最も生々しいと思われる証言は、 広島の助産婦の証言 ー ヒバクによる奇形 です。おそらく、大変な数の助産婦たちがおなじ経験をしたはずなのですが、ほぼ全員が口をつぐんでいます。このような行為は人間でなければ起こりえないことです。奇形については、いろいろと調べていますが、ネットを検索していて、興味深い本を入手しましたので、ここでこの一部をご紹介いたします。(現在、絶版のようです)
p.399 第5部 現代の奇形
フランスの150万人の「奇形児」奇形児
児童精神医学の専門家メール・デルキュシ博士はこの数字を裏付け、それぞれの子供に両親がいるから、合わせて450万人の人々が直接奇形と関わりがあると述べて人々を驚かせた(この数字は、身体、頭脳、運動系のすべての障害者を合わせたものである)。この数字は増加しているのだろうか。
一九五八年に、パリでは3OOO人に一人の割合で奇形児が誕生した。この年に1OO万人の子供が誕生したフランス全土にこの割合を当てはめると、年間33OO人の奇形児が生まれたことになる。完全な奇形ではなく肉体の一部に障害のある者については、その数は数えきれないほどであり、単に解剖学的な変形に留まる者について言えば、さらに膨大な数となる。
一九六二年には、年間一万人の「奇形児」が誕生した。一九六八年のユネスコ会議において、高名な遺伝学の権威であるラミー博士が恐るべき数学をあげた。たとえば、モントリオールの病院で子供たちに実施された調査によると、子供たちの11パーセントが遺伝的疾患に躍っており、18パーセントが原因不明の先天性問主の持ち主であった。この年にヨーロッパ諸国で誕生した子供の1OO人につき一人が、将来肉体や精神に一部あるいは取度の影響を及ぼす染色体異常だと、会議では考えている。
一九七七年、フランス遺伝院学週間に、医者たちは、フランスでは毎年、12OOOから18OOO人の子供が一つ以上の重度の先天性疾患を抱えていると結論を下した。すなわち、月満ちて生まれた新生児の2パーセント、言いかえれば50人に1人である。
現実を考えると、これでも楽天的な結論である。一九七八年八月に世界的権威を集めてモスクワで開催された世界遺伝会議の終わりに、ロシアの生物学者ニコライ-P・ドュピニンが、奇形児の出生の割合が25年間に8倍になっていると発表した。その数字は一九五六年には4パーセント、一九五九年には6パーセントであったが、一九七八年には10.8パーセントに遣している。人類の未来に深刻な脅威を投げかけるこの遺伝形質の悪化は、様々な放射線の増加、人体の細胞内に似入する化学物質の増加によって説明がつくだろう。科学が発達した我々の文明は、環境中に突然変異の要因となる物質を驚くほど大量に生み出したらしい。
(中略)
とくに、今日世界中が認めているブエ教授の研究のおかげで、臨月で生まれた奇形児はたいていの場合、奇形児を妊娠した女性を自然流産させようとする自然の選別からの「生き残り」であることが知られている。妊娠初期の三ヶ月間に自然淘汰された胎児の約六〇パーセントは異常児すなわち奇形児である。遺伝学者は、母親が妊娠五ヶ月以前に早産した胎児では、この割合が九〇パーセントに達すると述べている。遺伝学者のクレール・プリセはこの件に関して、「ル・モンド」紙にアンリオン教授の見解を紹介した。教授はこの件について、ときには不適切な時期に、医者が介入し過ぎることを公然と非難している。しかし、彼はまた、医者の側の事情も指摘した。「今日妊娠は、非常に計画的になっており、カップルは失敗したという考えに我慢できず、たいてい医者に圧力をかける。ときには医者としても反対し難いことがある」。
奇形児の淘汰の問題を考えその出産を抑制する以前に、自然自体が生命を与えない時代が来ているのではないだろうか。
(中略)
奇形児は殺すべきか
