2014年02月26日

ヨウ素測定の重要性をわかっていながら、手をこまねいていた理化学研究所

 311が起きたとき、内部被曝については漠然とした知識しかありませんでした。ヒロシマ、ナガサキの被爆者達が長期に亘って苦しめられていたことも、スリーマイル、チェルノブイリで大きな被害が出て、今現在も苦しめられていたことも。そして、世界各地の核実験場で大きな健康被害が起きていることも、ほとんど知りませんでした。
 その時にあったのは、原発の知識とやめる原動力ともなった放射能の怖さくらいだったでしょうか。それからいろいろと勉強を初めて、おぼろげながらその実態がわかるようになってきました。調べれば調べるほど、その深い闇に気がつかされて、暗澹たる思いになります。

 311が起きたときに、十分な知識と、研究者と、装備をもっていた機関の一つが理化学研究所でしょう。一体彼らは何をしていたのか。随分と古いインタビューですが、余すところなくその様子を伝えてくれていました。

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理化学研究所と言えば、放射能による「遺伝的影響」は認められないという資料を作って説明していますから、立ち位置はすぐにわかります。

放射線を正しく理解するために 平成24年5月13日 ふじみ野市
理化学研究所 宮川眞言
2014022602.jpg2014022601.jpg
「遺伝的影響は、ハエ等の動物実験では、発生が確認されていますが、ヒトでは発生事例は確認されていません。」

 初めて見たときには何かの冗談だろうと思いましたが、どうやら現代日本では、この思考回路を「科学」と定義づけているようです。

東日本大震災における理化学研究所の活動総括
その時、わたしたちは。〜原発事故への対応〜として、当時の状況を白状しています。うまく誤魔化したつもりのようですが、あちこちでそのほころびが見えますので、紹介します。

出席者は、

上蓑義朋 仁科加速器研究センター 安全業務室長
羽場宏光 仁科加速器研究センター 応用研究開発室RI応用チーム・チームリーダー
和田道治 仁科加速器研究センター 実験開発室低速RIビーム生成装置開発チーム・チームリーダー

です。

正しい情報、知識を提供するという困難
――震災が起きた直後の対応は?

上蓑:最初に文部科学省から「サーベイメーター(放射線測定器)が不足している。用意してほしい」という要請があったのが、3月13日の日曜日でした。私は文部科学省・原子力規制室の技術参与に登録されていましたから、その関係でしょう。理研の中を駆け回って10台を急いで揃えました。
2014022604.jpg 最初はお渡しするだけの予定でしたが、その夜に「福島へ搬送してもらえないか」と依頼を受け、急きょ現地に向かったのが14日です。私自身、原子核工学出身ということもあり、あの福島第一原子力発電所の事故を知り、このまま埼玉にいて良いのかなと自問していました。特別な使命感という気負ったものではありませんが、お役に立てればと。緊急車両登録等を済ませ、安全管理部の若手スタッフとともに福島県庁に着いたのが夕方です。現地はやはり非常に混乱していましたね。依頼されたことはサーベイメーターの準備と搬送でしたが、放射線量の測定のために数日現地に残ることとなりました。


和田:核物理学を研究していますので、事故発生当初から「ここで自分が何かしなければ」という思いがありました。そんなとき、核物理学研究者のコミュニティーで、何かチームとして行動できないかということが話題となり、決定したのが大阪大学が中核となり理研が基地となって関東や中部、関西、九州の研究者を集めて被災地で支援を行うことでした。福島県の緊急対策本部からは、現地での被ばくスクリーニングの人員が足りないという情報が入っていましたから、そのための人材支援をすることとなりました。

当時、東北地方の鉄道は不通でしたし、自動車のガソリンも手に入りにくい状況だったのですが、私が車両手配等のロジスティクス、大阪大学のチームが人員のスケジューリングを担当しました。第一陣が出発したのが3月21日。これを5月末まで継続して行い、理研からは延べ102人が参加しています。

 朝日新聞のプロメテウスに出てきた白い服を着た男というのは、この人物の可能性もありますね。

――現地で測定をされて、いかがでしたか?

