世界初の実践利用であったにもかかわらず、この原爆を分析する能力が日本にあったことは、東大で分析されていたヒロシマ、ナガサキの死の灰で紹介いたしました。
広島で被曝した人たちは、満足な手当を受けることなく大半の方がほとんど人としての尊厳をなくしたまま亡くなられました。その中で、たった一人の女性が、この被爆地から抜け出し、当時世界でたった一人しかいない被曝医療の専門家と言える都築正男氏の医療を受けることができました。その人が、今回紹介する「仲みどり」さんです。

仲みどりさんについては、以前ブログで紹介していますが、再度。

死後1時間にして、家族の了解も取り付けないままに綿密な剖検が行われ、死因は「原子爆弾症」と特定された。これにより、仲は医学上認定された人類史上初の原爆症患者とされる。被爆直後から臨終まで続いた胸部の苦痛の原因となった出血した肺と、機能低下し再生不能性貧血の症状を示す「黄色いバターの色」になった骨髄は、標本として今も同病院に保存されている。[1]
2013年になり、紛失したと考えられていた東京大学病院での仲みどり診療記録(カルテ)の原本の一部とみられる書類が発見されたことが報道された[2]
仲みどり−診察医師の証言(さくら隊散るから)
仲みどりを実際に見た医師の証言だけをまとめてあります。

太田「その当時はですね、やっぱり空襲なんかがありまして、
結局、まあ先生は足りませんし
学生が総動員で ともかく治療に当たっていた
そのまま医局へ入っていくのは難しいんですけれども
通りがかった方を声をかけたら、実は広島から まあ・・・
それじゃ もう 大変だろうというんで
そして 都築先生という外科の先生が
もともと 軍医さんだったんですね
ですから いわゆる戦傷学というのは
ちょうど あの原子爆弾が広島に落ちたときにですね
それは まだ 終戦前でしたけど
すぐに我々を集めて、こういう爆弾が落ちたと
そして そうなると 人体に対して
どういう影響があるんだというような話はですね
実は私たちは受けていたわけ
"この人は原子爆弾に被曝をした人である"という・・・

清水「太田先生は 私の一級下なもんですから
"清水さん 広島で爆弾にあった方が"
"先生のとこにいれていただけませんか"と
私 血液の検査をしておったんですけれども
赤血球 白血球 ヘモグロビン検査しますけれども
白血球検査してみますと、普通は顕微鏡で見ますと
・・
全視野見ましてもね、なかなか白血球がないんですよね
仲さんは僕が持ったものだから、先生回診においでになったんです
・・
都築先生が"清水君 君を疑うわけじゃないけれども"
・・
300,400,500ぐらいしかないんですよ
申しあげましたら 続き先生の顔色が変わっちゃったんですねえ



初日に打たれている見慣れない「コンムニン」という注射薬。調べてみますと、抗生物質のなかった当時に細菌感染症の唯一の治療薬として使用されていたようです。「抗生物質」に準ずるものと考えれば十分でしょう。


8月17日(被爆 11日)
体温 38度3分
コンムニン1cc
脱毛が始まる
左肩の傷が急に悪化
破傷風血清2cc
体温 38度3分
コンムニン1cc
脱毛が始まる
左肩の傷が急に悪化
破傷風血清2cc
8月19日(被爆 13日)
体温39度に上昇
コンムニン1cc
胸・腹部に苦悶
傷口悪化
体温39度に上昇
コンムニン1cc
胸・腹部に苦悶
傷口悪化
8月20日(被爆 14日)
体温 午前 39度5分
コンムニン1cc
リンゲル液200cc
苦悶あり
脱毛甚だし 左肩の傷悪化
皮下出血を見る
輸血
体温 午前 39度5分
コンムニン1cc
リンゲル液200cc
苦悶あり
脱毛甚だし 左肩の傷悪化
皮下出血を見る
輸血
8月22日(被爆 16日)
体温 40度
脈拍 98
コンムニン1cc
リンゲル液 200cc
輸血
血液検査の結果
白血球数 300
体温 40度
脈拍 98
コンムニン1cc
リンゲル液 200cc
輸血
血液検査の結果
白血球数 300
8月23日(被爆 17日)
体温 39度8分
脈拍 99
コンムニン1cc
リンゲル液 200cc
輸血
体温 39度8分
脈拍 99
コンムニン1cc
リンゲル液 200cc
輸血
8月24日(被爆 18日)
体温 39度8分
脈拍 100
コンムニン1cc
リンゲル液 200cc
5%ブドウ糖液 100cc
昼の体温 40度4分
脈拍 158
12時30分 死亡
死因名「原子爆弾症」36歳
体温 39度8分
脈拍 100
コンムニン1cc
リンゲル液 200cc
5%ブドウ糖液 100cc
昼の体温 40度4分
脈拍 158
12時30分 死亡
死因名「原子爆弾症」36歳





標本が東大に残っていたこと、1988年当時には、直接被爆者を見た医師たちが健在でまだまだ現役だったことに驚かされました。動画も併せてご覧ください。
急性被爆の恐ろしさが伝わってくると思います。
参考ブログ
仲みどりの被爆--原子爆弾症第一号のカルテを持つ女優の足跡 近野十志夫
原爆症1号、幻のカルテ発見 女優・仲みどりさんの記録2013年8月4日2時57分
■関連ブログ
入市被爆と救護被爆−当初より放射能の害を知っていた都築正男2014年03月02日
放射能による急性死亡実験2014年01月04日
東大で分析されていたヒロシマ、ナガサキの死の灰2013年10月25日

まあ裁判は上に行くほどアレなので…、
しかし判決内容で、国が内部被曝の影響を過小評価している疑いが強いとまで指摘されましたね、
核被害以外にも様々な公害でも業界に良い顔して被害を広げる行政を取り締まるきちんとした厳しい対応する組織を、完全に独立した形で作らないとどうしょうもないです。
↓
関東地方のある市の担当者は、「安易にアレルギーを申告する保護者が殺到し学校が混乱するケースがある」と打ち明ける。市は学校側からの要望もあり、マニュアルを改め、対応希望者には医師の診断書の提出を義務づける方針だ。
お金の為には、子供の健康や親の想いなど、どうでもいいということでしょうか?
せめて選択の自由くらい与えてください。
文句があるならば、原発の言いだしっぺである、お国の対象、中曽根に言ってください。死ぬ危険性もあるのに、なんで、“絆”で騙されて、危ないものを食さないといけないのですか?ということで、偏向した危ない考え方をして、県民・国民を巻き込もうとすると、恐ろしい形で、自分のところに返って来るとする、好例でした。
こうした中で、未だに、福島後に、他国(しかも、チェルノブイリでも被害を受けている自身国ですよ)に原発を売ったり、今度は、南西の原発で再稼働を模索している、の輩がいますが、火力・水力・自然エネ・自家発等、堕核のゴミが増えるだけで、実際、危なく、他国への威嚇のためでしか意味がないようなものは、人類の存続性を考えれば、当然止めるべきなのですが。本院、心の中、忸怩たるものがあると思いますが、物ごとの当然の輪廻でやられた中曽根康弘。第2、第3の中曽根が出ないことを期待します。
子供頃外から標本室に入れたんです。怖々入ると、扉右側にそれが有り、頭の上には赤ん坊の癒着二卵生双生児や血管強調標本などが置いて有りました。扉を出た斜め反対側には解剖室があり、外の琺瑯びき瓶には脳みそが浮いて居ました。
いやあ、もう直ぐ還暦なのに、忘れられませんな。