
現在の「活躍」を見ますと、当時の彼を動かしていた原子力村に対する敵愾心は全く消え失せ、ミイラ取りがミイラになったかのようです。もっとも、彼自身「原子力戦争」の中で、「ジャーナリズムとは、ルールの決まった中でどれだけ暴れるかだ」といった趣旨の発言をしていますので、その理論に沿っただけなのかもしれません。
田原氏が35年前に執筆した原子力戦争は、311以降に再版されました。今、私が読みましても、なんの矛盾点もありません。筆致に力があり、ぐいぐいと人を引き込む力のある素晴らしいルポです。田原総一朗氏が超一流であることに誰も疑問を差し挟まないでしょう。
冒頭に出てくる有機性金属による中毒の研究で有名な教授が、「現在(昭和40年代前半)では有機性金属についての対策は完璧であって事故は絶対に生じない、だいたい公害なんてものは過去の未熟な時代の残渣なのだ」と言い切る場面が出てきます。有機金属を放射能に置き換えれば、現代でも立派に通用しますね。


ここで扱われているトラブルとは、起こるはずがない、あるはずがない燃料破損事故です。この映画が発表されたときは、眉唾物だったでしょうが、もうみんな知ってますね。
隠蔽されてきた原発破損燃料−破損燃料の実態は誰も知らない
破損燃料が大量に発生し、それを隠蔽し、しかしながら適切な処理ができない(4号機の燃料取り出しを見てもすぐにわかります)ため燃料プールに放置していたわけです。そして、それを殺人まで侵して、隠蔽しようとした原子力村。
「天網恢々疎にして漏らさず」
嘘で塗り固めた原子力神話の化けの皮が本当にはがれるのはいつになるのでしょうか。
■関連ブログ
小泉純一郎の脱原発講演2013年11月05日
隠蔽されてきた原発破損燃料−破損燃料の実態は誰も知らない2013年12月04日
映画の中の原発は福島第一原発でしょうか?
警備員がカメラを遮る様子がリアルだったので、無許可の突撃撮影なのかもしれないですね。
この時代からもう原子力発電所の危険性が指摘されていたのですね。燃料集合体の見取り図が少し出てきたので、「プロメテウスの罠2」の第7章のくだりを連想しました。定期点検時の制御棒を全て抜き、それは違反行為という話で、意味を全く理解できなかったのですが。
最後の方で学者が新聞記者野上に「中東から石油を8割輸入している。アラビア湾で何かあったら資源の乏しい日本は大変な事態になる」と言っていましたが、資源エネルギー庁の、原発再稼働ありきの「エネルギー基本計画に対する意見」にあったものとそっくりだったので少し笑ってしまいました。35年も前と同じこと言ってるんだぁ、、。と。
北海道新聞では、ロシアから電力を輸入する計画や、アジアスーパーグリッド構想という、モンゴル・ロシア・日本・東南アジアを送電網で結び電力を融通し合う計画を孫正義氏が発表した記事を載せているそうです。
電力が足りないから原発を再稼働しようとしている国は、そういった計画を一切無視しています。35年前の言い訳を、未だに使っているのです。
>「ジャーナリズムとは、ルールの決まった中でどれだけ暴れるかだ」
この文言に、思わず唸ってしまいました。
そのルールというのは体制側、既得権益側のルールなわけですから・・・・それじゃあ、イミない!!と思いました。
ほんとうにキチガイのように建設する予定だったのですね。
キチガイという言葉が本当にぴったりだと思いました。
彼らは日本を(日本だけの問題に留まらないですが)どうしたいんだろう、めちゃくちゃにしたいとしか思えません。
投稿原稿書いてます
ジャーナリズムとは、スノーデンのように国家が秘密にしていることを暴くことである。
>「ジャーナリズムとは、ルールの決まった中でどれだけ暴れるかだ」
この文言に、思わず唸ってしまいました。
そのルールというのは体制側、既得権益側のルールなわけですから・・・・それじゃあ、イミない!!と思いました。
全くその通り。
この田原という男、講演会では原発反対を叫んでいるようですがTVでは一切言わない。
池田信夫が「プルトニウムより水銀の方が危ない」なんて朝生で発言しても一切、突っ込まない。
ネットのニコニコ動画で山本太郎と二人で議論した時は「日本の総発電量の80%は原発だ」と公然と嘘を吐くー
ー原子力戦争なる本がゴーストライターに書かせたものでないのならば、そのぐらいの事が間違いだということぐらいわかるはず。
山本太郎が吃驚して否定すると「君は本当に勉強してないな。きちんと調べなさいっ!!」みたいなことを上から目線で叱責してました。
多分、ネット放送で視聴者が少ないと舐めていたことと、山本太郎が原発問題に取り組んで間もないから知識が無いだろうと思って、平然と嘘を言ったのでしょうー
ま、その程度のチンピラです。
僕は日本の民主主義と自由な報道を最前線に立って、完全に潰した最大の戦犯が田原総一郎であると思っています。
「ルールの決まった中でどれだけ暴れるかだ」というのも自分の行為を自己正当化する醜く汚い言い訳に過ぎません。
結局は立身出世と金儲けですよ。原子力戦争も、そのための踏み台でしょ。
映画のラストでは、翼さんがお姉さんの遺品のパラソルをさして歩いていきます。そのパラソルにはっとしました。燃料棒配置図を思い浮かべたからです。このパラソルは「核のかさ」を暗示しているのかと思いました。
翼さんは、暗いトンネルの中もパラソルをさして黙々と歩いていきます。トンネルの出口には光が見えていて、翼さんは光に向かって歩き、最後に光の中に歩み出します。パラソルは相変わらずさしたままです。
お姉さんの「望」さんが殺され、「翼」さんは(飛ぶことなく)ひたすら歩いていく。光に向かって歩き、光の中に出て行くけれど、パラソルはさしたまま。
このメタファーはなんなのだろうと考えて、「どんなにあがいても『核のかさ』から逃れることはできないのだよ」という絶望的なメッセージなのかと思いました。(「映画を見る人間を絶望させたいのか?!」と言いたくなります。)
光の中に出て行っても(つまり明るい将来へと踏み出しても)パラソルを捨てもしなければ閉じもしなかった翼さんは、「原子力の平和利用」の象徴なのかもしれません。
そう考えると、田原総一郎氏のご発言の数々と整合性が取れるのかもしれないと思いました。(この映画は、「皆さん、大人になって、現実と摺り合わせて生きて行きなさい。原発は廃止できませんよ」というお説教なのかもしれませんね。)