2013年12月26日

原爆投下一ヶ月後の入市でも現れた急性放射線障害 病理医−杉原芳夫医師の手記(1)

原爆、放射能の健康被害で一番おそろしいのは、残留放射能による内部被曝のはず。ところが、内部被曝を隠す論調に、反核のリーダー格とされている人間たちもまた同意しています。最初は不思議だったのですが、これは「職業的」反核運動をするためのバーター取引として、無視しているのではないかと思うようになりました。
 この内部被曝による健康問題の、行き先がフクシマ。内部被曝を認めてしまうと、核兵器自体が使えなくなりますから、世界中の政治権力に齟齬を来すことになります。米国や国連に、フクシマの被曝被害を救済してくださいと陳情することが、いかに愚かなことであるか、もうソロソロ気がつくべきではないかと思います。盗人に、盗人を逮捕するように頼むようなものです。

にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ   内部被曝−残留放射能−については、もう50年以上前から議論が起きています。
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http://onodekita.sblo.jp/article/79134668.html
残存放射能を無視し続けるABCC 1970年 週間朝日
(今なら、わざと残留放射線 と書きそうですが、この当時はしっかりと書いています)

ABCCの内部被曝隠蔽工作は今までも何度もブログ記事に取り上げてきました。
フクシマが安全という知見は我々にはない−放影研が公式に認める(知られざる放射線研究機関 ABCC/放影研)
【NHKスペシャル】見過ごされた被爆〜残留放射線 63年目の真実〜 登場人物にみる論功報奨

 また、投下一ヶ月後の原爆被害についても紹介しています。
あの大異変の中で負傷しなかった人びとが、原爆病としか表現しえない何ものかのために死んでいく-広島todayから

 また、あらたに別の方の手記が見つかりましたので、ご報告します。

「この世界の片隅で」 山代巴著 岩波新書(絶版)
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病理学者の怒り・・・杉原芳夫 p.87-
 広島市白島にある焼けただれた逓信病院の庭の掘立小屋が、岡山医科大学学生救援隊の一員としてやってきた私の働き場所でした。そこでの仕事は広島医学専門学校の玉川忠太教授がやっていた病理解剖を手伝うことでした。


2013122602.jpg玉川 忠太 教授(昭和20年6月〜昭和36年3月)
玉川忠太は明治30年9月3日神戸に生まれ、神戸二中を経て、大正9年岡山医学専門学校を卒業、病理学教室に入り、田村於兎に師事した。
助手・講師を経て昭和15年岡山医科大学助教授に昇任、この間家鶏肉腫、カシンベック病などの研究のほか、主として田部浩とともに日本脳炎、殊にその胞隔性肺炎に関して業績をあげた。
昭和20年広島医学専門学校の創立とともに教授となり、昭和36年3月まで広島大学に在任、退官後名誉教授、昭和45年10月31日心不全のため逝去した。
被爆後いちはやく原爆症の病理学的研究に着手、殊にその脳病変、皮膚の変化、ケロイドなどについて重要な業績を残した。
玉川忠太は、独特な人間的風格を備え、学生・後進の敬愛を集め、大学の運営に貢献するところ多く、医学部図書分館長等を歴任した。逝去にあたり、正四位に叙し、勲三等瑞宝章を授けられた。
(昭和45年10月31日逝去)


逓信病院が出てきました。ここは、ヒロシマ日記を書かれた蜂谷道彦医師がおられた有名な病院です。著作の中から該当箇所を探してみましょう。

8月27日 
(前略) p.164
 夜遅く玄関口の方で大きな声がして、兵隊靴の音が二階へ上がってきた。広島医科大学の玉川教授の来訪だ。私は聞きつけた声で玉川先生と直感した。玉川先生は岡山医科大学の大先輩で至極懇意で学生時代から十数年口角力の好敵手だった

