカの科学者と協同してきた。イギリスの科学者とアメリカ原子力委員会の科学者の間で、いくつもの書簡が交わされた。そのなかには、イギリス原子力公社が、死産児の骨を実験に使用したさいの情報をアメリカ側に伝える書簡もある。
さらに別の書類には、イギリスの極秘計画の管理者が「第5地域」と呼ぶ場所で入手した死体と、アメリカのサンフランシスコで入手した死体の比較検討が記されている。ある書類には、イギリスの赤ん坊や10才までの子どもの身体が「容易に入手可能」と記されている。
イギリスのハーウェル原子力研究所および医療研究委員会の科学者は、アメリカの科学者に死体を供給するのと同時に、独自に子どもの死体に関する研究を行っていた。1955年から1970年にかけて、イギリスの科学者は約6,000体の死体を集めた。
1957年に赤ちゃんを亡くしたジーン プリカードさんは、病院の医者が彼女の同意を得ることなく赤ちゃんの足を取ってハーウェル原子力研究所に送ってしまったと語った。
プリカードさんによれば、赤ちゃんのお葬式のとき、自分の娘に服を着させてもらえなかったそうだ。病院は、プリカードさんに何が起きたのか悟られないようにするために、赤ちゃんに服を着せることを許可しなかったというのだ。「私は、娘に洗礼服を着させてやれないものかと尋ねました。でも、許可が降りなかったのです。それで、私は、とても動転してしまいました。私の娘は、洗礼を受けることができなかったからです。病院の誰も、私に何も言いませんでした。娘の身体を切り刻んで、なにかを持っていきますよ、なんて一言も言いませんでした。」
イギリス政府は常に、サンンシャイン計画への参加を否定してきた。イギリス政府が同計画に繋がりがあるのではないかということは、1995年にチャンネル4が放送したドキュメンタリーにおいて初めて示唆された。イギリス政府は、アメリカで報告書が出されたとはいえ、イギリスのサンシャイン計画への関与を調査することはなかった。
しかしながら、アメリカ政府が新たに公開した文書およびロンドン南西のキューにあるイギリス公文書館に最近保管されることになった報告書から、イギリスの著名な科学者がイギリスとアメリカのために死体泥棒に関わっていたことがわかる。
これらの文書によれば、イギリスは香港からの赤ちゃんの死体を実験に使用した。また、ケンブリッジ、ニューマーケット、ノーウィック、ケルムズフォードの医師および西ロンドンの検死官から死体を入手したということだ。さらに、トップクラスのガン研究センターである王立マースデン病院もサンシャイン計画に参加していたとのことだ。
[訳注: 参考サイト
The Royal Marsden]
記録によれば、死体のほぼ半分は、新生児または生後まもない赤ちゃんのものだった。ケンブリッジ大学の研究所は、それらの死体の骨を燃やした。
イギリスの核科学者は、彼らの研究は70年代に終ったと述べた。
1990年代、オルダーマストン原子兵器研究所とハーウェル原子力研究所の研究者は、オックスフォードやカムブリアで行われた中絶手術から胎児や胎盤の細胞を入手していたが、このときは家族の同意を得た上でのことだったという。
BBCニュース
2001年9月30日
赤ちゃんの骨が核実験に
医師は、核実験の骨への影響を怖れていた
何千もの赤ちゃんの死体から親の同意なく摘出された骨が核実験に使用されていた、とイギリスの政府機関は認めた。
イギリス原子力公社は、1954年から1970年にかけて3,400人の子どもから摘出した大腿骨を調査したと述べた。
この6月、グラスゴーのヨークヒル子ども病院がこの研究に関与していたことが判明した。しかし、最近になって、骨はイギリス全土の病院から集められていたことが明らかになった。
[訳注: 参考サイト
Yorkhill Children's Foundation]
科学者は、世界中で行われていた核実験の放射性降下物が健康にどのような影響があるのかを実証しようとしていた。
医師は、放射性降下物が牛乳を汚染するため、子どもの骨に危険な水準までに放射性核種が蓄積することを怖れていた。
イギリス原子力公社の報道官は、「検死の後に病院から提供された骨の試料を使用しました」と述べた。
