2014年03月02日

入市被爆と救護被爆−当初より放射能の害を知っていた都築正男

「内部被曝」・・残留放射能を体内に摂取することで、原爆に直接被爆したのと同じような症状がでます。広島の内部被曝については、ABCCは知らぬ存ぜぬを通してきましたが、被爆直後に入市被爆(内部被曝)をした人の手記が英訳され米国に伝わっていたことが、昨日紹介した「封印された原爆報告書」に紹介されていました。そして、その手記を書くことを強く勧めた人物が、残留放射能の被害を否定したキ築正男教授であったことも。

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封印された原爆報告書 投稿者 gataro-clone

40分くらいから、入市被爆者(門田可宗−よしとき)さんの手記(英訳済み)の紹介
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この方は、原爆投下時には広島にはおらず、4日後に調査団の一人として、入市しています。いわゆる入市被爆者の手記にあたるわけです。
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8月15日 39.5℃
8月17日 歯茎 のどの痛みが増す
8月19日 出血斑
私は、原爆の被害者になったのだろうか?


当時の原爆症と比較して・・全くおなじだと自己分析
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門田可宗さん(84)歳
皮下出血がありましたね。胸のあたりに出血斑があったんですね。
こりゃいかんなと非常に危ぶんだんです。その当時わかりませんので
(レポートは日本語ですか?)そうです。日本語で書きました


そして、ご本人に都築正男教授自らが面談に行ったことを証言されます。
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当時研究者で名前がナンバーワンで出てきたのはキ築先生ですからね。
わざわざ山口医専までおいでになったんです。
直接面談しましてね、いろいろしつもんされたりしましたね。
その時に「今から日記を詳細につけるように」と言われたんですね。
日記だけはつけておこうと思ったんですね。
オーターソンというアメリカの軍医が熱心に僕の手記を求めていることもわかった
僕が残しておかないと誰が残すんだという気持ちがありました。
医学に携わる者として、多少具体的に書いておかないと。


 なるほど内部被曝症状が、極々初期に米国に報告されていたことが良くわかります。番組では、この手記がもっと早く表に出ていれば、たくさんの入市被爆者が存命中に救うことができたのに・・とまとめていますが、私にはとてもそう思えません。入市被曝に関する被害は、このレポートよりもずっと前に、国が認めています。

被爆者と一言で言いますが、下記の4種類があります。
1号被爆者・・直接被爆した者
2号被爆者・・入市被爆者(原爆投下後、二週間以内に爆心地から概ね2km圏内に入った者)
3号被爆者・・救護被爆者(救護施設などで10人以上(1日当たり)の被爆した方の救護や死体処理などに直接従事した者)
4号被爆者・・胎児被爆者(長崎にあっては昭和21年6月3日まで,広島にあっては昭和21年5月31日までに生まれた者)

 いわゆる2号被爆者にあたるわけです。この2号被爆者、被爆したことは認めているのですが、原爆症と認定されないわけです(被曝量が無視しうると言うわけでしょう)

入市被爆者
原爆投下後、救援活動や肉親捜しなどで被爆地に入った人。残留放射線などで被曝(ひばく)したと考えられる。投下後2週間以内に爆心から約2キロ以内の区域に立ち入った人は被爆者健康手帳の交付が受けられる。しかし、原爆症の認定申請では「ことごとく却下される」(原告側)。国は「個々の被爆状況や被曝線量を検討し、専門家で作る審査会の意見を聞いて判断している」としている。
( 2007-03-05 朝日新聞 夕刊 3総合 )
被爆したことは認めているのですから、急性被曝症がでるのは当たり前。ところが、その程度の被爆では原爆症が起きるわけがない。という二段構えになっているわけです。それは、この英文が出てきても全く揺るぎません。
 フクシマでも被爆したことは国も県も東電も認めているけれども、健康被害が起きることはありえない と言っているのと同じです。

 そもそも、こういった報告はあちこちにたくさんありますから、この英文のレポートが特別重要な発見だとは私自身は思いません。それよりも驚いたのは、都築正男がこの内部被曝症状に着目して、わざわざ面談しに山口まで行っていること。

 この都築正男教授が、放射線被曝の第一人者であることは、以前紹介しました。

米軍占領下の原爆調査―原爆加害国になった日本 笹本 征男 (著) 新幹社(絶版)p.25
都築正男の動きに関してひとつの新聞記事がある。「医学も揺らぐ原子爆弾の惨 肉塊に食込む照射 救助の処置な し擦り傷の女優遂に死す」(朝日、一九四五年八月二十九日)という見出しの記事である。八月六日、移動演劇団の花形女優仲みどりは広島で原爆に被爆したが、八月十六日に東京に帰って東京帝国大学医学部付属病院に入院した。しかし、八月二十四日に病院で死亡した。この記事は大半が都築正男の談話で作成されていた。
「軽い擦過傷を負ったに過ぎず、火傷も骨折もないままに本人はひとりで汽車川崎木り東京の家に帰ってきた。(中略)警戒しつつ万全の加療をつづけているうち入院四日目、罹災後ちゃうど二週間目に至って頭髪が抜けはじめ、同時に当初軽微だった背中のすりむきが急激に悪化してきた。直ちに輸血その他の手当を加え、本人も元気一杯頑張っていたが、二十四日曜災十九日目に急変死亡するにいたった。解剖の結果は内臓に顕著な変化を認めた。即ち造血臓器たる骨髄、肝臓、脾臓、腎臓、淋巴腺等が著しく害われていたのであって、これはレントゲン線、ラヂウム線を強く作用させた際の最大の症状に全く一致することが断定されたのである。かくて従来原子爆弾の及ぶ範囲は爆風による破壊と、熱線による火傷のふたつに考えられていたが、さらに『放射能残留』の作用による害作用がここに証明されたのである」