まさしく、玉川先生。岡山医科大学までぴったりと合います。
玉川先生−大正9年(1920年)岡山医科大学卒、
蜂屋先生−昭和9年(1929年)岡山医科大学卒

8月28日
 玉川先生のために病理解剖室を作らねばならぬ。
 ピカ直後、兵隊に建ててもらった便所脇のバラックを改装して解剖室とする以外に場所がない、おそるおそる玉川先生をバラックに案内すると
 ここで大丈夫だ
と快く了解してもらえた。早速、壁の板を外して窓を作り、その板で腰掛けや解剖台を作り、真理の探究施設としてはあまりにも粗末であるが、珍無類な研究室を作ることとした。


残念ながら、杉原先生の名前は出てきませんが、学生さんが手伝っていたことは書かれています。ホンモノの情報は、このように細かいところが一致します。
 一九四五年九月二十日、黒くすすけ、ガランとした逓信病院の病室で、折り重なるようにあふれでいた被爆者の一人から八ヵ月の早産児が誕生しました。だがそのような児が生き長らえる条件は全くありません。解剖は夜の九時過ぎに終りましたが、翌朝、三十九歳になる衰弱しきったその母親もまた、解剖室へ運ばれてきました。戸口までついてきた夫は、眼にいっぱい涙を溜めながら、小学校三年ぐらいの男の子に「さあ、お母ちゃんにさようならをしなさい」と言って子供に合掌させ、自らも深く頭を垂れて手を合わすのでした。
 そのとき私は、との姿を一生忘れてはならない、と自らの心に強く言い聞かせました。目に見えぬ敵への、素朴な憎しみを押えきれなかったのです。
病理解剖のないときは同級生とともに、入院や外来の被爆者の、主に血液検査をしていました。あるとき私の前に立った婦人の白血球は2500以下におちていました。その蒼白な顔には点々と小出血斑が見られました。
「休をできるだけ安静にして、なるべく肉や魚、それに新鮮な野菜と果物をたっぷり食べねばいけません」
「そんなこ とを言われでも、私が働かなかったら、誰がいったい子供たちに食べさせてやるのですか」
小さいが怒ったような声に、私は黙り込みました。こ のまま働いていては、あなたはだめになりますよ、という警告がどうしても言い出せなかったのです。
広島での三週間、組末な食事と過重な労働にかなり苦しみましたが、的な重荷を背負ったようです。

 台風で不通になった鉄道線路を、たくさんの復員兵と一絡に歩きながら、九月二十九日の午後、やっと岡山に帰ったのですが、その夜、ひどい全身倦怠が続いて四十一度の高熱と、経験したこともない激しい咽頭痛に襲われ、文字どおり輯転反側して一夜を明かしました。その異常な苦しさに、私はピカドンにやられたと直感しました。広島での被爆者調査カードには、咽頭痛の有無が放射線障害の重要な一指標になっていたのですから。
あとで分ったのですが、私とともに病理解剖の助手を勤めた親友の藤井俊一君は、私より一週間前に帰ったのに、岡山駅から自宅までの路上で意識不明に陥ったそうです。さいわい知人の手で家へ運び込まれたのですが、それからの一ヵ月聞は激しい下痢のため骨と皮ばかりに痩せてしまい、深い重症感に襲われ、何度も死を覚悟したとのととです。
 私どもは爆発後四十日以上も経って広島に入ったのですから、そとには理論的にほとんど残留放射線は残っていないはずですし、たとえあっても人体に放射線障害をひきおとすほど大量の線量を浴びたとは想像もできないのに、たしかに放射線障害を起したのです。そこですぐ私は、広島で教えられたとおり、安静と高蛋白食餌療法を実行するために、渥美半島(愛知川川)の郷里へ帰り、一ヵ月間静養に努めました。この体験は、広島での残留放射線の脅威を強く私の心に焼きつけました。