「遺憾ですが、当時、試料提供に関する親御さんの同意を頂いていなかったことは明らかです。法規の施行日は存じませんが、1950年代に医師は、研究は良い結果をもたらすために行うとだけ言ったのでしょうし、ただ単に試料を摘出できたのだと思います。」
高温で焼かれた骨は、放射性同位体であるストロンチウム90の分析に使用された。ストロンチウム90とは核分裂の副産物であり、生体内でカルシウムと同様な挙動を取り、骨に吸収される。
原子力公社の報道官によれば、研究はロンドンの南東に位置するグラスゴーとウールウィチで行われた。また、この研究により、放射性降下物がどれほど危険なものかが明らかにされたため、核実験の終了に繋がったとのことだ。
報道官は続けて言った。「この研究が始まったときから1964年頃の間、濃度が急速に上昇しておりました。」
「臓器の保有に関する公的調査を支持するスコットランドの親の会」の女性広報担当者は、今回明らかになったことを受けて「あまりにひどい」と語った。そして「これは、氷山の一角にすぎない」と付け加えた。
広報担当者は、続けて次のように語った。「このような研究はあまりにも沢山あって、いくつあるのか見当もつきません。親達はこれまで、子どもの遺体への処置について、何も言うことができませんでした。子どもを亡くした親は、子どもの遺体が自分のものではないような気持ちを抱いていたのです。」
この女性広報担当者は、こうも付け加えた。「親への告知または親の同意なく子どもに接触した者は禁固に処す」という法律が必要です。
ランカスター選出の ヒルトン ドーソン国会議員は、王立ランカスター病院が1955年から1971年に研究に参加したという報告について詳細な調査が行われるべきだ、と呼びかけている。
[訳注: 参考サイト
Royal Lancaster Infirmary
Hilton Dawson]
略年表
1941年ー1945年 リビー博士、マンハッタン計画に参加
1945年以降、アメリカ、約1,000回の核実験(うち、1946年から1962年にかけて、太平洋核実験場で105回の実験)
1945年 リビー博士、シカゴ大学の教授に就任
1949年以降 ソビエト連邦、1990年までに少なくとも715回の核実験
1952年11月 アメリカ、太平洋核実験場のエニウェトク環礁でアイビー作戦(計2回の実験)
1953年以降 イギリス、オーストラリアを中心に45回の核実験(うち、オーストラリアでは計12回の実験)
1953年 サンシャイン計画開始。法律事務所に「死体泥棒」に関する調査を依頼
1954年 リビー博士、アメリカ原子力エネルギー委員会の委員に
1954年3月ー5月 アメリカ、太平洋核実験場のビキニ環礁およびエニウェトク環礁でキャッスル作戦(合計6回の実験)。 第五福竜丸事件
1955年1月 アメリカのワシントンDCでの秘密会議。リビー博士、「死体泥棒は、国家への貢献」
1955年 イギリス、リビー博士の呼びかけに応じてサンシャイン計画に参加
1956年 リビー博士、米国科学アカデミー紀要に論文発表
1956年 民主党の大統領候補であるスティーブンソン氏、部分的核実験禁止条約を呼びかける。部分的核実験禁止条約への気運がまだ高まっておらず、同候補は支持を下げてしまい落選。
1956年5月ー7月 アメリカ、太平洋核実験場のビキニ環礁およびエニウェトク環礁でレッドウィング作戦(計17回の実験)
1957年2月 カルプ博士、サイエンス誌に人体内のストロンチウムに関する論文発表
1957年 イギリス人のお母さん、「死産だった子どもに洗礼服を着させてやれない」という経験
1957年ー1978年 オーストラリア、自国の人々の死体の骨中ストロンチウム90を測定
1958年4月〜8月 アメリカ、太平法核実験場のビキニ環礁およびエニウェトク環礁でハードタック作戦(計35回の実験)
1959年 リビー博士、カリフォルニア大学の教授に就任
1959年9月 核保有国が主体となり、ジュネーブ軍縮会議の前身である10カ国軍縮委員会が設立される
1960年 リビー博士、炭素14年代測定法でノーベル化学賞受賞
1960年 カルプ博士、論文において「さらに大気が汚染されない場合、人体の放射性物質濃度は下がるだろう」
1960年以降 フランス、210回の核実験(うち、1966年から1996年にかけて、仏領ポリネシアで193回の実験)
