2014年03月21日

1037.仲みどり−人類史上初めて「原子爆弾症」による死亡と診断された女性

 1945年8月6日、初めて人類の上に原爆が落とされました。

 世界初の実践利用であったにもかかわらず、この原爆を分析する能力が日本にあったことは、東大で分析されていたヒロシマ、ナガサキの死の灰で紹介いたしました。
 広島で被曝した人たちは、満足な手当を受けることなく大半の方がほとんど人としての尊厳をなくしたまま亡くなられました。その中で、たった一人の女性が、この被爆地から抜け出し、当時世界でたった一人しかいない被曝医療の専門家と言える都築正男氏の医療を受けることができました。その人が、今回紹介する「仲みどり」さんです。

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仲みどりさんについては、以前ブログで紹介していますが、再度。
2014032137.jpg「軽い擦過傷を負ったに過ぎず、火傷も骨折もないままに本人はひとりで汽車川崎木り東京の家に帰ってきた。(中略)警戒しつつ万全の加療をつづけているうち入院四日目、罹災後ちゃうど二週間目に至って頭髪が抜けはじめ、同時に当初軽微だった背中のすりむきが急激に悪化してきた。直ちに輸血その他の手当を加え、本人も元気一杯頑張っていたが、二十四日曜災十九日目に急変死亡するにいたった。解剖の結果は内臓に顕著な変化を認めた。即ち造血臓器たる骨髄、肝臓、脾臓、腎臓、淋巴腺等が著しく害われていたのであって、これはレントゲン線、ラヂウム線を強く作用させた際の最大の症状に全く一致することが断定されたのである。かくて従来原子爆弾の及ぶ範囲は爆風による破壊と、熱線による火傷のふたつに考えられていたが、さらに『放射能残留』の作用による害作用がここに証明されたのである」

死後1時間にして、家族の了解も取り付けないままに綿密な剖検が行われ、死因は「原子爆弾症」と特定された。これにより、仲は医学上認定された人類史上初の原爆症患者とされる。被爆直後から臨終まで続いた胸部の苦痛の原因となった出血した肺と、機能低下し再生不能性貧血の症状を示す「黄色いバターの色」になった骨髄は、標本として今も同病院に保存されている。[1]

2013年になり、紛失したと考えられていた東京大学病院での仲みどり診療記録(カルテ)の原本の一部とみられる書類が発見されたことが報道された[2]



仲みどり−診察医師の証言(さくら隊散るから)
仲みどりを実際に見た医師の証言だけをまとめてあります。

2014032101.jpg一番最初に仲みどりに声をかけた「太田怜」(当時学生)
太田「その当時はですね、やっぱり空襲なんかがありまして、
結局、まあ先生は足りませんし
学生が総動員で ともかく治療に当たっていた
そのまま医局へ入っていくのは難しいんですけれども
通りがかった方を声をかけたら、実は広島から まあ・・・
それじゃ もう 大変だろうというんで
そして 都築先生という外科の先生が
もともと 軍医さんだったんですね
ですから いわゆる戦傷学というのは
ちょうど あの原子爆弾が広島に落ちたときにですね
それは まだ 終戦前でしたけど
すぐに我々を集めて、こういう爆弾が落ちたと
そして そうなると 人体に対して
どういう影響があるんだというような話はですね
実は私たちは受けていたわけ
"この人は原子爆弾に被曝をした人である"という・・・
太田医師は、軍医だからわかっていただろうという話をされていますが、この原爆が落とされた時点で、致死量の被曝を受けたら生体はどのように変化するかを熟知していたのは、この都築正男以外にはいませんでした。世界で唯一被曝知識のある医師の元に、ほとんど外傷のない被爆者が幸運にも入院できたのです。神の導きとしかいえないのではないかと思わざるを得ません。