どうでしょうか。この記述だけでも、残留放射能による被曝の恐ろしさが伝わってくるではありませんか。「科学的」には証明されていないと言ったところで、事実は隠せません。とある火山の先生は、今頃「3号機の爆発は単なる爆発で放射能は出ていなかった」、「チェルノブイリの本を読んだが、すべて放射能恐怖症と呼ぶべき物だった」と発言しています。まあ、ご自身も「放射能恐怖症」にかかることでしょう。被害を及ぼすほどの被曝はなかったと言われているのですから。

 311以降、初めて被曝被害についていろいろと勉強しています。最初は何のことかわからなかった言葉も、あたかも縦糸と横糸が織りなすように調べれば調べるほど、いろいろな事柄がつながってきます。私の分析を信じる必要は全くありませんが、ご自分でいろいろな本を読んでみてください。そうすることで何が真実かは明らかになると思います。

「真実は時の娘」なのです。

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posted by いんちょう at 21:02| Comment(17) | 原子力
この記事へのコメント
フクシマの原子力災害が始まってから、私もチェルノブイリ原発事故について書かれた本を何冊か読みましたが、放射能恐怖症などという言葉が現地で通用していたのは3年目ぐらいまでのようですね。4年目以降は、現地の人々には通用しない言葉になったようです。家族や友人など周囲の人たちがバタバタと倒れていって、おかしいと思わない人などいる訳がないと思います。チェルノブイリの強制避難地域の4倍の汚染値まで住民が普通に暮らしている日本で、健康被害が出ないなどという事は考えられません。いくら日本人がカネに毒されているとしても、本格的に健康被害の実態が広がり、家族や友人などが次々に倒れだした時には、全ての人が向き合わざるおえない問題だということを認識する事になるのでしょう。ただ、その時はもう手遅、後の祭りですね。

話は変わりますが、最近ラドンしんちゃんたちが韓国軍に銃弾をプレゼントしたり、憲法解釈変更で集団的自衛権(アメリカと共同で戦争を遂行する権利)の行使を認めるなどと公言したりしていますが、誰が戦争に行くと思っているのでしょうか。原発事故前のベラルーシ(白ロシア共和国)では、8割以上の人が徴兵検査で合格していたのに、今では3割程度しか合格しないそうです。病人では兵士として役にたちません。それでも、ラドンしんちゃんやキャンディーズしげるは「ストレスなんか徴兵免除の対象になる訳ないだろう。大和魂で闘うんだ。徴兵拒否は死刑だ」などと言いそうですね。なんで、こんな狂った連中が国の中枢にいるのでしょうか。日本国民は本当に可哀相な国民です。
Posted by 肝澤幅一 at 2013年12月26日 22:26
戦争なんか起きませんよ。
そもそも東京オリンピックを招致して、一方で戦争?
戦争が起きてヒートアップしたら、東京オリンピックは完全に消えてなくなるじゃないですか。
Posted by Cipher at 2013年12月26日 23:36
先生、こんばんは。
貴重な発信をありがとうございます。

>ホンモノの情報は、このように細かいところが一致します。

・・・・ああ、これ、ほんとうにほんとうにそうだよなあと深く頷きました。
そうなんです。本当の情報はいつもツジツマが合うし、突き詰めれば突き詰めるほど見事につながってくるのですよね。

レイモンド・ブリッグズ著『風が吹くとき』を思い出しました。
「核」のことを扱った本(絵本)なのですが、主人公の人の良さそうなご主人(高齢)が、政府の手引き書(戦争、攻撃や爆弾から身を守るための手引き書)をたんねんに読んで、「ぬかりなくやらなくちゃあ!」と言いながら、室内に防空壕?というかドアでついたてを作るのですが、←傾きが60度という指示があるので分度器を買いに行く。でも売り切れ。 しかし政府の書いてある内容と、自治体の書いている内容が違っていて(白は安全、かたや白はダメと書いてあるなど、または、ドアは防御のついたてに使ってしまっているのに、ドアは閉めましょうと書いてある等)
主人公「あれ?どっちが正しいんだろう」と一瞬悩むのですが、すぐにそれはなかったことにして、次に取りかかる。