2014022605.jpg和田:福島県内の保健所や避難施設等で、住民や避難者の方に対して全身および一部甲状腺の緊急時スクリーニングを実施したところ、中には自衛隊に除染をお願いしなければならない程の汚染が着衣表面にあった方もいらっしゃいました
普段からある程度の放射線量下で仕事をしてるわけですが、さすがに驚きました。

しかし、実際に身体への影響等を冷静に計算してみるとひどく高い数字ではありませんでした。最も心配されていたのは甲状腺への蓄積でしたが、私たちの測定で基準値を有意に超えた方は一人もいませんでしたので、少し安心しましたね。


この表面汚染のひどさは、先日議員辞職を表明せざるをえなかった徳田毅氏のブログ(元々のブログは削除されています)にも記述されております。
そして及川副院長の話から驚愕の事実を知る。
3月12日の一度目の水素爆発の際、2q離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。
そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。
それは人から人へ二次被曝するほどの高い数値だ。
しかし、そこまで深刻な状況だったとは政府から発表されていない。

 理化学研究所の和田氏は、事実を述べながら、評価の点でウソをついています。この人物が10万CPMを越えることにどういう意味があるのか、理解できないはずはありません。

そもそも安全委員会は、13000CPMで100mSvに匹敵する被曝になると警告を発しているのですから。
2014022609.jpg
GMサーベイメータによる 13,000cpmはおよそ表面汚染密度40Bq/cm2に当たると思われますが、この数値がすべて内部被曝のヨウ素による物とすると、安定ヨウ素剤投与の基準値となる等価線量100mSvに相当します。よって、スクリーニングにおける基準値は、1000,000cpmまで挙げず、現行のまま13,000cpmに据え置いた方が良いと考えられます。

 和田氏には当然この知識があったはずです。10万CPMを越えるとなれば、あきらかに二次被曝します。それを問題ないと平然と話しているのですから、犯罪です。もはや。

初動、そして横の連携の重要性
――羽場さんは、土壌や空気中の放射性物質の測定をご担当されました。3月11日以降の活動をお聞かせください。

2014022607.jpg羽場:3月15日の午前10時頃、普段研究を行っている埼玉県・和光市の加速器施設で、研究者が作業を終えて放射線管理区域から出ようとすると、ハンドフットクロスモニタ(汚染検査器)に次々とひっかかる。また、施設周辺の放射線レベルを監視しているモニタリングポストにおいて、空間線量率が増大しているという情報も入ってきました。実際に降下物や空気をサンプリングして、ゲルマニウム検出器で測定したところ、福島第一原子力発電所の事故起源と考えられる放射性物質がはっきりと検出されました。これは大変だということで、その後も継続的に大気の放射能濃度を測定することにしました。当然、理研(和光市)だけで測定するのではなく、広域情報を集めるために学会のネットワークを活用し、全国の大学や研究機関と連携して、1年間測定を続けました。

これによって、放射性物質がどのように拡散したかの情報が得られました。我々のデータは既に学会や論文誌で発表しています。そして、もうひとつの取り組みが、文部科学省が6月3日にスタートさせた福島県とその近隣の土壌汚染や空間線量率のマップをつくるプロジェクトです。

私が所属する日本放射化学会や和田さんが所属する原子核談話会の研究者は、事故後早い段階で土壌汚染や空間線量率のマップ作成の組織を整えようとしていました。6月3日、それが文部科学省の支援を得て大プロジェクトとなってスタートできました。理研はそのプロジェクトに参画し、私がその窓口となりました。仁科加速器研究センターの研究者ら約30名に協力してもらい、集められた294の土壌サンプルを昼夜連続で分析し、約1,500の解析データを文部科学省に提出しました。

和田:惜しむらくは、もっと早くスタートできていたら一番大事なヨウ素のデータが取れていたことです。ヨウ素は人体で甲状腺に蓄積しやすい傾向があるのですが、半減期が8日間と非常に短いので、我々が測定をした頃にはヨウ素をほとんど検出できませんでした。これは、誰もがわかっていましたが、組織的に動くとなると研究者といえどもサンプル収集すら勝手にはできません。それが非常に残念ですね。


3月15日の午前10時なるほど、埼玉県に高レベルの放射能が到達しています。
2014022608.jpg
 ぴったりと符合するではありませんか。
 そして、この放射能は当然レントゲンフィルムも感光させますので、FUJIFILMも
FCR画像に黒点が発生する現象について
2011年3月30日 更新
2011年3月28日 更新
2011年3月22日
富士フイルム株式会社


