2013年10月28日

onodekitaのブログ紹介(1)2011年3月+書評の紹介

 原子力関係のブログを2011年3月より書き始めて、エントリーが1000近くになりました。先月より1ヶ月のブログをまとめて紹介する形で講演を行いましたところ好評でしたので、311直後からのブログを解説してみようと思います。人を集めて講演をするのはちょっと大変ですので、Ustream中継のみとさせていただきます(自宅をスタジオに)。1時間で20の記事を紹介するとしますと、50回程度の分量となります。とりあえず始めてみますので、感想などお聞かせいただけますと幸いです。
 なお、Ustream上で質問も受け付けますので、随時ご質問ください(すべて答えられるとは限りませんが)無事終了しました。下記は、Youtube版です(Ustreamと同一です)


ブログの目次 
#1-#28(2013.3.13-3.31)の解説です。 また、「フクシマの真実と内部被曝」の書評を広島県在住の大木広也氏より送っていただきましたので、ご紹介させていただきます。明らかに褒めすぎですが、着眼点は鋭いです。ありがとうございました。


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非合理を憎む上質のユーモリスト
小野俊一「フクシマの真実と内部被曝」および同氏の講演から   大木 広也
ネット放送IWJの岩上安身氏が熊本に赴き、小野俊一氏にインタビューした際、「フクシマの真実と内部被曝」の中で一番印象に強かった箇所として読み上げたのが次の太字部分であった。聞くと先ず「ははは」と笑い、ついで成程これは的を射ていると思わず膝をたたいてしまう。

(経済産業省エネルギー庁のホームページの中に

「・・・放射能が減衰し、千年後には製造直後の放射能量の約三千分の一になります。また、数万年後にはその元となった燃料の製造に必要なウラン鉱石と同程度の放射能量にまで減衰します。」との部分があるのを見つけた小野氏が、)

「この文章を読んだときに、あまりの荒唐無稽さに驚きました。今から一〇〇〇年前と言えば、平安時代、源氏物語の時代です。源氏物語をそのまま読める人がいますか?古典の文法を習って、単語の意味を習得して、それでもなかなか読めません。現代語訳がなければ、文章の意味さえわからなくなる。それが人間界における一〇〇〇年の意味です。」

 高校時代、古典の勉強に苦しんだ小野氏の姿が眼に浮かぶようで微笑ましいが、私なぞは現代語訳があってもよく解らなかった。しかし見栄から解ったような顔をしていた。この解らないものを「わからない」と言える率直さが氏の美質の根幹をなしているのであろう。科学的才能というのは案外その人の性格によるのかもしれない。

 さらに小野氏は続ける、

「当時原子力技術課長だった武藤さんは、こう言い放ちました。

『東電が、きちっと(一〇〇〇年)管理すると言っているのに、なぜみんな反対するんだ、納得しないのはおかしい。』

 自分は何年間生きられると思っているのでしょう。」

 最後の一句が利いている。大層な皮肉だが陰湿な感じはまったく受けない。自分の考えに自信があるからである。しかも実名で、はっきり書くところが何とも痛快である。こういう物怖じしない胆力というのは名家の子弟のみが持ちうるもので後天的な努力によってはなかなか身に付くものではない。さらに付け加えるならば小野氏が東大の出身者であることも影響しているのではないか。「体制の破壊者は常に体制の中から生まれる」という言葉を思い出す。

 以下、この著作と小野氏の講演の中から興味深い部分を引用しながら話をすすめる。

「政府、原子力緊急事態宣言を発令 二〇一二年三月一一日・・・

私が現地にいたら、家族は避難させるでしょう。

現地で働いている知り合いが多いので、心配です。

と書いたわけです。たしかに放射能が漏れている状態ではないからこそ、その後の展開を的確に予想し、可能な限り広範囲な人たちを避難させるべきだっただろうと私は思います。・・・そして、問い合わせをされてきた数名の方に、関東からは逃げたほうがいいとお話したのですが、真に受けてもらえず、あるひとからは『そんな専門家ならば、テレビに出ているはずだ。テレビに出ている専門家が安全だと言っているのだから、オレは逃げない。』と言われました。現在の日本を表している言葉ではないでしょうか。」

 テレビに出演することが権威となり、そこで発表された知識と情報だけを人々が信じるというのはたしかに悲劇的な状況ではあろうが、あの時点で匿名でのネット上の情報を信じろというのは、かなり無理がある。我々の九九%は付和雷同を本旨とする「張三李四」たることを免れ得ないのである。誰でも小野俊一氏のように高度な判断ができるわけではない。