そして爆弾が落とされて、夫婦とも弱っていくのですが、ご主人「大丈夫さ!悲惨なところから順番に救世軍が助けているのさ。もうじきここにもくるよ!」
奥さんはもう「・・・・・」返す言葉がないのでしょう。
最後の最後まで国を信じる高齢のご夫婦(信じているのはおじいさんの方だけですが)の物語。

私は最近、図書館で予約して借りて読んだのですが、手元に置いておきたいので買おうと思っています。

長々とすみませんでした。
でもおすすめの本です。
Posted by りえ at 2013年12月27日 01:43
「放射能恐怖症」で思い出しました。
私は10数年前、引っ越し先の住居で44日間もガスを吸ってしまったんです。工事ミスで室外からのガス管と室内のガス管が壁の中ではずれていたことで、ガスが建物の内部に常時漏れ続け、壁や床の隙間から室内に漏れ出していたことが原因でした。猛烈な頭痛、痩せてくる、顔が小さくなり土色になってくる。転びやすくまっすぐ歩けなくなり、簡単な計算もできなくなりました。

試しに床にガス探知機を置いたら、途端に赤色ランプが点滅し警報が鳴り、初めてガス漏れだとわかりました。ガス会社の対応のひどさ怖さも半端ではなかったのですが、医者の対応には恐怖を覚えました。
検査結果のひどさを見て「信じられない。計器が壊れているかもしれないからもう一度検査を」と。その結果も同じとわかって「明らかにガスだ。大変だ」とあわてていた医者が、次の日には「あなたをもうここで診ることはできない」と診察拒否。4軒の病院すべてそうでした。最後にたどりついた東京の大学病院では「将来、脳に影響が出るかもしれないけど、そのときは老化による認知症と区別がつかなくり、ガス事故のせいという証明はできない。命があっただけよかったと思いなさい」と。

ガス会社はもちろん、どの医者も言うことはみな同じでした。
「気のせいです」「ガス漏れで神経過敏になっただけ」「世の中には事故にかこつけてお金を欲しがる人がいるからねえ」

記憶力は減退し、頭痛・頭重・頭鳴持ちになり今日に至っています。お金よりなにより、加害者は原因を認めて謝罪してほしかったし、医者は圧力に屈せず、また「気のせい」などと侮辱するのではなく、患者の症状のみと向き合っていただきたかった。
呼吸がうまくできなくて、酸素のタンク入りを指示していた医者が翌日には診察拒否でしたから、仕方なく自分で購入した登山用酸素ボンベでしのいでいました。それすらも別の医者から「勝手にそんなことするもんではない。酸素の一滴は猛毒だよ」といわれたけど、素人の私を誰も助けてくれなかったじゃないかと、猛烈腹が立ちました。でも放射能被害を見ていて、加害者や医者は今も全く変わらないんだと思いました。

Posted by 駿河湾 at 2013年12月27日 11:55
広島原爆投下後に降ってきたのは黒い雨、福島原発事故のあと降ってきたのは銀の雪のようです。米原子力空母ロナルド・レーガンの乗組員で東電告訴団の一人クーパーさんの供述によると、救援物資の調達作業などで甲板にいたところ、福島沿岸の方向から明らかに肌で感じることのできる暖かい空気が押し寄せてきて、突然「アルミニウムの匂い」の雪が降り出したといいます。雪の中にはキラキラしたものが混じっており、彼女は面白くて写真さえ撮ったといいます。甲板で掃除しているのが放射性プルームが上空の寒気とぶつかってできた銀の雪。

Navy sailors have radiation sickness after Japan rescue
http://nypost.com/2013/12/22/70-navy-sailors-left-sickened-by-radiation-after-japan-rescue/