お客さま各位

平素は富士フイルム製品をご愛顧賜り、厚く御礼申し上げます。

この度、多くのお客さまからお問い合わせをいただいております「FCR画像に黒点が発生する件」に関しての原因と対処方法につきまして下記のとおりお知らせいたします。



1.現象
FCR画像にランダムな黒い点が発生することがあります。

2.調査結果
FCRシステムで使用しているイメージングプレート(以下IP)は極めて感度が高く、X線ばかりでなく、地球上に降り注いでいる人体に影響のないレベルの宇宙線や、自然界に一般に存在する放射性元素などの影響を受けます。そのため、IPを長時間放置した後に、FCRシステムで画像化すると、微少な黒点がランダムに現れることがあります。
この度、東北・関東の都県にて黒点発生の報告が複数あり、発生画像の解析結果および発生時期、発生地域から、福島第一原子力発電所の事故により放出された極めて微弱な放射性物質をIPが検出したものと推察いたしました。

(以下略)

として、放射能到達を認めています。

そして、最悪なのは和田氏。知識もあった、機材もあったのに、組織で動けなかったからヨウ素測定ができなかった。それを「残念なこと」で簡単に済ませてしまっています。人の命がかかっているにもかかわらずこの程度の認識、なぜ自分のできることをきちんと答申してやらなかったのか。ほとんど、サボタージュに近いと思いますし、この無作為は決して許されることではありません。自分の勉強をなぜ全く生かさなかったのか。このようにふんぞり返って平然と話せるのはなぜか。信じられない思いがしました。

 理化学研究所、国民の命を第一に考えてくれる第三者機関だと思えますか?

 それにしても、細部までぴったりと一致する証言。真実とはこのようなところで、きっちりと検証できるものなのです。ソース、ソースと権威に頼らず、個々の証言をつなげて考える癖が必要です。真実を見抜くには。

■関連ブログ
10年前の不始末で、放射能被害を口封じさせられた徳田衆議院議員と毎時1000マイクロシーベルト以上だった双葉町2013年02月07日
除染レベルを上げたのはできなかったから、足の被曝は500mSvだった・・医師会の講習会より2012年07月20日
甲状腺被曝を隠す政府、専門家−天網恢々疎にして漏らさず2013年01月29日
3号機爆発で生じた関東平野の汚染2013年11月19日

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posted by いんちょう at 21:47| Comment(11) | 原子力
この記事へのコメント
国内でも有害物質が入ったワクチンを推し進めている。


FNNニュースより・・・
子宮頸(けい)がんワクチンの副作用問題で、厚生労働省の検討部会は、ワクチンに含ま­れるアルミニウムが原因とする、海外の医学者の見解を否定した。

http://www.youtube.com/watch?v=3INEcLawzMQ

子宮頸癌ワクチンの正体
http://www.youtube.com/watch?v=J_B5b6GroN0

子宮頸がんワクチン フジテレビ
http://www.youtube.com/watch?v=ep2j2L4VE1s
Posted by 大和 at 2014年02月27日 08:56
ちょっとズレたコメントになってしまうのですが・・・
理化学研究所<和光地区>の一般公開が2014/4/19にあります。
http://openday.riken.jp/

毎年恒例のもので、近隣の家族(子供連れ)や理系に興味のある方々が多く来られます。
学校の文化祭みたいな感じでしょうか。
もし関東に来られることがあれば、是非お立ち寄りください。
Posted by 関東オババ at 2014年02月27日 18:13
和田氏のご発言ですが、最後に「…少し安心しましたね」
、、、「少し」と言うところがミソなのかな?と思いました。
安全だと思えば「安心しましたね」で良いと思います。この「少し」と言う言葉を入れる事で氏の研究者としての内心が見えて来る気がしております。
Posted by ねこノほんね at 2014年02月27日 20:52
今は無き保安院のファイル中で、ERCスタッフ宛のFAX(2011年3月15日11:05送信)に「100,000cpmの汚染を全身に受けた場合、最大被ばくを算出するに、甲状腺感受性が高く接種率の高い1歳児換算で甲状腺等価線量は769mSvと推測される。」があり、それを見たとき専門家は知っていながら、黙っていたのかと怒りがこみ上げました。


Posted by フルーツサイダー at 2014年02月28日 00:21
国際的な安全基準の年間被爆量1ミリシーベルトが、3.11東日本大震災後の福島原発事故以来、完全に国際基準の安全性を歪めてしまっている事実に、まずは気がつくべきです。

国連承認の国際機関が年間1ミリ以下は安全だよと言ってみても・・・現実の福島県では年間1ミリは大きく超えています。

汚染地域を除染したから帰れ!と安部政権は言ってますが、帰還する地域の放射線濃度は、除染後も年間1ミリシーベルトを超える放射線汚染地帯が大半です・・・。

一番残念なのは・・・科学者の無能です。
データも資料も検体も無い、情けない現状で安全なのかどうなのかを問われ、国家権力にモノを言わせて責められているのですからね。
人体と放射能の関係性は、アメリカはすでに人体実験をもって証明していますが・・・アメリカで有名なプルトニウムファイルは日本では知られていないとでも思ってるんでしょうか??