2014032109.jpg主治医となった清水善男(当時医学生)
清水「太田先生は 私の一級下なもんですから
"清水さん 広島で爆弾にあった方が"
"先生のとこにいれていただけませんか"と
私 血液の検査をしておったんですけれども
赤血球 白血球 ヘモグロビン検査しますけれども
白血球検査してみますと、普通は顕微鏡で見ますと
・・
全視野見ましてもね、なかなか白血球がないんですよね
仲さんは僕が持ったものだから、先生回診においでになったんです
・・
都築先生が"清水君 君を疑うわけじゃないけれども"
・・
300,400,500ぐらいしかないんですよ
申しあげましたら 続き先生の顔色が変わっちゃったんですねえ


2014032114.jpg入院したのは、東京帝国大学付属病院 都築外科37号室。都築医師が、医学生たちに原爆症の恐ろしさを伝え、そのことをきちんと聞いていた医学生が最初に対応したことで、適切な対応、治療をすることができました。もし、この患者が、都築外科以外の科を受診していたならば、この症例報告は闇に葬られていたはずです。大学病院は縄張り争いがひどいですから、このように適切な科に入院できたのは、ここでも奇跡というしかありません。

2014032115.jpg2014032116.jpg
初日に打たれている見慣れない「コンムニン」という注射薬。調べてみますと、抗生物質のなかった当時に細菌感染症の唯一の治療薬として使用されていたようです。「抗生物質」に準ずるものと考えれば十分でしょう。

2014032117.jpg2014032118.jpg
8月17日(被爆 11日)
体温 38度3分
コンムニン1cc
脱毛が始まる
左肩の傷が急に悪化
破傷風血清2cc

8月19日(被爆 13日)
体温39度に上昇
コンムニン1cc
胸・腹部に苦悶
傷口悪化

8月20日(被爆 14日)
体温 午前 39度5分
コンムニン1cc
リンゲル液200cc
苦悶あり
脱毛甚だし 左肩の傷悪化
皮下出血を見る
輸血

8月22日(被爆 16日)
体温 40度
脈拍 98
コンムニン1cc
リンゲル液 200cc
輸血
血液検査の結果
白血球数 300

8月23日(被爆 17日)
体温 39度8分
脈拍 99
コンムニン1cc
リンゲル液 200cc
輸血

8月24日(被爆 18日)
体温 39度8分
脈拍 100
コンムニン1cc
リンゲル液 200cc
5%ブドウ糖液 100cc

昼の体温 40度4分
脈拍 158

12時30分 死亡

死因名「原子爆弾症」36歳

2014032132.jpg仲みどりは"原子爆弾傷剖検ナンバー1"となった。死後一時間後に剖検


2014032133.jpg2014032134.jpg2014032135.jpg2014032136.jpg
標本が東大に残っていたこと、1988年当時には、直接被爆者を見た医師たちが健在でまだまだ現役だったことに驚かされました。動画も併せてご覧ください。
 急性被爆の恐ろしさが伝わってくると思います。

参考ブログ
仲みどりの被爆--原子爆弾症第一号のカルテを持つ女優の足跡 近野十志夫
原爆症1号、幻のカルテ発見 女優・仲みどりさんの記録2013年8月4日2時57分
■関連ブログ
入市被爆と救護被爆−当初より放射能の害を知っていた都築正男2014年03月02日
放射能による急性死亡実験2014年01月04日
東大で分析されていたヒロシマ、ナガサキの死の灰2013年10月25日



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posted by いんちょう at 22:58| Comment(4) | 原子力
この記事へのコメント
大阪地裁で国が不認定の原爆症の裁判で原子村に厳しい判決でましたね、
まあ裁判は上に行くほどアレなので…、
しかし判決内容で、国が内部被曝の影響を過小評価している疑いが強いとまで指摘されましたね、
核被害以外にも様々な公害でも業界に良い顔して被害を広げる行政を取り締まるきちんとした厳しい対応する組織を、完全に独立した形で作らないとどうしょうもないです。
Posted by 南部のアホな大阪人 at 2014年03月22日 16:04
食物アレルギー対策に関する文部科学省の有識者会議が3日あり、学校給食などで特別な対応が必要な児童生徒に医師の事前診断を義務づける方針を決めた。症状の把握と学校の負担軽減が目的。3月の最終報告書に盛り込み、それを受けて文科省が同月末にも全国の学校向けに通知する。