 話は唐突に飛ぶが、私は小野俊一氏を当代随一、本物の「知性人」であると思う。ここに「知性」とは大量の知識を羅列することに非ず、深い知識を以ってロジカルに近未来を予測し、警鐘を鳴らそうとする能力に他ならない。ロジカルな近未来予測こそ「知性」の本質なのである。しかも下俗に言えば、それを「当て」なければならないのだ。こういう作用を欠いた知識など単なる塵芥に過ぎないと私は思う。この意味で、おそらく十年後、小野俊一氏は「知の巨星」として歴史的な存在になっているのではないだろうか。

しかるに何処かから提供された資料を基にして特定の政治家(対米独立派)のスキャンダルを書き連ねて、その失脚を図った文筆ゴロが「知の巨人」などともてはやされているのだから何をか言わんや。どうやらこの場合の「巨人」とはプロ野球の「ジャイアンツ」のことだったらしい。なるほど名前だけは売れている。

「そのような事態をいくつも経験して、一九九五年の九月に会社を辞めることにしました。・・・一九九六年の四月に熊本大学医学部に入学・・・」

 ここにおける「そのような事態」とは小野氏が感じた原子力発電の安全に対する強い懐疑を惹き起こす東電での経験のことだ。しかし私が注目するのは、せっかく入社した超安定企業の東京電力をすっぱりと辞めて医学部へ再入学を図る氏の思い切りの良さである。まことに「勘」が良い。

 先ほど「知性」の本質を「深い知識によるロジカルな近未来予測」と定義したこととは矛盾するように見えるが、「予測」である以上、優れた「勘」が不可欠である。どれほど薀蓄があろうとも「勘」の悪い人間の予測ほど役に立たないものはない。

「勘」(ことに、それに国家の命運がかかるような)というのは、百年に一人の人間だけがもちうる稀有な才能なのである。我々は天が配剤したとしかいいようがない小野俊一という奇跡に天意を感じ、その意見に耳を傾ける必要がある。

よく考えてみれば、東電の原発に勤務して放射能の危険について知った後(のち)、医師(しかも血液内科)に転じた人間が我が国に存在していること自体が、ほぼ絶対に有り得ぬことであって、私は菊水作戦(沖縄特攻作戦)の大和の艦橋に学徒兵であった吉田満氏が配置され、歴史の証言者として「戦艦大和の最期」を書き残したと同様の何かを感じるところがあった。

「技術的にはまったく未熟なプラントを日本は押しつけられ、どうにか使用できる状態まで改善したのです。しかしながら、その実態はすべてインチ・ヤード・ポンドの世界を、メートル、キログラムに直しただけ。例えば沸騰水方原子力発電所の運転蒸気圧は、約七〇(キログラム/平方センチメートル)気圧なのですが、一〇〇〇psi、制御棒の一ノッチ(制御の単位)は約一五センチメートル=〇・五フィート何から何まで、この世界です。端数の切り上げ切り下げがありますから、プラントを作るときには大きな問題になったとも聞きました。日本で行った設計はインチの世界をメートルの世界に変換したのみ。根本的な数値はすべて、海外の設計のままです。」

 これは明治このかた我が国の多くの技術者たちが黙して語らないまま墓場に持っていってしまった真実なのだろう。その意味でこの一文は貴重な文明批評となっている。

ただ最近は明治期から戦前の日本人について、これを瑕疵のない偉大な存在として褒め称えないと直ぐに「自虐史観」だ「反日勢力」だとの恫喝やラベリングを受けるのは困ったもので、私はただ、歴史的・地政学的にずっと後から西洋機械文明をキャッチ・アップせざるを得なかった我が国の技術者たちの健気な奮闘にわずかばかりの物悲しい感慨を覚えているだけである。

 話は前後するが「技術的にはまったく未熟なプラントを日本は押しつけられ」たとの部分には、やはり眉をしかめざるをえない。明治初期、日本に鉄道が初めて敷かれた際、イギリスが自国での廃用が決まっていた狭軌を日本に売りつけ、自分たちはちゃっかり広軌に乗り換えたことを想起させるし、どこで読んだかは忘れたが、戦前の陸軍で導入したフランス製の野砲についても同じようなことがあったと記憶する。欧米人が黄色人種をどういう目で見ていたかが手に取るように分かる。

 それにしても鉄道や野砲くらいで済んでくれればまだしもよかったものを(これらにしても大きな影響を及ぼしたが)地震や津波、塩害の全く計算に入っていない、そして、おそらく不備の多いまま早くも旧式になりかかっていたであろうポンコツ原子力発電所を大喜びで首都圏に近い海岸沿いに何基も建設した挙句、国家滅亡の危機に瀕していることには言葉を失う。