日本人の科学者は、日本で何をやっているのか!
まともな科学者は日本では相手にされない。NHKの特番に出ても政権権力者側からトンデモ学者扱いをされる。

震災後三年経ちますが、たったの三年で真実を歪めた、本当は正しいはずの科学が新たな歪んだ形の風評被害を生んで行くんですね・・・。
理化学研究所の言うとおり、これだけ放射能が安全だというのなら、誰が何処に逃げるのでしょうyか???
理化学研究所職員は今後全員福島第一原発敷地内で家族と共に生活して下さい。
Posted by 野良犬 at 2014年03月01日 03:53
理化学研究所といえば、昭和20年政府の合同調査団の一員として広島に入った仁科芳雄氏、1918年理研に入り1930年に仁科研究室を立ち上げていたのですね。都築正夫氏率いる調査団は、陸軍軍医学校と、この理化学研究所と、東京帝国大学の合同だった。調べれば調べるほど戦争中から繋がりあい絡み合い、今また福島で、の恐ろしさ。悪夢の繰り返し。
院長先生のツイッターでご紹介いただいた動画「封印された原爆報告書」を見ましたが確かにこれは必見ですね。あの「死亡率曲線」のなんたるかや、11歳の少女が小さな5枚の組織プレートになって数十年後やっと身内の元に戻ったこととか、言葉をなくしました。このような生データがアメリカの公開でしか世に出なかったことに愕然とします。
都築正夫氏が気になり、もう一度院長先生のブログ記事「放射能と人体(7)放射能安全神話の根拠」2011.12/17を読み直しましが、資料の「原爆はこうして開発された」山崎正勝他、の中に、「生データは公開せず、被ばく者のデータを独占的に管理することで、低い評価に対して疑問を投げかける研究者に対しては、研究封じ、の役割を果たした…」とあり、今も全くその通りだと思いました。
先日図書館でたまたま手に取った本、本当に役に立つ「汚染地図」沢野伸浩著、集英社新書を読んでいたら、沢野氏は1997年のナホトカ号重油流出事件に関わった頃からGIS(地理情報システム)のソフトウエアを手探りで導入しいち早く使っていたそうですが、311後、生データである米国NNSAの放射能実測値データの存在をしばらくは知らず、もし自分だったらあっという間に住民の人たちの判断に役立ち逃げられた地図を提供できたのに、とホゾを噛んだそうです。優れたもののように思われているSPEEDIが、実は世界規格無視の旧態然としたもので、世界規格「世界測地系」ではなく「日本測地系」なのだとは初めて知りました。そんなもので長年巨額の金をもらっていたのですね。しかも肝心の時にそれすら出しもせず。この沢野氏のように民間には優秀な研究者もたくさんいらっしゃるはずです。種子島から日米共同で気象衛星を打ち上げて、何でもかんでもわかるんだそうだし最新の技術だってちゃんとあるところにはあるんでしょうが、問題は生データが隠蔽されることなんですよね。全国の土壌汚染だってその衛星で地表を舐めて行ったら絶対わかるんだろうけど、出しやしないですよね。
Posted by タナトリル at 2014年03月01日 18:41
東電で原子爆弾製造、武田薬品湘南研究所P3施設で細菌兵器製造、イスラエルの人道支援のもと福島の子供達は将来の国防軍候補・・・不謹慎ながらついこんな日本の未来を想像してしまいました。
Posted by アムステルダム at 2014年03月03日 13:26
理研と言えば大戦中の帝国陸軍原子爆弾開発計画「二号研究」の拠点でした。(二号研究の二は仁科芳雄教授の頭文字)
日本窒素肥料「チッソ)の興南工場では、重水や火薬、一部では極秘で帝国海軍原子爆弾開発計画「F研究」で成果があった説もあります。
テレビ番組動画
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/toppage/060806_010.html

