2013年12月29日

「胃ガンなぞを認定していたら金がなんぼあっても足らんよ」 杉原芳夫医師の手記(4)

 原爆症−被曝症状とはなにか。ヒロシマ、ナガサキでは、被爆者の切り捨てに利用され、いままた福島でも被爆者の切り捨てに利用されています。
その言葉はすべて同じ、「××という科学的根拠はない」。科学的根拠がなければ、被曝症とは認めない。それが国の一貫した姿勢です。そして、その科学的根拠とはABCCをよりどころにした、まるで「放射能安全教」ともいうべき宗教と化しています。その教祖はもちろん米国を中心とする核保有国、そして無辜の一般市民を多数被曝させられた日本がその手下となって日本中を洗脳しようとしているわけです。

にほんブログ村 環境ブログ 原発・放射能へ  増補 放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで― [単行本]中川 保雄 (著)

原子力産業は経済的な遅れにつけ込んで、札びらで頬をたたいて、、現地の住民に被曝のリスクを受忍せよと迫る。それらの人びとに被曝を強制した上に、被害が表れると、自分たちで過小評価しておいた放射線のリスク評価を用いて、「科学的」には因果関係が証明されないからその被害は原発の放射能が原因ではない、と被害を切り捨てる。


まさしく、今政府が日本国民に対して行っていることです。まあ、もっとも今回ばかりは切り捨てている日本国民の一人に、政府の役人も当然入っていますので、いわゆる自業自得なわけですが・・

昨日と同じ、「この世界の片隅で」 山代巴著 岩波新書(絶版)

p.92-
 第一回世界大会以後、急速に盛上った原爆症に対する国民的怒りと、被爆者の切実な訴えは、とのような学者たちの研究結果を、はるかに上廻るばかりか、ときには学問的成果さえ打砕くほど強烈でしかも広範なものでした。一九五七年三月、原爆医療法が制定されたのは、このような高まる国民の声に押されたもので、被爆者救援運動の一つの成果と言えましょう。
 しかしその内容は、被爆者の年二回おこなわれる無料の簡単な検査と、原爆放射線に基因したと認定される疾患の医療給付とを、保証しているにすぎないものでした。
 この法律の欠陥はすぐに暴露しました。誰も仕事を休んでまで、遠方にある指定の検査機聞に出向く者はおりません。また、放射線によって、どんな病気が発生するかもわからない現状で、どの病気を原爆症と認定するかは、専門家からなる医療審議会の委員がきめるととになりましたが、神様でもない医者が、わけのわからない原爆症をとにかく決定するのですから、その結果はいとも奇妙なことになりました。認定されたものも、認定されなかったものも、その根拠を明示することは困難でした。
 私どもが解剖したHさんは、二十一歳のとき、爆心から了五キロのところにある鶴見橋の遮蔽のないところで被爆し、ひどい熱傷をうけました。悪心と恒吐が一週間つづいただけで元気になりましたが、それ以後ずっと無月経でした。一九五七年十一月下句から、食後に惑心と帳吐がおこりはじめ、翌五八年三月、広島大学病院で胃の全別手術をうけましたが、術後二十九日自に手術創の化膿が悪化して死亡しました。剖検所見では全身いたるととろの組織に、放射線照射による障害の遺残と考えられる小疲痕巣や萎縮巣が満ち、骨髄には芽細胞巣が認められました。
 Hさんは、三十二歳という若年者の胃ガンであり、しかもそれがピマン性の硬性ガンという形であったこと、生前ずっと無月経であったととなどを考慮すれば、胃ガンの原因の第一に原爆放射線をあげるととは、当然のととと思われるのですが、医療審議会は原爆症と認定しませんでした。
 彼女を原爆症と認定することにガンコに反対したと言われる某委員に、私はHさんの剖検所見を呈示しながら、その理由を問いただしましたが、その委員は「胃ガンなぞを認定していたら金がなんぼ(いくら)あっても足らんよ」と放言するのでした。すなわち彼の目は被爆者にではなくて、厚生省にそそがれていたのです。