玉川教授の本のなかで倒れた親友が「一ヵ月聞は激しい下痢のため骨と皮ばかりに痩せてしまい、深い重症感に襲われ、何度も死を覚悟した」というくだりがあります。クーパーさんは最初の一ヶ月間で30キロ近く痩せたといい、他の乗組員たちの中には当初空母内の通路で「おもらし」をしてしまう者もいたくらいひどい下痢に襲われていたといいます。アニメ作家の草刈さんが事故後約一週間後にいわき市を訪れた直後にツイッターに「おなかが痛い」とさかんに書き込んでいたのも多分ひどい下痢症状だったのでは。

色も形も無い放射能の恐怖は続きます。他のインタビューによると、甲板にいたある女性のデジタル腕時計が止まっていることがわかると、仲間のひとりが放射能のせいだと言ったので最初は冗談だと笑っていたそう。ところがまわりにいた仲間4,5人のデジタル時計も止まっていることが発覚したとたん、彼らの顔から笑いが失せたといいます。

またヘリコプターや飛行機の除染作業を命じられていたクルーによると、ひどく放射能汚染されたエンジンは機能上の問題が生じる恐れがあるので取替えなくてはならないことになっているそうですが、彼はなんと16ものエンジンを取り替えたといい、これは勿論異常極まる事態。デジタル時計やエンジンの話を読んで改めてガンマ線やベータ線の透過率の図が頭に浮かんできました。

この巨大な空母内は核シェルターのように密閉構造ではなく、空母内にいたところで外部からの汚染から完全に身を守ることなど到底無理。唯一できることは場外部からの行き来に使う通路を制限することくらいで、被爆後日本を含め韓国やタイなど近隣諸国への寄航を要請したものの、どの国でも断られ、結局約2ヶ月半このような状態で海洋に浮かんでいたと言います。あるジャーナリストはロナルド・レーガンを ”floating catacomb(海に浮かぶ地下墓場)” と呼んだくらいです。

こんなものが太平洋に降り注いだり漏れたりしたのですから、海洋で異変が起きないわけがない。北米大陸西海岸でおきている様々な自然界の異変、海洋哺乳類の病気や衰弱、個体数の激変、ひとでの大量死などは以前コメント欄でご紹介しましたが、最近はイカの大量死。カリフォルニアの海岸に打ち付けられているのは大量のイカの死骸です。

イカの大量死(カリフォルニア州サンタクルーズの海岸)
http://sanfrancisco.cbslocal.com/2012/12/11/hundreds-of-squid-wash-ashore-along-santa-cruz-county-beaches/

PM2.5で日本が批判している中国でさえ、現在アメリカ西海岸からの甲殻類の輸入を一切禁止するという前代未聞の事態になっています。食文化の盛んな中国ではこれらの海産物で生計を立てている人々も多いことからすれば、中国政府の放射能への危機感の強さが察せられます。

院長先生の2012年12月27日のブログ記事にあるように、本来ならば作戦行動を指揮している米国政府を訴えるべきなのですが、米国政府(というか日本政府にさえ)東電が正しい事実を伝えなかったということと、東電はワシントンDCに東京に次ぐ大きなオフィスを持っており、米国内でれっきとした商売をしている会社ということになっているので東電告訴に至ったということです。東電はいったいアメリカやロンドンで何をしているのか。

多額の税金が注入されたもののその使い方も基本的に東電任せであり、営利追求企業に真に国民や環境を救おうという使命感があるのか海外メディアは懐疑的です。しかも石破茂は東電株を大量に購入し相当な含み損を抱え、娘は東電社員なのだそうですね。外国人の間では「日本人はプライドが高い」とよく言われますが、その前によく枕詞がつくのです。

それは・・・・・・「馬鹿なほど」。

Posted by アムステルダム at 2013年12月27日 12:57
ここ数日の新潟日報の原発関連記事は、正月休みに入り次第、皆様に紹介したいと思います。