1962年4月ー11月 アメリカ、太平洋核実験場でドミニクI作戦(ネバダ核実験場でのドミニク作戦IIと合わせると、ドミニク作戦全体で105回の実験。)
1962年10月 キューバ危機
1963年8月 アメリカ、イギリス、ソビエト、部分的核実験禁止条約に調印
1976年 リビー博士、カリフォルニア大学の教授を辞し引退
1980年 リビー博士、81才で死亡
1981年 オーストラリアのエイジ紙、サンシャイン計画を報道
1986年4月26日 ソビエトのチェルノブイリ原子力発電所事故
1991年12月25日 ソビエトのゴルバチョフ大統領辞任。ソビエト崩潰に伴い、冷戦の事実上の終結。アメリカの一極支配へ
1993年 国連総会の強力な支持のもと、包括的核実験禁止条約の起草に関する交渉が始まる
1993年11月 アメリカのアルバカーキトリビューン紙、「プルトニウム人体実験」を掲載
1994年1月15日 アメリカのクリントン大統領、諮問委員会に放射能人体実験に関する調査を指示
1994年4月 アイリーンウェルサム氏、ピューリッツアー賞受賞
1994年10月21日 アメリカの放射能人体実験諮問委員会、中間発表
1995年7月6日 イギリスのテレビ局、「致死的な実験」というドキュメンタリー番組を放送
1995年7月6日 イギリス政府、「致死的な実験」を批判
1995年10月3日 アメリカの放射能人体実験諮問委員会の最終報告。サンシャイン計画の「死体泥棒」は、マンハッタン計画下での人体実験の影に隠れてしまう。
1996年9月 国連総会、包括的核実験禁止条約を採択
1990年代半ば オーストラリアのエイジ紙、サンシャイン計画を再調査
1999年 アイリーンウェルサム氏、「プルトニウムファイル」を出版
2000年 イギリス、情報自由法を制定
2001年6月 イギリスのオブザーバー紙、サンシャイン計画を報道。これに続いて、オーストラリアと香港でも報道。世論の高まりを受け、オーストラリアと香港の政府がサンシャイン計画の調査を開始
2001年9月30日 イギリス原子力公社、子どもの骨を検査していたことを認める
2002年7月 オーストラリアの健康倫理委員会、骨収集計画の調査について経過発表
2003年2月 オーストラリア、「ストロンチウム90ホットライン」を開設
2003年5月 亡くなった子どもの行方を探していたサウスオーストラリア州の1,200人のお母さん達のうち、300人が回答を受ける
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タグ:人体実験
陰謀論がお好きそうな先生のために、
きーこさんのブログにコメントしたものを
紹介します。
みんな楽しくHappy♡がいい♪
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3272.html#comment6399
・・・ここから・・・
みのもんたの次男の事件は、いくつかの可能性がありますが、
政府や電力会社の批判でハメられのではなくて、別の件です。
そうであれば、古舘伊知郎さんのほうが先にやられていますから。
別の件というのはこちら。
・みのもんた 生セクハラ疑惑の画像
http://www.youtube.com/watch?v=QeiaPbTmaKI
で、いくつかの可能性がありますが、どれなのかが難しいんです。
(1)子どもの頃から 親の事でいじめられていたこの次男が、生セクハラ騒動で、みのさんを番組降板させるために行った事。
(2)テレビ局が、生セクハラ騒動でみのさんを番組降板させたいが、
テレビの重鎮であるみのさんを簡単に番組降板できないので、汚い事はなんでもやる警察と組んでハメた。
(3)みのさん自身が、生セクハラ騒動で番組を降板したいのだが、
「生セクハラ騒動で辞めます!」とは言えないので、次男と警察の
協力で自分を追い込んだ。
(2)は、ATM間違い操作を仕組む事はできないでしょうから
これはないでしょうね。
(3)は、セクハラ被害者側の吉田アナを みのさんが番組降板させたくらいですからこれもなさそうですね。
という事は(1)という事になりますが、次男単独の仕業か? テレビ局と組んでやったか?