 その頃、私は思いがけなく、広島女学院大学の庄野直美助教授から一通の手紙をうけとりました。その内容は、前年にあたる一九五六年十月、広島大学理学部の佐久間澄教授を中心に、広島原爆障害研究会をつくったとと、広島での残留放射線を推定する半理論半実験式を完成したので、それをもとに被爆者の総受線量を決定し、それと原爆症発生との相関関係を追求すること、そして私の参加を勧誘することなどが書いてありました。私が喜んで紅参加したととは言うまでもありません。私自身がかつて経験した残留放射線の脅威が、物理学者によって数量的に説明されるというのですから、興味を持ったのは当然でしょう。
 私が入会して間もなく、広島原爆障害研究会は、原爆症の実態を広く世界に知らせるために、英文の論文集を発刊するととになり、広島市原爆対策協議会の援助をえて、その仕事を始めました。
 『広島における原子爆弾の物理学的および医学的効果』と題する論文集は、一九五八年八月に出版されました。そとでの私の主たる役目は、原爆症とは何であるか、という定義を確立するととでした。
 原爆症とは、ちょうど腸チフスが腸チフス菌でおとることが証明されるように、原爆放射線が原因であることを証明されたものだけをさすべきだ、というのがABCCの主張でした。もしこれが正しければ、腸チフス菌が発見されたのは一八八0年ですから、それ以前には腸チフスという病気はなかったことになります。つまりこの主張は、現在の医学水準で因果関係のわからないものはすべて、原爆症と一言ってはいけないと断定しています。乙れはわからないものを、わからせようとするのではなく、わからないままにしておく非科学的な立場であると言えましょう。
 これに対して私は、原爆症とは、被爆者の体内に生じた病的変化をすべて創傷するものと仮定される、と定義づけました。これは不明な原爆症を解明するための必然的な立場なのです。
なぜならば、原爆放射線によってどんな病気がおこるのかわからないのですから、被爆者のすべての病的現象を、原爆放射線と関係があるものとして、治療、記録、調査および収集しなければ、原爆症を解明しょうがないからです。このととはまた、全被爆者を完全な医療保護下におくことを必要条件としていますので、被爆者の要求とも完全に合致しているわけです。
 従来のわが国の医療保障は、病気の原因が明らかで、本人の責任に負わせるととのできない場合のみに適用されてきました。原因と結果のわからないものは、すべて本人の責任で病気をなおすととが原則となっています。とんな原則をそのまま被爆者に適用すれば、赦射線障害という人類共通の脅威を、解明することなく放置する結果となりましょう。そこで政府は妥協して、医療a審議会に原爆症を認定させるという、姑息な手段をとったものと思われます。
しかしそんなことで、国民大衆の声を封じこめることはとうていできません。ついに一九六〇年八月、改正原爆医療法が成立しました。この法律では、爆心から二キロ以内を特別被爆者として、どんな病気でも無料で、一般疾病医療機関の診断治療がうけられるようになっています。被爆者の要求の前に、政府が一歩後退したととを、これは明らかに示しています。そして一部ではありますが、私たちの定義をうけいれています。


 今も昔も、被曝認定をするかどうかは、予算が足りるかどうかだけです。福島県をはじめとする汚染地域の人を全員避難させるには予算がとうてい足りませんから、政府が住んで安全。なにもかも「風評被害」と称するのは、まあ当たり前のことなのですよ。

◆関連ブログ
原爆投下一ヶ月後の入市でも現れた急性放射線障害 病理医−杉原芳夫医師の手記(1)2013年12月26日
原爆ケロイドを否定するABCC 病理医−杉原芳夫医師の手記(2)2013年12月27日
被曝後、わずか数ヶ月から白血病の発症が見られた 杉原芳夫医師の手記(3)2013年12月28日

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posted by いんちょう at 22:45| Comment(2) | 原子力
この記事へのコメント
見るたびにブログが充実してる
先生の地道な努力があってこそなんですね
Posted by n at 2013年12月29日 23:56
あけましておめでとうございます。
これからも宜しくお願いします。
フランス在住の者です。
原子力・代替エネルギー庁(フランス政府機関)
Le Commissariat à l'énergie atomique et aux énergies alternatives (Cea)
の福島の事故の世界の汚染状態載ってました。
http://www-physique-chimie.cea.fr/science-en-ligne/docs/chocs-avancees/avancees2012.pdf
Pdfファイルの22ぺージフランス語ですがグラフなどで理解できると思います。
Posted by キク at 2014年01月01日 03:05
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