 さらに改めて思うのは一九八〇年代の初頭から、「Japan as Number One」の出版とともに我が国に蔓延した国民の傲(おご)りである。経済力のみならず科学技術に関しても日本が世界一なのだという幻想は、アメリカ車の製造過程でボンネットの中に置き忘れられた、食いかけのハンバーガーだかコカコーラの瓶という都市伝説とともに多くの日本人の中に濃淡こそあれ「三・一一」まで続いたのである。

 従って一九八六年のチェルノブイリ原発事故の直後、「ソ連のものとは違い日本の原発は(科学技術に優れているから)何重にも安全装置が付いていて絶対安心だ」という旨の発言を三人以上の知人たちから聞いている。考えてみれば、あれも単なる新聞・テレビの受け売りであったか。無論、私など人一倍強くそう思いこみ、何か、ザマーミロという爽快な気分になった(個人的には幾重にも張り巡らされた安全装置というよりも、日本の原発の場合、どれほど圧力が高まろうとも破裂しない特殊な金属素材で圧力容器や格納容器が出来ているというイメージがあった)。

当時のことを今考えると大いに恥ずかしくもあり、同時に首筋に手をやりたくなるが、やはり得意になって天狗の鼻をひくひく動かし始めたら、個人であれ国家であれ、急激な凋落の始まりであるというのは万古不変の真理なのであろう。柿は、ボトリと落ちる前が一番甘い。

とまれ、こういう、ある種異常ともいえる奢り昂ぶった空気の中で小野氏は次のように感じ、次のように言う。

 「いくら格納容器があったとしても、内部の圧力が上昇すれば、爆発するのではないかと思うのは当然のことです。しかし、当時の新聞ではそのようなことは決して起きないとだけ報道されていたため、長年疑問に思っていました。本店の安全グループに来てその真実がわかりました。すなわち、格納容器があるから放射能を環境に放出することがないというのはウソであり、事故時にはベント配管から放射能をまき散らさない限り、収拾が図れないというわけなのです。まさしくこれはペテンです。」

 何という揺るぎのない冷静な判断力であろうか。そしてこれを「長年疑問に思」うことがどれほど難しいことであるのかは私のような凡愚にも微(かす)かに想像がつく。この方(かた)の才能と能力は一朝一夕に具わったものではない。

「爆発後の三号機を上から見ると、すっぽり穴が開き、そのまわりの鉄骨がもやしのようにへにゃへにゃになっていることがわかります。周囲の温度が数千度以上の高温になったと考えられ、広島原爆で被害を受けた建物の写真と瓜二つです。実際、爆発時の動画を見ますと、まさにこの場所からオレンジ色の光が光っています。一方、同じ水素爆発と言われている一号機は、骨組みがほぼ残っているのと大きな違いがあることがわかると思います。」

「どう考えても黒煙を上げた爆発だと思えますが、「白煙発生事象」と大したことがなく周辺の線量はまったく上昇していないように(東電発表のプレスに)書かれています。政府の発表も同じです。」

三号機の核燃料プールが核爆発を起こしたのではないか、という話は二〇一一年の秋近くまでは多少なりとも世の中に流布していた。夏に出版された「別冊宝島」の冒頭にも写真を添えたかなり詳細な記事がある。

 しかしこの「三号機の核爆発云々」の話は「現在もっともフクシマ原発で危機的状況にあるのは四号機のプールに貯蔵されている一三三一本の使用済み核燃料であって、四号機が倒壊するか、プールの水が抜けてしまうようなことがあれば日本が終わってしまう」という四号機核燃料プール危機説によって掻き消されてしまったような記憶がある。

この顛末は私にとっては今もって納得できない話で、四号機の一三三一本の使用済み核燃料によって日本全土(あるいは北半球)が滅亡してしまうのなら三号機のプールにあった五一四本(その一部なりが核爆発しているのだから)によって関東くらいは全滅していないと、おかしいことになり頭が混乱させられてしまったのだ。もっとも、被害こそ表に出ていないものの関東全域が既に居住不能地帯となっているのなら辻褄は合うが。

 次に小野氏は三号機の爆発が核爆発であったことを前提に、フクシマ原発事故によって放出された放射能の総量が、日本政府やIAEAの発表したものとは桁違いであることを明らかにしてゆく。これがこの著作の第一の眼目であろう。