なのですが、アムステルダムさんのコメントを読んだので、これだけは、時間の関係で見出しだけですが、紹介しておきたい記事が。

12月26日付新潟日報朝刊より

●国民負担で東電救済
 再建計画 柏崎再稼動が前提

要するに、東電救済(再建)に我々の金、税金を投入すると。
しかし、自分達を地獄に追い込む輩を助ける為に、自分達が金を出す破目になるとは。
これまで好き放題やった挙句、とんでもない事をしでかして世間に多大な迷惑をかけようと、結局国が国民の金で助けてくれるのですから。電力会社も笑いが止まらないでしょうなぁ。
文字通りシャレになりません。
Posted by 新潟県民 at 2013年12月27日 13:24
追記です。

レイモンド・ブリッグズは『さむがりやのサンタ』 『スノーマン』の著者でもあります。
『さむがりやのサンタ』は日本語訳の素晴らしさが際立っていて大好きな絵本です。
他には『エセルとアーネスト』という本もあり、これはR・ブリッグズの両親の物語です。
R・ブリッグズは国家の存在(と人間の幸福)を深く考えていたのではないかなと感じます。
どれもおすすめの本です。

ガス漏れの被害に遭われたかたのコメント、拝読致しました。書き込みに感謝します。
ガス会社も実は(やっぱり)、国家権力なんだと改めて気付きました。
そして、医者という存在も。
人の健康や命を守る職業というよりは、国家の存続(現体制)を守る、その枠内での職業なんだなと。
改めてそう気付きました。
小野先生のようなお医者さんが増えて欲しいです。

駿河湾さんの回復と幸福を本当に心から願っています。


Posted by りえ at 2013年12月27日 13:34
あと、Cipherさんのコメントに同意します。
ただ、中韓との適度な緊張状態は維持するというか、この先中韓と融和ムードが進むような事があれば、あえてそれ以前の状態に立ち戻るよう、何らかのイベントを日本政府は仕掛けるでしょうね。
国民の政府への不満を逸らせるには、仮想敵を作り、煽り、そちらに目を向けさせる、というのは昔からあるやり方ですし。それに、今後軍需産業を興隆させるには、そのような状態が続くのが望ましいでしようし。
そしてアメリカも、日中韓の間で適度な緊張状態が続くのを望んでいる様な節もありますしね。
Posted by 新潟県民 at 2013年12月27日 13:36
千葉からいろんなものを、失いながら西に移住しました。残留放射能の恐ろしさはわかりましたが、福島と広島、長崎の残留放射能は、量や核種が違うから、まだ、福島ではわからないのでしょうか。東京を含め、皆がパニックになるほどの隠しきれない健康被害がこれから、出てくるのでしょうか。
Posted by ななこ at 2013年12月27日 17:24
ななこさん

私も東京から西日本に引っ越しました。
私は元々西日本の人間なので地元に帰ったということなのですが、それでも生活基盤は東京でしたし夫にも理解を得て共にこっちで仕事探しました。
私の首都圏の友達や知り合いで健康な人を見つける方が少ないです。
原発事故前は皆元気で滅多に体調不良になることはありませんでしたが、今は慢性的に体調不良の人が多いですよ。
治らなくて病院通いする人もいます。
ちょっと前まで元気いっぱいだった人が、最近傷の治りが遅くなった。周りの人達も同じ事言ってるんだよねとぼやいてる知り合いもいます。
慢性の下痢だとか年のせいだ(30代です)とか
色々言ってますね。被曝が原因かもと思っている人も中にはいますが大半は考えもしてないです。
彼らが気付くのかは疑問ですが。
ただ首都圏は人口が多いのでバタバタ倒れるということはないのでは。自分の周りでおかしなことが起こって何か気付く人もいるかもしれませんが。
Posted by ゆうこ at 2013年12月28日 13:34
Cipherさん
>>{そもそも東京オリンピックを招致して、一方で戦争?
戦争が起きてヒートアップしたら、東京オリンピックは完全に消えてなくなるじゃないですか。}