ちなみに仲みどりは八月二十四日午後O時三十分に死亡したが、その解剖記録が残されており、その一時間後に都築外科の依頼により解剖され、それについては後に述べる。
さらにこの記事は次のように続いている。

「私はここに廿年前の挿話を語りたい。それは大正十五年のこと、当時在外研究員として米国にあった私は、デトロイト市で聞かれたレントゲン学会でレントゲン線の生物照射研究を報告した。例へば十匹の兎に三時間照射すると全部死亡、二時間の場合は二週間後に九割死亡といった深部治療における傷害を調べた結果を発表したわけだがアメリカの学者たちに一応興味ある研究だが、実際問題としては第一、一度に全身に照射することはあり得ないわけだし、第二に死に至るまでかけることもあり得ない架空事だとして反駁したのだった。焉んぞはからん廿年後のそういったアメリカ学界は幾万の人類に対し瞬間に死に至らしめる照射を行なったではないか−−顧みて感慨無量であるとともに、この問題は今後あくまでわが学界の手で解決していかねばならぬとの感を深くする。すなわち広島、長崎で原子爆弾爆発による放射能物質の照射を、つけた当時及びその後は大した異常を認め得られないが時を経するに従って健康を害ってくる人たち(どの程度に存在するかは現在全く不明だが)に対する早急にして適当な措置が一刻も早くわれわれの手でとられなければならないことである」

実に、仲みどりこそ先の陸軍軍医学校長井深健次の一言う「エックス線過度照射傷害の実験例に相応すべき定型的の臨床例を、同教室(東大都築外科引用者)に収容していた被害者に認められた」とする「被・害者」そのものであった。

(中略)

p.38
 新藤兼人(映画『さくら隊散る』(製作・近代映画協会、一九八八年)を監督)が引用した解剖記録は
先にふれた『原子爆弾災害調査報告集』(第二分冊)の中に掲載されているが、先に述べたように仲みどりの解剖記録も英訳されてアメリカ占領軍に提出されている。それには実名で「仲みどり」(ローマ字)と記されているのである。仲みどりは研究資料として解剖され利用されたのである。
NHKスペシャルで紹介された原子爆弾災害調査報告書にこの仲みどりの解剖記録も入っているわけですから、都築正男氏のみならず、米国も残留放射能の危険性に気がついているわけです。門田さんの手記は、残留放射能障害の極一部を表現しているに過ぎません。このような手記は、下記に紹介している書籍のいずれにもきちんと書かれていることです。

 それなのに、約10年後の第五福竜丸の国会答弁では、下記のように発言。
 もう一つ誤解を防ぐために申しますが、広島、長崎の場合は、原子爆弾が爆発した瞬間に出ました非常に強い熱と爆風と放射能と、三つの作用によつて数万、数十万という人が障害を受けた。ところがその原子爆弾が爆発してできた粉は、幸いなことには広島、長崎の町には落ちて来なかつた。非常に高いところへ吹き抜けてしまつて、ほんの一部しか落ちてこなかつた。そのために特別な障害を受けたという人はなかつたけれども、今度の場合は非常に遠方でありますから、何が爆発したのだか知りませんが、爆発した瞬間に出た強い熱と爆風というものは、第五福商丸はちつとも影響を受けていないわけです。


 なぜ、10年後には当初述べていた意見を覆すようになったのでしょうか。この発言は、カルディコット、藤田祐幸氏と全くおなじです。

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posted by いんちょう at 21:50| Comment(7) | 原子力
この記事へのコメント
 先生と同じような書籍を読みながら、肝心の点について読み過ごしている。先生のブログを読んで再確認するという愚かなことを再三再四繰り返しています。

 肝心なポイントを見逃さない其の鋭い視線にいつもながら驚かされています。そして世の中の学者と称する輩の先生とは逆に、肝心な点を巧みにすり抜けて、核心をぼやかすテクニックにも驚かされています。

 関連書籍は心して読まないと駄目なんだなと、改めて心を入れ替えております。
Posted by ハマの住人 at 2014年03月04日 12:18
世の中の学者と称する輩の先生とは逆に、