「フクシマから放出された量は、事故当初の二〇一一年四月一二日に保安院は三七万テラベクレルと発表しました。たいていの人はこのテラベクレルという耳覚えのない数値に驚き、とんでもない数値が出たと感覚的に理解したはずです。ところが、この価をキューリーに直すと、一〇〇〇万キューリーという非常にきりの良い数字になるのです。まともに計算したとは思えない、適当な数字の証拠です。」

この数字を作った際、どこかの官庁の一室で部下と上司との間に次のような会話が交わされた様子が目に浮かぶ。

「放出量ですが、どの位にしておきましょうか」

「一〇〇〇万キューリーにでもしておけよ」

「でもそれじゃ余りにぴったり過ぎて、まずくはないですか」

「ベクレルに直して書けば、どうせ分かりゃせん。相手は素人なんだから」

「それもそうですね。了解しました」

とまあこんな具合であろう。

 国民をよくぞここまで舐め切ったものであるが、単位をちょいと変換されただけで簡単に騙される我々にも若干の責任がある。ここで若干と書いたのは、何か政府から発表があったときに、何処か、おかしい、明らかに整合性を欠いている、科学的に不合理である、と感じて勉強、追及するのは本来ジャーナリストの仕事だと考えるからである。余談になるが「まともに計算したとは思えない、適当な数字の証拠です。」という最後のセンテンスに私は著者の強い憤りを感じる。小野氏は国民を見下した官僚の思いあがりと出鱈目さを憎むこと甚だしいのだろう。

「今回の事故では、一から三号機の炉心が溶融し、さらに三号機の燃料プールから大量の核物質が飛散したと考えられますから、保守的な見積もりとして、福島全体としては約三五〇トンの不安定で溶融した核燃料があるといっていいでしょう。シビアアクシデント時には、数パーセントの核燃料が放出されるという評価になると思われます。(すなわち、数トンレベル)」

「(溶融した核燃料一八〇トンの)チェルノブイリよりも放出量が少ないと主張する東電および日本の規制機関の発表はまったく信用できないことがこの程度の分析でもおわかりでしょう。」

事故当初、頻繁に流されたチェルノブイの一〇分の一から七分の一の放出量というのは一体、どうやって、はじき出された数字なのであろうか。いまだに狐につままれているような気がする。

爆発を起こしたのはチェルノブイリが一基で、フクシマは三基。大きさも、たいした違いはなさそうだ。この数字では、どうみても少な過ぎると思いながら、小野氏のいう「この程度の分析」すら出来ずに我々は何となく安心していたのである。これは最近、理系離れが進んでいるとかの問題ではない。

「そこで、誰でも知っている単位に直してみましょう・・重さです。これなら誰にだってわかります。ヨウ素はたったの四〇グラム、セシウムは五キロですから、だいたいペットボトル一本分くらい(この他、表には、キセノン一三三の1.5kg、プルトニウム239の1.4gがある)。五〇〇メートル以上の噴煙が上がって、この程度の重さですむはずがありません。全部あわせて、前述したとおり、数トンレベルの重さにならなければならないはずなのに、その二桁程度少ない放出量しか見積もっていません。つまり、政府・東京電力の公式発表は、とんでもない過小評価なのです。」

 これを正真正銘の「コロンブスの卵」という。放出された放射性物質の量を重さに換算するという発想は唯一人、小野氏だけが、なしえたことで、後(あと)から、そんな簡単なことは分かっていた、などと、したり顔で口にすることほど、みっともないことはない。それならば先に言え、先に。

二〇一一年には様々なテレビ番組や新聞紙面に、あやしげな学者たちが、ひっきりなしに登場しては、放出量について、やれ×××メガベクレルだ、やれ○○○ギガベクレルだ、やれ△△△ペタベクレルだ、と、かまびすしく言い立てたため余りの数字の大きさに煙(けむ)にまかれて訳がわからなくなってしまった人がほとんどだったのだ。

本当の天才というのは、虚空の中から見も知らぬ新しいものを造り出す人間ではなく、万人の身近に、ずっと在りながら誰も気付かなかったことに気付く人間のことである、という意味の一文が、塩野七生氏の「ローマ人の物語」の中にあった。

続いて、この本の第二の眼目(これが最大の眼目なのかもしれぬが)と思われる箇所を引く。

「放射能と放射線は全く異なる概念です。」

「外部被曝は、主に大気や地面などに存在する放射性物質から受ける体外からの被曝です。内部被曝は放射性物質に汚染された水や食品の摂取、吸収により体内に取り込まれた放射性物質による体内からの被曝です。」

小野氏が講演などで繰り返し、繰り返し強調し訴えてきたのは、「放射線と放射能のちがい」「外部被曝と内部被曝の違い」なかんずく「内部被曝のおそろしさ」であると思う。ところがこれが、なかなか私を含む一般人には理解しづらかった。