どちらにしても「嫌疑不十分」で 釈放されるでしょう。
まーATMのお金の引き出しは、そもそも暗証番号が分っていなければできませんから そこが決定的であり、その他のきーこさんが書いてくれた色々な状況を見れば、ありえない事件です。
こういうのも見ているとウンザリします。
・ヤクルトスワローズのバレンティン選手が、ついにホームランの日本新記録を達成した。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00254019.html
過去には、王貞治さんのホームラン記録(年間55本)を破らせないように、不自然(不可解)な事が多々あったのですが、何故、バレンティン選手は記録を破っていい事になったのか?
それは、間違いなくメジャーリーグでのイチローの「大リーグ通算最多安打の4256本」が見えてきたからです。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130822/mlb13082210370006-n1.htm
皆さん! もっと誠実に正直に生きませんか?
・・・ここまで・・・
「もっと誠実に正直に生きませんか?」と言えば、伊勢湾岸道の4人死傷(3人死亡)事故を日産のお客さま相談室に確認したところ
「車には問題ありませんでした。」との事。
えー!?ですよね。 車に問題なくて勝手に止まるか!!
完全に握り潰されました。
さすが、日産の手先の警察と国土交通省であり、
日産コンツェルンの鮎川家と懇意の仲の学会大臣のお力です。
日本は、中国・北朝鮮以上に腐っとった。
以前、先生が、するどく山本太郎を突っ込まれていて、私も先生の意見に同調したのですが、
こっちも何かありそうですね。
地球は余裕だよ。
http://ameblo.jp/miyake-yohei/entry-11614931309.html
今回の台風の事を言っているようにも取れるのですが、それにしてはズレているかと。
「人類は新しい方向へマツリゴトの舳先を、向けていけるはずなんだよ。」こういう言葉遣いと、入っているコメントの気持ち悪さ。
地球の自然治癒能力で、放射能汚染もなんとかなるさ!という振りなのかもしれません。
こういうやりとりをやっている場合でないのは、先生のブログである意味(いい意味)で洗脳を受けた私だから分りますが、貴重な戦力を根こそぎ洗脳して潰そうとしているかもしれません。
私は、色々な理由で、人間不信真っ只中です。
注−−非公開コメントは今後、受け付けません。非公開ならば、メールでお願いします。
今しがた、このブログを見たのですが、どう考えても裏の裏をかこうとしているのでしょうね。
ぽぽんぷぐにゃんラジオ
【犯人はどう考えても・・・!?】堺市長選:竹山市長の街宣車がパンクさせられるイタズラ発生
http://blog.goo.ne.jp/sithux7/e/a0fe038dd6519fbdaefbf4055422c045
普通に素直に見れば、竹山市長と対立する勢力による嫌がらせに思えますが、そんなに分り易い事やらんちゅうねん!
なにかと同しで、テロの自作自演じゃないの?
と、私は思います。
今年に入ってから(遅いですが!)いろいろなことに気づきまして、原発事故や核汚染、日本という国(政府)の存在について学んでいます。
社会的なこと、真実を知りたいということも真摯な気持ちとして強くあるのですが、まず自分と家族の健康と命を守らんと自国の政府に命を取られるなと思います。
最近は南半球の核汚染のことにようやく学習範囲が広がってきて、本当のことが知りたいです。
先生の記事も大変有り難いです。
オーストラリアもやはり汚染はあるのだろうなと思いました。
NZはどうなのでしょうね。
なかなか情報がヒットしません。
でもTWでNZ在住の人がつぶやくのを参考にすると「とっても安心安全」ではないようですね。
塩(天然塩)をどうしようかともっか考え中です。
沖縄や与論島、オーストラリア産の塩(海塩)を少し買ってストックしていましたが・・・・
きーこさんのブログで沖縄もヤバいのだと知り(米軍の海洋投棄等で)
オージーもNZも安全ではなさそう・・・
とするともう本当に悩みます。
汚染された物を外国に押しつけるというやり口は日本も他国も同じなので、外国産ならOKという姿勢は安全とは言えないですね。
OKフード情報では海外産=OKというふうに情報発信していますが・・・。
自分で判断しないといけません。
乱文失礼しました。
パンのこともとても参考になりました。
ありがとうございます。
小野先生がいらっしゃるので、私はやっぱり熊本に行きたい&住みたいなあと思います。
(現在は大阪です)
そうじゃないから 公害問題で日本人は苦しんだんでしょう!