今日も議論は続いており、奇形児の安楽死に関して結論は出ていない。医者の見解も分かれている。ある人々は次のように主張する。確かに、社会的見地からも道徳的見地からも、哀れな奇形児を生き長らえさせることは望ましくない、本人にとっても周囲の者たちにとっても、数年間、きわめて苦痛に満ちた人生を生きるしかないのだから。大勢の医者の意見を聞いた結果、次のように言うことができる。非常に深刻で治療の不可能な一部のケースでは、医者によっては、生まれたばかりの奇形児を生かしておかず、きわめて例外的な状況で両親にも子供本人にも「善行」を施したと誠心誠意信じて、子供は死産、あるいは数時間しか生きられなかったと報告する。また別の医者たちは、こうした「淘汰」は、認めることも反対することもできない、倫理的な断定を下すのはおこがましい、と言う。判断は母親だけに任せるべきである。母親だけが、自分の良心に問うて、自分一人でこのジレンマに結論を出すことができるというのである。このような医者たちは、以上のようなわけでしばしば両親を呼び出し、ほぽ次のような科白を告げる。「お子さんは確かに障害者です。お二人や社会にとって将来重荷となるでしょう。私の子供ならば等々」。それから蘇生術、静脈栄養、その他の延命措置を中止する許可を求める。ほとんどの場合、両親はこの許可を与えない。何がなんでも子供に生きていて欲しいと願う。不具の程度が軽いことを当てにして、そして何よりもすでに愛情を感じているからである。
三番目は、新生児がどんなに不幸であろうがおかまいなく、いかなる安楽死にも断固反対する医者たちの立場である。彼らの言い分に十分な論拠のあることは認めざるを得ない。彼らは次のように主張する。そもそも数十年前には、奇形児が生まれたら実際にはなす術はなく、生まれたままの状態で置かれたが、現在では打つ手は無数にある。生まれた子供が他の子供たちと同じにはならないことを示す一定の症状が認められたとしても、最近までは、遅かれ早かれいずれ死亡するか、あるいは決定的に「障害者」の部類に入れられていた数多くの異常が、現在では医師、とくに外科医の治療を受けられるのである。緩々な手術により、ありとあらゆる小さな陣宮が明らかに取り除かれ、骨や筋肉の移植により、動いたり、歩いたり、手足を使う機能を回復している。
我々にはさらに判断の難しい第二の論点は、肉体的に障害のある子供は幸福な人生を送れるかという点である。下肢が発達せず、体のそれ以外の部分が完全に変形した30歳の先天性障害者が次のように述べている。「私が結婚して、妻が障害児を生んでも、その子どもを殺させたいとは思いません。たとえ手や足がなくとも、そうしたきわめて特殊なアウトサイダーにふさわしい環境で幸福に暮らすことができます」。これほど明快な答えはない。この問題について尋ねられた小児科医は次のように答えている。「なぜ、奇形児を生まれたときに殺すのですか。大きくなって結核性脳炎に権り、脳に障害を負った子供を助けるではないですか。その子供たちを殺すべきか否かなどという疑問を出す人はいません。その命は短い。しかし決して不幸ではありません」。
完全な無知から生じたこの幸福に関する問題について大勢の人々が、幸福という観念を判断できるのは誰かという哲学的な議論を展開している。「奇形児」の延命にきわめて好意的なもう一つの意見がある。多数の母親が、ぞっとして奇形児を見捨てるどころか、健常な子供よりもかわいがり、カの限り献身する。母性愛が嫌悪感にはるかに勝るのである。
(中略)
現代の奇形
出産の異常、生命が発生する過程の法則の乱れに関しては、普通、偶然を恨むしかないが、それ以外に、とくに人間によって作り出された、人間の過ちあるいは無関心の結巣でしかない奇形も存在する。たいていの場合は、付随的な出来事から生じたもので、その結果は予期せぬものとはいわないまでも、少なくとも予測し難い重大なものであったことが判明したのである。
中でも深刻なものは、たとえばX線の害である。妊娠中の女性がX線織影を受けると、大頭症や、骨格に奥常のある子供だけでなく、完全に白痴の障害児を出産する恐れがある。
原爆症