「理解」とは頭の中に具体的な像が結ばれることをいうそうだが、もやもやとしたまま初動期の貴重な時間を空費してしまい、そうこうするうちにミスリードを目的としたイカサマ言説が、あっという間に世を蓋って、「棄民政策」が既成事実化されてしまった観がある。何となく危険だなと思いつつ部屋の中の変な臭いに慣れてしまったのだ。

「燃えさかる石炭で暖をとるのが、外部被曝。その赤い石炭を飲み込むのが内部被曝と考えてよいでしょう。・・・石炭を飲めば口の中から何から何までやけどしてしまって、恐ろしい障害をもたらすでしょう。」

 私個人は、ここまで書いてもらって、ようやく、おぼろげに把握した程度で完全な理解にはまだまだ距離があった。

そして困ったことに自らが完全に理解していないと、すなわち本質の明確なイメージを脳裏に確立していないと、他人に説明することは不可能であるし、また御用学者や御用評論家のデマゴーグ、訳知り顔のコメントに反論できないところが始末が悪い。

またこうなると、やがて面倒になって思考を投げてしまうのが私程度の人間の常である。繰り返しになるが自分の頭でしっかり考えるというのは、かなり、くたびれる作業なのである。

 私が八〇%のイメージを掴んだのは、フクシマ原発事故からおよそ二年、小野氏の著作のみならず氏の講演会でYou Tubeにアップされている中から数個を選び出し、それを何回か繰り返し視てからのことであって、特に講演会で映された「福島の現状」と題するイラストのフリップ(地面に近い赤い点の密なところに幼児と子犬がしゃがみ、その頭上、赤い点が、疎(まばら)なところに防護服と全面マスクを着用した大人が線量計を持ってオーケーサインを出している図)によって、ふと頭の中の回路が繋がったような気がした。ようやっとの思いである。

ここまで鈍いと、巡(めぐ)りの悪い頭に生んだ両親を恨みたい気持ちにもなるが、怠惰な本人の性格も大きいのだから、これはこれで仕方がない。しかし各自が自分なりに明確なイメージを持てるまで考えて、それを表現できるように努力することは、周囲の人間を説得してゆくうえで極めて重要であろうと思う。もうこれしか手が残っていないのだ。そして、これは原発や内部被曝の問題に限ったことではない。

さて予防線を張ったうえで以下、私なりの拙(つたな)い理解を文字にして表してみるが、あくまで私の抱いた勝手なイメージであるから用語の厳密さを欠くのみならず誤謬もあろうことは、ご容赦願いたい。

 まずは外部被曝すなわち放射線(シーベルト)であるが、これは大きなサーチライトの前に人間が立ったときに受ける光の強さや熱量のことだと理解している。たしかに巨大なサーチライトから数十センチのところに立って、もろに光線を浴びれば大火傷を負って死亡するなり失明してしまうこともあるだろう(急性被曝の概念)。 

しかし、ある程度、サーチライトから距離を置けば多少、眩しくて、皮膚が熱いと感じたとしても、光の当たる所から横に離れてしまうか、サーチライトの電源を切ってしまえば「おお、眩しくて熱かった」で済んでしまう。照射される時間が短ければ失明したり、大火傷を負うようなことはまずない。医療用のX線やCTスキャンもほぼ同様にイメージすればよいものと思う。一般の光線との違いは、低い線量であっても累積して一定の水準に達すれば身体に障害をもたらすところだろうか。もっとも日焼けサロンの日焼けマシンであっても短い期間で何回も限度を超えて浴びれば相当危険なことは分かる。

一方、放射能(放射性物質)は光を放っていたサーチライトの前面ガラスやサーチライト本体が大きな衝撃を受けて(例えば砲弾が命中したとか)完全に破壊されたため、中に入っていたフィラメントが白熱したまま粉々になって飛び出し、あるいは空中に舞い散り、あるいは地表に積もっているイメージである。実際のものとは異なり長い時間が経っても、白熱し続けるところが味噌である。

このような白熱したままの粉末を鼻から吸い込んだり、食物に付着したものを摂取してしまったら大変なことになる。いくら一粒々々が微細とはいえ、白熱している金属粉である。やがて食道や肺、あるいは胃袋が焼けただれてしまうのは容易に想像がつく。こちらが内部被曝である。単位はベクレル。単位量(uあるいはs)あたりに存在する放射能粉末の個数だと私は把えている。