中止された1940年の東京五輪の皮肉でしょうか・・
Posted by N1 at 2013年12月28日 15:43
院長先生、いつも詳細記事有り難うございます。

上記コメントにも有りますが・・

1923年(大正12年)関東大震災
1929年〜(昭和4年〜)世界大恐慌
1930年〜(昭和5年〜)昭和大恐慌
1937年〜(昭和12年〜)日中戦争1939年〜(昭和14年〜)第二次世界大戦
1940年(昭和15年)幻の東京京オ
リンピック
1941年(昭和16年)治安維持法
1941年〜(昭和16年〜)太平洋戦争

〈現在〉
2011年(平成23年)東日本大震災
2013年(平成25年)特定秘密保護法案
2020年??東京オリンピック

外務省:外交資料Q&A
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/senzen_04.html

特定秘密保護法案はナチスの‥
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11717649943.html


沖縄県の仲井真知事(=沖縄の恥)が、意味不明の二枚舌、三枚…舌(=茶番劇)にて辺野古埋め立て(=基地拡大移転)承認をしました。
オリンピック(=放射能被害隠蔽)、アベノミクス・カジノ誘致(=金融緩和)、辺野古承認(=米軍基地拡大)、早急な悪法(=NSC・特定秘密保護法案他)成立・・と、全てが「リンク」している様に思います。

今後、共謀罪、TPP、消費増税を含めての大増税、膨大な東電への血税投入・・
本当に、この国は何処に向かっているのかと非常に危惧しています。

中央情報局-Wikipedia
太平洋戦争-Wikipedia


何故か、URL貼り付けが出来ません
(よろしければ、ご検索を)。



Posted by 思考 at 2013年12月29日 02:33
 



フクシマって、何県ですか?

Posted by トーナス at 2013年12月30日 13:22
トーナスさん

私は広島県出身だけれど、ヒロシマと表記されることに抵抗はありません。
原爆が落とされたことに関して、長崎県と広島県は、ナガサキ・ヒロシマと以前から書かれていました。

フクシマも、原発事故があったということで、マスコミの誰かがカタカナ表記を始めました。
小野先生がカタカナ表記を始められたわけではありません。
文句があるなら、初めてフクシマと表記した人を貴方が探し出して、その人に苦情を言って下さい。

小野先生のブログや役立つコメントを見る為に新たな更新がないか、毎日のようにチェックしている人も多いと思います。
貴方のコメントは読むのが無駄ですし、多くの人の役に立たないので、自分でブログを立ち上げて下さいませんか。


Posted by トーナスさんへ at 2014年01月01日 14:57
「内部被曝による健康問題の行き先がフクシマ」、「フクシマの被曝被害」という言葉が出てくることについて、そのような地名の場所が日本のどこにあるのか、あるいは外国の話なのか、はっきりと示していただかないと分からないので、お尋ねしているのです。
Posted by トーナス at 2014年01月02日 12:19
後記事のコメントで「フクシマ」という言葉を使ったので、僭越ながら、説明させていただきます。

2011年3月11日に起きた東北太平洋沖地震により、日本の福島県にある福島第一原子力発電所が起こした、国際基準レベル7の過酷事故となった放射能漏れ災害。(ただし、災害の及ぶ範囲は福島県内とは限らない)

使う人により微妙に違うと思いますが、上記の意味で私は使いました。
私は地名として「フクシマ」を使うことはありません。
Posted by emoto55 at 2014年01月04日 10:55
追加です。
「福島第一原子力発電所」の前に「東京電力」を入れるのを忘れていました。
重要な言葉を抜かしてしまい、失礼しました。
Posted by emoto55 at 2014年01月04日 23:05
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