ときには有害光線の影響が、きわめて激しいこともある。一九四五年以後、ある調査団が、周知のように世界で最初に原子爆弾に被爆した長崎の人々に関する遺伝学的調査を行った。被爆以降に生まれた赤ん坊を調査したところ、奇形児がかなり増加していることが判明した。原因は被爆者の性細胞の変化である。遺伝によって永久に伝えられる、回復不可能な変化であった。調査を行った三万人の子供のうち三六三〇人に重大な障害が見られた。その内訳は以下の通りである。一〇四六人の子供が骨格や神経系に異常を示した。四二九人が聴覚器官または嗅覚器官に奇形があった。二五四人が兎唇または舌の奇形を示した。二四三人の内臓に異常が認められた。五九人の肺に奇形があり、四七人の顎に奇形があった。二五人は脳を持たずに生まれ、八人は目または眼窩がなかった。数キロトンの爆弾一つの結果がこれであるから、現在の原子爆弾がこの数千倍の威力を持っていることを知れば、事の重大さが想像できるであろう。当初目的とした全面破壊という効果以外に、予想もつかなかった付随的な効果がすさまじかったことがわかる。
フランスの150万人の「奇形児」奇形児
児童精神医学の専門家メール・デルキュシ博士はこの数字を裏付け、それぞれの子供に両親がいるから、合わせて450万人の人々が直接奇形と関わりがあると述べて人々を驚かせた(この数字は、身体、頭脳、運動系のすべての障害者を合わせたものである)。この数字は増加しているのだろうか。
一九五八年に、パリでは3OOO人に一人の割合で奇形児が誕生した。この年に1OO万人の子供が誕生したフランス全土にこの割合を当てはめると、年間33OO人の奇形児が生まれたことになる。完全な奇形ではなく肉体の一部に障害のある者については、その数は数えきれないほどであり、単に解剖学的な変形に留まる者について言えば、さらに膨大な数となる。
一九六二年には、年間一万人の「奇形児」が誕生した。一九六八年のユネスコ会議において、高名な遺伝学の権威であるラミー博士が恐るべき数学をあげた。たとえば、モントリオールの病院で子供たちに実施された調査によると、子供たちの11パーセントが遺伝的疾患に躍っており、18パーセントが原因不明の先天性問主の持ち主であった。この年にヨーロッパ諸国で誕生した子供の1OO人につき一人が、将来肉体や精神に一部あるいは取度の影響を及ぼす染色体異常だと、会議では考えている。
一九七七年、フランス遺伝院学週間に、医者たちは、フランスでは毎年、12OOOから18OOO人の子供が一つ以上の重度の先天性疾患を抱えていると結論を下した。すなわち、月満ちて生まれた新生児の2パーセント、言いかえれば50人に1人である。
現実を考えると、これでも楽天的な結論である。一九七八年八月に世界的権威を集めてモスクワで開催された世界遺伝会議の終わりに、ロシアの生物学者ニコライ-P・ドュピニンが、奇形児の出生の割合が25年間に8倍になっていると発表した。その数字は一九五六年には4パーセント、一九五九年には6パーセントであったが、一九七八年には10.8パーセントに遣している。人類の未来に深刻な脅威を投げかけるこの遺伝形質の悪化は、様々な放射線の増加、人体の細胞内に似入する化学物質の増加によって説明がつくだろう。科学が発達した我々の文明は、環境中に突然変異の要因となる物質を驚くほど大量に生み出したらしい。
(中略)
とくに、今日世界中が認めているブエ教授の研究のおかげで、臨月で生まれた奇形児はたいていの場合、奇形児を妊娠した女性を自然流産させようとする自然の選別からの「生き残り」であることが知られている。妊娠初期の三ヶ月間に自然淘汰された胎児の約六〇パーセントは異常児すなわち奇形児である。遺伝学者は、母親が妊娠五ヶ月以前に早産した胎児では、この割合が九〇パーセントに達すると述べている。遺伝学者のクレール・プリセはこの件に関して、「ル・モンド」紙にアンリオン教授の見解を紹介した。教授はこの件について、ときには不適切な時期に、医者が介入し過ぎることを公然と非難している。しかし、彼はまた、医者の側の事情も指摘した。「今日妊娠は、非常に計画的になっており、カップルは失敗したという考えに我慢できず、たいてい医者に圧力をかける。ときには医者としても反対し難いことがある」。