当時は原爆開発計画に関わった者は、米軍により絞首刑との情報が流れ、情報隠蔽工作しています。

http://watanaby.files.wordpress.com/2013/03/fukui-6.pdf#search='%E4%BA%8C%E5%8F%B7%E7%A0%94%E7%A9%B6'

「旧日本軍が終戦直前、原爆実験?」 朝鮮半島東岸沖合 GHQに極秘情報(西日本新聞)


 【ワシントン5日時事】旧日本軍が第二次世界大戦の終戦直前、現在は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)領となっている朝鮮半島東岸の興南沖合で原爆実験を実施したとの情報を米軍がつかみ、戦後日本を占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)などが秘密裏に調査していたことが、米国立公文書館で時事通信が入手した米軍機密文書(約三百ページ)で分かった。一九四七年の米軍防ちょう機関の報告は「原爆に似た爆発があった」と伝えているが、真相は解明できなかったもようだ。

 また、これらの文書から、米軍は興南にあった化学コンビナートで日本海軍が秘密裏に核開発を進めていたとみて、朝鮮戦争(五〇―五三年)に乗じて疑惑施設を徹底的に爆撃していたことも明らかになった。

 米軍犯罪調査部隊のデービッド・スネル氏は、旧日本軍が四五年八月十二日未明、興南沖三十数キロの海上で原爆実験を行い、巨大なきのこ雲が上がったとの情報を、ソウルで元日本軍情報将校から入手。退役後の四六年、米ジョージア州アトランタの新聞に公表したが、一笑に付されていた。

 しかし、在朝鮮米軍司令部防ちょう部隊が四七年一月十六日付で作成した報告は、調査結果として、「日本軍は朝鮮北部東海岸沖に浮かべた小さな船で爆破を伴う実験を行い、原爆に似た爆発が起きた。関与した科学者らの名も(スネル報告は)正確だ」と指摘、科学者は旧ソ連軍によってソ連に抑留されたと伝えた。興南は八月十二日、進攻ソ連軍に占領された。

 興南での日本軍の核開発説について、四五年のGHQ文書は(1)日本軍復員者によると、興南の化学工場で原子力関係の実験が行われていた(2)日本海軍は興南の化学工場の秘密部門で、「NZ計画」と呼ばれる水素化合物によるジェット燃料実験を実施していた(3)ソ連による興南占領後、秘密施設がソ連軍に接収され、日ソ両国科学者の共同研究が行われている―などの情報を挙げて、徹底調査を命じた。

 興南には戦前、日本窒素肥料(チッソの前身)の大型化学工場があり、海軍と共同で重水などを生産していた。

 一方、朝鮮戦争中の米軍文書(五〇年十二月二十九日付)によれば、米軍は興南の化学工場施設に空爆を加え、施設の九五パーセントを破壊したという。

[西日本新聞1999年8月6日]

この記事を馬鹿にしていたのですが・・・
NHKの「日本人は何をめざしてきたのか第二回水俣」を見た時に興南の広大な日本窒素肥料興南工場を見た時にあり得る、と思えました。
当時世界有数の化学工場で8万人が働いていた巨大工場です。

Posted by 大和 at 2014年03月11日 16:21
Posted by 大和 at 2014年03月11日 19:37
「ヒロシマ型原爆はナチス製だった」ではスパイ、ベラスコの証言として、広島に落とされた原爆はナチスが開発したものを米軍が接収したものだったそうで。
ネットで見た情報では昭和天皇は原爆の非人間性を鑑み、兵器として使うのに許可を与えなかったそうですが、情報源はあやふやです。
上記の本ではヒトラーも原爆をつくったものの使用する気はなかったそうで……
以上が事実だとすると、一番残酷なシステムはナチズや日本の軍国主義ではなく民主主義たる米国ということになるんですがね。

もっとも化学物質とかの人工生産物を有効だとわかれば環境に与える影響を一切、考慮することなく躊躇なく生産、使用するのはアメリカ文明なのですよ。ナチスはできる限り自然物にしようとしていたのにね。
Posted by Cipher at 2014年03月11日 20:46
騒動広げた理研“最初の会見”誰がセットしたか
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140415-00012328-president-bus_all

1/23 東京都知事選挙告示
1/28 記者会見
2/9 東京都知事選挙投票日

つくられた「四面楚歌」−東京都知事選挙中盤情勢
http://onodekita.sblo.jp/article/86517033.html

ワイドショーの話題は見事でしたね。知事選挙の取り上げられなさすぎも。。。
Posted by まー at 2014年04月15日 19:12
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