 ここで内部被曝を分かりにくくしているのはベクレルを計測するのに大変な手間が掛かって実用的でないのか、簡便法としてベクレルをシーベルトに換算して測るのが一般的(?)に定着しているらしいことである(実効線量係数の概念)。つまり内部被曝を扱う場合でも我々に提示される数字の単位は圧倒的にシーベルトが多いのである。

イメージとしては地表に降り積もった白熱金属粉の光具合を地上一メートルほどのところで計測し、その数値によって地面の金属粉の個数なり存在密度なりを推定する、あるいは葉物野菜の内部に摂りこまれた白熱金属粉の数を表面の幽かな光を計って推定するという方法なのであろう。粉状の物質の発する幽かな光をサーチライトの光の基準で計れば低い数値が出るのは当たり前の話であって、

「(ベクレルをシーベルトに換算する実効線量係数について)これが詐欺の大元、とんでもない過小評価で、これを使うと、どれだけ食べても安心・安全ということになってしまう」(講演)

さりげなく述べられているが、これには、ただただ脱帽するしかない。それほど凄みのある啖呵であって、ICRP(国際放射線防護委員会)という世界的権威を「詐欺の大元」と言い切る小野氏の勇気と胆力は、日本史上有数のものであろう。他の御用学者たちの発言をよく聞いてみると何やかにやと言いながらもICRPの定めた実効線量係数を絶対的な尺度としてまったく疑っていないことがよく分かる。

「医師の人たちがCTと混同して、1.3マイクロSv/hはホットスポットで怖いって避難してきたお母さんたちがいうと1.3×24×365で2.6mSv/yだからこれはCT一回分、オレは毎年20mSv浴びて平気なんだから怖くも何ともない、って聞きかじりの知識で言うんです。これは外部被曝の話なんだから大馬鹿、大馬鹿ですよ」(講演)

医師たちが聴衆の大半を占める講演会で最後に声を荒げて罵るあたり、小野氏は三・一一以来、多くの医師たちが内部被曝についてろくに勉強もしないまま訳知り顔に患者や周囲の者に誤った情報を与えたことに腹を据えかねていたのであろう。

なにしろ我々は「権威への盲従」というよりは「高偏差値への盲従」とでもいうべき芳しからざる性向が強い。従って専門分野以外でも医師の意見が易々と通ってしまうところがある。実際、事故から二ヵ月後、私もある医師から「あの程度の被曝は、たいしたことがない」と言われ、臆したのか上手く反論できずに口をもごもごさせて黙ってしまったことがにあった。思えばフクシマから遠く離れた地域で業を営む医師たちもまた傲(おご)っていたのである。

さて、ここからは「瓦礫の広域処理」「除染」「再稼動」などについて主として氏の講演の中から引用してゆく。小野氏の講演は聴衆の気持ちを逸らさぬユーモアに富み、また比喩の用い方が絶妙である。

「こんなもの『絆』ではなく、糸偏に¥(えん)マークですよ。そりゃそうでしょう。自治体だってカネになるから、あんなに一所懸命やるんです」(講演)

 思うに「絆」というのは誰が捻り出したコピーなのであろうか。広告代理店のコピーライターが作り出す宣伝文句は、昭和初期の和語系(漢語ではないという意味で)の言葉のリバイバルがほとんどであるから耳慣れぬ和語がテレビに登場してきたら、よくよく気を付ける必要がある。一般庶民に益することは絶対に無い。元々一般庶民を上手に騙すために引っ張り出してきた言葉だからである。

「私、これ、三バカって呼んでいるんですけど、」(講演)

小野氏が、細野豪志(民主党幹事長)川勝平太(静岡県知事)桜井勝郎(島田市長、いずれも当時)の三氏が島田市での処理が決まった汚染瓦礫の前で線量計をかざしながらニッコリしているスライドを示して言ったものである。

 思わず吹き出してしまうが、自分がこの県の出身者であることを考えると笑ってばかりはいられない。昔から静岡の人間は、甘い、甘い、とよく言われる。従って、ここまで、おぞましい人間は周りには居なかったような気もするが、最後っ屁的な火事場泥棒ということなのだろう。そうだとしても桜井島田市長自身が産廃会社の経営者なのだから、やることがあまりにエグい。

「内部被曝の被害は、核兵器の被害につながります。フクシマだけで、内部被曝症状が現れると、必ず原発の中止どころか、核兵器の否定につながります。そうさせないために一生懸命日本全体に放射能(汚染瓦礫)をばらまき、日本の役人は避難範囲の不作為の責任のがれをするためにこの行為(瓦礫の広域処理)に加担しているのではないかと思っています。」