世の中の学者と称する輩「は」先生とは逆に、

以上のように訂正致します。
Posted by ハマの住人 at 2014年03月04日 13:23
こんばんわ、ツイッターの方はまさに「春のイチゴ祭り」の大賑わいですね!ブログの「奇形動植物のまとめ」への大和様のコメントも理化学研究所との関係で興味深く拝読しました。
理研が独立行政法人とは迂闊にも知らなかったです。今度神戸に産学協同拠点を作って新薬開発、再生医療の実用化をするそうですね。38億円、来年4月に研究開始。やりたか放題じゃございませんか。「融合連携イノベーション推進棟」と呼ばれるそうで。フンッ、血税の融合ですかね?
すみません、前置きが長くなってしまいましたが、都築正夫氏のことを色々御教示下さり有難うございました。理化学研究所の記事を読んだ後、都築正夫、と入れてブログ内検索をかけてみると、2011.12/17の「放射能と人体(7)…」の記事が出てきました。ありゃ?確かすごく長いのやら、幾つかあったような…と思ったのですが、目次を見れば見つかるだろうと思っていたところでした。有難うございます。関連ブログもじっくり読ませていただきます。改めて今まで提供していただいていた膨大な貴重な情報の量に驚いております。

Posted by タナトリル at 2014年03月04日 23:14
被爆者の証言20-田島栄三
http://www2.nbc-nagasaki.co.jp/peace/voices/no20.php

原発投下、市民殺りくが目的 米学者、極秘文書で確認
http://eharagen.sun.macserver.jp/atomic_bomb.html

終戦前後2年間の新聞切り抜き帳
http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/50nen8.html

原爆=原発=米軍基地=戦争
全てが1%(特権階級=軍産複合体)による支配=戦争利権=人命軽視、同根・同一のものだと感じています。

私の両祖父も、先の戦争(沖縄戦)にて出兵(南方)、戦死しました。
両親共に幼かった為、父親(祖父)の記憶は無いとの事です。
祖母(父方)は子供4人(おんぶに抱っこ)を連れ、山原(北部)へ逃げ、食べるものが無く、非常に苦しんだとの話を聞きました。

多くの方々が肉親を奪われ、苦しい思いをされたとの話を聞きますと、胸が締め付けられます。
同時に、子供の命を優先し、護ってくれた祖母には感謝の気持ちしかありません。
Posted by 思考 at 2014年03月07日 01:23
以下、訂正させて頂きます。
(沖縄戦)→(沖縄戦以前)です。

「原爆症認定制度-被爆者救済の優先を」
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/176047.html

内部被ばく考慮ないまま 原爆症新認定基準を決定
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2013121702100005.html

悲劇はなぜ繰り返されるか
な「ヒロシマからフクシマへ」
http://maesaka-toshiyuki.com/top/detail/2447

原爆投下-10秒の衝撃
http://www.at-douga.com/?p=8470

原爆投下後、多くの方々
が健康被害に苦しみながら
も救済されずにいます。
被害を訴えなければ救済・賠償も無いと言う事も…

福島原発事故の被害者(国民)、原爆被害者共に手を合わせ、闘う必要が有るのではないかと感じます。

Posted by 思考 at 2014年03月08日 00:31
この記事とは直接関係のない話ですが。

我が家の祖父母によると、NHKの朝ドラ「ごちそうさん」を観ていると、太平洋戦争下の市民生活の描写に突っ込みどころが多すぎて、苦笑するそうです。
空襲すらまったくなかった新潟の田舎で生まれ育った者ですらそう感じるのですから、あの戦争下を東京で過ごした祖母の友人の方など、あまりの酷さに腹が立って、即TVを消してしまうそうです。
まぁ、今やドラマを作る側も戦後生まればかりですからね。それこそかなり勉強しないとあの時代を再現するのは難しいでしょう。ましてや、NHKのお偉方が超タカ派ばかりになってしまいましたから。

ゆとり、もとい若い世代ももっと積極的に勉強しないと。といっても、美少女に擬人化された艦艇がやさしく手取り足取り教えてくれないとあの戦争を学ぶ気がしない、というのが今のガキ共らしいですけど(苦笑)。
Posted by 新潟県民 at 2014年03月08日 08:34
こんばんわ。本文中の赤字のところと末尾リストの関連ブログを開いては読み、さらにまたそこに出てきたものを開き…で数日間読みふけっていました。なんか暗い地面に深く潜り続けてようやく這い出してきたような気分です。(地上のイチゴ祭りが平和に感じるから不思議です。)たいてい一度読んでいたはずですが、改めて系統立てて関連付けて読むと、核の恐ろしさと人間の倫理の未成熟の間にあるズレをひしひしと感じました。同胞を実験材料にしてまで「科学」を追い求めてきたこの人類って果たして何なんだろう、そしてどこに向かおうとしているのだろうか…?遺伝子や細胞の研究のスピードもまた、私には恐ろしく感じられます。
思考様がコメントでご提供下さった資料も貴重なものばかりのようで読み始めましたが、なかなかの長編もあるので少しずつありがたく読ませていただいています。有難うございます。
Posted by タナトリル at 2014年03月10日 02:20
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