奇形児の淘汰の問題を考えその出産を抑制する以前に、自然自体が生命を与えない時代が来ているのではないだろうか。
(中略)
奇形児は殺すべきか
今日も議論は続いており、奇形児の安楽死に関して結論は出ていない。医者の見解も分かれている。ある人々は次のように主張する。確かに、社会的見地からも道徳的見地からも、哀れな奇形児を生き長らえさせることは望ましくない、本人にとっても周囲の者たちにとっても、数年間、きわめて苦痛に満ちた人生を生きるしかないのだから。大勢の医者の意見を聞いた結果、次のように言うことができる。非常に深刻で治療の不可能な一部のケースでは、医者によっては、生まれたばかりの奇形児を生かしておかず、きわめて例外的な状況で両親にも子供本人にも「善行」を施したと誠心誠意信じて、子供は死産、あるいは数時間しか生きられなかったと報告する。また別の医者たちは、こうした「淘汰」は、認めることも反対することもできない、倫理的な断定を下すのはおこがましい、と言う。判断は母親だけに任せるべきである。母親だけが、自分の良心に問うて、自分一人でこのジレンマに結論を出すことができるというのである。このような医者たちは、以上のようなわけでしばしば両親を呼び出し、ほぽ次のような科白を告げる。「お子さんは確かに障害者です。お二人や社会にとって将来重荷となるでしょう。私の子供ならば等々」。それから蘇生術、静脈栄養、その他の延命措置を中止する許可を求める。ほとんどの場合、両親はこの許可を与えない。何がなんでも子供に生きていて欲しいと願う。不具の程度が軽いことを当てにして、そして何よりもすでに愛情を感じているからである。
三番目は、新生児がどんなに不幸であろうがおかまいなく、いかなる安楽死にも断固反対する医者たちの立場である。彼らの言い分に十分な論拠のあることは認めざるを得ない。彼らは次のように主張する。そもそも数十年前には、奇形児が生まれたら実際にはなす術はなく、生まれたままの状態で置かれたが、現在では打つ手は無数にある。生まれた子供が他の子供たちと同じにはならないことを示す一定の症状が認められたとしても、最近までは、遅かれ早かれいずれ死亡するか、あるいは決定的に「障害者」の部類に入れられていた数多くの異常が、現在では医師、とくに外科医の治療を受けられるのである。緩々な手術により、ありとあらゆる小さな陣宮が明らかに取り除かれ、骨や筋肉の移植により、動いたり、歩いたり、手足を使う機能を回復している。
我々にはさらに判断の難しい第二の論点は、肉体的に障害のある子供は幸福な人生を送れるかという点である。下肢が発達せず、体のそれ以外の部分が完全に変形した30歳の先天性障害者が次のように述べている。「私が結婚して、妻が障害児を生んでも、その子どもを殺させたいとは思いません。たとえ手や足がなくとも、そうしたきわめて特殊なアウトサイダーにふさわしい環境で幸福に暮らすことができます」。これほど明快な答えはない。この問題について尋ねられた小児科医は次のように答えている。「なぜ、奇形児を生まれたときに殺すのですか。大きくなって結核性脳炎に権り、脳に障害を負った子供を助けるではないですか。その子供たちを殺すべきか否かなどという疑問を出す人はいません。その命は短い。しかし決して不幸ではありません」。
完全な無知から生じたこの幸福に関する問題について大勢の人々が、幸福という観念を判断できるのは誰かという哲学的な議論を展開している。「奇形児」の延命にきわめて好意的なもう一つの意見がある。多数の母親が、ぞっとして奇形児を見捨てるどころか、健常な子供よりもかわいがり、カの限り献身する。母性愛が嫌悪感にはるかに勝るのである。
(中略)
現代の奇形