苦しんだのは庶民だけで、政府(役人)は責任をとらないから何度でも失敗を繰り返す。
日産自動車のリコール隠しを紹介しましたが、北九州の若戸トンネルでの消防車横転事故も
責任を取りたくない連中が、原因をウヤムヤにして、横転したのは祟りみたいな事になりそうです。
日産自動車は、決してリコール対応していない訳ではなく、やり方がとことん汚いのです。
(1)リコール改修費用が 微々たるものはリコールする。
・例、アトラスのリコールについて
http://www.nissan.co.jp/RECALL/DATA/report3217.html
(対称台数少な!)
(2)対象台数が多かったり、1台当りの費用が掛って、リコール費用総額がいく案件は、リコールをやらないか、時間が経っていて対象車の現存数が少くなったところでリコール対応する。
・例、旧型エルグランドのリコールについて
http://www.nissan.co.jp/RECALL/DATA/report3225.html
(これは対称が、7〜10年前ですから 現存車はほとんど残っていないでしょうし、エンジンブローでエンジン載せ替えも多数あるようですので、修理費50万円超えコースです。)
(2)の場合、保証期間が過ぎたものは、修理費用はユーザー負担になりますが、当然、日産が自社の責任という事を知っていれば、詐欺行為になります。
時間が経ってリコール対応したものは、ユーザーの申し出がなければ、修理費返金はしていないそうです。
車を売るよりも修理は儲かりますから 日産のビジネス手法なんでしょうね。
トヨタもほぼ同じです。
皆さんも 高額すぎる車の修理代を過去に負担されていたら メーカーのホームページで、調べてみる事をお進めします。
(弁護士が動けば、借金の過払い並に儲かるのに)
トヨタ、日産は、社会的責任のある企業ですから詐欺行為疑惑のうえで、時効は主張しないでしょう。
ずいぶん脱線してすみませんでした。
今、アメリカの軍施設内で「銃乱射事件」って
報じられている様ですが、またヤラセか?
政府(裏の権力者)が、これからデタラメやるのに、庶民の持っている武器は規制したいでしょうから必死です。
・FEMA強制収容所用の膨大な数のトレーラーとプラスチック製棺桶
http://www.youtube.com/watch?v=TeJjFjgjxug
もーこいつら露骨過ぎ!
食用にニュージーランド産の高い塩、
お風呂や洗濯用にオーストラリアの安い塩を、
なんと5キロも買ってしまいました。(涙)
明日には届くと思います。
ああ・・・、もう少し早く知っていたら・・・。
今まではゲランド(フランス)を使っていたのですが、
フランスも危ないと知り、せっかく変更したのに・・・。
届いた塩を使っても大丈夫でしょうか?
どこの塩を使うとリスクが低いでしょうか?
もしご存知でしたら教えてください。
それから「アルマジロ(食品の放射能測定器)」はどんなものでしょう?
素人には使いこなせないでしょうか?
http://www.superoceanlight.com/index.html
他の方のブログで、コメントの非公開選択が普通にあるので
同じ感覚でお願いしてしまいました。
メール対応していただけるとの事で、
分り易い先生のブログの様なブログを
立ち上げたく、相談のメールを入れさせていただくかもしれません。
(まず 自分で努力してみます。)
自動車メーカーの「リコール隠し(疑惑)情報」を発信して、被害者を減らしたいもので、ブログを一度もやった事はないのですが、動いてみます。(いつも先生のブログのコメント欄を利用させてもらっているもので、申し訳ありません。)
日本の環境放射能と放射線
ライブラリー > 環境放射能調査報告 > 環境放射能調査研究成果発表会
http://www.kankyo-hoshano.go.jp/08/08_0.html
文部科学省主催の環境放射能調査研究成果発表会において、関係省庁の試験研究機関、都道府県等が実施した環境放射能調査研究等の成果を発表しています。
ここでは、昭和34年から平成22年に行われた発表会で頒布した環境放射能調査研究成果論文抄録集をみることができます。
例えば、第16回の論文抄録集(昭和48年度)科学技術庁の163ページ(39)人骨中の90Srについて
放射線医療総合研究所
田中義一郎、河村日佐男、野村悦子
165ページには、年齢、地区、性別、骨種、検体数、pCi90Sr/gCa
166ページの表2には、年齢群別人骨中の90Sr濃度
1972年、1973年に死亡した胎児の測定数(30)の最小値〜最大値...なども。