関東地方のある市の担当者は、「安易にアレルギーを申告する保護者が殺到し学校が混乱するケースがある」と打ち明ける。市は学校側からの要望もあり、マニュアルを改め、対応希望者には医師の診断書の提出を義務づける方針だ。


お金の為には、子供の健康や親の想いなど、どうでもいいということでしょうか?
せめて選択の自由くらい与えてください。
Posted by 風 at 2014年03月22日 18:32
昔、中曽根康弘という将校がいて、に派遣されたとのことです。彼は、8月6日、広島の原爆投下の惨状を対岸から見て、「この威力は凄い。日本も、これを持つしかない。」と思ったそうです。常任の神経ならば、下にいる住民の身を案じ、こんな、無垢の人達を地獄に陥れるような、恐ろしいものは持つべきではない、となる処が、彼は、「これしかない。」となった訳ですね。それだけでも異常ですが、実際、その体現により、彼は、国会議員になってからも、自分の信念通り、原発法案を通し、国内で原発は、50何機が出来ることになった。だから、原発は、非常に、人間のふつうの倫理と道徳心があるならば、忌み嫌うべき、成り立ちになっているのです。そして、そのような、1個人の偏向した心によって、始められた原発の行く末がどうだったか。スリーマイルも、チェルノブイリも経験しているのに、より、地震国である日本は、一切原発を止めることをせずに、案の定、福島の惨劇。事故後、自分に非難の火の粉がかかるのを防止よようと思ってか、さすが、あやつ、風見鶏と言われるだけあって、「これからは、自然エネルギーでないといけないよね。」などとすっとおぼけていましたが、そういった、危ない常人とは偏向した考え方をして権力を使った人の行く末は、お膝元の山側の半分が、放射能に汚染されました。など、群馬と書いてあれば、市町村名までは書いてある訳ではないので、福島のものとどうよう、絶対、群馬県の農家の人には悪いが、放射能入れて、身体を悪くする確率は減らしたいので、絶対、群馬産のものは買いません。
文句があるならば、原発の言いだしっぺである、お国の対象、中曽根に言ってください。死ぬ危険性もあるのに、なんで、“絆”で騙されて、危ないものを食さないといけないのですか?ということで、偏向した危ない考え方をして、県民・国民を巻き込もうとすると、恐ろしい形で、自分のところに返って来るとする、好例でした。
こうした中で、未だに、福島後に、他国(しかも、チェルノブイリでも被害を受けている自身国ですよ)に原発を売ったり、今度は、南西の原発で再稼働を模索している、の輩がいますが、火力・水力・自然エネ・自家発等、堕核のゴミが増えるだけで、実際、危なく、他国への威嚇のためでしか意味がないようなものは、人類の存続性を考えれば、当然止めるべきなのですが。本院、心の中、忸怩たるものがあると思いますが、物ごとの当然の輪廻でやられた中曽根康弘。第2、第3の中曽根が出ないことを期待します。
Posted by 原発を導入しようとした胴元は、広島原爆の威力を対岸から見て、素晴らしいと思ったから at 2014年03月22日 20:15
 日赤広尾病院にも女性の足のホルマリン漬けがありました。ラベルに広島原爆被爆者って書いて有りました。もう50年位前に見たんですが、今は何所に有るのか分からない。あのでかいビルの地下にでも有るんでしょうな。
 子供頃外から標本室に入れたんです。怖々入ると、扉右側にそれが有り、頭の上には赤ん坊の癒着二卵生双生児や血管強調標本などが置いて有りました。扉を出た斜め反対側には解剖室があり、外の琺瑯びき瓶には脳みそが浮いて居ました。
 いやあ、もう直ぐ還暦なのに、忘れられませんな。
Posted by 武尊43 at 2014年03月22日 23:17
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