出産の異常、生命が発生する過程の法則の乱れに関しては、普通、偶然を恨むしかないが、それ以外に、とくに人間によって作り出された、人間の過ちあるいは無関心の結巣でしかない奇形も存在する。たいていの場合は、付随的な出来事から生じたもので、その結果は予期せぬものとはいわないまでも、少なくとも予測し難い重大なものであったことが判明したのである。
中でも深刻なものは、たとえばX線の害である。妊娠中の女性がX線織影を受けると、大頭症や、骨格に奥常のある子供だけでなく、完全に白痴の障害児を出産する恐れがある。
原爆症
ときには有害光線の影響が、きわめて激しいこともある。一九四五年以後、ある調査団が、周知のように世界で最初に原子爆弾に被爆した長崎の人々に関する遺伝学的調査を行った。被爆以降に生まれた赤ん坊を調査したところ、奇形児がかなり増加していることが判明した。原因は被爆者の性細胞の変化である。遺伝によって永久に伝えられる、回復不可能な変化であった。調査を行った三万人の子供のうち三六三〇人に重大な障害が見られた。その内訳は以下の通りである。一〇四六人の子供が骨格や神経系に異常を示した。四二九人が聴覚器官または嗅覚器官に奇形があった。二五四人が兎唇または舌の奇形を示した。二四三人の内臓に異常が認められた。五九人の肺に奇形があり、四七人の顎に奇形があった。二五人は脳を持たずに生まれ、八人は目または眼窩がなかった。数キロトンの爆弾一つの結果がこれであるから、現在の原子爆弾がこの数千倍の威力を持っていることを知れば、事の重大さが想像できるであろう。当初目的とした全面破壊という効果以外に、予想もつかなかった付随的な効果がすさまじかったことがわかる。
二〇世紀初頭までは、奇形といわれる人たちは、見世物小屋で大変な成功を収めて、少なからぬ人たちが生活に不自由しない状況であったことが書かれており、またインドなどでよく見られる奇形が太古の昔から存在していたこと、双頭の女性を中国の皇帝が愛したことなどが書かれています。奇形の問題は、人間の倫理・道徳にも深く関与し、答えのない難しい問題であることが痛感させられました。
フクシマ後の世界は一体どうなるのでしょうか。
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じわりと増え始めた奇形児(鎖肛、口蓋裂、多指・・)2013年08月08日

上は先生の言葉ですが、肥田舜太郎先生は次のように講演しています。
> 次に日本の医師に対して申し上げる。医師のみなさんは、おそらく広島長崎で被害を受けた被爆者に診療を求められることがあるだろう。医師は患者を診療することが仕事なのだから、それは自由にやってよろしい。ただしその結果を、記録をしたり、研究の材料として論文に書いたり、あるいは仲間内で相談をしたり、研究をする事は一切まかりならん。「もしこれに違反した場合は厳罰に処す」
上は米国軍の脅し文句です。この医師の中には当然看護婦とか助産婦も含まれる筈ですよね。要するに医療関係者ということで。岡村さんの言葉の中にも該当事項はありました。
原爆投下以降の隠蔽口封じ作戦が、其れ以降の研究の妨げになったのは先ず、間違いのないところだと思います。
世界中が認めている「プエ教授」って誰ですか?
検索にもかかりませんけど?
「広島原爆の奇形状況」としてあるのに、本からの引用は、長崎になっているのはなぜですか?
「世界で最初に原子爆弾に被爆した」のが長崎だとは、全然「周知のとおり」ではありませんが?
「ある調査団」とは、どの調査団ですか?
名前も出せないような調査団の調査内容を紹介するとは、いい加減な本のようですね。
本当にそういう調査が存在したのか疑わしいと感じるのが自然な態度だと思います。
危険な物が世の中にたくさんあって、健康に生きることが難しくなりましたね。
遺伝子組換食品は臓器の機能を変えてしまう
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