明らかに非合理的で、どう見てもおかしい行為が強行・ゴリ押しされる背景には必ず利権を伴う強い動機があるはずである。その動機が我が国の官僚の利権だけならまだしも救いがあるが、二〇〇五年の「郵政民営化選挙」あたりからアメリカの意志が露骨に顕れるようになってきている。官僚たちを使った植民地の間接支配そのものである。

原発の再稼動についても、御用評論家があれこれ取り沙汰する経済的理由よりも、英米の余剰プルトニウムを日本に買い取らせてMOX燃料として燃やさせる約束になっている、との説の方がはるかに腑に落ちる。そういう大きな力が働いていなければ、いくら史上最低の総理大臣である野田佳彦であっても、一夜にして「脱原発」から「原発再稼動」に転じ、あれだけの人数の再稼動反対デモに耳をふさいで黙殺できるはずもないからだ。

「(スライドを示しつつ)二〇一一年の一一月にはそれでもハイテク風に高圧洗浄機で除染してたんですが、放射能を撒き散らすだけということになって、今はウエスという雑巾で瓦を拭いているんですよ。こんなもので落ちるくらいなら雨で流れますって。」(講演)

児玉龍彦なる希代のペテン師によって提唱された「除染」なる愚劣な行為に数兆円の予算がつき平気で執行に移されてしまうのだから、本邦人士の「高偏差値」コンプレックスも極まれりというところだが、「除染」が行われたことで、あるいは被災地の住民が県外に避難することを掣肘され、あるいは既に避難していた住民たちが帰還を半ば強制される結果になったのは背筋の寒くなる思いがする。

 それにしてもこの児玉龍彦という男、国会で大層な啖呵を切った際、放出された放射能の量を広島原爆一六八発分だと最小限に見積もったかと思えば、除染業者として竹中工務店を名指しで推薦した挙句、南相馬市から除染作業を丸投げされた竹中工務店と大成建設主宰のパーティーに臆面もなく出席したという。まさに悪魔の所業というべきで私たちは、この男の爬虫類顔を決して忘れてはならない。

「(中沢啓氏の「はだしのゲン」の中にあった竹槍の訓練を描いた漫画を示し)できないものを出来る、出来るって。昔、竹槍。今、高圧洗浄機ですよ。竹槍でB29を落とすんだってやってるんだから。それで出来ないって言ったら大和魂が足りないって。笑ってますけど本当のことじゃないですか。」(講演)

戦争における集団的狂気をあつかった小説として井伏鱒二に「遥拝隊長」という作品がある。気がふれて終戦後もまだ戦争が続いていると思いこんでいる一人の元隊長が中国地方の山村で起こす騒動を面白おかしく描いた小編である。この小説で井伏は「今でこそ、あの隊長のことをキチガイだなんて皆で呼んでいるけれど戦時中は、お前さんたち全員、同じように気が狂っていたんだよ」と言いたかったのだろう。

たしかに太平洋戦争の敗戦は悲惨なものであったが、人々は「遥拝隊長」を鑑賞し、やがて自ら気付き、「参ったなぁ」と頭を掻きながら苦笑するだけの精神的潜在力はまだ残していたと思う。

しかるに僥倖と奇跡が重なって万一、フクシマが一応の収束を向かえたとき、我々は第二の井伏鱒二が描く「除染」「絆」「食べて応援」の馬鹿々々しさに声をあげて笑えるであろうか。皆にそれだけの精神的余裕が残っているであろうか。私には、甚だ心もとないように思えるのだ。

「(浜岡原発の敷地の写真を示し)こんなペラペラの堤防で福島に来たような津波が防げるわけないでしょう。」(講演)

小野氏にこう指摘されてみれば、まったくその通りなのだが、これがテレビなり新聞なりを間に挟んで、潤色した数字や解説を加えられると当たり前のことが当たり前でなくなってしまうのが私を含めた凡人の弱いところである。上手に加工された情報は事実をも、たやすく捻じ曲げてしまうものだと痛感する。しかし自力で情報を入手して自分の頭で考えるのは一般人にとっては、なかなかしんどい。

「(浜岡原発の断面図のフリップを見せながら)ここに堤防を造るっていったって、(浜岡原発は)海の中にある取水塔と取水口が海底で繋がっているんですよ。津波が来れば一〇分も二〇分も水位が高くなるんだから、こっち側にもサイホンの原理で海水が溢れてくるに決まってるじゃないですか。」(講演)

 このような構造になっているのは、浜岡原発だけなのであろうか。他もそうならば大変なことだ。何はともあれ一五メートルもある巨大堤防が建設されて原発が再稼動される前に、こういう当たり前のことが小野氏によって指摘されたことに胸をなでおろす。硬直した官僚組織が大きなプロジェクトを行うと、しばしば呆気に取られるような見落としや初歩的なポカが生じて完成後にどうにもならなくなることがある。途中で誤っていることに気付いても絶対に改めない。

堤防から連想が働いたのだが、私はその昔、開高健氏のエッセイの中にあった笑うに笑えない残酷物語を思い出した。「ずばり東京」というルポルタージュ集で読んだような気がしたので古書を取り寄せて再読してみたものの見当たらず、記憶だけで書くゆえ、多少の間違いはあるかもしれない。

昭和三〇年代初め、東京都が江東区だかのゼロメートル地帯に高潮にそなえての防潮堤を建設する計画をたてて、その外側の住民には代替地を用意したうえで全員を移転させたことがあった。やがて防潮堤が完成し、竣工式のその日に、ひょいと誰かが堤防の外を見やると、信じがたいことに、まだ移転せずに普段の生活を続けている家が数戸残っていたそうである。何かの手違いでそうなったのか、うっかり見落とされたのか、とにかくこの数戸の住人には移転の話が来ていなかったのだ。

大慌てで対策が協議されたが、この年の予算はすでに遣い切ってしまっていたから移転に充てる費用は来年度まで待たなければならない。

そこで、その数戸の住民たちには警戒警報が出たら身の回りのものを持って、水門が閉まるまでの間に走って堤防の外に避難させることにした。

驚くべきことに実際に予行練習が行われ、住民たちにサイレンが鳴ったら堤防まで駆けてもらい、それを都の職員がストップウォッチで計ったところ、ぎりぎりで何とか閉門に間に合いそうなので一件落着、めでたしめでたしとなったそうである。やはり人間、変われば変わるほど変わらない、ということか。

「宮城にも沢山降っているはずなのにデータを出さないんですよ。計器が一年壊れていたって言っているけど(スライドを示して)これはただの金(かな)盥(だらい)ですよ。こんなものが一年間壊れたまんまなんてウソに決まってるでしょ。データを出せない(くらい放射能が降っていた)んですよ」(講演)

「私、宮城が一番(健康)被害が出るんじゃないかと思うんです」(講演)

 この引用をエピローグとしてもってきたのは他でもない。「金(かな)盥(だらい)」という少し古風な言葉で聴衆を笑いに誘いつつ、小野氏が、小声であっさりと述べた宮城県の健康被害の予測(予想)が鮮やかに的中するような気がして仕方がないからである。氏の講演やブログを繰り返しみていると、この短い予測が実に様々な要素を緻密かつロジカルに組み立てて出されていることが分かる。難しい用語や理屈をつかって、その場だけは、もっともらしく聞こえるが絶対に当たらないイカサマ予想とは断然、異なるものなのだ。どのみち、その予測が本物であるか、否かは歳月が必ずこれを証明する。

予測や予想が的中することは本来、めでたいことである。小さいところでは競馬の万馬券から、株式相場の騰落、さらに大きいところでは戦争の勝敗あるいは世界情勢に至るまで予想が当たるということは必然的に大きな利益ないしは予想した者への賞賛を齎してきた。

 しかし、この小野氏の予測はたとえ当たったとしても氏に何らの利益も与えはしない。賞賛や喝采もなく、反対に中傷や組織的な妨害が待っている可能性が高い。そんなことには毛ほども頓着せずに、ほぼ毎日、ブログを更新し、各地の講演を精力的にこなしてゆく小野氏の姿を何と観ずるべきか。私も形容するに言葉なく粛然として、これを見つづけるのみである。小野俊一というのは、あるいは現代日本の偉観とも本邦最後の良心とも称すべき存在なのである。
                                 了

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posted by いんちょう at 15:08| Comment(1) | 原子力
この記事へのコメント
竹野内真理さんへ 私には西村氏の死が殺人か否かは分かりません。 しかし、仮に西村氏の死亡が殺人によるものだとしても原子力をストップする力には為らないと思います。これは他の公共事業で考えてみれば解ると思います。
仮に鉄道建設の推進派と反対派がいたとしましょうそして鉄道建設の推進派の人間が反対派の人間を殺害したとします。殺害した人間が警察に捕まり裁判で有罪に為ってもだから鉄道建設の終わりには為らないでしょうまして中央線や山手線が止まる事もあり得ません。
私は放射能汚染は除染が出来ない全ての生物の遺伝子に有害である事を周知していく事が原子力撤退の王道だと思います。 偉そうですいませんがまん顔あせあせ(飛び散る汗)バッド(下向き矢印)
Posted by ホールインワン at 2013年10月28日 20:58
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